転生したら人生がサクセスモードだった   作:ねるすと

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第84話

 中間テストが終わってから、数日。

 放課後になると、予報通り雨が降り始めた。

 窓に細かい雨粒が叩きつけられるくらい、かなり強い。

「伊織君、傘持ってきた?」

「持ってきたよ。降水確率70%だったし」

 俺が答えると、詩織は呆れたように笑った。

「そういうところだけは抜け目ないよね」

「詩織は?」

「ちゃんと持ってきたよ」

「じゃあ問題ないね」

「うん。でも、もうちょっと弱くなるまで待とうかな」

 教室には、まだ何人か残っていた。

 俺もこの雨なら、少し待ってから帰ってもいい。

 帰宅後の自主練開始が多少遅れるだけだ。

「伊織君は?」

「俺も少し待つ」

「珍しい」

「この雨で走って帰ったら靴濡れるし」

「理由が現実的」

「普通でしょ」

 詩織が笑った。

 

◇

 

 しばらくすると、詩織が窓の外を見ながら言った。

「音楽室行こうかな」

「何で?」

「今度、音楽の授業で伴奏やることになってるから。少し練習したくて」

「ピアノ?」

「うん」

「俺も行っていい?」

 詩織が少し驚いた顔をする。

「いいけど、伊織君も弾く?」

「弾きたい」

「練習は?」

「雨が弱くなるまで」

「また時間計算してる」

「してないよ」

「絶対してる」

 図星だった。

 

◇

 

 放課後の音楽室は静かだった。

 雨音だけが窓越しに聞こえる。

 詩織がピアノの前に座り、楽譜を開く。

「じゃあ最初、私やるね」

「うん」

 指が鍵盤の上を動く。

 去年、少しだけ教えてもらった時より。

 やっぱり上手い。

 音が繋がっている。

 俺が弾く時みたいに、「次はここ」と考えながら音を出している感じがない。

 曲になっている。

 数分弾いてから、詩織が手を止めた。

「ここ、ちょっと苦手なんだよね」

「どこ?」

「この辺」

 楽譜を指差す。

「右手と左手が少しずれるところ」

「もう1回弾いて」

「見るの?」

「うん」

「分析されそう」

「教えてもらうだけだよ」

 詩織がもう一度弾く。

 俺は手元を見る。

 テンポ。

 指の動き。

 左手の入り。

 何回か見れば。

 何となく分かる。

「ここ?」

「そう」

「左手が入る前に、右手少し待ってる?」

「……よく分かったね」

「見てたから」

「野球じゃなくてもそうなんだ」

「何が?」

「よく見るところ」

「普通じゃない?」

「伊織君の普通は信用してない」

「ひどい」

 詩織が笑った。

 

◇

 

「伊織君も弾いてみる?」

「いいの?」

「もちろん」

 場所を替わる。

 去年から、時々ピアノには触っている。

 芸術の能力も上がった。

 簡単な曲なら、楽譜を見ながら弾ける。

「これなら弾ける?」

 詩織が別の楽譜を開く。

「多分」

「じゃあ最初から」

 鍵盤に指を置く。

 楽譜を見る。

 右手。

 左手。

 テンポ。

 間違えないように。

 正確に。

 弾く。

 最後まで。

 止まらなかった。

「どう?」

 振り返る。

 詩織は少し考えていた。

「上手くなったね」

「ほんと?」

「うん。音も間違ってないし、テンポも合ってる」

「じゃあ成功?」

「でも」

「でも?」

 詩織が俺の横に立つ。

「ちょっとだけ、硬いかも」

「硬い?」

「うん。間違えないように弾いてる感じ」

「間違えない方がいいでしょ」

「もちろん。でも、ピアノって正解だけじゃないから」

「……」

 分からない。

 音が合っている。

 テンポも合っている。

 なら。

 何が違うんだろう。

 詩織は、そんな俺の顔を見て笑った。

「やっぱり分かってない顔してる」

「説明して」

「そうだなあ……」

 少し考えてから。

「誰かと一緒に演奏したら分かるかも」

「一緒に?」

「うん」

 

◇

 

 その時。

 音楽室の扉が開いた。

「あら、藤崎さん。まだいたの?」

 入ってきたのは音楽の先生だった。

「伴奏の練習を少し」

「偉いわね。……成瀬君も?」

「弾いてました」

「成瀬君、ピアノ弾けたの?」

「少しだけです」

 先生が興味を持ったのか、ピアノの上の楽譜を見る。

「これ弾いたの?」

「はい」

「ちょっと聴いてもいい?」

「いいですけど」

「伊織君、もう1回」

「分かった」

 さっきと同じ曲を弾く。

 最後まで弾き終えると、先生は少し驚いた顔をした。

「思ってたより弾けるのね」

「ありがとうございます」

「これなら簡単な合唱曲の伴奏くらいなら、練習すれば出来そう」

「伴奏?」

「うん。成瀬君、テンポが安定してるから」

 詩織が横で頷く。

「伊織君、そういうの得意です」

「でも」

 詩織が少し笑う。

「まだ人に合わせるのは苦手かも」

「何それ」

 先生も笑った。

「じゃあ、ちょうどいいじゃない。藤崎さん、歌ってみたら?」

「私が?」

「成瀬君に伴奏してもらって」

 詩織が俺を見る。

「やってみる?」

「いいよ」

 

◇

 

 楽譜を変える。

 曲は、音楽の授業でも聞いたことがある合唱曲だった。

 難しくはない。

 少し確認すれば弾けそうだ。

「最初ゆっくりでいいよ」

「分かった」

 詩織がピアノの横に立つ。

 先生は少し離れたところで聞いている。

 俺が鍵盤に指を置く。

「いくよ」

「うん」

 弾き始める。

 イントロ。

 そして。

 詩織が歌う。

 最初の数小節。

 俺は楽譜だけを見ていた。

 音を外さない。

 テンポを崩さない。

 正確に。

 でも。

「ちょっと待って」

 詩織が歌うのを止めた。

「間違えた?」

「違う。伊織君がちょっと速い」

「テンポは楽譜通りだよ」

「うん。数字はね」

「数字は?」

 詩織が笑う。

「私が息を吸うところとか、少し伸ばしたいところとかあるでしょ?」

「……」

「伴奏って、自分だけで完成させるものじゃないんだよ」

 先生も頷いていた。

「歌う人を聞いてあげないとね」

 自分だけで。

 完成させない。

 その言葉が、妙に残った。

 

◇

 

 もう一度。

 最初から弾く。

 今度は。

 楽譜だけを見ない。

 詩織の声を聞く。

 息を吸う音。

 少し伸ばすところ。

 声が大きくなるところ。

 小さくなるところ。

 それに。

 合わせる。

 最初は難しかった。

 こっちが合わせようとすると、テンポが崩れそうになる。

 でも。

 何度か続けていると。

 少しずつ。

 分かってきた。

 俺が進むんじゃない。

 詩織を連れていくわけでもない。

 一緒に進む。

 最後の音を弾く。

 詩織の声が止まる。

 音楽室に。

 雨音だけが戻った。

「……今の」

 詩織が俺を見る。

「良かった」

「さっきより?」

「全然」

 先生も頷く。

「うん。今の方が伴奏になってた」

「伴奏に?」

「最初は、成瀬君が1人でピアノを弾いて、その横で藤崎さんが歌ってる感じだった」

「今は?」

「2人で同じ曲をやってた」

「……なるほど」

 何となく。

 分かった気がした。

 正しく弾くだけじゃない。

 相手を見る。

 聞く。

 合わせる。

 野球なら。

 高瀬のサイン。

 守備位置。

 走者。

 打者。

 全部見るのに。

 音楽になると。

 俺は楽譜だけ見ていた。

 

◇

 

「もう1回やる?」

 詩織が聞く。

「やる」

「即答だね」

「今の感覚、もう少し覚えたい」

「やっぱり練習になると伊織君だ」

「悪い?」

「ううん」

 詩織が笑う。

「そういうところ、嫌いじゃないよ」

「そう?」

「うん」

 また弾く。

 今度は。

 最初から詩織を見る。

 いや。

 見すぎると楽譜を間違える。

「伊織君」

「何?」

「こっち見すぎ」

「合わせようと思って」

「聞けばいいの」

「難しいな」

「野球より?」

「種類が違う」

「じゃあ頑張って」

「うん」

 何度か。

 同じ曲を繰り返した。

 雨が弱くなっていることに気づいたのは。

 かなり後だった。

 

◇

 

「そろそろ帰ろうか」

 詩織が窓を見る。

「雨、弱くなったね」

「うん」

 時計を見る。

 予定していた時間より。

 かなり遅い。

「……」

 自主練。

 まだ出来る。

 でも。

 今日は少し減らすことになる。

「大丈夫?」

 詩織が聞く。

「何が?」

「練習」

「帰ってからやるよ」

「全部?」

「……全部は無理かも」

「珍しい」

「でも」

 ピアノを見る。

「今日はこれも練習だったから」

 詩織が少し驚いて。

 それから笑った。

「そっか」

「うん」

 ピアノ。

 合わせる。

 人の音を聞く。

 こういうのも。

 出来るようになりたい。

 そう思った。

 

◇

 

 帰り道。

 傘を差して、詩織と並んで歩く。

「伊織君、ピアノもっとやる?」

「やる」

「即答」

「出来ること増えるし」

「あー、やっぱりそこなんだ」

「でも」

「でも?」

「楽しかったよ」

 自分でも。

 自然に出た。

 詩織が少し黙る。

「……そっか」

「何?」

「何でもない」

「またそれ」

「いいの」

 詩織は前を向いたまま。

 少しだけ。

 笑っていた。

 

◇

 

 帰宅して。

 自主練を終える。

 いつもより少し短い。

 そのあと。

 今日のことを思い出していた。

 詩織の声。

 ピアノ。

 相手に合わせるということ。

 すると。

 視界に文字が浮かぶ。

 

【藤崎詩織との特別イベント進行中】

 

【芸術経験を獲得しました】

 

【協調行動に関する経験を獲得しました】

 

【詳細条件は未解放です】

 

「協調行動……」

 何となく。

 今日の意味が分かる気がした。

 相手を見る。

 相手の音を聞く。

 自分だけで完成させない。

 それは。

 音楽だけの話じゃないのかもしれない。

 詳細条件を開こうとする。

 

【未解放】

 

「やっぱり駄目か」

 閉じる。

 いつもなら。

 どうすれば次へ進むのか。

 条件を探したはずだった。

 でも今日は。

 それより先に。

 詩織と合わせた最後の曲が。

 頭の中に残っていた。

 

「……楽しかったな」

 

 その言葉を口にしてから。

 俺は少しだけ。

 自分で驚いた。

 

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