アラタ   作:六塔掌月

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第一部・第二話

現代日本において処刑人がどのように選定されるのか、その正式な手続きを私は知らない。いずれにせよはっきりしているのは、私の親が何者かから依頼され、それを引き受けて自分の末子を次代の殺し屋に選んだことだ。

 

私には両親と、歳の近い兄と姉がいた。だが我々は家屋を分けて育てられた。私は七歳のときに離れに置かれるようになり、父やきょうだいと面会する際は仮面を取り付けることを要求されるようになった。

 

他者との身体的接触は厳しく禁じられた。すなわち私の手は穢(けが)れたものになった。禁をやぶって他者の衣服にさわってしまった場合は、それは何としても焼かねばならぬものとして取り扱われた。この掟(おきて)は手にふれる他の多くのものにも適用されて、たとえば食器などは一週間ごとにすべてが庭先で砕かれ、近くの山に捨てられることになった。穢れが蓄積し、呪物(じゅぶつ)として力を得るのを防ぐためだと私は親から聞かされた。

 

父親から体を鍛えられ、刃物の扱い方や斧の振り方を指南された。私は人間の体の構造について詳しい教えを受け、骨格に関する知識を深めた。すべては刑の執行のために必要なことだった。私は彼の前では仮面をつけたし、また彼も私と対するときは仮面をつけていた。そのような事態が十年以上もつづくうちに、やがて私は父の素顔をも忘れていった。

 

母親とは月に一度面会を許された。母の前でだけは私は仮面を外してもよいのだった。というより、まったくの裸であることを私は強制された。顔も乳房も性器も剥(む)き出しのまま、私は五メートルていどの距離を置いて母と対面させられた。それ以上近づいてはならないという決まりだった。母は常に私に優しかった。柔和(にゅうわ)な笑顔を見せ、私の体を気遣い、いつでも励(はげ)ましてくれた。彼女の優しさだけを頼りに、私は毎日を耐え忍んでいた。

 

学校にはいかなかった。だから一般常識も入念に教えられた。そのための教師が派遣されてきて、他者との接し方や、バスや電車の乗り方や、金銭にまつわる知識などを丁寧に教えてくれた。

 

処刑人になるには法律の知識も必要だった。そこでやはり法律に長けた者たちが送られてきて、私に教えを授けた。私は母の笑顔を想いながら懸命に勉強した。

 

十八歳のときに私は手術を受けさせられ、月経を奪われた。したがって私が今後の人生で子供を産むことは決してない。

 

二十歳になった。私は故郷を出て都会にいき、試験を受け、合格の報せを受け取り、意気揚々と実家に帰った。これで父も仮面を取ってくれる。お母さんとも服を着て対面できる。母は合格を祝い、娘のことを強く抱きしめてくれるはずだ。だってそのために私は今まで色んなことを我慢して、頑張ってきたのだから。お母さん!

 

違った。帰ってきた敷地には誰の気配もなかった。私はおそるおそる許可なしに本屋に上がったが、そこにあったのは居間のテーブルの上に置かれたひとつのメモ書きでしかなかった。そこには「もう二度と我々家族がお前に会うことはない」と明記されていた。彼らは引っ越し、この土地を去る。移る先が私に知らされることはない。メモ書きの最後には「仕事に励め」と父親らしき筆跡で一文が置かれ、結ばれていた。

 

それ以来私は仕事に実直に励んでいる。任されたいずれの斬首も手抜かりなく執行してきた。私生活も乱れていない。睡眠時間はいつも長く確保され、食事は適切な栄養バランスが保たれ、ジムへといき体を鍛えている。給料は多いので気晴らしに散財することもあるが、基本的にはほとんどが手つかずのまま銀行口座に蓄えられていた。そしてインターネットで知り合った女の人と会い、セックスをする。

 

尾形(おがた)阿羅多(あらた)は二十九歳の善良な日本人として毎日を生きていた。

 

☨☨☨

 

私とハルは逢瀬(おうせ)をくりかえした。我々は一週間に一度は会って遊びに出かけた。映画を見ることもあれば動物園や水族館に足を運ぶこともあった。贈り物は腕時計のようなアクセサリや本に限られたが、ハルは喜んでくれた。また、都内の大型書店とその隣にあるカフェの間を一日に何度も往復して買い物をすることもあった。本を探し求めて一緒にふらつき、歩き疲れたらカフェをたずね、休んだら再び本屋に戻ることをくりかえした。もちろん夜は食事のあとに肌を重ねた。濃密な一日。素敵な体験だ。

 

会うのは平日が多かった。ハルはもしかしたら働いていないのかもしれない。何にせよ仕事のことが二人の間で話題に挙がることはなかった。いつでも好きなものや趣味について話すか、話をしてないときはキスをして口を塞(ふさ)いでいた。

 

〝両腕のない女〟についてもよく話をした。夜間にベッドの上でのみ、その話は語られるのだった。

 

〝両腕のない女〟は喉が渇いたときは森の中を流れる小川の水を口に含む。女は屈みこみ、頭を水面に近づける。そのとき倒れて小川に体を突っ込まないように、体のバランスはしかと保たれる。女は実のところかなりの筋肉を備えているのだ。すなわち下半身の踏ん張りが利くので、前のめりになりすぎて川に落ちることはない。

 

ハルは高校生のころに演劇部の友達と実際にジムに通い、体を鍛えた。彼女たちは腹筋と背筋と、脚の筋肉を念入りに鍛えた。ハルはバレエを踊っている人のように膝から下の筋肉が盛り上がっていたが、それは若いころにつくり上げたものらしい。ハルはホテルの階段の上で実際にその「小川に顔を突っ込む」演技をしてみせた。両膝を床につき、両手を背中に回して組む。そして首を前方の下に突き出す。前のめりになっても、そばから見ていて不安感を抱くことがないくらいに、ハルの姿勢はしっかりと保たれていた。彼女は口を開けて喉を鳴らし、水を飲む演技までしてみせた。最後に首を元の位置に戻し、再び立ち上がる。

 

よくできたものだ。しかし私は安易に褒めることはしなかった。ただそばでうなずき、一言添えて、自分がちゃんと見守っているということをハルに伝えただけだった。なぜならその演技は気軽に「素晴らしい」とか「よくできるね」とか言われることを拒んでいるように見えたからだ。そこにあるのは思春期の女の子だけが持っているはずの、傷ついた焦燥と、混乱と、切望を含んだ心の再現だった。おそらくかつてのハルは心の中の嵐を鎮(しず)めるために、そのような架空の物語と人物を必要としたのだ。たぶんそれは演劇部の友達にも共感を引き起こすものだった。二人はタッグを組んで物語を構築し、現実にもその一部を実現させたのだ。泣いてばかりいた十代のころの私とは違う。

 

〝両腕のない女〟は、酒を飲むときは森の家でひとりで飲む。ハルはその動作を再現するために動画の配信サイトで柔軟性を上げるためのトレーニング動画を観て、勉強し、取り組んだ。器具は必要ないので、その体操は自室か友達の家で二人でやった。それでハルは足の裏を自分の顔につけられるまでになった。

 

だがそこから先に話が進むことはなかった。ハルは本来なら陶芸に取り組み、酒を飲むための陶器をつくりたかった。足の指でつかむにあたって、その形状がどんなものが最適であるかを探りたかったのだ。そして同じ柔軟性を手に入れた友達と一緒に奇妙な飲み会を開くつもりだった。床にじかに座り込んで相対し、あぐらをかき、足だけを使って酒を飲む。それはきっととても楽しい経験に違いない。二人だけの秘密。若い自分たちが酒の味に慣れるには時間がかかるかもしれないが。

 

二人は大学のための受験勉強に励みながら、入学後の計画についても色々話をしていた。まずアルバイトを頑張る。手に入れた金で陶芸を習う。たまに二人で旅行に出る。そういったことだ。

 

しかし大学の入学式の直後に友達は自殺した。原因は不明だった。それで物語は前に進むことなく止まってしまった。中断、中絶。どんな言葉でもかまわないが、そういうことになった。

 

そして今に至る。

 

私は何と言ったらいいかわからなくて黙ってしまった。重い沈黙は長いこと続いた。ハルはうつむいており、まるで魂が抜けてしまったかのようだった。

 

私はハルを無理やりにでも抱き寄せた。そして言った。

 

「私は死なないよ。絶対に死んだりしないから。いつまでもあなたのそばにいてあなたを守る。与えられるものは、どんなものでも捧(ささ)げるから」

 

ハルは何も言わなかった。彼女は静かに目から涙を流した。温かな滴(しずく)が私の裸の胸を打って濡らした。音というものを一切立てずにハルは泣いていた。無音の痛さが二人の肌に食い込み、骨にまで達していた。でもそれは必要な痛みだった。我々がお互いを理解し、次の段階に進むために捧げられるべき痛みだった。

 

☨☨☨

 

ハルがよく笑うようになった。彼女は私の自宅にやって来て、料理をつくってくれた。チキンのトマト煮や鱈(たら)のムニエルだ。

 

我々はテレビの前に座り、映画を観た。トールボーイ・スピーカーの前で大音量で音楽も聴いた。古い六十年代のロックをハルは気に入った。けれども私の好きなポストロックを彼女は気に入らなかった。それで私は拗(す)ねてみせたが、ハルは笑って私の頬を指先でつついて言った。「私の中では時間はゆっくり流れているの。新しいものに追いつけないのもそれのせいかも知れないわね。いつかはあなたのところにまでいけると良いと思う」

 

私は多くのプレゼントをハルに贈った。イヤリング。化粧品。香水。でも一緒に衣服の売り場をおとずれて服を選ぶことだけは拒まれた。ハルはたぶん自分の好きな格好をしていたいのだろう。彼女は地味な色のワンピースをよく着ていた。ハルならもっと綺麗な格好ができるのにな、と私は思っていた。ただ、それを口に出して言うのは避けておくことにした。そして彼女の横に並ぶ私もできる限り素朴(そぼく)な装(よそお)いをするよう努めた。白いシャツに青いジーンズ。

 

この人になら自分の正体を明かせるかもしれないな、と私は思った。今まで私は死刑執行人であることを他者に打ち明けたことは一度もない。私の手が穢れていることを知っているのは、どこかにいる私の元家族を除けば、一緒に仕事をする処刑場の職員たちぐらいのものだ。

 

四月の終わりに二件の仕事が入った。一度に二件というのは今までに体験したことがない珍しい出来事だった。対象となる二人の囚人は共犯で、しばらく前に死刑が確定していた。刑事訴訟法の第四七五条にもとづき、政府は六ヵ月以内にその執行を命令しなければならない。そして第四七六条にもとづき、命令から五日以内に執行がなされる。一九四九年に法律が施行されて以来、これらの規定が破られたことは一度もなかった。

 

私は執行の前日に処刑場のある町に赴き、そこに泊まった。処刑場は宮城県仙台市に建設されていた。翌日の午前と午後に処刑は二回遂行された。私はいつものように仮面をつけて人々の前に出て、真っ黒な鋼鉄製の斧を振りかぶり、死刑囚の首に叩きつけて斬り落とした。そして三十人ばかりの見物人たちに対してその首を掲げて示した。血塗られた仕事だ。肉体の鍛錬(たんれん)を綿密におこなった人間なら誰でもできる、しかし誰も引き受けたがらない仕事だ。私は午後も同じことをした。

 

私は執行のあとはいくつかの簡単な書類に署名と押印をして、その日のうちに東京の自宅に帰った。心が落ち込む。バスルームで私は幾度も自分の体を洗った。人の血や脂(あぶら)が自分の皮膚に染みついているのではないかと疑ったのだ。多分そんなことはないのだろう。でも私は私のことが嫌いだった。この世から自分が消えてなくなってしまえばいいのにとくりかえし考えた。ハルに逢(あ)いたかった。けれど、まだ逢えない。この心をかき乱す恐ろしい混乱が収まらない限りは、平静な自分を取り戻さない限りは、ハルには会えない。

 

祝日が近く、以前ハルとおとずれた植物園はその日には入場が無料になるとのことだった。インターネットでたまたまその情報を見て、私はひとりで植物園をたずねることにした。

 

五月の上旬だった。薔薇(ばら)園へいくとすでに半分ぐらいは開花していた。暖かな陽光と美しい花が私を出迎え、心を慰めてくれた。咲き誇るだけでよい生。そういうものになれたらな、と私は思った。たとえばハルのような綺麗な女性がこの地上にいなかったら、たぶんこの世はずいぶんと味気ないものになっていただろう。もちろん自分がそういう生き物になることがないというのは、とうの昔に私は理解していた。ならせめて、そのそばにいることだけはしたい。

 

ハル。

 

☨☨☨

 

七歳をさかいに他者との身体的接触を失った私にとって、セックスは貴重な愛情の源泉だった。女たちの肌にふれ、豊かな乳房をつかみ、まどかなヒップを撫でるだけで私の心はときめいた。でも一番私が好んだのは、単なる抱擁(ほうよう)だった。裸で向かい合って立ち、両腕で強く抱きしめ合う。あるいはベッドで私が下になり、恋人が上になって私に覆いかぶさるようにして抱擁する。そしてキスをする。これほど心が癒(いや)されることは他になかった。

 

同性を愛するようになったことに理由はなかった。ただ自然と綺麗な女の人に目がいくというだけの話だ。男に関心は持てない。そうしたことについて特に違和感を覚えたことはなかった。

 

ハルとのセックスは素晴らしいものだった。私は彼女との間で初めて達するということを覚えた。これまでに感じたことがない経験を与えてくれるハルに私は強く惹(ひ)かれた。彼女が心を開き、昔のことを話してくれるのがたまらなく嬉しかった。体を重ねるにつれて、ハルもまた私との情事から汲み出す官能を深いものにしていくようだった。それも私にとっては嬉しいことのひとつだった。自分という存在を承認してくれるような気がしたのだ。

 

梅雨がおとずれて、明けた。すぐに夏がやってきて太陽が我々を熱く照らした。ハルと私は二人で水着を買いに出かけ、都内のプールで泳いだ。食事をし、ホテルに泊まった。気に入った詩を朗読し合い、飽きたら二人でシャワーを浴びてキスをし、ベッドで身を重ね合った。牧歌的な生活をくりかえす。愛とは同じことの反復であり、けれども少しずつ違うことのくりかえしだった。

 

我々がさまざまなことを語り合う中で、やがて〝両腕のない女〟も生き生きとし始めた。女は森を隅から隅まで知悉(ちしつ)していた。女はあるとき森の奥の開けた場所をたずね、そこで花咲く植物の種を回収し、持ち帰って、自分の家の前の日が当たる場所に埋めた。翌年にそれは見事に花開いた。それは華美とは呼べないささやかな花ではあったが、女の心の大切な部分を満たしてくれた。物事は移り変わるものだ。しかしそれは同じことの、つまらぬことのくりかえしではなかった。時は円環を描きつつ、その位置を変えていく。我々は幸福へと至る道を探し出す。 

 

やがて秋が来た。私は決心を固めた。自分の正体を、すなわち死刑執行人という職業をハルに打ち明ける。同時に彼女のことをもっと教えてもらう。どこに住んでいるのか。年齢はいくつなのか。仕事はしているのか。そして本名は何て言うのか。私はハルに本名を告げていたが、彼女は私に教えてくれていなかった。今までずっとネットのハンドルネームで呼んでいたのだ。私はハルから断られるのが怖くて、教えてくれと依頼したことがなかった。でも二人の関係はそろそろ前へ進んでもいいころだ。今の私にはそういう手応えがあった。

 

「私の仕事は一年に一度あるかないかなんだ」

 

ハルがじっと私のことを見つめた。

 

「それ以外の日はずっと遊んでいていいんだ。給料もすごく良いしさ。失業する恐れもないんだ」

 

「優良物件なのね」

 

「そうだよ。もし私と一緒になる人がいたら、その人はきっと幸運だよね」

 

「そうかしら。あなたってけっこう子供っぽいし。同じ屋根の下に住むとしたら一年中あなたの遊び相手をしていないといけないわけだから、大変かも」

 

ハルがからかうように言ったので、私は傷ついた顔を見せた。

 

「私は好きな人とは四六時中、一緒にいたいんだ」

 

ハルは笑った。

 

「何の仕事なのかしら」

 

「今すぐには答えられないんだ。それはどちらかというと人から忌(い)まれる職種だから。打ち明けたらハルも少し驚くかもしれない。でも誓(ちか)って言うけど、悪事を働いているわけじゃないよ」

 

「尾形阿羅多は潔白であり、公正な仕事をしている」

 

「そうだよ」

 

「もし私があなたと一緒になったら、どんな生活が待っているのかしら」

 

そう言われると胸が少し高鳴った。

 

「今までと特に変わらないよ。気楽なものさ。買い物をして、遊びに出かけて。そうだ、旅行もしようよ。どこでもいい。あなたとどこか遠くにいきたいな」

 

ハルは微笑んで言った。

 

「何も生み出さない暮らし」

 

「別にいいじゃないか。一体この世界で、どれだけの人が有意義なものを産み出していると言えるだろう。難しいことは他の人に任せておけばいいさ」

 

「そうね。何かを産み出せば、人はそれに責任を持たなければならないし」

 

何の話だろう。

 

「親とか子供の話かな」

 

ハルは答えた。

 

「それも含めた、何でもよ。たとえば自分の心とかも」

 

「心?」

 

「人はいつも平静ではいられない。急に音が立てば心は驚きを産み出すし、人から怒鳴られれば悲しみをつくり出す。厄介(やっかい)なのは、そうした感情が全部、結局は自分自身から出てきたものだってこと。何でも私に結びついていて、その処遇を問われるの。忍耐。封印。あるいは……」

 

「つまり、あなたはいつも穏やかでいたいんだ」

 

私の指摘にハルはにこりとした。

 

「そうね。多分そうなんでしょう。できるなら、そのようにありたいものね」

 

あるいは、それはハルの出したかすかなサインだったのかもしれない。私はそれを無様(ぶざま)に見落としていたのかもしれない。

 

その会話の終わりに私はひとつの約束をハルとした。ちょうど一週間後に都内の高級レストランに昼食の予約をとるつもりだ。そこで我々の将来のことを話したいんだ。大切な話だよ。来てくれるよね。

 

ハルは了承した。しかし一週間後、彼女はレストランに来なかった。

 

ハルはその日の夜に殺人を犯した。かつての演劇部の友達の両親を手にかけ、次の日には友達の姉とその娘を殺害し、すぐに警察に自首した。

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