アラタ   作:六塔掌月

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第一部・第一話

私の名はアラタ。死刑執行人を生業(なりわい)としている。私は日本に生まれ二十歳でこの職について以来、九年間で七人の命を屠(ほふ)ってきた。

 

私は都内のマンションから出かけて駅に向かい、新幹線に乗って東北の処刑場に向かう。控室(ひかえしつ)で私は仮面をかぶり、制服に着替えて、刑務官から呼ばれるのを待つ。そのころ同じ処刑場の別の控室では、囚人が最後の時を過ごしている。私は女性を処する専門の執行人だから、必然的に相手取る囚人は女性となる。女の死刑囚はこの日だけはどんな服でも化粧でも身につけることを許される。取り寄せた服を着て、渡された化粧品を顔に施(ほどこ)し、髪型をととのえて、彼女は死出の旅に出立(しゅったつ)するのだ。

 

囚人は大勢の見物人の前で自分を披露(ひろう)し、いよいよ金属製の器具に体を固定される。そこで首にかからないよう刑務官の手によって囚人の髪の毛が切られ、すべての準備をととのえてもらったところに、私が登場する。標的めがけて一気に斧を振り下ろすのだ。女の首は落ちて血が飛び散り、見物人たちは一斉にため息をもらす。

 

それが私の仕事だ。

 

☨☨☨

 

ハルという女とは、都内の喫茶店で開かれたささやかな読書会で出会った。インターネットで知り合った五人の男女が集まり、持ち寄った日本の詩人の作品をそれぞれが朗読して聞かせ合った。私はそこで有名な詩人のものをいくつか読み上げたのちに、ひとつだけ自作の詩を朗読した。

 

するとハルもそれに触発されたように自分でつくった詩を読み上げた。それは通りすがる街の景色を目に映るままに描写した作品で、即物的であるにもかかわらず作者のものをとらえる目がユニークであったから、優れて物語が感じられるものになっていた。

 

五人での集まりが終わり解散しても、私とハルだけは場所を変えて話を続けた。私はハルがつくったという他の詩も読ませてもらったが、それらはいずれも出来がよかったので、くりかえし私は彼女のことを褒(ほ)めたたえた。

 

私とハルはその日のうちにホテルへいき、幾度(いくど)も交わった。

 

事が終わり、穏やかな時間がおとずれて、我々はベッドに並んで横たわった。私はハルの裸の肩をなでながら素敵な体験の余韻(よいん)にひたっていた。彼女は髪の長い、痩せた、二十代半ばに見える美しい女だった。

 

そこでハルは昔から〝両腕のない女〟についてよく考える、と打ち明けた。

 

〝両腕のない女〟には両腕がない。正確には肩は残されており、そこから先がない。我々はその女が立って歩いているところを眺めるだけで、ある種の感銘に打たれてしまう。人間は普通歩くだけでも腕を上手に使って体のバランスを取っているという、人体に関する素朴な真理を我々は教わることになるのだ。〝両腕のない女〟は体の平衡(へいこう)を崩さないようにぴたりと上体を垂直に固定して、慎重に歩を進める。どんなときでもゆっくりと前へ進む。また、残された肩で上手にバランスを取りながら、左へ右へ方向転換をする。

 

ハルはホテルの室内で実際にその歩き方の真似をしてみせた。もちろんハルには両腕がある。けれどもそれは両腕のない不自由な、しかし器用な歩き方を連想させる動きだった。これもパントマイムの一種なのだろうか、と私は思った。もっともそれは存在しないものをまるで見えているかのように浮き立たせる演技というよりは、実在しているものを忘れさせる演技と言えた。

 

「どうしてそんなことができるの」

 

私が聞くと、練習したから、とハルは答えた。高校生のころ、放課後に友達に頼んで両腕を縛ってもらい、さまざまな動作をこころみたと言う。

 

私が無言でいるとハルは何かを察したのか、いじめじゃないよ、と言った。ハルは演劇部の友達と一緒にそれをやったらしい。彼女たちには別に何かの劇に出る予定があったわけでもなく、芸として披露するつもりもまったくなかった。それはただ純粋な知的好奇心の下におこなわれた探究だった。

 

ハルとその友達はまず、両手をがっちりと腰の後ろに固定するような縛り方を学ぶところから事を始めた。丈夫なロープを探し求め、店に足を運んで検分して買った。代金はもちろん半分ずつ出し合った。インターネットで縛り方を調査し、実際に相手にそれを施した。ハルの考えでは、わずかでも両手を動かすことができてはならない。そうしたら体のバランスの取り方に影響を及ぼすからだ。〝両腕のない女〟はあくまでも肩でのみ、歩行の際に平衡をつくるのだ。

 

有名な俳優が盲目の元軍人を演じた映画を私は思い浮かべたので、それを話題に挙げた。映画の中で、まるで彼は本当に目が見えていないかのように振る舞ったものだ。あまりにも自然な振る舞いであるため、観ていると、我々はそれが演技であるという事実を忘れてしまうのだった。

 

さて、縛り方を理解したあとは実際に修練が始められた。まず二人はただ歩くことに集中した。片方が縛られた状態で自宅の周辺や公園を歩く。もう一方はそれを後ろからついて歩き、観察する。場合によってはスマートフォンで動画を撮影する。あとでどんな動作をしていたかを振り返るためだ。不審に思った大人よりたずねられたら、これは部活の劇の練習であると嘘をついて切り抜けた。

 

やがて二人は自由に歩けるようになった。前へ進み、横へ曲がり、階段を昇り降りし、また立ち止まることができるようになった。次に何をすべきかを二人は決めようと思った。〝両腕のない女〟の生活についてハルは想像した。女もやっぱり普通の人と同じようにものを食べ、本を読み、夜になれば眠りにつくのではないか。

 

ならば次は立ち上がることだ、とハルは友達に宣言した。のっぺりと床に同化するように横たわっている状態から体を起こし、二本の脚のみで立ち上がること。それができなければ生活は不可能だ。

 

そこで私はたずねてみた。義手というものはないのかと。ハルはその問いに強く首を横に振った。〝両腕のない女〟は何百年も昔の人間で、人里から離れたところで生活しているから、義手などはないのだ。仮に義手をつくる職人がたずねてきたとしても、女はそれを拒否したことだろう。なぜなら女は一種の犠牲であり、神であったからだ。女は十四歳になったときに親から両腕を切断されて放逐(ほうちく)された。それ以来ずっと森で暮らしている。〝両腕のない女〟はある意味においては確かに必要とされている。〝排斥(はいせき)された者〟として村から求められているのだ。

 

そこまで話したところで二人とも眠くなった。私とハルは明かりを消し、布団をかぶって就寝した。

 

翌朝、我々はホテルのカフェで軽い食事をとってから別れた。連絡先はすでに交換してあった。

 

私はひとりで都内を散歩した。ホテルを出て最寄りの駅から東京駅に移動する。都内の小さな美術館まで歩き、中に入った。そこは赤煉瓦(あかれんが)を組んだ美しい壁と、縦に細長い窓の並んだ印象的な建物だった。展覧会が開かれていて、海外の有名な美術館からやってきた印象派の絵やゴッホの絵がそこに並んでいた。ゴッホの絵は迫力があっていい。実物と画集とでそれぞれに違った良さがある。シスレーの絵は、なぜだか私にとっては見るときどきによって印象が違う。良いと思うこともあるし、無個性なつまらない絵だと感じることもある。今日はつまらない方だった。でも全体としては展覧会は私の目を存分に楽しませてくれた。

 

私は隣にある中庭に移り、適当なところに座って道ゆく人たちを眺めた。樹々の葉と、梢(こずえ)の落とす、まだら模様の光陰(こういん)が私の心を休ませてくれた。季節は二月の後半でまだ肌寒かったが、太陽の光は温かった。

 

近くのビルに入り、そこの二階のフランス料理店に入った。席は空いていたのですぐに案内された。私は適当なランチのコースを頼んでからスマートフォンを眺めた。

 

食事を終えるとレストランを出た。私はしばらくその周辺をぶらついたあと、また東京駅に戻って列車に乗り、電気街へと移動した。駅前にある大型の家電量販店に入り、腕時計のコーナーをたずねる。私の好みは華美な装飾のものではなく、シンプルで優美なデザインだった。流れる時間にしたがって、まどかな時計盤の上を悠然(ゆうぜん)と回る針。完成された狭い額縁(がくぶち)の中で、絵はわずかな運動を伴ってみずからを映し出している。私はよっぽど欲しいと思ったが、何も買わずに自宅に帰ることにした。経済的に困ってはいなかったが、散財する癖がついてしまうのもよくないと思った。

 

処刑人の生活はこのように気ままなものだ。数百年前からあるその仕事はさまざまな歴史的経緯や厳しい試練に耐え抜いて、現在まで存続している。今、日本でこの職についている者は全部で四人いた。ただ死刑になる者は少ないのでなかなか仕事は回ってこない。だから私がやるべきことと言えば体を鍛えておくことと、国が用意した施設に定期的に赴(おもむ)いて斧を振るう練習をすることだけだった。他に義務と呼べるものは一切ないので、私はいつも暇をしていた。当日に執行を知らされる刑務官とは違い、処刑人だけは被告人の死刑が確定してからすぐに担当の報(しら)せを受ける。つまり執行までに猶予(ゆうよ)があるので、我々は日本のどこに住んでいてもよい身分だった。現実には私は都内のマンションに居を構えていた。

 

私は様々な機会をとらえてできる限りガールフレンドをつくるようにしていた。綺麗な女の人は好きだし、彼女たちと会って話をすると気持ちが浮き立つ。でも今は頻繁(ひんぱん)に会うような仲の相手がいなかった。長続きしたためしがないのだ。

 

だから私の頭はハルのことで占められていた。

 

☨☨☨

 

私の今の文学的テーマは視覚ということなんだ、と私はハルに語った。我々は前に泊まったホテルに再び部屋を取り、裸でベッドに寝転んでいるところだった。

 

「視覚」

 

「たとえばディケンズという作家は階段を徐々に上がってくるひとの様子を次のように描写したんだ」

 

私はそのために持ってきていた本を手に取り、開いて読み上げた。

 

「ポケット二世君の『すぐ』という概念は、わたしの『すぐ』という概念とはちがっていた。というのは、わたしは三十分あまりも外をながめ、窓のひとつひとつのガラスの埃(ほこ)りに自分の名をなんども書いて、もうすこしで気が狂(ふ)れそうになったとき、やっと階段に足音がしてきたからである。やがて、わたしの眼のまえに帽子があらわれ、首があらわれ、えり巻きがあらわれ、チョッキとズボンと靴があらわれ、ついにわたしとほぼおなじ身分の社会の一員があらわれた」

 

ハルは言った。「面白い」

 

「ディケンズはいつもふざけてるんだ。常にユーモアを織り交ぜる機会をうかがっている。彼はこうした描写が実に上手いんだ。そのスタイルはプルーストという作家にも引き継がれている」

 

ハルが可愛らしく首を傾げたので、私は説明した。

 

「彼の小説の主人公は恋人のアルベルチーヌにキスをする。そこでプルーストは徐々に自分の顔が相手の顔に近づいていく過程を描いた。その間に恋人の顔は視界の中ですこしずつ映像を変えていくだろう。彼はその接近の間に『十人のアルベルチーヌを見た』というのさ」

 

するとハルは何も言わずに私の上体をベッドに押し倒して、自分の腰まである長い髪をかきあげ、すべてを私の顔の脇に降ろした。艶(つや)やかな髪が滝のように降りかかり、外と内を区切る漆黒(しっこく)の壁となって私とハルの顔を内部に閉じ込めた。二人とも何も言わなかった。髪でできた麗(うるわ)しいドームの天蓋(てんがい)にはハルがいて、底には私がいてお互いを見つめていた。閉ざされた世界の中で二つのくちびるは徐々に近づいていき、やがてきっぱりと結び合わされた。

 

「どう? 十人の私が見えたかしら」

 

ハルがそう言うので私は笑って返した。十人が十人とも、みんな綺麗だったよ。

 

〝両腕のない女〟の話になった。腕を使わずに起き上がる方法や、物を食べたり酒を飲んだりする方法についてハルは語った。

 

「彼女は足の指で陶器のふちをつかむ」

 

ハルがそう言うので私はその姿を想像してみた。ひとりの女が床にじかに座り込み、あぐらをかいている。彼女は足とその指を器用にあやつって杯(さかずき)をつかみ、酒を飲む。

 

「それはきっと窪(くぼ)みがすこし深いだけの、平らな皿のような形状をしているんだろうね」

 

ハルはうなずいた。そうでないとつかみにくいはずだ。

 

しかし、つかんだ杯をどうやって口元まで運ぶのだろうか。私の疑問にハルは実践で応えてくれた。彼女はベッドから抜け出して床に座りこみ、あぐらをかいた。ハルはかがみこんで頭を下げると、右足を器用に持ち上げて足の指先を自分の頬につけた。

 

「体がとても柔軟(じゅうなん)だ」

 

私が驚き褒(ほ)めたたえると、ハルはまたベッドに戻ってきて横に並んでくれた。

 

やはりその女はひとりで酒盛りをするのだろうか、と私が問うと、ハルは私の手に自分の手を重ねてきて言った。

 

「〝両腕のない女〟はいつもひとりなの」

 

森の奥の家にいつもひとりでいる。

 

それからハルは押し黙ってぼうっとしてしまった。たぶん両腕のない女について何か考えているのだろう、と私は推(お)し量(はか)った。それか、学生時代に演劇部の友達との間であったことを。私はハルをそっと抱き寄せた。ハルがものを考える邪魔をしたくはなかったので、自分も黙っていた。それは決して悪い気分ではなかった。好きな女が自分の保護の下に安心して思考にふけっているところを眺め、また体を寄せ合っているのは。

 

我々はやがてもう一度交わってから眠りについた。

 

☨☨☨

 

翌朝、我々は目覚めてから部屋で水を飲み、ホテルを出た。私がデートに誘うとハルは了承してくれた。

 

我々は最寄りの駅から目的地の駅へ移動した。降りた駅の近くには個人経営の小さなコーヒーショップがあり、自家焙煎(じかばいせん)をしたさまざまなコーヒー豆が売られていた。その中は喫茶店にもなっていて、ホットプレスをした色んな種類のサンドイッチが食べられるのだった。我々はアイスコーヒーとともにチーズとハムをサンドしたものを食べた。

 

それからバス停でバスに乗って、植物園に向かった。途中で母娘(おやこ)がバスに乗り込んできて、娘が英語で何かを言い、母親の方が日本語と英語でそれに答えていた。たぶん英会話の勉強を復習していたのだろう。仲のよさそうな母娘に見えた。

 

我々は植物園の前でバスを降りて、チケットを二人分買って中へと入った。入って左手のすぐのところに建物があった。疲れたらいつでもここに戻ってきて休めるからそう言ってね、と私はハルに伝えた。彼女はうなずいた。

 

奥へと進んで梅が集まっている一角をおとずれた。どの木も花開いていて、まるで楽園のような素晴らしい光景が見られた。梅の花の色はさまざまだった。濃い紅色のものもあれば薄いピンクの花もあり、真っ白な梅もあった。

 

桃色の花弁をいくつも重ね合わせて優雅に広げた花が、等間隔に並んでいる枝を我々は発見した。それを写真にとって二人で共有した。その枝には中央のめしべが、生まれてきたことを言祝(ことほ)ぐように黄色い腕を外へと伸ばしているものあれば、まだ完全な開花にはいたっておらず、面紗(めんしゃ)のような花弁が芯を守るように全体を半分閉ざしているものもあった。私は先ほどバスで見た母娘のことを思い出した。美しさを誇る成熟した女性と、照れて顔をかくす幼い少女を連想した。

 

ハルの真っ黒で豊かな毛髪は、陽光と、埋もれるほどの花の中でとても映えて見えた。睫毛(まつげ)は長く、上を向いている。それとふっくらとした涙袋がハルの瞳の美しさを支えていた。私がその顔に見惚れていると、ハルは目をこちらに向けて、視線だけで何の用かとたずねてきた。

 

ここにある花を全部あなたに贈ることができたらいいのにな、と私はハルに語った。何を馬鹿なことを言ってるのかしら、と彼女は答えた。私は笑って言った。それだけ今のあなたは魅力的なんだ。

 

ハルは表情を変えなかったが、その視線は泳いでいた。私はその肩を抱き寄せたが、拒(こば)まれなかったところを見ると、たぶん彼女は照れているだけなのだと思う。

 

我々はしばらく植物園を歩いたあと、最初に案内した建物で休み、またバスで駅に戻った。

 

道中で、次はどこへいこうかと、ハルに相談した。何かあなたに贈り物をしたいな、と私は言った。ハルは遠慮したが、私はどうしてもと頼み込んだ。私はけっこうお金持ちなんだよ。お金の使い道に困っているぐらいなんだ。

 

「服以外なら」

 

仕方ないというようすでハルは言った。たぶんまだ二人の仲はそこまでではない、ということなんだろう。アクセサリーならいいかな、と私が言うとハルはうなずいてくれた。

 

それで私が銀座にある腕時計の専門店にいこうと言い出すと、ハルは嫌そうな顔をした。正確にはハルはまったく表情を動かさなかったのだが、視線の向きと沈黙で拒否の気配が伝わってきた。私は慌てて電気街の家電量販店にすると訂正した。あそこは雑然としていて、誰でも入れるような気楽な場所なんだよ。けっこう品ぞろえもいいし。

 

「ならそこにいきましょう」

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