(・・・ダメ。やっぱり、描けない)
絵の具の匂いすら、今の私には刃物みたいに刺さる。
描きたいのに「描けない」のだ
そんな自分の不甲斐なさと焦りを打ち消すように、私は逃げるように提督としての観察メモばかりを書き留めていた。
ふと、ノートの端に挟んでいた小さな写真を指先で撫でる。
ニーゴのみんな奏、まふゆ、瑞希と一緒に過ごしたあの空間の写真だ
(みんなは今、どうしてるかな……。私、急にいなくなって、心配かけてるよね...)
ここにいるみんな、最初は頼りない私を不審がっていたけれど必死にしがみつく私を、少しずつ提督として認め始めた。
それが心から嬉しい。
...嬉しいからこそ、胸の奥がぎゅっと痛む。
もし、「私はこの世界の人間じゃない。いつか消えて戻ってしまうかもしれない」なんて本当のことを言ったら、みんなはどんな顔をするんだろう。
——その瞬間、頭の中にパッと瑞希の顔が浮かんだ。
(あぁ…瑞希も、こんな気持ちだったんだ……)
可愛い服を着て、誰よりも優しく笑う瑞希。
けれど、自分が男の子であることを明かせず
いつかこの居場所や信頼が壊れてしまうんじゃないかって、ずっと一人で怯えていた瑞希。
『秘密を抱えて、でも信頼が壊れるのが怖いから伝えられないでいる』
瑞希の痛みが、冷たい波みたいに胸に押し寄せてくる。
「なんでも話してよ」なんて言っていた自分が恥ずかしかった。
大切な存在になればなるほど__
壊したくない居場所が増えれば増えるほど___
本当のことなんて言えなくなってしまうんだ。
「……ねえ、阿武隈さん」
「はい?」
「もしね…絶対に帰らなきゃいけない『自分の場所』があるのに、ここにいる時間が愛おしくなっちゃったらどうすればいいと思う?
口にしてから、しまったと思った。
けれど、瑞希の孤独に触れた反動で、一度溢れた言葉はもう止まらなかった。
「私ね……本当は、この世界の人間じゃないの」
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「私ね……本当は、この世界の人間じゃないの」
その言葉が執務室の空気に溶けた瞬間、私の思考は真っ白に染まった。
焦って顔を蒼白にし、自分の口を押さえて震える東雲提督。
その痛々しいほどの動揺を見て、私の胸に走ったのは驚きだけではなかった
凄まじい波のような、切ない共感だった。
(…ああ。この人も・・・だったんだ)
大本営からの命を受け、「査定役」という名のスパイとしてこの鎮守府に送り込まれた私。
みんなが温かく迎え入れてくれればくれるほど、胸の中で黒い罪悪感が渦巻いていた。
誰にも言えない秘密を抱え、本当の自分を偽って笑う苦しさ。
______東雲提督も同じだったのだ
みんなから信頼され、
愛されるほどに
「自分は異世界の人間だ」という秘密が膨らみ、一人で押し潰されそうになっていたのだ。
大切な仲間だからこそ、
嫌われたくなくて言えない。
失うのが怖いからこそ、
本当の姿を隠してしまう。
(私と同じ…ううん、私以上に繊細な心で、この人はずっと耐えていたんだ……)
「ご、ごめん!今の、忘れて!私、変なこと言った……っ!」
必死に言葉を撤回しようとする彼女の姿に、私は静かに一歩を踏み出した。
「提督」
私は深々と頭を下げた。
「今の言葉、私は誰にも言いません。
絶対に、私の胸だけに仕舞っておきます
だから……どうかご自分を責めないでください」
「阿武隈さん……?」
顔を上げた提督の瞳には、大きな戸惑いと怯えが浮かんでいた。
私は、彼女の傷を少しでも包み込めるように
精一杯の言葉を紡ぐ。
「提督がどこから来られた方であっても...今、私たちを必死に守ろうとしてくださっている提督が『本物』であることに、変わりはありませんから」
それは、秘密を明かしてくれた提督への心からの救いの言葉だった。
そして同時に——
スパイとしてここに潜り込んでいる自分自身を肯定するための、あまりにも悲しい免罪符でもあった。
「……ありがとう、阿武隈さん」
泣きそうな笑顔で胸を撫でおろす提督を見て
私の心は固く決まった
(大本営がこの人をどう評価しようと関係ない。私は、この人の秘密もこの人が守ろうとしているこの鎮守府も、絶対に裏切らない)
お互いに本当の秘密を隠したまま私たちは静かな夜の部屋で、確かにお互いの孤独を分け合っていた。