鎮守府に来てからしばらく経ち、業務にも少しずつ慣れてきたある日、備品の文房具や執務室の書類ケースのどが足りなくなっていることに気づき、街へ買い物に行くことにする。
大本営から支給されていた初期費用と、提督としての最初のお給料。
「せっかくだし、遠征の労いも兼ねて街で買ってきてよ!」という川内の提案で、街のショップに詳しい鈴谷が付き添いとして同行することになった。
街の文具店で必要な備品を買い終え、二人は賑やかな商店街を歩く。
「ねえねえ、提督!こっちの雑貨屋さん可愛いよ〜、見ていこうよ!」
「あ……うん、そうだね」
鈴谷は絵名の腕を軽く引いて、楽しそうに歩く。
コスメショップのカラフルなリップや、服屋のディスプレイに並ぶ秋物のトレンド服
それらを目にするたび、絵名の胸がキュッと締め付けられた。
(あ…あのリップ、かわいいなぁ...
___そういえば前に新作のリップが発売されて瑞希と『今度見に行こうよ!』って話してたのに……)
「あっ......」ふと、服屋のガラス窓に映る自分の姿が目に入る。
そこに映っていたのは、お気に入りの私服でも綺麗なドレスでもなく、大本営から与えられた無機質で動きやすい「提督指定の制服」を着た自分だった。
服なんてこれしか持っていないし、着替える余裕すら今までなかった。
(……あぁ、私……もうみんなとカフェにも行けないし、可愛い服を着て放課後に瑞希と遊ぶこともできないんだ)
突然襲ってきた猛烈なホームシックと現実感
「セカイ」の歪みに巻き込まれてここにいる自分、もう二度と元の日常に戻れないかもしれないという恐怖____
絵名は立ち止まり、唇を噛み締めてガラス越しに自分の姿を見つめ尽くしていた。
「…提督ちゃん?」
前を歩いていた鈴谷が振り向く。
絵名がどこか遠い目をして、寂しそうに自分の服を見つめていることに気づいた鈴谷は、すっと絵名のもとへ戻ってきた。
「‥そっか。提督ってまだその服しか持ってないもんね、女の子なんだもん。お洒落したいよね...」
「え……っ、あ、ううん! 違うの、ただ……」
慌てて誤魔化そうとする絵名の手を、鈴谷がぎゅっと握りしめる。
「ううん、ううん。ガマンしなくていいよ!提督はお給料もらったんでしょ? 備品のお金とは別に自分の服、買いに行こ!」
「えっ!? で、でも…私は提督だし、こんな贅沢…」
「提督である前に、女の子じゃん!!ほら、あたしに任せてよ!」
強引に引っ張られたのは、若者向けの小さなセレクトショップだった。
鈴谷は店内を楽しそうに動き回り、「これ提督ちゃんに似合いそう!」「こっちのブラウスも可愛くない!?」と次々に服をあわせてくれる。
___その姿が少し瑞希に似ているように感じて微笑ましく思ってしまう。
「ほら、着てみて!」
押し出されるように試着室に入り指定の制服を脱いで、鈴谷が選んでくれた柔らかいアイビーグリーンカラーのブラウスと、ブラウン色のスカートに袖を通す。
鏡の前に立つと、そこには少しだけ「元の世界の東雲絵名」に戻ったような自分の姿があった。
試着室のカーテンを開けると、鈴谷がパッと目を輝かせる。
「うわぁ……やっぱり!めっちゃ可愛い!提督ちゃん!すごく似合ってるよ!」
「…ホント? 変じゃない‥‥‥?」
「変なわけないじゃん!めっちゃ似合ってる! …ねえ、それ買おうよ!これからはお休みの日は、それ着て鎮守府で過ごせばいいじゃん!」
鈴谷の屈託のない笑顔と褒め言葉に絵名の胸の奥の冷たい塊が、少しずつ溶けていくのを感じた_____
自分の私服と、文具店で買った紙袋を抱えて歩く絵名に鈴谷がニヒヒと笑いながら並んで歩く。
「鈴谷、ありがとう。付き合ってくれて」
「いいえ〜!あたしも楽しかったし!ねえ、提督ちゃん」
「ん?」
「あたしのこともさ、そろそろ鈴谷って呼び捨てで呼んでくれてもいいんだよ? 『鈴谷さん』って、なんか距離感じちゃってさ〜」
鈴谷が少し悪戯っぽく微笑みかける。
絵名は驚いたように目を見張り、
それから——今日一番の笑顔を浮かべた。
「…ふふ、分かったわよ。ありがとう__鈴谷」
「うん! よろしくね、提督!」
街の夕暮れの中、ガラス越しの寂しさを乗り越えて、絵名はまた一つ、この世界での大切な居場所を手に入れたのだった。