柴大将の息子   作:mukugawa

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プロローグ

 

 身を起こす。

 簡素な机と薄汚れた古いタンスだけの部屋には、自分以外に誰もいない。

 寒さに凍えながら、部屋を出る。

 眠りにつく前に準備していたリュックを持って。

 

 ──ガチャリ。

 

 暗い木製の廊下を歩く。

 ぎしぎしという音が止まらない。

 どうか誰の耳にも入りませんように……そう願いながら、ゆっくりと外へつながる扉へと向かった。

 

 

 

 

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 夜道を歩く。

 行く当てはない。

 ただあそこから離れられるのならばそれでよかった。

 孤児院、というやつらしい。

 物心ついた時から、気が付けばそこにいた。

 自分以外にも子供はいたけれど、誰一人として自分と同じ子はいなかった。

 黒い髪の子はいた。

 光輪(ヘイロー)はみんなが持っていた。

 ……でも、男の子はいなかった。

 最初に違和感を覚えたのは、いつも運ばれてくる自分のご飯の量が少なくなっていたとき。

 大人にそのことを訴えたけど、気のせいだと突き放された。

 それから自分に与えられるものが、次第にどんどん少なくなっていった。

 服も、おもちゃも、食べ物も。

 

「ちかづかないでよ。びょーきがうつるじゃん」

 

 友達が離れていった。

 それまでは一緒に遊んでいた友達が、自分が来ると逃げるようになった。

 大人はなにも言わない。

 病気について聞いてみても、なにも話してはくれず、ただ「知らなくていい」と突き放すだけだった。

 

「……ええ、もちろんです」

 

 ある時、電話をする大人を見た。

 その大人はなにか大事なことを話しているようで声を小さくしていたけれど、自分のよくきく耳にははっきりと聞こえていた。

 

「もうじきに用意できます。はい、はい……指定の口座に」

 

 物陰に身を隠して様子を窺う。

 大人は喜色に染まった声を隠しもせずに話し続けている。

 

「……後悔? あるわけありませんよ。あれは不吉な子です。いなくなってくれるなら、清々しますよ」

 

 ズキリ、と胸が痛んだ。

 

「食事も抜いていますから、かなり弱り切っています。攫うなんて簡単でしょう。いくらあの子でも───」

 

 それ以上の言葉を聞くことはできなかった。

 気づかれないようにその場を立ち去る。

 

「……」

 

 大人の会話の意味が自分にはなんとなくわかってしまった。

 この孤児院は貧乏だ。

 自治区の寄付によって成り立っているこの施設は、養う孤児とそれにかかる費用が見合っていない。

 そう愚痴る大人の姿を見かけたことがあった。

 口減らし、という言葉がある。

 大昔の飢饉の時代では、少ない食料で確実に生き延びるため、集団の数を意図的に減らすことがあったという。

 でも、あの口ぶりは違う。

 指定の口座と言っていた。

 単なる口減らしではなく……多分、売られたのだ。

 そう気づいた時から、自分の脱走計画は始まっていた。

 

 

 

 

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「……腹、へったな」

 

 どれくらい歩いただろうか。

 二度、日が沈んだことは覚えている。

 公園の水道で渇きを癒し、ベンチで眠ってまた歩く。

 それを繰り返して───

 

「どこにいけばいいんだろ……ハハ」

 

 頼るものはない。

 あるのは大人からくすねたリュックサックに入れた防災グッズと少ない小銭だけ。

 こんなんじゃ、そのうちどこかで野垂れ死ぬだろう。

 この歳ではバイトもできない。

 働かせてくれるのはそれこそ、自分を攫いに来ると言っていた連中のような薄暗い世界の住人くらいのものだ。

 お先は真っ暗、展開は棺桶直行モードって感じである。

 

「……休むか」

 

 時間はもう夜だ。

 そろそろ休もうと、立ち並ぶ建物の隙間に入る。

 

「おい」

 

 入ろうとしたその時、背後から声を掛けられた。

 振り返ると、いかにも昔気質な飲食店の大将といった格好に身を包んだ、犬の獣人がいた。

 

「どうした坊主、こんな夜中に」

 

 返答に困る。

 まさか、売られそうになったから逃げている最中ですとは言えない。

 かといって、この時間帯に6歳の子どもが出歩くに相応しい理由など思いつくはずもなかった。

 黙り込んでいると大将は笑みを浮かべて口を開く。

 

「坊主──ラーメンは好きか?」

 

「……はい?」

 

 

 

 

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 犬の大将に連れられて、店の中へと入る。

 既に深夜なのか、客の姿は見当たらない。

 大将はカウンター席を手で示すと厨房へと入っていった。

 ……どうすればいいだろう。

 怪しい店というわけではないけれど、善意で子供に食事を与えるような大人がいるとは思えなかった。

 しかし、水だけで腹を満たすのももう限界だったのも確か。

 いずれ餓死するくらいなら、最後にラーメンを食べるのもいいかもしれない。

 

「……よし」

 

 ちっぽけな覚悟を決めて席に着く。

 しばらくすると目の前にラーメンが置かれた。

 チャーシュー、メンマ、煮卵……シンプルなラーメンだった。

 

「……食べていいの?」

 

「おうとも。たんと食いな」

 

「……いただきます」

 

 割り箸を使ってラーメンを口へと運んだ。

 ……温かい。

 その熱に目頭が熱くなる。

 孤児院で与えられていた冷めたご飯とは違う、人の温度を感じる食事。

 ラーメンを口に運ぶ手は止まらなくなっていた。

 ずるずるとみっともなく音を立てて、ボロボロと零れる涙を拭いながら……最後にスープを飲み干した。

 

「……ごちそう、さまでした」

 

「お粗末様でした」

 

「その、お金を……」

 

「そいつは新開発のメニューでな、試作品に金はもらえねえよ」

 

「……そこに看板メニューって絵があるけど」

 

「そうか? 俺にゃあ、別モンに見えるけどなあ」

 

 ……ズルい大人だ。

 これまで会った中で一番ズルくて、優しい大人だ。

 止まったはずの涙がまた溢れてくる。

 困った、これじゃあただの泣き虫だ。

 

「……なあ、坊主」

 

「は、はい……」

 

「俺はな、一つの店を経営する人間としては、客の事情にはできる限り首を突っ込まないようにしてる。そいつは最低限のマナーってやつだ。でもよ……」

 

 大将は涙を流し続ける自分の頭に手を乗せる。

 

「泣いてる子供を助けるのは、一人の「大人」としてのマナーってやつだ……なにがあったか、話してみねえか?」

 

 逆らえるわけがなかった。

 自分の心はこの大将の前に、なすすべなく解かされてしまっていたのだから。

 

 

 

 

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「そうか……そんなことがあったのか」

 

 腕を組んで思い悩む大将を見ながら、話したことを今さらながら後悔する。

 話したりしなければ、この大将には関係のない話だったのに、余計な重荷を他人に背負わせてしまった。

 この人はきっと、自分の境遇に心を痛めてしまうタイプだから。

 

「……よし、坊主」

 

「……はい」

 

 何を言われるのだろう。

 遠回しに拒絶されるのか、それとも……

 

「とりあえず、よく頑張った!」

 

 そう言って、大将は肩を叩いた。

 

「その歳でよくここまで歩いてきた。大したもんだ……そして坊主、お前に提案がある」

 

「……なん、ですか?」

 

「ウチの子になれ」

 

「……はい?」

 

 訳が分からない。

 いったいどうしたらそんな話になるのか、さっぱりだ。

 しかし、大将は満足げに笑っている。

 

「今、「はい」って言ったな?」

 

「言ってません」

 

「いいや、言った! 確かに聞いたぞ。今日から俺がお前の親になる。文句があるなら……」

 

 大将は再び自分の頭に手を置く。

 

「ちょっとは大きくなってから、出直してきな」

 

 ……その日、俺は嵌められた。

 とてもズルくて、カッコイイ大人に。

 

 

 

 

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 先ほどまでのコンクリートの街並みが打って変わって、ポストアポカリプスめいたものになる。

 かつて隆盛を誇っていた街(アビドス)の成れの果て。

 今にも砂に吞み込まれそうな廃墟の群れの中を、規則的な振動を纏ってバスは行く。

 時刻は午前7時。

 学校に着くころには7時半を回っているだろうか。

 今日も、親父は俺を快く送り出してくれた。

 最近は学校の方に時間をとられて店の手伝いに出られていないというのに、それを「気にするな」と笑い飛ばす姿が瞼の裏で再生される、

 ──10年が経った。

 浮浪者に片足を突っ込んでいたクソガキが、今や高校2年生である。

 背も大きくなった。

 親父には及ばないが、それなりに高い方だと自負している。

 まあ、あの日の親父の選択に文句を言うつもりなどさらさらないのだが。

 景色をぼ~っと眺めていると、ふと昔のことを思い出してしまった。

 

「昔を懐かしむには、まだ早いっての」

 

 俺は現役の高校生である。

 若者ならばそれらしく、動画サイトやネットニュースでも読みふけるのがらしい行動だろうか。

 膝の上に置いたリュックの小ポケットからスマホを取り出す。

 

「おはようございます、ヨモギ先輩」

 

「うおっ!?」

 

「ええっ!?」

 

 いきなり声を掛けられて思わず驚いた自分の声に反応し、同じように驚いた少女。

 

「なんだ、アヤネか」

 

「なんだはこっちのセリフですよ……そんなに驚きます?」

 

 奥空アヤネ。

 俺と同じく、アビドス高等学校に通う1年生。

 尖った耳と赤渕の眼鏡、黒いショートカットの髪型が特徴の後輩は、少し頬を膨らませながら、俺に抗議の目を向ける。

 

「悪かったよ。ちょっとまだ朝ボケしてたみたいだ」

 

「珍しいですね。いつもロボットみたいにきっちりした先輩が朝ボケなんて」

 

「俺をなんだと思ってるんだ……」

 

 そうして会話は続く。

 今日行われる委員会の会議のこと。

 休日に見に行った映画や書店の話。

 そんなことを話し続けていると、あっという間に30分が経ってしまった。

 

「次はアビドス高等学校前~」

 

「あ、つきましたね」

 

 アヤネと共にバスを降りれば、すぐ近くに学校が見える。

 もう2年通っている、俺たちの学校だ。

 

「今日こそ来てくれるといいんですが……」

 

 不安げな顔つきのアヤネ。

 彼女の抱える悩みを知っている身としては、気の利く一言でもいってあげたいところだ。

 

「まあ、気長に待とうよ。噂通りの先生なら、きっと来てくれるって」

 

「……そうですね」

 

 思いっきり失敗した。

 

 

 

 

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 住宅街を抜けて、学校に着く。

 アビドス高等学校は、一言で言えば「崖っぷち」である。

 アビドスは学園都市「キヴォトス」の一角に存在する砂害の多い自治区だ。

 相次ぐ砂害対策に多大な資金を投資したが大した成果を得られず、ついに資金が底を尽きた。

 そんな学校は出してはいけない所に手を出してしまった。

 そう、借金である。

 しかし、根本的に砂害を解決することは遂に叶わず、偉大な先輩方は借金を増やしまくった末に学校を去り、残ったのは多大な負債のみ。

 俺達「アビドス廃校対策員会」は、日夜バイトや賞金稼ぎの真似事でその借金を返済する生活を送っている。

 ガラリと対策委員会の部屋のドアを開けると、人影が3つ。

 

「あ! おはようございます。ヨモギくん、アヤネちゃん」

 

 一人は十六夜ノノミ。

 俺と同じく2年生。

 ベージュの長髪と朗らかな性格の少女。

 

「おはよう。アヤネちゃん、ヨモギ先輩」

 

 二人目は1年生の黒見セリカ。

 猫耳とクラシックツンデレな性格が特徴の後輩。

 

「むにゃむにゃ……」

 

「ま~た、寝てんのかい? ホシノ先輩」

 

 最後に3年の小鳥遊ホシノ先輩。

 ピンクの長髪にアホ毛。

 そして、気づいたら机に突っ伏して眠りこける習性をもつ生き物だ。

 とりあえず、そっとしておこう。

 起こしたところで、すぐにまた夢の世界に旅立つのがオチである。

 

「シロコはまだ──お」

 

 携帯に着信がある。

 開いてみよう。

 

『ヘルプ求む』 シロコ

 

 もう一人の同級生は、通学中にトラブルに巻き込まれたようだ。

 

「じゃ、ちょっと出てくる」

 

「シロコちゃんがどうかしたんですか?」

 

「さあね。絡まれたのか絡みに行ったのか」

 

 砂狼シロコ。

 オッドアイの瞳と狼の耳が特徴の同級生は、アビドスにたむろする不良を見かけると襲い掛かる習性がある。

 

「俺一人の呼び出しだから、そんな問題はないと思うけどな」

 

「そうですか……いってらっしゃい、ヨモギくん」

 

 手を振るノノミにこちらも手を振り返し、俺はメールに添付されていた位置情報の場所へと急いだ。

 

 

 

 

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「またあの連中か……」

 

 廃墟が立ち並ぶその一角で、いくつもの銃声が乱雑に音を奏でている。

 フルフェイスのヘルメットに学生服、ジャージを着込んだ連中が、シロコと交戦している。

 手持ちの銃はAKを始めとしたアサルトライフル。

 普通、あの火力の連中に囲まれたら絶体絶命なのだが、そこはさすがシロコ。

 

「また一人倒したな」

 

 アビドスの廃墟街は行き慣れている俺たちからしてみれば、庭同然である。

 入り組んだ道を利用して敵を分散させ、各個撃破の戦法はお手の物だ。

 にしても、今日は一段とキレがいい。

 こうして観察している間にも、一人のヘルメットを撃破している。

 ……などと、いつまでも観戦しているわけにはいかない。

 戦況の把握はもう十分だ。

 数はあと7人。

 ここからは、俺も首を突っ込ませてもらおうか。

 

「一人」

 

 ショルダーホルスターから取り出したリボルバー「S&W M29」を抜き放つ。

 シリンダーがガチンと音を立てて回転した。

 

「ぐあっ!?」

 

 残弾5発。

 

「な、なんだ!?」

 

「二人」

 

 二発目の弾丸が吸い寄せられるように敵に命中し、その体を容易にブッ飛ばす。

 残弾4発。

 

「あぐっ!?」

 

「いたぞ! あそこだ!」

 

 敵のヘイトがこちらへと向いた。

 残った5つの銃口が一斉にこちらを向く。

 しかし、恐れることはない。

 

「アイツ、走ってきやがるぞ!」

 

「バカが! 蜂の巣にしちまえっ!!」

 

 アサルトライフルの連射能力は確かに脅威だ。

 一度その猛威に晒されてしまえば、意識を失うまで撃たれ続けるしかない───

 

「──当たれば、な」

 

 向けられる銃口の角度から、大体の射線はつかめる。

 あとは、そこに重ならない角度に体を滑り込ませるだけだ。

 ──視界が加速する。

 

「なんなんだよあいつ!?」

 

 避ける。

 避ける。

 避ける……襲い掛かる弾丸の全てを紙一重で避けきる。

 

「気づいているか?」

 

 俺に気をとられて、背後に対する警戒が疎かになっているぞ。

 

「──発射」

 

 静かに、そして強い戦意を持って込められた、聞き慣れた呟きをこの鼓膜が聞いた。

 滞空する物体は、シロコのドローンであった。

 放たれる二発のミサイルが、無防備な二人の敵の背中を焼いた。

 

「「うああっ!?」」

 

 残りは3人。

 混乱し、隊列を崩した敵に、もはや勝利の女神は微笑まない。

 俺とシロコに挟み込まれる形になった3人は、俺たちの射撃の前に膝を折った。

 シロコが歩み寄ってくる。

 

「遅い」

 

 その言葉には反論させてほしかった。

 

「言うなよ。これでも急いできたんだ。お前と違って自転車もないんだぞ」

 

「じゃあ買えばいい」

 

「俺の通学路はバスと決まってるんだよ」

 

「これでサイクリング仲間が増える」

 

「もしもーし? 話を聞いてやがりますかー? そのご立派な耳は飾りかい、シロコさん?」

 

「ん」

 

 ん、じゃねえ。

 

「……あれ?」

 

 シロコの後ろから見慣れない人影が近づいてきた。

 黒いバリバリのビジネススーツに身を包んだ男性は、人懐っこい笑顔でこちらに声をかけてきた。

 

「こんにちは。私はシャーレの先生。君がシロコの言っていた、狒々上ヨモギくんかな?」

 

 シャーレの先生。

 外からやってきた大人。

 凶暴、凶悪な犯罪者、狐坂ワカモをその戦略で退けたというやり手の人。

 アヤネの待ち人でもあるその男性は、俺の顔を優しそうな表情で見つめていた。

 




・狒々上ヨモギ
 アビドス高等学校2年生。
 黒髪の少年。
 戦闘では回転式拳銃、リボルバー「S&W M29」を愛用する。
 類まれな身体能力を宿しており、多少の人数ならば格闘で制圧することもできる。
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