秋大会が終わった翌週。
学校へ行くと、教室へ入った瞬間から何人かに囲まれた。
「成瀬、優勝したんだろ?」
「した」
「しかもノーヒットノーラン?」
「準決勝で」
「マジでヒット1本も?」
「うん」
「四球は?」
「0」
「何それ」
何それと言われても、俺にもそれ以上の説明はない。
席へ向かおうとすると、今度は女子から声を掛けられた。
「成瀬君ってピッチャーだったの?」
「ショート」
「え?」
「ショートもやるし、ピッチャーもやる」
「どっちが本職?」
「どっちも」
「何それ」
今日2回目だった。
席へ座る。
少し離れたところから、詩織がこっちを見ていた。
目が合う。
軽く手を上げると、詩織も小さく手を振った。
そのあとすぐ。
「成瀬君、決勝は投げなかったの?」
また別の声が飛んできた。
「決勝は玲」
「水城君?」
「うん。136出した」
「136?」
「あと落ちる球も良くなってて――」
そこから玲の話をしていると。
いつの間にか近くまで来ていた詩織が笑った。
「やっぱり」
「何?」
「伊織君、自分のノーヒットノーランより水城君の話の方が長い」
「そんなことないだろ」
「あるよ」
「だって136だぞ?」
「はいはい」
詩織は慣れたように笑っていた。
◇
秋大会が終わって。
シニアの練習も、少しだけ落ち着いた。
もちろん休みになるわけじゃない。
でも大会期間中よりは、学校の予定に合わせやすくなる。
そして。
学校では別のイベントが近づいていた。
「文化祭の準備、今日から本格的に始めるからな」
ホームルームで担任が言う。
俺たちのクラスは、合唱と展示をやることになっていた。
展示は学校生活をテーマにした大きな壁画。
合唱の伴奏は。
「藤崎さん、お願いできる?」
「はい」
当然のように詩織が選ばれた。
ピアノが弾けることはクラスのみんなも知っている。
「成瀬は?」
「俺?」
「運動部で力あるし、展示の土台作る方手伝って」
「分かりました」
これも妥当。
問題は。
文化祭準備。
シニア。
自主練。
勉強。
ピアノ。
全部をどう入れるか。
ノートの端へ予定を書き始める。
「伊織君」
隣から詩織に呼ばれた。
「何?」
「また予定?」
「うん」
「文化祭くらい、その日に考えたら?」
「それだと練習時間減るかもしれないだろ」
「減ったらだめなの?」
「減らさなくて済むなら減らさない方がいい」
「……伊織君らしいね」
褒められたのか。
呆れられたのか。
多分、半分ずつだった。
◇
文化祭準備が始まった。
放課後。
机を後ろへ寄せ、教室の床いっぱいに模造紙を広げる。
俺の担当は土台と文字。
詩織は全体の絵をまとめる側にいた。
「そこ、もう少し右」
「何cm?」
「……そういう意味じゃなくて」
「じゃあどのくらい?」
「見た感じ」
「見た感じが一番難しいんだよ」
詩織が俺の横へしゃがむ。
「ほら、この文字だけちょっと詰まって見えるでしょ?」
「……言われれば」
「だから少し右」
「2cm?」
「伊織君」
「はい」
「定規置いて」
「はい」
言われた通り定規を置く。
詩織が手で文字の位置を少しずらした。
「これくらい」
「1.7cmくらい」
「測らないの」
「気になるだろ」
「ならない」
「芸術難しいな」
「だから面白いんだよ」
前にピアノでも似たようなことを言われた。
正解が1つじゃない。
数字で全部決められない。
ゲームなら。
数値が高ければ結果も良くなる。
でも。
目の前の壁画は。
少し右。
少し大きく。
こっちの色の方がいい。
そんな曖昧な言葉で、少しずつ良くなっていく。
「……本当に分からん」
「最初よりは良くなってるよ」
「俺が?」
「うん」
「じゃあ成長してる?」
詩織が俺を見る。
「そういうところは本当に伊織君だね」
「褒めてる?」
「今日は褒めてる」
今日は、らしい。
◇
準備期間の数日間。
俺はいつもより学校に残る時間が増えた。
シニアのない日は最後まで。
シニアのある日は途中まで。
足りない自主練は朝へ回す。
勉強は夜。
ピアノは週末。
全部入った。
「完璧」
予定表を見ながら呟く。
文化祭前日の放課後。
展示もほぼ完成。
詩織が少し離れたところから壁画を見ていた。
「できたね」
「うん」
「伊織君の文字もちゃんと曲がってない」
「最初から曲げるつもりないけど」
「最初は綺麗すぎて浮いてた」
「綺麗なのに駄目なの?」
「周りと合ってなかったから」
「……難しい」
詩織が笑う。
そこへクラスメイトが声を掛けてきた。
「藤崎、伴奏ちょっと合わせるって」
「あ、行かなきゃ」
「頑張って」
「うん」
数歩進んだところで、詩織が振り返った。
「伊織君」
「何?」
「明日、文化祭一緒に回れる?」
「明日?」
頭の中で予定を見る。
朝。
クラス準備。
午前の発表。
昼。
午後の片付け。
シニアは休み。
「昼なら空いてる」
「何時から?」
「多分12時半から13時15分くらい」
「……45分」
「足りない?」
「ううん」
詩織が少し笑った。
「じゃあ45分だけ」
「分かった」
「約束ね」
「うん」
詩織が音楽室へ向かう。
俺は予定表へ書き込んだ。
『12:30~13:15 詩織と文化祭』
これで忘れない。
そう思った。
◇
文化祭当日。
午前の合唱。
詩織がピアノの前へ座る。
教室で練習している時とは少し違って見えた。
背筋を伸ばし。
一度鍵盤へ手を置く。
指揮者が腕を上げる。
最初の音。
何度も家で聞いたピアノなのに。
体育館で聞くと全然違う。
俺たちの歌に合わせて。
強くなったり。
少し弱くなったり。
前に出たり。
後ろへ下がったりする。
「……すごいな」
隣の男子が俺を見る。
「藤崎?」
「うん」
「昔からやってるらしいよ」
「知ってる」
「幼馴染だもんな」
「うん」
歌が終わる。
拍手。
詩織が立って頭を下げる。
その顔を見ながら。
少しだけ思った。
俺が野球をやっている時。
詩織も。
こんなふうに見ているんだろうか。
◇
12時30分。
詩織と校舎を回る。
最初は隣のクラスの展示。
次は美術部。
その次は家庭科部。
「これ綺麗」
詩織が美術部の絵の前で止まる。
俺も見る。
「どう?」
「上手い」
「それだけ?」
「……色が綺麗」
「もう少し」
「難しいな」
「じゃあ何が一番好き?」
何枚か並ぶ絵を見る。
海。
街。
人物。
夕焼け。
「これ」
指したのは、夕方の学校を描いた絵だった。
「何で?」
「なんか、本物より静かに見える」
言ってから。
自分でも少し驚いた。
詩織も俺を見る。
「……何?」
「今のいい」
「何が?」
「ちゃんと絵見てる」
「今までも見てたよ」
「上手いとか綺麗とかだけだった」
「成長した?」
「したした」
「適当じゃない?」
「してるよ」
詩織が笑う。
そのまま次へ行こうとした時。
廊下の時計が見えた。
13時12分。
「あ」
「どうしたの?」
「あと3分」
「何が?」
「予定」
言った瞬間。
詩織の表情がほんの少し止まった。
「……そっか」
「次、片付けあるから」
「うん。分かってる」
笑っている。
でも。
さっきまでより。
少しだけ違う。
「詩織?」
「何?」
「楽しかった?」
「うん」
「ならよかった」
「……伊織君は?」
「楽しかったよ」
本当にそう思っている。
だから。
何が違ったのかは。
その時の俺には分からなかった。
◇
文化祭が終わった夜。
システムを開く。
【文化祭を経験しました】
【共同作業による社交経験を獲得しました】
【芸術作品の制作・鑑賞経験を獲得しました】
【人生能力が上昇しました】
芸術 C56 → C59
社交 B73 → B75
「おお」
芸術。
あと1でC60。
学力A80。
運動S90。
容姿A84。
芸術C59。
社交B75。
精神B79。
精神も。
あと1。
「かなり揃ってきたな」
野球だけじゃない。
学校。
勉強。
芸術。
人間関係。
全部。
少しずつ伸びている。
画面を閉じ。
明日の予定を開く。
朝練。
学校。
シニア。
夜は勉強。
そのあとピアノ。
隙間はない。
でも。
全部できる。
「よし」
俺は満足して。
予定表を閉じた。
◇
秋が終わる。
11月。
大会のない週末が増えた。
シニアでは基礎練習の時間が長くなっていく。
走る。
振る。
投げる。
守る。
玲は相変わらず高速で落ちる球を投げ続けていた。
136km/hのストレート。
129~132km/hの落ちる球。
キレ○を身につけたことで、以前より最後の変化が鋭い。
高瀬も。
黒田も。
三上も。
新チームになってから少しずつ役割が固まり始めていた。
そして俺は。
ショートの練習をして。
打って。
走って。
そのあとブルペンへ行く。
「成瀬」
ある日の練習後。
監督が俺を呼んだ。
「はい」
「秋、投手としてかなり良くなったな」
「ありがとうございます」
「ただ、冬にやることは分かってるか?」
「球速」
「それだけじゃない」
「スタミナ、下半身、フォームの安定」
「分かってるならいい」
監督が俺の身体を見る。
「まだ中1だ。無理に球速を追うな。身体が大きくなれば自然に伸びる部分もある」
「はい」
「でも、土台は今作れる」
「はい」
冬。
試合は減る。
その代わり。
育てる時間が増える。
俺にとっては。
嫌いになる理由がなかった。
◇
12月。
吐く息が白くなった。
グラウンドの土も固い。
それでも。
俺たちは走っていた。
「伊織君」
隣を走る玲が言う。
「何?」
「春までに140投げたい」
「……急だな」
「あと4」
「俺は?」
「130」
「勝手に決めるな」
「あと2」
「まあ狙ってるけど」
「じゃあ一緒」
「差が10あるけどな」
「うん」
「嬉しそうに言うな」
玲が少し笑う。
俺も笑った。
中学1年の冬。
初めての冬。
春になれば。
俺たちは2年生になる。
その前に。
まだ伸ばせる。
野球も。
人生も。
全部。
もっと。