東雲の海に、君は筆を執る   作:とばりん

32 / 36
30話 秘密の鏡像

 

 

 

(・・・ダメ。やっぱり、描けない)

 

 

絵の具の匂いすら、今の私には刃物みたいに刺さる。

 

 

 

描きたいのに「描けない」のだ

そんな自分の不甲斐なさと焦りを打ち消すように、私は逃げるように提督としての観察メモばかりを書き留めていた。

 

 

 

ふと、ノートの端に挟んでいた小さな写真を指先で撫でる。

ニーゴのみんな奏、まふゆ、瑞希と一緒に過ごしたあの空間の写真だ

 

 

(みんなは今、どうしてるかな……。私、急にいなくなって、心配かけてるよね...)

 

ここにいるみんな、最初は頼りない私を不審がっていたけれど必死にしがみつく私を、少しずつ提督として認め始めた。

 

 

それが心から嬉しい。

...嬉しいからこそ、胸の奥がぎゅっと痛む。

もし、「私はこの世界の人間じゃない。いつか消えて戻ってしまうかもしれない」なんて本当のことを言ったら、みんなはどんな顔をするんだろう。

 

 

 

 

——その瞬間、頭の中にパッと瑞希の顔が浮かんだ。

 

 

 

(あぁ…瑞希も、こんな気持ちだったんだ……)

 

 

 

 

 

 

 

 

可愛い服を着て、誰よりも優しく笑う瑞希。

けれど、自分が男の子であることを明かせず

いつかこの居場所や信頼が壊れてしまうんじゃないかって、ずっと一人で怯えていた瑞希。

 

 

『秘密を抱えて、でも信頼が壊れるのが怖いから伝えられないでいる』

 

瑞希の痛みが、冷たい波みたいに胸に押し寄せてくる。

「なんでも話してよ」なんて言っていた自分が恥ずかしかった。

 

 

 

 

 

大切な存在になればなるほど__

 

壊したくない居場所が増えれば増えるほど___

 

 

本当のことなんて言えなくなってしまうんだ。

 

 

 

「……ねえ、阿武隈さん」

 

「はい?」

 

 

「もしね…絶対に帰らなきゃいけない『自分の場所』があるのに、ここにいる時間が愛おしくなっちゃったらどうすればいいと思う?

 

 

 

 

口にしてから、しまったと思った。

 

けれど、瑞希の孤独に触れた反動で、一度溢れた言葉はもう止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私ね……本当は、この世界の人間じゃないの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

__________________

 

 

 

 

「私ね……本当は、この世界の人間じゃないの」

 

 

 

 

 

 

その言葉が執務室の空気に溶けた瞬間、私の思考は真っ白に染まった。

 

焦って顔を蒼白にし、自分の口を押さえて震える東雲提督。

 

その痛々しいほどの動揺を見て、私の胸に走ったのは驚きだけではなかった

凄まじい波のような、切ない共感だった。

 

 

 

(…ああ。この人も・・・だったんだ)

 

 

 

 

大本営からの命を受け、「査定役」という名のスパイとしてこの鎮守府に送り込まれた私。

 

みんなが温かく迎え入れてくれればくれるほど、胸の中で黒い罪悪感が渦巻いていた。

誰にも言えない秘密を抱え、本当の自分を偽って笑う苦しさ。

 

 

 

 

______東雲提督も同じだったのだ

 

 

 

 

 

 

みんなから信頼され、

愛されるほどに

「自分は異世界の人間だ」という秘密が膨らみ、一人で押し潰されそうになっていたのだ。

 

 

 

大切な仲間だからこそ、

嫌われたくなくて言えない。

 

失うのが怖いからこそ、

本当の姿を隠してしまう。

 

 

 

(私と同じ…ううん、私以上に繊細な心で、この人はずっと耐えていたんだ……)

 

 

 

 

 

 

 

「ご、ごめん!今の、忘れて!私、変なこと言った……っ!」

 

 

 

必死に言葉を撤回しようとする彼女の姿に、私は静かに一歩を踏み出した。

 

 

「提督」

私は深々と頭を下げた。

 

「今の言葉、私は誰にも言いません。

絶対に、私の胸だけに仕舞っておきます

だから……どうかご自分を責めないでください」

「阿武隈さん……?」

 

 

 

顔を上げた提督の瞳には、大きな戸惑いと怯えが浮かんでいた。

私は、彼女の傷を少しでも包み込めるように

精一杯の言葉を紡ぐ。

「提督がどこから来られた方であっても...今、私たちを必死に守ろうとしてくださっている提督が『本物』であることに、変わりはありませんから」

 

 

 

それは、秘密を明かしてくれた提督への心からの救いの言葉だった。

 

 

そして同時に——

 

 

 

スパイとしてここに潜り込んでいる自分自身を肯定するための、あまりにも悲しい免罪符でもあった。

 

 

 

「……ありがとう、阿武隈さん」

 

泣きそうな笑顔で胸を撫でおろす提督を見て

私の心は固く決まった

 

 

(大本営がこの人をどう評価しようと関係ない。私は、この人の秘密もこの人が守ろうとしているこの鎮守府も、絶対に裏切らない)

 

 

 

 

 

 

お互いに本当の秘密を隠したまま私たちは静かな夜の部屋で、確かにお互いの孤独を分け合っていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。