全国大会初戦。
去年も立った舞台なのに、球場へ入った瞬間の空気は少し違って感じた。
理由は分かっている。
去年の俺たちは、全国大会に出てきた城東シニアだった。
今年は違う。
水城玲。
成瀬伊織。
去年の全国ベスト4という実績もある。
春から名前を聞くようになった選手も増えた。
俺たちを見るために来ている人間が、明らかに増えていた。
◇
「……多くない?」
三上がスタンドを見上げる。
「去年よりは確実に多いな」
高瀬も同じ方向を見た。
保護者だけじゃない。他チームの選手、野球好きらしい大人、制服姿の高校生。そしてバックネット裏には、見覚えのある高校関係者たち。
帝陵。
蒼峰。
東央大附属。
他にも、知らない学校名がいくつも見える。
「また増えてる」
俺が言うと、玲が静かに答えた。
「全国だから」
「玲を見に?」
「伊織君も」
「どっちが多いかな」
「僕」
「まだ分からないでしょ」
「僕」
「自信あるな」
後ろから高瀬に軽く頭を叩かれた。
「試合前にくだらない勝負始めんな」
「痛い」
「高瀬、伊織君の方が先に言った」
「告げ口すんな」
「はいはい。アップ行くぞ、怪物2人」
三上が笑いながら先へ走っていく。
その時、スタンドの一角に見慣れた顔を見つけた。
詩織だ。
こっちに気づくと、小さく手を振る。
俺も手を上げた。
「成瀬」
「何ですか?」
橘さんが笑っている。
「嬉しそうだな」
「友達が来てるので」
「友達ね」
「何ですか、その言い方」
「いや、別に」
最近みんな、この反応をする。
よく分からない。
◇
初戦の相手は東北地区を勝ち上がってきた強豪だった。
去年も全国大会へ出場している。
試合前のミーティングで、監督が全員を見渡した。
「初戦だからって固くなるな。去年ここまで来た経験は、お前らの方がある」
そして玲を見る。
「水城」
「はい」
「行けるところまで任せる」
「はい」
背番号1。
全国大会最初のマウンドも、玲だった。
◇
1回表。
玲の初球。
バァンッ!
140km/h。
スタンドが少しざわつく。
2球目。
141km/h。
また、ざわめきが大きくなった。
予選決勝では7回になって初めて出た数字だ。
でも今日は、最初から出ている。
先頭打者は振り遅れてファウル。
次の133km/hの高速落下球で空振り三振。
2番は140km/hを打ってセカンドゴロ。
3番。
外角141km/hを見逃し。
内角140km/hをファウル。
最後は132km/hの高速落下球。
空振り。
「ストライク! バッターアウト!」
三者凡退。
俺はショートから玲を見る。
もう。
141km/hが、特別な1球じゃなくなり始めている。
◇
1回裏。
1番の橘さんが四球を選んだ。
三上が送りバントを決め、ワンアウト2塁。
俺の第1打席。
相手の右腕は130km/h台前半。スライダーとカーブを使うタイプだ。
初球、外角ストレート。
ボール。
2球目、内角。
ファウル。
3球目、外角へのスライダーを見送る。
ツーボール、ワンストライク。
4球目。
少し真ん中へ入った。
振り抜く。
カァンッ!
センター前。
橘さんが3塁を回る。
「回れ!」
返球より先にホームへ滑り込んだ。
「セーフ!」
1対0。
先制。
「ナイス、成瀬!」
1塁上で軽く拳を握る。
まず1本。
悪くない。
でも。
今やりたいのは。
これだけじゃない。
◇
玲は2回も無失点。
3回も無失点。
相手は早いカウントから140km/h台を狙っている。
それでも、まともに前へ飛ばない。
そこへ高速落下球。
時々チェンジアップ。
最近の玲は、速い球だけで押す投手じゃなくなっていた。
4回。
先頭にこの試合初ヒットを許した。
続く3番。
初球140km/h。
ファウル。
2球目、高速落下球。
ボール。
3球目。
玲が首を振った。
高瀬がもう一度サインを出す。
玲が頷く。
投げたのはチェンジアップだった。
「っ!」
打者の腰が完全に前へ出る。
ボテボテのショートゴロ。
俺が前へ出て捕る。
2塁へ。
三上。
そのまま1塁。
「アウト!」
ダブルプレー。
速い球だけじゃない。
自分で考えて、必要な球を選んでいる。
球速が上がっているだけじゃない。
玲は、投手としても前より強くなっている。
◇
3回裏。
ツーアウト1塁で、俺の第2打席が回ってきた。
初球は外角。
見送ってストライク。
2球目も外。
今度は少し低い。
ファウル。
ツーストライク。
相手バッテリーは、俺に外を使っている。
予選決勝でもそうだった。
長打を嫌がっている。
内角へ投げて引っ張られるより、外で勝負したい。
多分、そう考えている。
なら。
それでいい。
3球目。
外角低めのスライダー。
ボール。
4球目。
外角。
ストレート。
来た。
右へ打つ。
――違う。
普通に。
強く。
振る。
カァンッ!
打った瞬間、今までとは違うのが分かった。
ライト前じゃない。
打球は右中間へ、低く強く伸びていく。
センターとライトが追う。
その間を抜けた。
「走れ!」
1塁ランナーが3塁へ向かう。
俺も1塁を蹴り、2塁へ滑り込む。
「セーフ!」
右中間へのツーベース。
ベースの上から、打球が抜けた場所を見る。
「……これだ」
弱く当てたんじゃない。
振り切った。
その結果。
右へ飛んだ。
予選決勝から探していた感覚が、ようやく形になった。
【逆方向への強打経験を獲得しました】
【特殊能力《流し打ち》習得条件を満たしました】
【特殊能力《流し打ち》を取得しました】
「……よし」
表示を閉じる。
まだ試合中だ。
それでも。
思わず少し笑った。
出来ることが、また1つ増えた。
◇
続く黒田が打席へ入る。
初球を豪快に振って空振り。
2球目のカーブを見送り、3球目。
内角ストレート。
カァンッ!
「おっ」
高い打球がレフトへ伸びる。
フェンス際。
さらに伸びる。
でも。
わずかに届かない。
レフトがフェンス手前で捕球した。
「ああああ!」
黒田が頭を抱えながら戻ってくる。
「今の入ったと思った」
「惜しかったね」
「次は入れる」
「俺も打つよ」
「ホームラン?」
「そのうち」
「右に?」
「出来たら」
黒田が嫌そうな顔をした。
「それ、ずるくない?」
「何が?」
「引っ張って飛ぶ奴が逆方向まで飛ばし始めるの」
「まだ飛んでないよ」
「今のツーベース見た?」
「見た」
「じゃあ時間の問題だろ」
俺も。
少しだけ、そう思っていた。
◇
5回表。
玲の球数はまだ少ない。
140km/h。
141km/h。
高速落下球。
チェンジアップ。
完全に相手打線を押さえ込んでいる。
ツーアウト。
相手の4番。
ここまで唯一、玲の真っすぐをまともに前へ飛ばしている打者だった。
初球。
141km/h。
ファウル。
2球目。
チェンジアップ。
ボール。
3球目。
高速落下球。
見逃し。
ワンボール、ツーストライク。
4球目。
玲が投げる。
141km/h。
高め。
打者のバットが空を切った。
「ストライク! バッターアウト!」
玲がマウンドを降りる。
スタンドが少し騒がしい。
「ずっと140出てるぞ」
「中2だろ?」
「落ちる球も130超えてる」
そんな声が聞こえてくる。
去年。
俺たちを知らなかった人たちが。
少しずつ名前を覚え始めている。
◇
5回裏。
下位打線がチャンスを作った。
ワンアウト3塁で橘さん。
深めのセンターフライ。
3塁ランナーがタッチアップ。
犠牲フライ。
2対0。
派手じゃない。
でも必要なところで、必要な1点を取る。
予選決勝から。
橘さんを見ていると、それがよく分かるようになった。
◇
6回裏。
先頭の三上が内野安打で出た。
俺の第3打席。
ノーアウト1塁。
相手はここで左投手へ交代した。
最初から外角中心。
俺が右方向へ強い打球を打っていることは、もう向こうにも伝わっているはずだ。
初球。
外角。
ボール。
2球目。
外角ストレート。
見逃し。
3球目。
外角低めの変化球。
ファウル。
ワンボール、ツーストライク。
また外へ来る。
そう思う。
でも。
右を狙いすぎるな。
さっき覚えたばかりだ。
意識しすぎれば、また当てるだけになる。
4球目。
外角ストレート。
踏み込む。
普通に。
強く。
振り切る。
カァンッ!
今度はライト線。
速い打球がファウルラインの内側を抜けていく。
「走れ!」
三上が一気に3塁を回る。
俺は1塁を蹴って2塁へ。
三上がホームイン。
「セーフ!」
3対0。
タイムリーツーベース。
また逆方向。
しかも。
さっきより強い。
2塁ベースの上で。
少し笑ってしまった。
楽しい。
これ。
かなり楽しい。
◇
続く黒田。
俺を返すように、センター前へタイムリー。
4対0。
黒田が1塁上からこっちを見る。
「ホームランじゃなかった!」
「打点ついたじゃん」
「お前が2塁にいるからだろ!」
「ありがとう」
「何か腹立つ!」
三上がベンチで笑っていた。
4番。
ちゃんと仕事をする。
城東は。
玲と俺だけのチームじゃない。
◇
守備へ戻る前。
スタンドを見る。
詩織がいた。
目が合った。
遠いから声は聞こえない。
でも、拍手しているのは分かる。
隣には、同じ学校のクラスメイトらしい姿もあった。
俺は少しだけ手を上げる。
詩織も気づいて。
笑った。
その瞬間。
システムが出るかと思った。
でも。
何も出なかった。
「……」
不思議と。
それでもよかった。
◇
7回表。
玲はまだマウンドにいた。
4対0。
最後まで行く。
先頭打者。
140km/h。
ファウル。
141km/h。
空振り。
最後は高速落下球。
三振。
2人目。
ショートゴロ。
俺が捕って1塁へ送る。
「アウト!」
ツーアウト。
最後の打者。
初球141km/h。
ストライク。
2球目は133km/hの高速落下球。
ファウル。
ツーストライク。
最後。
チェンジアップ。
打者の身体が前へ泳ぐ。
バットが空を切った。
「ストライク! バッターアウト!」
ゲームセット。
4対0。
全国初戦突破。
玲は7回完封。
2安打。
四球0。
10奪三振。
最速141km/h。
しかも141km/hを何度も出した。
もう自己ベストじゃない。
今の玲にとって。
141km/hは。
普通の球速になり始めていた。
◇
整列を終え、ベンチへ戻る。
「ナイスピッチ」
俺が言うと、玲が答えた。
「ありがとう。伊織君も」
「何が?」
「右」
「見てた?」
「見てた。2本」
「出来るようになった」
「そう」
「驚かないの?」
「伊織君だから」
「何それ」
「出来ないって思ったら、ずっとやるでしょ」
「まあ」
「だから、そのうち出来ると思ってた」
玲が少しだけ笑う。
「次は?」
「次?」
「何増やすの?」
少し考える。
右方向へ。
強く打つ。
今日は二塁打が2本。
なら。
次は。
「ホームラン」
玲が頷く。
「伊織君らしい」
「玲は?」
「もっと速くする」
「玲らしいね」
お互い。
まだ増やす気しかなかった。
◇
試合後。
監督の周りには、高校関係者が何人も集まっていた。
「水城君、今日はずっと140台でしたね」
「成瀬君、右方向の打球がかなり強くなりましたね」
「去年とは身体つきも違う」
「次の試合も見させてください」
俺たちは少し離れた場所からそれを見る。
監督が。
ものすごく面倒そうな顔をしていた。
「増えてるね」
「うん」
「今日どっちの方が声掛けられると思う?」
俺が聞く。
「僕」
即答だった。
「今日は俺、3安打で長打2本だよ?」
「僕完封」
「10奪三振?」
「うん」
「……今日は玲かな」
「勝った」
「まだ勝負してないから」
高瀬が後ろから割って入る。
「お前らは早く荷物まとめろ」
「はい」
「はい」
◇
帰る前。
スタンドの出口で詩織と会った。
「お疲れ様」
「ありがとう。どうだった?」
「すごかった」
「どこが?」
「そうやって聞くと思った」
詩織が笑う。
「玲君、本当に速いね。音が全然違った」
「でしょ」
「伊織君もすごかったよ」
「どこ?」
「ほら、また聞く」
「気になるじゃん」
「2塁まで行ったやつ。2回とも」
「右中間とライト線」
「うん。それ」
詩織は野球の細かいことまでは分からない。
だから今日、俺が《流し打ち》を覚えたことも分からない。
「でも」
詩織が続ける。
「今日、一番楽しそうだったのは分かった」
「……そう?」
「2本目打った時、すごい笑ってた」
言われて。
思い出す。
確かに。
楽しかった。
能力が上がったからじゃない。
特殊能力を取れたからだけでもない。
練習していたことが、試合で出来た。
それが。
楽しかった。
「うん」
俺は頷く。
「楽しかった」
詩織が。
少し嬉しそうに笑った。
◇
帰宅後。
改めて自分の情報を開く。
【成瀬伊織】
【野手能力】
弾道 3
ミート B70
パワー C69
走力 C69
肩力 B71
守備力 B76
捕球 B70
【投手能力】
球速 130km/h
コントロール B78
スタミナ B76
【変化球】
チェンジアップ 5
カーブ 1
【野手特殊能力】
送球○
アベレージヒッター
パワーヒッター
チャンス○
盗塁○
流し打ち
【投手特殊能力】
対ピンチ○
低め○
リリース○
変幻自在
「増えた」
《流し打ち》。
でも。
今日の2本を思い出す。
まだフェンスは越えていない。
ただ。
遠くもない。
今のパワーはC69。
あと1つで。
B。
逆方向へ強く打つ感覚も、掴み始めた。
「ホームラン……」
引っ張るだけじゃない。
センター。
右。
左。
どこにでも強い打球を飛ばせるようになったら。
もっと打てる。
もっと点を取れる。
もっと試合を決められる。
橘さんの言葉が浮かぶ。
――グラウンド全部。
「よし」
次に育てるものは。
もう決まっていた。