東雲の海に、君は筆を執る   作:とばりん

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36話 日常のグラデーション

 

 

激戦の翌朝_________

 

 

 

鎮守府を包んでいたのは、驚くほど澄み渡った秋晴れの空だった。

 

 

大本営査定艦隊の主砲がかすめたことで

鎮守府の2階渡り廊下の屋根は派手に崩落し

中庭のレンガ壁には大きな亀裂が入っている。

 

 

本来なら、鎮守府解体の危機を乗り越えた直後の重苦しい現場になるはずだった。

だが——中庭に響いていたのは、怒号でも悲鳴でもなく呆れるほど賑やかな「喧噪」だった。

 

 

「ちょっと川内!瓦礫運ぶなら前見て歩きなさいよ! 煙で服が汚れるじゃない!」

 

「いいじゃんいいじゃん!筋トレだよ筋トレ! ほら満潮、そんなへっぴり腰じゃ材木持ち上がらないよ〜?」

 

「なっ……!私は駆逐艦だけど、これくらい持てるわよ!馬鹿にしないで!」

 

 

満潮が顔を真っ赤にして材木を抱え上げれば、川内はゲラゲラと笑いながら瓦礫の山を飛び越えていく。

その横では、阿武隈が「あ、あの、あまり無理をすると腰を痛めますからっ」と慌ただしく右往左往し、鈴谷が「阿武隈ちゃん、力仕事は金剛さんに任せちゃいなよ〜」とからかうように笑っていた。

「ヘイ! カモンデース!このくらいの瓦礫、ワタシのパワーにかかれば朝飯前ネ!」

 

 

ドカンと豪快に岩を持ち上げる金剛の姿に

加賀が小さく息を吐きながらも、どこか柔らかい手つきで散らばった木片を片付けている。

 

 

誰一人として、俯いている者はいなかった。

汗と泥、そして黒煙の煤に塗れながらも、

彼女たちの表情にはどこか晴れやかで、生き生きとした笑みが浮かんでいる。

 

 

 

 

 

以前のような、「いつ捨てられるか分からない」という冷たい緊張感は、もうこの鎮守府のどこにも存在しなかった。

 

 

 

 

2階の執務室。

 

 

その窓辺で、絵名は腕を組み下で繰り広げられる作業風景を見下ろしていた。

 

 

(みんな……あんなにボロボロになって作業してるのに)

 

肘をつき心地よい秋風に髪を揺らせながら

絵名はぼんやりとその光景を見つめる。

 

 

ふと、胸の奥がキュッと締め付けられるような、温かい感覚が込み上げてきた。

 

 

 

 

(……なんか、デジャヴだな)

 

 

 

脳裏に浮かんだのは、向こうの世界での

なんてことのない放課後の情景だった。

打ち上げと称して集まったいつものファミレス。

 

 

 

くだらない冗談を言ってニヤニヤ笑う瑞希。

それにカッとなって「ちょっと瑞希!馬鹿にしてんじゃないわよ!」と言い返す自分。

すると、向かいで冷たいお茶を飲んでいたまふゆが、底の知れない瞳でポツリと「……絵名、うるさい」と言い放つ。

「なんで私だけに言うのよ!?最初に煽ってきたのは瑞希でしょ!?」と憤慨する自分を、隣で奏が困ったように、けれどどこか嬉しそうにフフッと微笑みながら眺めている——。

 

 

 

みんなと過ごす、

何気なくて、

騒がしくて、

愛おしい日常。

 

 

 

特別におしゃれをしたわけでもない、

作られた笑顔でもない。日常の中に溶け込んでいる「本当の表情」。

 

あの空間が、自分にとってどれほど心地よく

大切だったか。

 

 

向こうの世界にいた頃、絵名は作業の合間に

ファミレスで笑い合うニーゴの仲間たちの姿をそっとスケッチブックに留めていたのだった。

 

 

 

だが、この世界に落ちてきてからというもの

絵名は一度もペンを握ることができていなかった。

 

 

大本営からの圧力、いつ死ぬかもしれない艦娘たちへの責任感

そして「上手く描かなければ存在価値がない」という過去のトラウマ——。

 

 

 

絵を描くことが、いつの間にか恐怖とプレッシャーに変わっていたからだ。

 

___けれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あ」

 

 

 

 

 

 

 

下で、満潮が材木を落としそうになり、それを阿武隈が慌てて支え、二人して盛大にすっ転んでいる。

それを見て大爆笑を起こす川内と、

呆れ果てて額を押さえる加賀。

起こそうと二人に向かっている金剛、

タオルを持ってきてくれる鈴谷が。

 

 

 

飾られた綺麗さなんかじゃない。

 

傷つき、泥に汚れ、それでも一生懸命に今日という日を生きている彼女たちの輝かしい

本当の表情。

 

 

 

 

 

(.......残したい)

 

 

 

 

 

義務でも、評価のためでもない。

 

 

ただ純粋に、この愛おしい瞬間を自分の手で留めたいという衝動が身体の奥底から噴き出してきた。

 

 

絵名は脱兎のごとく机へ駆け寄ると引き出しの奥深くに置いてあるスケッチブックと一本の

鉛筆をひっつかんだ。

 

 

 

 

バッと窓辺に戻り、スケッチブックを開く。

 

 

 

「……っ」

 

 

鉛筆を握る手が微かに震えていた。

だがそれは恐怖からではない。

 

溢れ出す情熱を抑えきれない興奮の震えだった。

 

紙の上に、鉛筆の芯が走る。

 

 

サラサラ、サラサラサラ……

 

 

 

紙と鉛筆が擦れ合う心地よい音が、秋空に溶けていく。

迷いなんて最初からなかった。

 

 

 

 

跳ねるような川内の躍動的なシルエット。

 

意地っぱりで、でも仲間思いな満潮の背中のライン。

 

改二となって覚醒しどこか凛としながらもドジを踏んでいる阿武隈の柔らかさ。

 

包み込むような笑顔を向けてくれる金剛の表情。

 

会話を盛り上げてくれて場を明るくする誰にでも優しい鈴谷の身振り手振り。

 

そして、

それらを静かに、けれど温かい眼差しで見守る加賀の佇まい。

 

 

 

 

 

一筋の線を引き、影を落とすたび

紙の上に彼女たちの「命」が吹き込まれていく。

 

 

 

 

この時の絵名の瞳には、提督としての重圧も

自分の才能に苦悩する陰りも一切なかった。

 

 

ただ目の前の世界を愛おしそうに捉え、

輝きを放つ——純粋な

 

 

 

 

 

 

「絵描き 東雲絵名」の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

作業の合間、汗を拭おうと立ち上がった加賀がふと上空からの強い視線を感じて顔を上げた。

 

「……提督?」

 

 

 

2階の執務室の窓辺。

 

 

そこには身を乗り出すようにしてスケッチブックに向かい、一心不乱に鉛筆を走らせている絵名の姿があった。

 

 

その横顔は、陽光を浴びてキラキラと輝いていた。

 

 

 

 

「え、なになに〜?提督ちゃんどうかしたの?」

鈴谷が加賀の視線を追って見上げ、目を見開く。

 

「あ……絵名さん、何か描いてる?」

阿武隈が気づき、手を止めた。

 

「ちょっと、まさか私たちのこと描いてるんじゃないでしょうね!?」

満潮がハッとして自分の姿を見下ろす。「ヤダ、私こんな煤だらけで……! もっと可愛い時に描きなさいよ!」

「静かにしなさい、満潮」

加賀が静かに、だが強い言葉で満潮の制服の首根っこを掴んで制した。

 

「……邪魔をしてはいけません。今の提督の邪魔は」

 

一人、

また一人と、

作業の手を止めて下から見上げる艦娘たち。

 

金剛も、川内も、大淀までもが静かに中庭に立ち尽くし、2階の窓辺で夢中になっている絵名を見つめていた。

 

 

当の絵名はと言えば、完全な集中力で

下からの視線にまったく気づいていない。

 

 

ただひたすらに、、、

眩しそうにみんなを見つめ、真剣な眼差しで紙に向かい続けている。

 

その瞳の輝きがあまりにも綺麗で美しくて。

見上げている艦娘たちの胸に、温かい塊がこみ上げてくる。

 

 

 

 

「…いい目をしてるネ。私たちの提督は」

金剛が、愛おしそうに目を細めて呟いた。

 

 

 

「……ええ」

加賀が静かに頷く。

「あの方が、本当はどれほど繊細で、どれほど深い愛を持って私たちを見てくれているのか

あの眼差しが、すべてを物語っています」

 

 

 

 

 

かつて大本営から「道具」として扱われ

絶望の淵にいた彼女たち。

 

けれど今、彼女たちは一人の少女の「想い」によって命を吹き込まれ、その純粋な瞳の中に、確かに自分たちの居場所を見出していた。

 

 

秋風が吹き抜け、ガヤガヤとした中庭に温かい沈黙と微笑みが広がっていく。

 

 

 

 

 

 

絵名が走らせる鉛筆の音だけが、眩しい日差しの中で、いつまでも優しく響き続けていた。

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