翌日の練習。
玲は、本当に俺をブルペンへ連れていった。
「伊織君」
「何?」
「見てて」
「何を?」
「僕の投球」
「昨日もずっと見てたけど」
「今日はもっと考えて投げる」
「……今まで考えてなかったみたいに聞こえるぞ」
「考えてたよ」
玲は少しだけ不満そうな顔をした。
「でも、もっと考える」
その横では、高瀬がキャッチャーミットを持って準備している。
「俺も付き合うの?」
「お願い」
「昨日から急に素直だな」
「上手くなりたいから」
「そう言われると断りづらいんだよな……」
高瀬がマスクを被った。
◇
玲がマウンドへ上がる。
最初の1球。
135km/h。
外角。
少し高い。
「ボール」
2球目は132km/h。
外角低め。
「ストライク」
3球目も同じ場所へ131km/h。
「ストライク」
玲が小さく頷く。
「次、チェンジアップ」
「おう」
腕を振る。
高瀬が捕った。
「ちょっと高い」
「うん」
「もう1球」
今度は低め。
「それはいい」
玲はすぐに次の球を握った。
今までの玲なら、ブルペンで一番気にしていたのは球速だった。
135。
134。
もっと速く。
そんな感じだった。
でも今日は違う。
外。
内。
高め。
低め。
どこへ投げるか。
どの球のあとに何を投げるか。
それを確認している。
「珍しいな」
思わず言うと、玲が振り返った。
「何が?」
「ちゃんと投手っぽくなった」
「前から投手だよ」
「そういう意味じゃない」
「?」
「まあいいや」
玲は首を傾げながら、またマウンドへ向き直った。
◇
ただ。
俺の投球をそのまま真似しようとすると、すぐにおかしくなった。
「もっと遅く」
玲がチェンジアップを投げる。
高瀬が捕る。
「今のは抜けすぎ」
「もう1回」
次。
「腕の振り緩んでる」
「……もう1回」
さらに遅くしようとして。
今度は大きく外れる。
「難しい」
玲が珍しく、はっきりそう言った。
「そりゃそうだろ」
「伊織君は76km/h投げる」
「俺はその投げ方を練習してるからな」
「僕も76にした方がいい?」
「いや……」
俺は少し考えた。
「別に、俺と同じにする必要なくない?」
「何で?」
「だって、お前135km/hあるじゃん」
「うん」
「俺にはない」
「うん」
「そこ即答されると腹立つな」
「本当だから」
「分かってるけど」
気を取り直す。
「俺は126km/hだから、76km/hを使ってタイミングを壊してる」
「うん」
「そのあとに126を投げれば、実際の数字以上に速く感じる」
「うん」
「でも玲は、最初から135あるだろ」
「ある」
「だったら」
俺はボールを指差した。
「135をもっと打ちにくくする方が、お前には合ってるんじゃない?」
玲が黙る。
「もっと打ちにくく?」
「例えば、ストレートだと思って振ったのに、最後だけ落ちるとか」
「落ちる?」
「そう。速度はそんなに落ちないまま」
高瀬も考えながら頷いた。
「それは嫌だな」
「だろ?」
「135待ってて、130くらいで同じ軌道から最後だけ沈んだら、見分ける時間ほとんどないぞ」
「130……」
玲が自分の指を見る。
その顔が。
少し変わった。
◇
「投げてみる」
「何を?」
「まだ分からない」
「分からない球投げるなよ」
「でもやってみたい」
「怖えよお前」
玲がボールの握りを変える。
指を少し広げる。
ただ、無理に深く挟んでいるわけではない。
「それで投げられる?」
「分からない」
「だから分からない多すぎるって」
玲が腕を振った。
フォームは。
ストレートとほとんど変わらなかった。
球速表示。
129km/h。
ボールは真っすぐ高瀬へ向かう。
そして。
ホームベースの少し手前。
スッ。
わずかに沈んだ。
高瀬のミットが下へ動く。
「……」
3人とも黙った。
「今の何?」
高瀬がミットを見る。
「分からない」
「お前が分からないのかよ」
「もう1回」
「聞けよ!」
◇
2球目。
130km/h。
今度はほとんど落ちない。
「違う」
玲が首を振る。
3球目。
128km/h。
少し早めに沈む。
「これも違う」
4球目。
131km/h。
高く抜ける。
「違う」
5球目。
玲が一度、指先を確認した。
そして投げる。
130km/h。
途中までは。
本当にストレートと同じように見えた。
でも。
打者が振り始めるあたりで。
ボールが沈む。
バァンッ!
高瀬が低い位置で捕球した。
「……今の」
「うん」
玲の目が輝く。
「今のがいい」
「何が違った?」
俺が聞く。
「指」
「それだけ?」
「あと、力の入れ方」
「分かるの?」
「なんとなく」
天才って。
こういうところが少し腹立つ。
「打ってみたい」
俺が言う。
「いいよ」
返事は早かった。
◇
ヘルメットを被って打席へ入る。
高瀬が座る。
「成瀬、本気で打つ?」
「もちろん」
「水城も?」
「もちろん」
「練習なんだけどな……」
高瀬がため息をつく。
初球。
135km/h。
内角高め。
「ストライク!」
速い。
いつもの玲のストレート。
2球目。
133km/h。
外角低め。
ファウル。
ツーストライク。
そして3球目。
玲の腕が振られる。
「ストレート」
そう見えた。
少しだけ遅い。
でも。
待てるほどではない。
振り始める。
その瞬間。
「っ!」
ボールが落ちた。
ブンッ!
バットの下を通過する。
高瀬のミット。
「ストライク!」
「……」
思わず振り返る。
「どう?」
玲が聞く。
「嫌だな」
「打てなかった」
「分かってても嫌だ」
ストレートより5km/h程度遅いだけ。
それなのに。
最後に沈む。
「もう1回」
「いいよ」
「今度は打つ」
「今度も抑える」
高瀬が笑う。
「お前ら本当に楽しそうだな」
◇
今度は最初から、新しい球が来ると分かっている。
玲が投げる。
129km/h。
「来た」
振る。
落ちる。
カキンッ!
バットの先。
ファウル。
「当たった」
玲が言う。
「当てた」
「でもファウル」
「次は前に飛ばす」
「じゃあもっと遅く落とす」
「それできるの?」
「まだ分からない」
「結局そこかよ」
でも。
俺も分かった。
これは面白い。
完成したら。
かなり面倒な球になる。
◇
数日後。
シート打撃。
玲がマウンドへ上がった。
最初の打者は黒田。
「来い、水城!」
「うん」
初球。
135km/h。
高め。
カキンッ!
「ファウル!」
「速っ!」
2球目。
132km/h。
外角低め。
「ストライク!」
ツーストライク。
高瀬がサインを出す。
玲が頷く。
3球目。
130km/h。
途中まで。
ストレートとほとんど同じ。
「っ!」
黒田が振る。
手元で沈む。
ブンッ!
「ストライク! バッターアウト!」
「何だ今の!」
黒田が振り返る。
「新しい球」
玲が答える。
「名前は?」
「まだない」
「名前もない球で三振取るな!」
◇
次は三上。
「俺には普通の球投げろよ!」
「全部普通」
「今のは普通じゃねえよ!」
「打者でしょ?」
「そうだけど怖いもんは怖い!」
初球。
134km/h。
ファウル。
2球目。
131km/h。
外角低め。
見逃し。
ツーストライク。
3球目。
また高速の落ちる球。
でも。
今回は少し甘い。
129km/h。
三上がなんとかバットへ当てる。
カンッ!
弱いゴロ。
「ショート!」
俺が前へ出る。
捕る。
1塁へ。
「アウト!」
玲がマウンドで三上を見送る。
「三振じゃなかった」
「アウトなら同じだろ」
「うん」
玲は素直に頷いた。
少し前なら。
きっと悔しそうにしていた。
今は。
アウトを取ったことを見ている。
◇
練習後。
監督に呼ばれた。
「水城」
「はい」
「さっきの球、何だ?」
「まだ分かりません」
「握りは?」
「少し指を広げてます」
「落ちる球か」
「はい」
監督がボールを受け取る。
「無理に深く挟むなよ」
「はい」
「今のお前はまだ身体もできている途中だ。変な投げ方で無理に変化させるな」
「分かりました」
「ただ」
監督が玲を見る。
「面白い球ではある」
玲の顔が明るくなる。
「ストレートと腕の振りがほとんど変わらない。速度差も小さい」
「はい」
「もっと安定して手元で落とせるようになれば、135km/hがさらに生きる」
「はい!」
「でも忘れるな」
「何をですか?」
「お前の一番の武器は、あくまで真っすぐだ」
「忘れません」
玲は即答した。
「もっと速くしたいので」
「そこは変わらんな」
「はい」
◇
帰り道。
玲が俺の隣を歩く。
「伊織君」
「何?」
「分かった」
「何が?」
「僕、伊織君みたいにならなくていい」
「それ前にも言ってなかった?」
「今日はもっと分かった」
「どう違うんだよ」
玲が少し考える。
「伊織君は、126と76」
「うん」
「速い球と、すごく遅い球」
「すごくは余計だ」
「僕は135と130」
「うん」
「速い球と、速いまま落ちる球」
「それでいいんじゃない?」
「もっと速くしたい」
「どっちを?」
「両方」
「やっぱりな」
「真っすぐが140になったら」
「うん」
「落ちる球も、もっと速くする」
「それ打者からしたら嫌だな」
「じゃあやる」
「判断基準そこなの?」
「抑えたいから」
「まあ正しいけど」
しばらく歩いて。
玲がまた言った。
「でも」
「まだあるの?」
「いつか、1個だけ遅い球も欲しい」
「へえ」
「速い球ばっかりだと思われたら、タイミング合わせられるかもしれない」
「そこまで考えるようになったか」
「伊織君が教えた」
「俺?」
「相手が何を待ってるか考えるって」
「……」
本当に。
吸収が速い。
「何投げる?」
「まだ分からない」
「チェンジアップ?」
「伊織君みたいに76km/hは嫌」
「何でだよ」
「遅すぎる」
「武器なんだぞ」
「僕はもっと速い方が好き」
「知ってるよ」
◇
その日の夜。
システムを開く。
玲の解析情報を確認する。
【水城玲の解析情報】
年齢:13歳
競技カテゴリ:中学
【投手能力】
球速 135km/h
コントロール C62
スタミナ B70
【変化球】
チェンジアップ 3
【確認済み特殊能力】
奪三振
怪童
リリース○
数値は。
まだ変わっていない。
でも。
その下に、新しい表示が出ていた。
【解析情報が更新されました】
【新たな変化球の兆候を確認しました】
【高速落下球:未完成】
【球速帯:128~131km/h】
【特殊能力《キレ○》の成長条件を一部満たしました】
「……来た」
まだ。
SFFという名前はついていない。
毎回同じように落ちるわけでもない。
変化量も安定していない。
それでも。
135km/hのストレートとほとんど同じ軌道から。
130km/h前後で。
手元だけ沈む。
もし。
あの球がもっと速くなって。
もっと遅く変化を始めて。
鋭く落ちるようになったら。
「打ちたくないな」
135km/h。
その近い速度帯から。
最後だけ違う場所へ消える球。
そして玲は。
いつか遅い球まで覚えようとしている。
「俺が刺激したんだよな……」
少しだけ。
余計なことをした気がした。
でも。
すぐに笑う。
「まあいいか」
玲が強くなる。
だったら。
俺も、もっと強くなればいい。
126km/hと76km/h。
大きな速度差で。
打者の時間を狂わせる俺。
135km/hと130km/h。
ほとんど同じ速度から。
最後の軌道を変え始めた玲。
俺たちは。
同じ投手ではない。
だからこそ。
お互いを見ながら。
違う方向へ。
もっと厄介な投手へと。
育ち始めていた。