夏季大会が始まると、城東シニアは順調に勝ち上がった。
初戦は8対1。2回戦は6対0。準決勝は少し苦しんだものの4対1。
玲だけに頼ったわけじゃない。俺も1試合先発して5回無失点。黒田にはホームランが出たし、三上は塁に出れば走った。高瀬も捕手だけじゃなく、打つ方で結果を残している。
そして今日。
勝てば全国大会出場が決まる、予選決勝。
3年生にとっては、負ければ最後の試合になる。
◇
球場へ着くと、春よりさらに人が増えていた。
高校野球みたいに観客席が埋まるわけじゃない。それでも、保護者以外の人間が明らかに増えている。フェンス沿いには学生や野球好きらしい大人たち。バックネット裏には、学校名の入ったポロシャツやジャージ姿の人間が何人もいた。
「また増えてない?」
三上が周囲を見ながら言う。
「高校の人も多いな」
高瀬の視線の先には、帝陵、蒼峰、東央大附属。春に見た学校だけじゃない。知らない校名も混じっている。
黒田が俺と玲を交互に見た。
「水城と成瀬目当てだろ」
「3年生も見てるんじゃない?」
俺が答えると、少し前を歩いていた橘さんが振り返った。
「俺?」
「橘さんも普通に見られてるでしょ」
「どうだろうな。今日はそんなことより勝つぞ」
「はい」
いつも通りだった。
最後の夏。全国が懸かっている。それでも橘さんは普段とほとんど変わらない。
それが少し格好良く見えた。
◇
試合前、監督が俺と玲を呼んだ。
「お前ら、今日はいつも以上に見られてるぞ」
「高校ですか?」
「そうだ。春から問い合わせが一気に増えた。正式な推薦の話はまだ先だが、水城を見たいって学校はもう20校を超えてる。成瀬も同じくらいだ」
「20校……」
中学2年の夏。
まだ進路なんて先だと思っていたのに、向こうはもう俺たちを見始めている。
玲がすぐ俺を見る。
「伊織君は何校?」
「そこ気になる?」
「気になる」
「監督、俺は?」
「正確には数えてない。今のところ水城より少し少ない」
「負けてる」
玲がほんの少し笑った。
「僕の方が多い」
「全国で抜く」
「お前ら、そこで競うな」
監督に止められた。
「今日結果を出せば、また増えるだろう。でも見せようとするな。今日は城東の試合だ」
「はい」
玲も静かに頷いた。
◇
決勝の先発は玲だった。
背番号1。
この夏、城東のエースとして渡された番号。
初回から140km/hを出す。
相手もここまで勝ち上がってきたチームだ。当然、速い球を見る準備はしている。
それでも先頭を三振。2番をセカンドゴロ。3番には140km/hをライト前へ運ばれたが、4番を132km/hの高速落下球と高め140km/hで仕留めた。
「ストライク! バッターアウト!」
無失点。
速い。強い。
でも最近の玲は、それだけじゃない。
打者を見ている。走者を見ている。高瀬のサインにも、自分の考えを持って投げている。
去年の秋から少しずつ。
確実に。
投手として変わり続けていた。
◇
1回裏。
1番の橘さんがレフト前へ運び、先頭で出塁した。
三上はバントではなく打ちにいったが、センターフライ。
ワンアウト1塁。
俺の第1打席。
相手のエースは右投げ。球速は133km/h前後で、外角への制球がいい。
初球は外角。
ストライク。
2球目も外。
ファウル。
3球目。
内角へ来た。
引っ張る。
でも打球はショート正面。
「セカンド!」
6-4-3。
ダブルプレー。
チェンジ。
「悪いです」
ベンチへ戻って橘さんに言うと、首を振られた。
「まだ1回だ」
それだけだった。
焦っているのは、俺の方だった。
◇
2回表。
玲がこの試合唯一の失点を許した。
先頭に二塁打。送りバントでワンアウト3塁。
続く打者は140km/hに詰まりながらも、セカンド方向へ転がした。ホームは間に合わない。
0対1。
それでも玲は崩れなかった。
次の打者を高速落下球で空振り三振。最後は140km/hを内角へ投げ込み、詰まらせてサードゴロ。
1点だけ。
それ以上は渡さない。
◇
その裏。
先頭は4番の黒田。
初球。
内角の132km/h。
黒田が振り抜いた。
カァンッ!
「おおっ!」
打った瞬間に分かった。
レフトへ伸びた打球は、そのままフェンスの向こうへ消えた。
「入った!」
1対1。
ホームへ戻ってきた黒田の肩を叩く。
「やるじゃん」
「俺だって打つんだよ」
「知ってるよ」
「最近、なんとなく忘れられてる気がする」
「誰に?」
「……なんとなく」
「何の話?」
「こっちの話」
よく分からない。
でも、大きな一発だった。
玲が1点で止める。
黒田が1振りで戻す。
今日の城東は、ちゃんと全員で戦っていた。
◇
4回表。
この試合で、最初に橘さんの凄さをはっきり感じた場面だった。
ワンアウト3塁。スコアは1対1。
相手の6番が玲の外角140km/hをうまく合わせた。打球はセンターへ高く上がる。
定位置より少し前。
3塁ランナーがタッチアップを狙うには、十分な距離にも見えた。
「タッチアップ!」
相手ベンチから声が飛ぶ。
俺はショートの守備位置から、センターへ上がった打球を見る。
センターの橘さんは、打球が上がった瞬間から迷わず前へ出ていた。
数歩チャージしながら落下地点へ入り、助走をつけたまま捕球する。
3塁ランナーがスタート。
橘さんは勢いを殺さず、そのままホームへ送球した。
「高瀬!」
低く伸びるボールがワンバウンドで高瀬のミットへ届く。
ランナーが滑り込む。
高瀬がタッチ。
「アウト!」
ダブルプレー。
チェンジ。
城東ベンチが一気に沸いた。
俺はショートの位置から、センターにいる橘さんを見ていた。
肩が強いからじゃない。
送球が速いからだけでもない。
橘さんは、捕ってから速かったんじゃない。
打球が上がる前から準備していた。
よく見ると、最初からいつもの守備位置より少し前だった。
ベンチへ戻ってから聞く。
「橘さん、何で最初から前だったんですか?」
「6番、前の打席から玲の真っすぐに差されてただろ。強く引っ張るより、合わせてくると思ったから少し前に寄った」
「……」
打たれてから判断したんじゃない。
打たれる前に、次の打球を考えていた。
「すご」
「成瀬ならそのうち分かる」
「今覚えます」
「そのうちはどこ行った」
橘さんが笑った。
◇
そのプレーのあと、玲の投球が変わった。
4回後半から明らかに球が強くなる。
5回。140km/h。140km/h。高速落下球は132km/h。三者凡退。
6回も、先頭に粘られながら球速は落ちない。むしろ140km/hが続き、最後の打者にはいつもより遅れて落ちる高速落下球で空振りを奪った。
「……玲、後半の方が良くなってない?」
ショートから見ていて、そう思った。
普通なら球数が増えれば、少しずつ球威は落ちてくる。
でも今日は逆だった。
投げるほど。
試合の中で何かが噛み合い始めている。
◇
4回裏。
俺の第2打席。
ワンアウトランナーなし。
初球の外角133km/hを見送る。ストライク。
2球目も外。
今度は無理に引っ張らず、そのまま逆方向へバットを出した。
カキンッ!
打球はライト前へ抜ける。
「よし」
1塁へ出る。
でも黒田、高瀬が続けず、得点にはならなかった。
ベンチへ戻ると、橘さんが言った。
「今の良かったな」
「右打ちですか?」
「外の球を無理に引っ張らなかったのがな」
「でも単打でした」
「ヒットだろ」
「もっと飛ばしたい」
「欲張りだな」
「よく言われます」
橘さんが笑う。
「右にも強く打てるようになったら、もっと嫌な打者になる」
その言葉が残った。
右にも。
強く。
ただ当てるだけじゃない。
逆方向へ、長打を打てるくらいに。
◇
5回、6回と、両チームとも走者は出した。
それでもスコアは動かない。
1対1。
玲は6回を投げ終えてベンチへ戻った。
球数はもう少なくない。
監督が玲を見る。
「どうだ?」
「行けます」
短い答え。
「高瀬」
「まだいけます。球も落ちてません」
監督は数秒だけ考えた。
「水城。7回も行け」
「はい」
玲がすぐ立ち上がる。
春は6回で降りた。
でも今日は違う。
背番号1。
エース。
全国が懸かった決勝。
監督は最後まで玲へ預けた。
◇
7回表。
玲がマウンドへ向かう。
俺はショートへ。
1対1。
ここを抑えれば、裏の攻撃で決められる。
先頭打者への初球。
バァンッ!
球速表示は140km/h。
2球目、132km/hの高速落下球で空振り。
ツーストライク。
3球目。
玲が投げる。
バァンッ!
「……」
表示された数字を見直した。
141km/h。
自己最速。
「上がった……」
でも玲は表示を見ていない。
高瀬から返ってきたボールを受け取って、もう次の球を考えている。
4球目。
高速落下球。
133km/h。
途中まで141km/hの真っすぐとほとんど同じ軌道を通り、最後に鋭く落ちた。
ブンッ!
「ストライク! バッターアウト!」
空振り三振。
次の打者。
140km/h。
ファウル。
141km/h。
振り遅れ。
最後は132km/hの高速落下球。
空振り三振。
2者連続。
玲の背中を見る。
なんだ、これ。
今までだって十分速かった。
十分強かった。
でも今日の最終回は、今までの玲と少し違う。
最後の打者。
初球141km/h。ファウル。
2球目の高速落下球はボール。
3球目140km/hで空振り。
ワンボール、ツーストライク。
高瀬がサインを出す。
玲が頷く。
132km/h。
高速落下球。
バットが空を切った。
「ストライク! バッターアウト!」
三者連続三振。
チェンジ。
玲は7回を投げ切った。
4安打。
1失点。
四球0。
9奪三振。
最速141km/h。
全国出場を懸けた試合で、最後の最後にさらに速くなった。
◇
ベンチへ戻る玲に声を掛ける。
「141」
「うん」
「気づいてた?」
「音で少し」
「音で分かるの?」
「いつもより強かった」
「……気持ち悪」
「伊織君に言われたくない」
高瀬が防具を外しながら割って入る。
「球速もだけど、最後の落ちる球、今日一番良かったぞ」
玲が高瀬を見る。
「本当?」
「最後まで真っすぐに見えた。あれは嫌だ」
玲が少しだけ笑う。
「もっと良くする」
「やっぱりそう言うと思った」
141km/h。
それでも玲にとっては、途中らしい。
◇
7回裏。
先頭打者が内野安打で出塁した。
続く打者がきっちり送り、ワンアウト2塁。
そして打席へ入るのは。
橘さん。
俺は次の次。
でもなぜか、自分まで回ってこない気がした。
相手の外野を見る。
センターは少し左寄り。ライトは深い。レフトはやや前。
橘さんは左打者。
相手も引っ張り方向を警戒している。
初球の内角をファウル。2球目の外角はボール。3球目も外でファウル。
ワンボール、ツーストライク。
4球目の外角低めを見送る。
ツーボール、ツーストライク。
5球目。
また外。
橘さんが踏み込む。
でも、引っ張らない。
外の球へ逆らわず、バットをそのまま逆方向へ出した。
カァンッ!
「っ!」
打球は左中間へ。
前に守っていたレフトの頭を越えた。
「回れえええ!」
2塁ランナーが3塁を蹴る。
ボールが外野を転がる。
ホーム。
「セーフ!」
2対1。
サヨナラ。
全国大会出場決定。
◇
ベンチから全員が飛び出した。
「橘さん!」
「キャプテン!」
「ナイスバッティング!」
ホームへ戻ってきた橘さんが囲まれる。
いつもは落ち着いているのに、今日は少しだけ大きく笑っていた。
「全国行くぞ!」
「はい!」
3年生たちの声が一番大きかった。
俺も玲も、高瀬も黒田も三上も、その輪の中に入る。
玲が7回を1点で抑えた。
黒田が一振りで追いついた。
そして橘さんが、守備で1点を消し、最後には自分のバットで試合を終わらせた。
◇
片付けの途中、橘さんのところへ行った。
「橘さん。最後の打席、最初から逆方向狙ってたんですか?」
「最初からじゃない。外が多かっただろ。それにレフトが少し前だった」
「そこまで見てたんですか?」
「見るだろ」
普通みたいに言う。
「ホームランはいらない。2塁ランナーが帰れば終わりだからな」
1点取れば試合が終わる。
そのために、一番可能性の高い打ち方を選ぶ。
「俺なら、多分強く引っ張ろうとしてました」
「それで打てるなら、それでもいい」
「でも俺も、ああいうの打ちたいです」
「逆方向?」
「それもですけど……打って、試合を決めたい」
投げて抑える。
守ってアウトにする。
走って得点する。
全部好きだ。
でも今日、橘さんの打球が左中間を抜いた瞬間、今までとは違うものを感じた。
1打席で試合を終わらせた。
城東を全国へ連れていった。
「もっと打ちたいです」
橘さんが笑った。
「十分打ってるだろ」
「もっとです」
「やっぱり欲張りだな」
「はい」
橘さんは俺の肩を軽く叩く。
「なら、引っ張るだけじゃなく全部使え」
「全部?」
「グラウンド全部」
その言葉が、やけに頭に残った。
◇
その日の帰り際、監督に呼び止められた。
「水城、成瀬」
「はい」
「はい」
「今日だけで高校から何件か連絡が来た。全国も決まったから、ここからさらに増えるぞ」
玲がすぐ聞く。
「僕と伊織君、どっちが多いですか?」
「まだやるのか」
「気になります」
監督が呆れた顔をする。
「今は水城の方が多い」
玲が俺を見る。
「僕の方が多い」
「全国で抜く」
「だから競うな!」
怒られた。
20校。
30校。
その数字がこの先、桁そのものを変えることになるなんて。
この時は、まだ知らなかった。
◇
夜。
まず玲の情報を確認する。
【水城玲の解析情報が更新されました】
球速 141km/h
コントロール C68
スタミナ B77
【変化球】
チェンジアップ 3
【高速落下球】
球速帯 131~133km/h
完成度:上昇
【確認済み特殊能力】
奪三振
怪童
リリース○
キレ○
【試合後半において球威の上昇を確認しました】
【特殊能力《尻上がり》の成長条件を一部満たしました】
【特殊能力《キレ○》の上位成長条件を一部満たしました】
「……」
141km/h。
高速落下球もまた速くなった。
しかも、後半に球威が上がっていたのは気のせいじゃない。
「玲、また何か掴みかけてるな」
まだ完成していない。
むしろ、これからもっとおかしくなる。
そんな気がした。
◇
玲の画面を閉じて、バットを持つ。
今日俺が打ったライト前。
橘さんが打った左中間へのサヨナラ。
同じ逆方向でも全然違う。
俺は当てて運んだ。
橘さんは逆方向へ強く打った。
「……これだ」
外角を想定してバットを振る。
引っ張らない。でも弱くもしない。
右方向へ、強く。
何度も繰り返す。
システムが反応した。
【勝利に直結する打撃判断を観察しました】
【逆方向への打撃経験を獲得しました】
【打撃意識に変化が発生しています】
【特殊能力《流し打ち》の成長条件を一部満たしました】
「流し打ち……」
まだ習得じゃない。
でも、方向は見えた。
ミート。
パワー。
それだけじゃない。
引っ張れる。
逆方向にも打てる。
追い込まれても打てる。
相手の守備位置を見て、必要な場所へ強く打てる。
「もっと打ちたい」
もう一度口にする。
球速も上げたい。守備も上げたい。カーブも走塁も、もちろん全部やる。
でも今は、打撃が少し楽しくて仕方なかった。
◇
翌日。城東シニアのグラウンドでは、橘さんがいつも通りセンターのノックを受けていた。
昨日の試合を思い返す。玲は141km/hを投げ、7回を1失点で完投した。間違いなく怪物だ。それどころか、まだ何かを掴みかけているようにも見えた。
それでも、昨日の試合で俺の頭に何度も浮かんでくるのは玲じゃない。
守備で1点を消し、最後には自分のバットで試合を決めた橘さんの姿だった。
「……すげえな」
自分でも気づかないうちに、そう呟いていた。
能力値だけなら、俺も少しずつ近づいている。
でも試合の中で何を見るか。
どこに守るか。
どんな打球を打てば勝てるのか。
そこは、まだ橘さんの方がずっと先にいる。
3年生、最後の夏。
まだ終わらせたくない。
次は全国。
去年届かなかった場所へ。
玲もまた、新しい何かを掴み始めている。
そして俺も、キャプテンの背中を追いながら、また1つ育てたいものを増やしていた。