春季大会の翌日。
学校から帰り、シニアへ行くまでの少しの時間。
俺は久しぶりに育成画面をじっくり開いていた。
昨日。
カーブの習得を始めた。
【変化球】
チェンジアップ 5
カーブ 未完成
その下。
貯まっている育成ポイントを見る。
筋力。
敏捷。
技術。
精神。
変化球。
「……結構あるな」
秋。
ノーヒットノーラン前に、チェンジアップと緩急へかなり使った。
それでも。
冬の練習。
試合。
守備。
打撃。
少しずつ。
また貯まっている。
その気になれば。
使える。
例えば。
球速。
今は130km/h。
筋力と技術をまとめて使えば。
「……132くらいなら」
上げられる。
多分。
守備も。
肩も。
パワーも。
もっと上へ押し上げられる。
システムがある。
ポイントがある。
なら。
全部使えばいい。
昔の俺なら。
そう考えた。
「でもなあ」
画面を見ながら。
小さく息を吐く。
使わない。
正確には。
一気には使わない。
理由は。
もう知っている。
◇
あれは。
まだ小学校に入ったばかりの頃だった。
システムを手に入れて。
能力を上げられることが。
何より楽しかった時期。
練習すれば。
ポイントが増える。
ポイントを使えば。
能力が上がる。
だったら。
貯める意味なんてない。
そう思っていた。
その日。
俺は。
走力。
肩力。
パワー。
運動能力に関わる項目へ。
一気にポイントを入れた。
当時の細かい数字までは覚えていない。
でも。
複数の能力を。
まとめて。
かなり上げたことだけは覚えている。
【能力上昇を実行します】
何も考えず。
決定した。
最初は。
何ともなかった。
「おお」
立ち上がる。
身体が軽い。
部屋の中を少し走っただけで分かった。
速い。
ジャンプすれば。
いつもより高い。
柔らかいボールを投げれば。
前よりずっと強く壁へ当たる。
「すげえ!」
嬉しかった。
ゲームそのものだった。
ポイントを入れれば。
すぐ強くなる。
だったら。
これを続ければいい。
そう思った。
その日の夜までは。
◇
「……寒い」
布団に入っているのに。
身体が震えた。
頭が痛い。
身体中が重い。
母親が額へ手を置き。
すぐに体温計を持ってきた。
「伊織、熱あるじゃない」
「……何度?」
「39度近い」
「え」
風邪。
その時は。
家族も。
俺自身も。
そう思った。
でも。
咳はない。
鼻水もない。
喉も痛くない。
ただ。
熱。
全身のだるさ。
そして。
筋肉痛みたいな痛み。
次の日も。
まともに起き上がれなかった。
3日ほど。
ほとんど寝ていた。
◇
熱が下がれば。
終わり。
ではなかった。
久しぶりに外へ出た日。
走る。
「うわっ!」
思ったより。
足が前へ出た。
止まろうとして。
バランスを崩す。
「……何これ」
次。
ボールを投げる。
狙った場所。
いつもの感覚。
投げる。
ボールは。
思ったより上へ抜けた。
「え?」
もう1球。
今度は抑える。
それでも。
少しずれる。
身体は。
確かに強くなっている。
でも。
頭の中にある俺の身体と。
実際の俺の身体が。
合っていなかった。
走れば。
歩幅が違う。
投げれば。
腕の振りが違う。
打てば。
バットが思ったより速く出る。
簡単に言えば。
性能だけ先に変わった。
でも。
俺自身が。
その性能に慣れていなかった。
◇
その夜。
俺はシステムを開いた。
「これ、ポイント使ったから?」
当然。
答えは返ってこない。
ただ。
画面を探していると。
今まで気にしていなかった表示があった。
【身体適応状態】
【急激な身体能力上昇を検知しました】
【現在、肉体及び神経系が新しい能力値への適応を行っています】
「……神経系?」
子供の身体で。
意味を全部理解できたわけじゃない。
でも。
続く表示は分かった。
【適応期間中、一時的に身体感覚のずれ・疲労・発熱等が発生する場合があります】
「先に言えよ……」
いや。
多分。
どこかに書いてあった。
俺が。
読まなかっただけ。
ゲームでも。
説明書を飛ばすタイプだった。
そのツケを。
初めて身体で払った。
◇
それから。
1週間以上。
まともな感覚に戻らなかった。
特に投げるのが大変だった。
強くはなっている。
以前より遠くへ投げられる。
でも。
狙ったところへ行かない。
腕を少し弱く振ると。
今度は届かない。
いつもの力。
いつもの踏み込み。
いつものリリース。
その「いつも」が。
全部変わっていた。
「強くなったのに、下手になってる」
かなり。
腹が立った。
でも。
練習を続けていくうちに。
少しずつ。
新しい身体が。
自分の身体になっていく。
足の速さ。
腕の強さ。
力の出し方。
全部。
慣れれば。
確かに。
前より強い。
だから。
能力上昇そのものが悪いわけじゃない。
問題は。
上げ方だった。
◇
その後。
何度か試した。
1つだけ。
少し上げる。
これは。
ほとんど問題ない。
練習を続けながら。
自然に伸びかけている能力へポイントを使う。
これも。
違和感は少ない。
でも。
身体能力を。
短期間に。
一気に何段階も上げる。
これは。
負荷が大きい。
特に。
パワー。
走力。
肩力。
球速。
スタミナ。
身体そのものへ影響する能力。
一方で。
ミート。
守備。
捕球。
コントロール。
技術系は。
高熱まで出ることは少なかった。
その代わり。
感覚がずれる。
足運び。
グラブを出すタイミング。
バットの出し方。
リリースポイント。
一気に伸ばすと。
今までの感覚と結果が噛み合わなくなる。
結局。
慣れるための練習が必要になる。
だったら。
「普通に練習した方が早い時あるんだよな」
これが。
俺の出した結論だった。
◇
今。
システムを見る。
【球速 130km/h】
例えば。
筋力ポイントを大量に使う。
技術も使う。
精神も。
一気に。
上げられるだけ上げる。
もしかすると。
数日で。
今よりかなり速くなる。
でも。
フォームが変わる。
下半身の出力が変わる。
腕の振りが変わる。
リリース位置も。
微妙にずれる。
そして。
今の。
コントロールB78。
変幻自在。
低め○。
リリース○。
せっかく作った投球感覚を。
一時的に壊す可能性がある。
「効率悪い」
だから。
やらない。
練習で。
身体を作る。
自然に130から131へ近づける。
その状態で。
最後の一押しにポイントを使う。
それなら。
適応負荷は小さい。
結果的に。
練習を休む期間も減る。
俺は。
ゆっくり育てたいわけじゃない。
最速で。
育てたい。
だから。
一気に上げない。
「……我ながらゲーム脳だな」
少し笑った。
◇
ただ。
全部のポイント使用が。
同じではない。
チェンジアップ。
特殊能力。
こういうものは。
少し違う。
あれは。
身体を突然作り替えるというより。
それまで積み上げてきた感覚や技術を。
システムが整理して。
形にしてくれる感じが強い。
だから。
秋に。
チェンジアップを3から5まで上げて。
緩急○まで取った時も。
身体が壊れるような反動はなかった。
もちろん。
全く何もないわけじゃない。
指先。
腕の振り。
リリース。
少し違和感はあった。
でも。
翌日には。
ほぼ馴染んだ。
「カーブも同じか?」
未完成の表示を見る。
変化球ポイント。
ある。
入れれば。
完成は早くなる。
でも。
今は。
「まだ」
昨日。
投げたカーブ。
109。
111km/h。
ほとんど曲がらない。
握りも。
抜き方も。
まだ分かっていない。
この状態で。
ポイントだけ入れるより。
まず。
自分で。
感覚を作る。
その方が。
多分。
効率がいい。
◇
シニアの練習。
投球練習の最後。
監督が言う。
「成瀬、カーブ5球だけ」
「はい!」
「嬉しそうだな」
「はい」
「5球だからな」
「分かってます」
高瀬が座る。
「昨日より曲げようとするなよ」
「分かってる」
「本当に?」
「みんな信用なさすぎじゃない?」
「日頃の行い」
「何したよ」
「全部やろうとしてる」
「それは悪くないだろ」
握る。
カーブ。
まだ。
違和感がある。
初球。
投げる。
110km/h。
ふわっ。
少しだけ。
落ちる。
「昨日よりマシ」
「本当?」
「ちょっと」
2球目。
109km/h。
今度は。
少し横へ。
「お」
高瀬がミットを見る。
「それっぽい」
「来た?」
「まだ来てない」
「厳しいな」
3球目。
力が入る。
112km/h。
ほぼ真っすぐ。
「今のダメ」
「自分でも分かる」
4球目。
一度。
力を抜く。
指先。
抜く。
投げる。
108km/h。
ボールが。
少し。
横へ曲がりながら。
落ちた。
パスッ。
「……」
高瀬が。
少し笑う。
「今の、一番カーブだった」
「マジ?」
「うん」
「もう1球」
「あと1球な」
「分かってる」
5球目。
同じ感覚。
でも。
今度は抜けすぎる。
102km/h。
高め。
「全然違う」
「難しい」
「だから面白いんだろ?」
高瀬が言う。
「……それ詩織にも言われたことある」
「誰?」
「幼馴染」
「ああ」
高瀬が立ち上がる。
「じゃあ今日は終わり」
「もうちょっと」
「終わり」
「10球」
「監督ー!」
「分かった!」
止められた。
◇
練習後。
システムを開く。
【変化球習得経験を獲得しました】
【カーブの習得度が上昇しました】
【カーブ:未完成】
まだ。
未完成。
でも。
昨日より。
確実に。
前へ進んでいる。
その下。
育成ポイント。
使おうと思えば。
使える。
俺は。
画面を閉じた。
「まだ使わない」
焦らない。
というより。
今使うのは。
もったいない。
もっと。
自分で覚える。
身体を近づける。
その上で。
ポイントを使えば。
もっと少ない負荷で。
もっと大きく伸びる。
育て方にも。
順番がある。
◇
帰宅後。
少しだけピアノを弾く。
前なら。
芸術C60を見て。
ポイントで一気にBまで上げられないか。
そんなことを考えたかもしれない。
でも。
今は。
鍵盤を押す。
音を聞く。
次。
少し弱く。
もう一度。
「……」
野球も。
ピアノも。
勉強も。
全部。
積み上げる。
そして。
必要な時に。
システムを使う。
それが。
今の俺の育て方だった。
もちろん。
もし。
明日突然。
「球速150km/hにしますか?」
なんて表示が出たら。
「……押すかもしれないけど」
多分。
いや。
かなり迷う。
でも。
今は。
130km/h。
カーブ未完成。
やることは。
まだまだある。
「まずは131だな」
俺は。
次の練習予定を開いた。