東雲の海に、君は筆を執る   作:とばりん

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29話 提督の素顔

 

 

 

決戦を無事に乗り越え

束の間の平穏が訪れた鎮守府

 

 

連日の書類仕事に追われる絵名は、ここ数執務室に籠もりっきりの日が続いていた。

 

 

 

 

 

「ちょっと、あんた達!給湯室で何やってるのよー!」

 

 

 

 

 

 

 

怒鳴り声とともに厨房のドアを開けたのは満潮だった。

 

中には艦娘たちがエプロンを着けて大騒ぎしている。

 

 

 

「あ、満潮!ちょうどいいところに、

提督に差し入れするお菓子作ってますヨ!」

 

金剛がボウルとホイッパーを手に、ニコニコと笑顔で手を振る。

 

 

 

「はぁ!?お菓子ぃ!?」

 

「うん!阿武隈ちゃんがね、提督ちゃんの手帳からスイーツ店の特集の紙切れが見えたって教えてくれたの。疲れてる提督を元気付けようと思ってさ!」

 

鈴谷がウキウキと説明する。

見れば、鈴谷の手元には色とりどりのフルーツ綺麗に並べられていた。

 

「見て見て!盛り付けはあたしに任せて!

味だけじゃなくて、見た目も『映え』ないとテンション上がらないでしょ?」

 

 

 

「へぇ、なんか楽しそうなことやってんじゃん!アタシも混ぜてよ!」

天井にぶら下がっていた川内が、身を乗り出して覗き込んでくる。

 

普段はお菓子作りに一切興味がない川内だが、みんなでワイワイやっている空気に惹かれたらしい。

 

 

「川内さんは生地を混ぜるの手伝ってください!あ、でも力任せに混ぜすぎちゃダメですよー!」

阿武隈が焦ってフォローに入る。

 

 

そんなワチャワチャした様子を、金剛が「オー、賑やかでいいデスねぇ」とお姉さんらしく温かい目で見守っていた。

 

だが、満潮の目がその奥で固まっている『ある人物』に留まる。

 

 

 

「……ちょっと加賀さん、あんた何やってんの……?」

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

弓を握れば百発百中、どんな任務も完璧にこなすはずの加賀が真剣な眼差しで計量カップと小麦粉を見つめ、全身粉まみれになってフリーズしていた。

 

 

 

 

「……計量を一グラムでも誤ると、膨らみに影響が出ると聞きました。繊細すぎます、お菓子作りというものは……」

 

 

 

「手元がガチガチじゃないのよ!あんた戦場より緊張してどうすんの。

はぁぁぁ、しょうがないわね!アタシが手伝うわよ、どきなさい!」

 

 

 

結局、文句を言いながらも一番腕まくりをしてテキパキと仕切り始める満潮。

 

 

阿武隈の目撃情報を元に、絵名が大好きな「パンケーキ」と、本格的な「チーズケーキ」の二種類を作ることになったのだ。

 

 

 

 

 

 

_________

 

「はい、どうぞ。みんなで作ったの」

 

 

執務室のデスクに、豪華なプレートが置かれた。

焼きたてでふんわりと湯気が立つパンケーキとしっとりとしたチーズケーキ。

 

鈴谷によって可愛らしく盛り付けられた一皿だ。

 

 

 

 

「え、 みんなで……?」

 

 

疲れた顔で書類に向かっていた絵名は目を丸くする。

後ろからは金剛や川内、鈴谷、さらには粉を綺麗に拭き取った加賀や阿武隈たちがぞろぞろと覗き込んでいた。

 

 

 

 

「冷めないうちに食べなさいよね!」

 

満潮に促され、絵名はフォークを取ると

まずはパンケーキを一口大に切って口へ運んだ。

 

 

その瞬間——

 

 

 

「おいしいっ……!」

 

 

絵名の目がぱあっと輝き、頬がぽっと赤く染まった。

普段の提督としてのキリッとした顔はどこへやら、完全に年相応の女の子の顔になっていた

 

 

続いてチーズケーキをパクリと食べると、「んん〜っ……!」と幸せそうに顔をほころばせる。

 

 

「すごく美味しい!!私、パンケーキもチーズケーキも本当に大好きなの……っ!」

 

 

口いっぱいにケーキを頬張り、本当に嬉しそうに微笑む絵名。

 

 

 

 

その無邪気で愛らしい姿に、見守っていた艦娘たちは思わず息を呑んだ。

 

 

 

「...可愛い……)

 

鈴谷がぽつりと漏らす。

 

 

(私たち、提督のこと全然知らなかったんだな)

満潮も、川内も、金剛も、加賀も。

 

 

自分たちを守るために必死で「強い指揮官」になろうとしていた絵名がこんな風に素直に笑い、自分の「好き」を素直に表現できる女の子だったのだと初めて知ったのだ。

 

 

 

 

「ふふ、提督。お口についていますよ」

 

加賀がそっとハンカチで絵名の口元を拭うと、絵名は「ふぇ!?あ、ごめん...っ」と顔を真っ赤にして慌てて手帳で顔を隠した。

 

 

 

 

そのギャップに、執務室は温かい笑い声に包まれる。

端で見つめていた阿武隈も、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

 

 

 

(この笑顔を守りたいな。この温かい場所に、ずっといたいな……)

 

 

 

 

阿武隈はそう強く心に誓う。

 

 

 

 

 

大本営からの命令も、自分の秘められた役割も、この瞬間だけはすべて忘れ去りたいと思うほどに——。

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