中学2年になっても、学校での生活は大きく変わらなかった。
変わったことがあるとすれば、クラスが少し離れたことくらいだ。
俺と詩織は2年3組。
玲は2年1組。
三上は2年4組。
部活が終われば玲や三上とは嫌でも顔を合わせるけど、学校では去年より一緒にいる時間が減った。
その代わり。
「伊織君、次の英語って小テストあったよね?」
「あった。教科書の42ページから47ページ」
「やっぱり覚えてた」
「範囲くらい覚えるでしょ」
「伊織君の場合、先生が言った日まで覚えてそう」
「先週の火曜」
「怖いよ」
詩織とは。
去年より、少し話す時間が増えていた。
◇
昼休み。
俺は自分の席で、中間テストの範囲表を見ていた。
数学。
英語。
国語。
理科。
社会。
今の進捗なら、特に問題はない。
数学と理科は確認程度。
英語は単語。
社会は暗記漏れの確認。
国語だけ少し時間を増やす。
「またやってる」
前の席から詩織が振り返った。
「何を?」
「計画」
「テスト近いから」
「その紙、何?」
「勉強時間」
「……見せて」
机の上に置いた紙を詩織へ渡す。
今日から試験までの残り日数。
科目ごとの勉強時間。
苦手部分。
目標点。
それぞれを簡単にまとめてある。
詩織がしばらく見てから、顔を上げた。
「伊織君ってさ」
「うん」
「テスト勉強まで野球の練習みたいにするよね」
「効率いいよ」
「そうなんだろうけど」
詩織は紙を返しながら笑った。
「国語96点目標って細かくない?」
「前回、記述で落としたから」
「100点じゃないんだ」
「国語は採点基準で多少変わるし」
「そこまで考えてるんだ……」
感心しているのか呆れているのか、よく分からない顔だった。
「藤崎さん、何見てるの?」
近くにいた女子が詩織の机へ寄ってきた。
「伊織君のテスト勉強計画」
「何それ、見たい」
「別に面白くないよ」
俺が言ったが、もう遅い。
紙が回収された。
「うわ、すご」
「時間まで決めてるじゃん」
「成瀬君ってこういうタイプなんだ」
「前からだよ」
詩織が答える。
「小学生の時から?」
「うん。昔から何か始めると、ずっとやる」
「へえー」
女子の1人が俺と詩織を交互に見た。
「やっぱ幼馴染って詳しいね」
「家も近いから」
詩織が答える。
すると。
もう1人が、何でもないことみたいに聞いた。
「2人って付き合ってるの?」
「付き合ってないよ」
すぐ答えた。
事実だから。
でも。
一瞬だけ。
詩織の顔が止まった。
「……うん。付き合ってないよ」
少し遅れて。
詩織も答える。
「えー、そうなんだ」
「絶対そうだと思ってた」
「毎日一緒に帰ってる時あるじゃん」
「家が近いだけ」
俺が説明すると、女子たちは「ふーん」と笑いながら自分たちの席へ戻っていった。
詩織も前を向く。
「最近よく聞かれるね」
「そう?」
「伊織君は聞かれないの?」
「今日初めて」
「そっか」
「何で付き合ってると思うんだろ」
昔から一緒にいる。
家が近い。
学校でも話す。
それだけだと思う。
「……幼馴染だからじゃない?」
詩織が答えた。
「なるほど」
「うん」
それで会話は終わった。
ただ。
そのあと詩織は、いつもより少しだけ静かだった。
◇
放課後。
教室を出たところで高瀬と会った。
「成瀬」
「高瀬。何してるの?」
「先生に提出物出してた。お前は?」
「帰るところ」
高瀬が教室の中を見る。
まだ詩織が友達と話している。
「藤崎は?」
「多分もうすぐ帰るんじゃない?」
「一緒に帰らないのか?」
「今日は自主練あるから」
「へえ」
「何?」
「いや」
高瀬が妙な顔をする。
「昼休み、お前すごかったらしいな」
「何が?」
「付き合ってないって即答したんだろ」
「何で知ってるの?」
「女子の情報網を舐めるな」
「事実でしょ」
「まあ、事実だけどさ」
高瀬は少し考えてから俺を見る。
「成瀬」
「うん」
「お前、野球だと相手が何考えてるかめちゃくちゃ見るよな」
「見るね」
「打者の狙いとか、守備位置とか」
「うん」
「それ、普段も少しやった方がいいぞ」
「?」
「じゃあな」
そのまま行ってしまった。
「何だったんだ……」
意味が分からない。
◇
中間テスト当日。
予定通りだった。
数学はほぼ迷わない。
英語も問題なし。
理科と社会も想定範囲内。
国語だけ、記述問題で少し悩んだ。
そして数日後。
結果が返ってきた。
数学 100
英語 98
国語 96
理科 98
社会 98
合計 490点。
学年1位。
「……予定通り」
目標から大きくは外れていない。
国語も96。
計画通りだ。
「また1位?」
隣から詩織が覗き込む。
「うん。詩織は?」
「488点」
「2点差?」
「そう」
見せてもらう。
数学98。
英語98。
国語100。
理科96。
社会96。
「国語100だ」
「勝った」
「合計は俺だけど」
「国語は私」
「そうだね」
「もうちょっと悔しがってよ」
「でも詩織、国語得意じゃん」
「そういうところ」
「何が?」
「何でもない」
まただ。
最近、詩織の「何でもない」が増えた気がする。
でも。
本当に何でもないなら。
聞く必要もないか。
「成瀬」
後ろからクラスメイトに声を掛けられた。
「また1位?」
「うん」
「藤崎さん2位?」
「そうだよ」
「お前ら夫婦で上位独占するのやめろよ」
「夫婦じゃないよ」
答える。
隣で。
詩織がため息をついた。
「伊織君」
「何?」
「もうちょっと言い方ってものがあると思う」
「でも違うし」
「そうなんだけど……」
詩織が机へ突っ伏した。
「やっぱり分かってない」
「何を?」
「教えない」
だから。
何をだ。
◇
テストが終わった日の放課後。
今日は自主練の予定だった。
学校から帰って1時間打撃。
そのあと投球フォームの確認。
夜に映像を見る。
いつも通り。
ただ。
校門を出たところで詩織に呼び止められた。
「伊織君」
「何?」
「今日、時間ある?」
「あるけど、帰ったら練習」
「そっか」
それだけ言って。
詩織が少し笑う。
「じゃあいいや」
歩き出す。
「何だったの?」
「テスト終わったし、ちょっと寄り道しようかなと思っただけ」
「どこ?」
「駅前のカフェ。新しいメニュー出たんだって」
「どれくらい?」
「え?」
「時間」
「……30分くらい?」
頭の中で今日の予定を見る。
打撃練習。
投球。
映像。
30分。
そのくらいなら。
全部30分後ろへずらせばいい。
「行こう」
詩織が振り返った。
「いいの?」
「30分なら」
「……また時間決めるんだ」
「あ」
去年の文化祭を思い出した。
45分。
あの時も。
俺は詩織と回る時間を最初から決めていた。
「いや」
少し考える。
「別に30分過ぎてもいいよ」
「練習は?」
「後ろにずらす」
「いいの?」
「うん」
詩織が。
少しだけ驚いた顔をした。
「じゃあ行こっか」
「うん」
◇
駅前のカフェ。
俺はアイスコーヒー。
詩織は季節限定のいちごミルク。
「甘そう」
「美味しいよ」
「一口で十分そう」
「飲む?」
「いいの?」
「その顔で言われると嫌だけど」
「どの顔?」
「分析してる顔」
「してないよ」
「してる」
ストローを渡される。
一口。
「甘い」
「でしょ?」
「運動後ならいいかも」
「ほら分析してる」
「感想だよ」
詩織が笑う。
こういう時間に。
目的はない。
野球が上手くなるわけでもない。
学力が上がるわけでもない。
何かの能力が伸びるかと聞かれれば。
多分。
ほとんど伸びない。
でも。
嫌じゃなかった。
「伊織君って、高校でも野球するんだよね?」
詩織が聞く。
「するよ」
「やっぱり強いところ?」
「まだ分からない。声掛けてもらえるなら、環境を比較して決める」
「環境?」
「設備とか指導者とか、試合に出られる可能性とか。投手も出来るかとか」
「もう考えてるんだ」
「選択肢は多い方がいいから」
「そっか」
詩織がストローを回す。
「遠いところでも?」
「条件が一番良かったら」
「……そっか」
その声が。
少しだけ小さく聞こえた。
「詩織は?」
「私はまだ。でも、出来れば近いところかな」
「家から?」
「うん。それもある」
「他には?」
「……秘密」
「また?」
「伊織君、秘密嫌いだよね」
「情報が少ないと判断出来ないから」
「そういうところだよ」
詩織が笑う。
でも。
何となく。
さっきより楽しそうだった。
◇
店を出る。
時計を見る。
予定より35分遅れている。
でも。
急いで帰ろうとは思わなかった。
「伊織君」
「何?」
「今日、大丈夫だった?」
「何が?」
「練習」
「大丈夫。後ろにずらせば全部出来る」
「全部やるんだ」
「当然」
「そこは変わらないんだね」
「変える必要ある?」
「ないんじゃない?」
詩織が少し笑った。
「でも、今日はありがとう」
「何が?」
「付き合ってくれて」
「カフェ?」
「うん」
「俺も楽しかったよ」
言ったあと。
自分で少し驚いた。
効率が良かった。
有意義だった。
じゃなくて。
楽しかった。
詩織も。
少し目を丸くしてから笑った。
「そっか」
その瞬間。
視界の端に文字が浮かぶ。
【藤崎詩織との特別イベント条件の一部を満たしました】
「……」
条件。
やっぱり。
何かある。
詳細を開こうとする。
【詳細条件は未解放です】
「またか」
「何?」
「何でもない」
「伊織君がそれ言うの珍しい」
「そう?」
「うん」
詩織が笑う。
俺も歩き出す。
いつもなら。
今の表示を見た瞬間に。
何をしたから条件を満たしたのか。
どうすれば次へ進むのか。
そこを考える。
今日も。
もちろん気にはなる。
でも。
それより少しだけ先に。
いちごミルクを飲んで笑っていた詩織の顔が浮かんだ。
◇
帰宅。
自主練開始は予定より40分遅れた。
打撃。
投球。
映像確認。
結局。
全部やった。
「よし」
予定を消化する。
やっぱり。
出来るなら全部やりたい。
野球も。
勉強も。
それ以外も。
全部。
ただ。
今日の30分――いや、40分は。
削る必要がなかった時間だった。
そのことだけは。
何となく。
覚えておこうと思った。