どうしてこんなことになったんだっけ。私は目の前の現実から逃避するかのように、つい30分ほど前のことを思い返そうとする。
現在、私は神聖なる学び舎の一教室で、下着姿で男子生徒とじゃんけんをしていた。言葉に直してみるとあまりにもひどい状況でほとほと涙が出てくる。
「さあほら構えなよ委員長ちゃん!僕がその地味なブラジャー、引っぺがしてあげるよ!」
「言ってろカス野郎が!全裸で地面を這いつくばるのお前の方だ!」
私たちそう言うと、同時に拳を構えた。
アウト!セーフ!ヨヨイノ――
新学期早々厄介ごとを起こしやがって。
グラウンドを走る野球部の掛け声や、吹奏楽部の楽器の音色でにわかに騒がしくなる放課後、風紀委員である私は、校則を破らないよう、走らずにできるだけ早足で廊下を歩いていた。これから会う人物のことを考えてしまい、自然と廊下を蹴る足が強さを増す。
先ほど1年生から受けたクレームは、案の定あの「二人」のことだった。まだ学年が変わってから三日も経っていないというのに問題を起こすとは、本当にあいつらには呆れさせられる。
「あのゴミカス共が――」
無意識に汚い言葉遣いになってしまい、慌てて口を押さえる。良かった、どうやら聞こえていなかったようだ。私は両隣を歩く友達の顔を横からそっと覗き見ながら、ほっと胸をなでおろす。
不満を口に出したことでいくらか気分は晴れたが、それでもなお怒りは収まらず、歩くスピードをさらに上げる。
そうしてたどり着いたのは、第二社会科授業教室。文字通り社会の授業に使用する教室で、中には世界地図や歴史の資料などが置いてあるものの、それ以外は普通の教室と変わらない、机といすが並べられた教室である。部活などにも使用されてはおらず、本来なら誰もいないはずの教室なのだが、扉の向こうからは、ギャハギャハと下品な笑い声が聞こえてくる。
ストレスを吐き出すため息を一回、奴らと向き合う覚悟の深呼吸を一回。たっぷり時間をかけて準備を整え、勢いよく扉を開く。
「くぅー、人の金で飲むコーラの味は絶品だね。脳に快楽が直で来る」
「コーラを片手で飲みながら……もう片方の手でもコーラを飲む。そして合間にポテチを食べる。黄金のトライアングルが完成しちまったぜえ!」
ギャハハハハハ!!!!
そこには机いっぱいにコーラを並べて、下品な会話を交わす二人の男子生徒がいた。20本近く並べられたコーラはどれも少しずつ口を付けられており、脇にはパーティー開けされたポテトチップスも置かれている。
「五味川君!糟谷君!ちょっと話があるのだけれど!」
私がそう言うと、二人はようやくこちらに顔を向ける。
「おっと、誰かと思えば風紀委員長さんじゃないか。僕らなんかに何の用かな」
ニヒッと嫌な笑みを浮かべた糟谷は、コーラを飲みながら答える。
この、漫画なんかでいたら主人公をバカにしてきそうな、ガリ勉エリートな姿をした男は糟谷。通称カス谷。一年生の頃から持ち前の悪知恵を活かし、しょうもない悪事を繰り返してきた学校中の嫌われ者だ。
「そうそう、今俺ら後輩君たちに奢ってもらったコーラでパーティしてるんだからさ。邪魔しないでくれよな」
その奥から鳥肌が立つ笑顔を見せてくる男は五味川。通称ゴミ川。腐った性根が染み出した顔つきをしており、目つきが犯罪者になってしまっているので、特に女子生徒からの評判がすこぶる低い。別に男にも嫌われているのだが。
学校一のカスと学校一のゴミ、最低最悪のゴミカスコンビは、今日も今日とて最低だった。特に何かされたわけではないのに、もうここに来たことを後悔してしまうくらいには。
だが、私とて、好きでこんな奴らのもとへ来たわけではない。ここに来たのにはしっかりとした理由があるのだ。そしてそれは、彼らが今ご機嫌に飲んでいる、コーラに関連するものだった。
「あなたたちが飲んでいるその大量のコーラ、一年生の子から巻き上げたお金で買ったものでしょう。さっきその子から相談を受けたわ。大人しくお金を返してもらえるかしら?」
先ほど、半べそをかいた一年生の男の子から受けた相談は、二年の先輩にお金をカツアゲされたから取り返してほしい、というものだった。問題児などほとんどいない我が校でカツアゲをするような人物はこいつらしかいない。というわけでこいつらからカツアゲされたお金を回収するために、私はここへ来ているのだった。
「えー。酷いなあ委員長さん。言いがかりですよ。僕らは自分たちのお金でこうして楽しんでいるだけなのに」
「とぼけても無駄よ。ちゃんとクソナード顔と、目つき犯罪者顔にカツアゲされたって証言は得ているから」
「いくら僕ら相手でも言い過ぎでしょ」
カス谷はそう言うとゴミ川と共に笑い合う。人を相手にしていないような態度に、ますますストレス値が高まっていくのを感じる。
「分かったならほら、さっさとお金返して」
「やだよ」
「はあ?」
一刻も早くその場を離れるべく、カス谷に催促するが、あっさりと断られてしまう。
「嫌ってあのねえ。カツアゲは立派な犯罪なの。そんなのが通用するわけないでしょ?」
「カツアゲなんて人聞きが悪い事を言うなあ。僕らはただ『奢ってもらった』だけだよ」
「奢ってもらった?」
にやけ顔のカス谷の言葉にオウムのように言葉を返す。
「そうそう、俺らちょーっとお金に困ってたから、サ。お金持ってそうなピカピカの一年生君に『お願い』してジュースを奢ってもらった訳。だからぜーんぜんカツアゲなんかじゃないのよ」
クソ川はお金のように指を丸め、胸元に掲げながら笑う。
「ごちゃごちゃと……そんなのどうとでも言えるでしょう。実際にカツアゲされたって言っている子がいるんだから、さっさとお金返して」
「これ、なーんだ」
そう言ってカス谷が懐から取り出したのは、一枚の紙きれだった。親指と人差し指で挟み、ピラピラと揺らしながら、こちらに向かって持ってくる。
「ほら、これ読んでみてよ」
素直にカス谷の言葉に従い、そこに記された文字を読む。契約書と記されたその紙には、ゲームをして負けた方が勝った方にコーラを奢ると言う旨が記されており、記名欄にはしっかりと相談者の名前が記されていた。
「これは……」
そして、カス谷は契約書の下の方、小さな文字で書かれた文章を指差す。
「ほらここ!よく読んでよ!『この契約において発生する金銭の受け渡しに関する意義申し立ては行いません』って書いてあるよね!?つまりこれにサインしたということはもう僕たちからお金を取り戻すことは認められていないんだよ!なんせ自分で約束したんだからね!」
そこまで言うと、カス谷は腹を抱えて笑い出す。
「こんなの認められるわけないでしょう!契約書と言っても、ただルーズリーフに手書きしただけじゃない」
「え?え?噓でしょ?まさか委員長さんは、双方の合意があればどんなものであれ契約書として成立するって知らないの?そんなに無知なのに愚かにも人を糾弾してるの?えー怖ーい」
「このゴミカス共が……あんま調子乗んなよ」
「「ひいっ」」
あまりのカス具合に思っていたよりも低い声が出てしまい、それにビビった二人はそそくさと後ずさる。こういうちょっと凄まれたくらいでビビる子悪党ぶりがさらに私を腹立たせるのだ。
「えっと、風見さん大丈夫?」
「ちょっと顔が怖いけど……」
「え……え、ええ大丈夫!ちょーっと腹が立っちゃっただけ!全然平気だから」
私の様子が急に変わったことを不審に思ったのか、同じく風紀委員の一員として同席していた二人がこちらの顔を覗き込んできたので、どうにかごまかすため咄嗟に笑顔で取り繕ろう。ほっとした表情を浮かべてくれたところを見ると、どうやら納得してくれたようだ。
危ない危ない、クールにならないと。あいつらのペースに飲まれるといつも碌なことにならない。
気持ちを落ち着けると、ゴミカス達は未だにビクビクと過剰にこちらにビビっているので、こちらから話を戻すことにする。
「おうおう、優等生も大変だねえ」
「黙りなさい」
茶化してくるゴミ川を視線で制す。やはりこいつらの前では素がでてしまう。一刻も早くこの場を去らなければ。
「そうは言っても契約にはクーリングオフがあるでしょう。その文字の大きさは、どう考えても正当なものとは認められないだろうし、クーリングオフできると思うのだけれど」
その言葉を聞き調子を取り戻したのか、カス谷は再び嬉々として話し出す。
「舐めてもらっちゃ困るよ委員長さん。俺たちがクーリングオフの制度を把握していないとでも?その忌まわしき精度への対策は完璧さ!」
にやにやしやがって、何がこんなに楽しいんだこいつは。それでも話を進めないとしょうがないので、顎で続きを話すよう促す。
「クーリングオフは3000円以下の現金取引には適用されないんだよ!僕たちが奢ってもらったコーラの本数は20本。校内の自動販売機のコーラの販売価格は140円。合計金額は2800円。よって僕たちのコーラはクーリングオフの対象には入らないのさ!」
完全に調子を取り戻したカス谷はそう言うと、再びゴミ川と笑い合う。
一応手持ちのスマートフォンでクーリングオフについて調べてみるが、確かに3000円以下であれば適応することができないらしかった。詳しく調べれば何か粗が見つかるかもしれないが、悪知恵と口だけが達者なこいつらあいてにそれをするのは中々に骨が折れるだろう。困ったな、本当に打つ手なしかもしれない。
どうしようかと悩んでいると、委員の子の一人が耳打ちしてくる。
「でもあの契約書、生徒会の印が押されていないんじゃないかな?」
そうか!この学校にはその制度があった!
A子ちゃんにより気づきを得た私は、びしりと指をカス谷に向けて突き立てる。
「ねえ糟谷君。その契約書、生徒会の了承は得ているのかしら?」
その言葉を口にした瞬間、カス谷の顔がみるみるうちに青ざめていく。やっぱりね。気が付くことが出来て良かった。
「糟谷君たちも知っての通り、我が校は生徒の自主性を重んじる校風のため、生徒会の権力が大きい。そのため、部活の新設、遅刻の証明書をはじめ、あらゆる書類に生徒会の監査が必要。だけどその書類はさっき見た時生徒会の印は押されていなかった。つまり!我が校内においてはその契約書は効力を持たないはずよ!」
「んぐーーーーーーー」
あまりにクリティカルだったのか、カス谷は規制を挙げながら地面に伏せる。
よっしゃ、これでこいつらをしょっぴける。そうと決まればさっさとすませてこいつらとはおさらばだ。
そう思った瞬間だった。
「ふっふっふ。あーはっは!!」
突然笑い出したと思ったら、ぬらりと立ち上がり私から距離をとるよう離れていく。
「印がなかっただって?それは君たちの勘違いだ!」
「何のつもり?明らかにさっきの書類に印はなかったと思うんだけど」
今更言い逃れるつもりか?そんなの時間稼ぎにもならないと思うが……
「いいや、勘違いさ。だってこの書類にはちゃあんと、印が押してあるのだからね!」
「なら見せなさいよ」
そう言って彼から髪を奪い取ろうとするが、ひらりと躱される。
「おい」
「おお怖い怖い。こんなに怖い人に書類を渡したら、内容を偽造されてしまうかもしれないなあ。そんな人に奪われないようにするには、こうするしかないよねえ!」
言うが早いか、カス谷は持っていた契約書を折りたたむと、自身のパンツの中に突っ込んだ。
「何してるのよ!」
急いで取り出そうとカス谷に詰め寄るが、彼は逃げるように上体を後ろに逸らしながら、大声で喚く。
「お、おい!無理やり奪う気か!?それは暴力なんじゃないのか?良いのかなあ、学校の治安を守る風紀委員の長たる君が、そんな野蛮な方法を使っても!!」
「ぐ……」
そう言われぐうの音も出ず、腕を降ろす。それにカス谷はふっと胸をなでおろしたような安堵の表情を浮かべる。
クソ、確かにあいつの言う通り無理やり書類を奪うのは私の立場的に無理だ。かといって一度この場を離れようものなら、それこそ書類偽造でも何でもされて、お金を取り戻すことは確実に不可能になるだろう。
いくら考えても、有効な方法は思いつかず、このまま諦めるのしかないのかと思っていると、カス谷がまた何か良からぬことを考えている顔で笑顔を浮かべる。
「でも、僕だってそんなに意地悪じゃないからね。特別にチャンスをあげよう」
「チャンス?」
嫌な予感がする。決まってそうだ、こいつがこの顔をしている時は碌なことが起こらない。それでも私は話を聞いてしまう。
「ああ。書類が服の中にあるなら、脱がしてしまえばいいのさ」
「それじゃあ暴力になるんじゃないの?」
「無理やり脱がせればそりゃあ暴力さ。だけど、公正なルールの下、自分から服を脱がざるを得なくさせれば、それは暴力ではない」
「……何が言いたいの?」
絶対に聞くべきではない。頭の中にガンガンとアラートが鳴り響くが、それでも口は止まらない。
「ゲームをしよう。公正なゲームをね。それに勝てば契約書は君に渡そう」
そう言うとたっぷりと間をおいて、再びカス谷は告げる。
「ゲームの名前は『制限野球拳』。だ」
そう言うカス谷の顔はやはり不快なにやけ顔だった。