キッズクラスに通い始めてから、三か月が経った。
俺の日常は、かなり野球中心になっていた。
幼稚園から帰れば父さんとキャッチボール。家の前で素振り。週末はキッズクラス。雨の日には、家の中でボールを握ったり、野球の本を読んだりする。
前世でも野球はやっていた。
でも、今の方がずっと楽しい。
理由は簡単だった。
【素振りを行いました】
【筋力が上がった】
【技術がかなり上がった】
【キャッチボールを行いました】
【技術が上がった】
【精神が少し上がった】
【走り込みを行いました】
【敏捷がかなり上がった】
【筋力が少し上がった】
やったことが、ちゃんと自分の中に残る。
そして。
貯めた経験を、どの能力へ使うのかは俺が決められる。
「……楽しい」
「伊織、何が?」
「なんでもない」
庭でボールを拾っていた父さんが首を傾げる。
前世では、画面の中の選手を育てるだけでも何時間だって遊べた。
それが今は。
育っているのが、自分自身だ。
面白くないわけがない。
◇
最初の頃。
俺は経験が貯まるたびに、かなり適当に能力を上げていた。
最初にコントロール。
次はミート。
玲に球速で負けそうになれば、悔しくなって球速。
ゴロを弾けば守備。
遠くまで投げたくなれば肩。
その時欲しいものへ、その時使う。
今考えると。
かなり行き当たりばったりだ。
でも。
三か月もシステムを使っていると、少しずつ癖が分かってきた。
素振りをすれば、筋力や技術。
走れば敏捷。
キャッチボールなら技術や精神。
守備練習では、敏捷や技術が貯まりやすい。
つまり。
上げたい能力を先に決める。
そこから逆算して練習する。
その方が効率がいい。
「完全に育成ゲームだな……」
前世。
こういうことを考えるのは好きだった。
問題は。
それに気づくまで、三か月かかったことだ。
「球速にも結構使ったんだよな……」
俺は投手を目指しているわけじゃない。
ショートがやりたい。
だったら。
もっとミートや守備へ回してもよかった。
ただ。
速い球を投げられるようになった分、送球も明らかに強くなっている。
完全に無駄だったわけでもない。
「まあ、一周目だしな」
最初から最適解なんて分かるわけがない。
失敗して。
覚える。
それでいい。
◇
今日は。
ミートを上げる。
【ミート E45】
【蓄積した経験を使用しますか?】
はい。
【ミートが上がった】
【E45 → E48】
「三つか」
最初。
GからFへ上げていた頃と比べると、少しずつ数字が動きにくくなっている。
三か月前。
【ミート G10】
だった能力が。
【ミート E48】
ここまで来た。
「十分早いよな」
五歳児。
三か月。
普通に考えれば、とんでもない速度だ。
他の能力も確認する。
【成瀬 伊織】
年齢:5歳
【野球能力】
《競技カテゴリ:幼児》
弾道 1
ミート E48
パワー F34
走力 E43
肩力 E47
守備力 E45
捕球 E42
【投手能力】
球速 44km/h
コントロール D51
スタミナ E41
【特殊能力】
なし
「コントロールだけDか」
最初に一番多く経験を使った能力。
その分。
他より一歩先へ進んでいる。
逆に。
パワーはまだF。
ほとんど経験を回していないからだ。
俺が何へ経験を使ってきたのか。
能力表を見るだけで、なんとなく分かる。
「こういうの、いいな」
ちゃんと。
自分で育てている感じがする。
◇
画面へ意識を向ける。
【現在の競技カテゴリでは、高能力になるほど成長効率が低下します】
さらに表示を開く。
【現在カテゴリ:幼児】
低能力帯は比較的少ない経験で成長します。
能力がカテゴリ上位へ近づくほど、必要な経験は増加します。
身体的成長による制限を受ける能力も存在します。
「なるほど」
G。
F。
この辺りはかなり早かった。
Eに入って。
少しずつ重くなってきた。
D。
C。
B。
A。
上へ行けば行くほど。
必要な経験も増えていくのだろう。
「幼児カテゴリで、どこまで行けるんだろ」
C?
B?
頑張れば。
Aまで届く能力もあるのかもしれない。
分からない。
だから。
試したい。
どの練習が効率いい?
どの能力を先に伸ばす?
均等に育てる?
一つを突出させる?
経験はすぐ使う?
貯めておく?
「……」
分からないことだらけ。
それが。
最高に楽しい。
◇
翌日。
「伊織君!」
公園へ行くと、玲がすでに待っていた。
「今日も早いな」
「うん」
「何時から?」
「わかんない」
玲のお父さんが苦笑する。
「十五分くらいかな。もっと早く行きたがってたんだけど止めた」
「玲……」
「早く野球したかったから」
玲が当然のように言う。
この三か月。
俺と玲は、ほとんど毎週一緒に野球をしている。
そして。
玲は。
俺の予想通り。
いや。
予想以上の速度で上手くなっていた。
「投げるよ」
「おう」
玲がボールを投げる。
パシッ。
胸元。
俺も返す。
パシッ。
また返ってくる。
「……」
最初に会った頃。
玲のボールは左右へ散りまくっていた。
今では。
普通にキャッチボールが成立している。
「伊織君」
「ん?」
「もっと離れよう」
「また?」
「うん」
二人で数歩下がる。
玲がボールを握る。
左足。
腰。
腕。
初めて会った時。
俺の動きを見ながら真似していたフォーム。
それが。
もう。
玲自身の動きになり始めている。
シュッ。
パシッ。
「……」
胸元。
「お前、また速くなってない?」
「そう?」
「なってる」
「毎日投げてるからかな」
それだけじゃない。
俺だって。
毎日やっている。
しかも。
俺にはシステムがある。
三十八年分の記憶もある。
最近では。
必要な経験を考えて、練習内容まで選ぶようになってきた。
普通なら。
差は広がってもいい。
なのに。
玲は。
離れない。
システムも。
前世の経験も。
何も持っていないはずなのに。
普通についてくる。
「伊織君?」
「なに?」
「もっと離れる?」
「……する」
負けたくない。
五歳児相手に。
中身三十八歳の俺が何を張り合っているんだ。
そう思う。
でも。
嫌だった。
まだ。
追いつかれたくない。
◇
「二人ともー!」
詩織が走ってきた。
「また野球?」
「また野球」
「毎日そればっかり」
「好きだから」
玲も頷く。
「僕も好き」
「玲ちゃんは伊織君の真似ばっかり」
「だって伊織君上手だから」
「……」
玲は。
こういうことを普通に言う。
最初の頃は。
単純に嬉しかった。
でも最近は。
素直に喜べない。
だって。
こいつ。
俺の真似をしてから。
その俺より上手くなる可能性がある。
「詩織ちゃんもやる?」
玲が聞く。
「野球?」
「うん」
「やらない」
即答。
「楽しいよ?」
「私はピアノとか絵の方が好き」
「そっか」
そういえば。
詩織は。
俺と違って。
色々やっている。
ピアノ。
絵。
勉強。
友達と遊ぶ。
もちろん。
俺とも遊ぶ。
自分の人生能力を開く。
【人生能力】
学力 54
運動 31
容姿 47
芸術 20
社交 35
精神 64
「……」
運動だけ。
明らかに伸びが早い。
当然だ。
野球ばかりやっている。
一方。
学力。
芸術。
社交。
少しずつは上がっている。
でも。
野球ほどではない。
人生能力は。
実際にそれを経験しなければ伸びない。
野球のように。
余った経験を好きな能力へ振ることもできない。
そして。
詩織の人物情報。
【藤崎 詩織】
関係:幼馴染
好感度:???
恋愛条件:未解放
「……まだ見えないか」
「何が?」
「なんでもない」
前世の記憶が正しければ。
詩織は。
野球だけ上手い男では。
攻略できない。
学力。
運動。
容姿。
芸術。
社交。
全部。
高い水準が必要だったはずだ。
でも。
野球に使う時間を増やせば。
当然。
他へ使う時間が減る。
「……なるほどな」
ゲームなら。
コマンドを一回選べば。
一週間が終わる。
現実は。
そこまで単純じゃない。
でも。
一日は二十四時間。
これは。
ゲームより厳しいかもしれない。
◇
「伊織君」
「ん?」
「今度の日曜日なんだけど」
詩織が少し恥ずかしそうに言う。
「ピアノの発表会があるの」
「へえ」
「見に来る?」
「日曜日?」
「うん」
日曜日。
キッズクラスがある。
「何時?」
「二時」
「午前は?」
「練習?」
「うん」
「……また野球」
詩織が少しだけ不満そうな顔をする。
「午前中の練習が終わったら行くよ」
「ほんと?」
「うん」
「絶対?」
「絶対」
詩織が笑った。
【藤崎詩織の好感度が少し上がった】
「……よし」
「何が?」
「なんでも」
午前。
野球。
午後。
発表会。
そのあと。
三人で遊ぶ。
全部欲しいなら。
全部やればいい。
時間を無駄にしなければ。
きっとできる。
少なくとも。
今の俺は。
そう思っていた。
◇
その日の帰り。
「伊織君」
玲が俺の隣を歩く。
「なに?」
「日曜日、午前だけ?」
「うん」
「午後は?」
「詩織のピアノ」
「僕も行く」
「え?」
「詩織ちゃんの発表会」
後ろを歩いていた詩織が振り返る。
「玲ちゃんも来るの?」
「行っていい?」
「いいよ!」
詩織が嬉しそうに笑う。
「じゃあ三人だね」
「そうだな」
野球をして。
発表会へ行って。
そのあと。
三人で遊ぶ。
結構忙しい。
でも。
悪くない。
前世の俺には。
こういう幼馴染も。
一緒に夢を追いかける友達も。
いなかった。
いや。
本当は。
いたのかもしれない。
俺が。
大切にしなかっただけで。
「伊織君?」
「ん?」
「また難しい顔してる」
玲が言う。
「五歳児に難しいことなんてないだろ」
「伊織君も五歳だよ?」
「……そうでした」
詩織が笑う。
玲も笑う。
俺も。
少しだけ笑った。
◇
家へ帰り。
その日の経験を確認する。
【キャッチボールを行いました】
【技術が上がった】
【精神が少し上がった】
今日は。
肩力へ使ってみる。
【肩力 E47】
【蓄積した経験を使用しますか?】
はい。
【肩力が上がった】
【E47 → E49】
「あと一つ」
五十から。
D。
コントロールに続いて。
二つ目のD能力が見えてきた。
三か月前。
GやFばかりだった俺が。
少しずつ。
次のランクへ手を伸ばしている。
「……システム、やっぱりすごいな」
でも。
同時に分かってきた。
俺はまだ。
全然使いこなせていない。
玲に負けそうだから球速。
打てなかったからミート。
エラーしたから守備。
その場その場で。
かなり適当に育ててきた。
もし。
最初から今の知識があったら?
もっと。
強くなれていたかもしれない。
「まあ」
次から。
上手くやればいい。
今の俺は。
まだ。
一周目なのだから。
画面を閉じる。
昼間の玲を思い出す。
システムを覚えるほど。
俺の成長は速くなる。
なのに。
あいつも。
普通についてくる。
だから。
もっと育てたくなる。
「次はDだな」
俺は。
完全に。
自分自身を育てることへ。
夢中になり始めていた。