夕暮れの波止場。
満身創痍で帰着した川内たちは、港の埠頭に立つ「人影」を見て思わず足を止めた。
「……は? なに……あれ……」
満潮が目を見開く。
そこにいたのは、肩で息をしながら息を切らせ目を真っ赤に腫らした絵名だった
歴代の提督たちは、戦いから戻った艦娘を港で迎えることなんて一度もなかった。彼らにとって彼女たちは「帰ってきて当たり前の兵器」であり、出迎える価値などない存在だったからだ。
だからこそ、走ってきた絵名が自分たちの前に辿り着くなり、開口一番に放った言葉に全員が言葉を失った。
「ハァ……ハァ……っ! みんな……っ! 怪我は……!? 痛いところはない!? 大丈夫!?」
「……っ!? あ、アンタねぇ……! そんな顔して、なんなのよ突然……!」
「私!? 私の顔なんてどうでもいいでしょ! 満潮、その腕……っ、服が破れて血が…!」
自分の身なりなんて完全にお構いなしで、絵名は満潮の手をそっと取り、傷口を覗き込んでパニックになりかける。
ほんの少し戦術書を叩き込んだだけの素人だからこそ、痛々しい擦り傷や焦げ跡を見ただけで「どうしよう、痛いよね」と自分のことのように顔を歪めて心配するのだ。
「提督。私たちの傷は『入渠』すれば治ります
そこまで取り乱すことではありません」
加賀が静かに諭すように声をかけるが、絵名はぐっと唇を噛みしめて加賀を見上げた。
「入渠すれば治るとしても!痛かったのは本当でしょ!?私が……私がもっと上手く指示出せてたら、こんな怪我させずに済んだのに……っ」
悔しそうに拳を握りしめる絵名。
その言葉に、加賀は言葉を詰まらせた。
(この人は、自分の立てた作戦で私たちが無事に帰れたことではなく、私たちに怪我をさせてしまったことを悔やんでるの...?)
「、、バッカじゃないの」
満潮はプイッと顔を背けた。だが、掴まれた腕を振り払うことはしなかった
「……勝ったんだから、少しは威張りなさいよ。……下手くそのくせに」
ボソッと呟かれた満潮の言葉に、川内がニカッと笑い、金剛が嬉しそうに絵名の背中をバシッと叩く。
「さあ提督! 反省会は後デス! まずは私たちを温かいお風呂へ案内してくだサーイ!」
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「……あ、あのさ……!なんか手伝えること、ない……?」
入渠ドックの脱衣所の前で、絵名はモジモジと指をこねくり回しながらオロオロしていた
服を脱ごうとしていた満潮が、信じられないものを見るような目で絵名を振り返る。
「はぁ!? アンタバカなの!? 入渠っていうのは傷ついた船体を修理する場所! 提督が入ってきたって足手まといなだけだし、そもそも…っ、着替えるんだからあっち行ってなさいよ!」
「なっ……!別に変な意味じゃないわよ!傷の手当てとか、タオル運ぶくらいならできると思ったから……っ!」
耳まで真っ赤にした絵名が必死に弁解するものの、満潮に「しっしっ!」と追い出されそうになる。
そのやり取りを、脱衣所の奥で脱ぎかけていた加賀が静かに見つめていた
「提督。お気持ちだけで十分です、私たちは兵装を外し修復用のドックに浸かるだけですので」
落ち着いた加賀の声に、絵名はぐっと言葉を詰まらせる。
違う...本当は、何かしたかった。
指揮官らしいことなんて何一つできなくて、ただ怪我をさせてしまったことが悔しくて、自分も何か痛みを分かち合うような「手伝い」をしたかったのだ。
「……そ。……分かったわよ」
小さく口を尖らせて縮こまる絵名。その肩はどこか小さく、背負っている軍服のジャケットが酷く重そうに見えた。
それを見た金剛が、楽しそうに目を細めて絵名の背中をポーンと叩く。
「まーまー、提督! 気持ちはとってもHappyデショ! じゃあ、あがったら温かいお茶でも淹れて待っててくださーい!」
「…お茶くらい、言われなくても淹れられるわよ」
強がりながらも、少しだけ救われたような顔をして絵名がドックを後にする。
バタン、と重い扉が閉まり脱衣所に静けさが戻った。
「全く。なんなのよあの人!提督のくせにオロオロしちゃって」
満潮は毒づきながらも、どこかやり切れない表情で自分の腕の擦り傷を見つめた
今までの提督なら、自分たちが修復ドックに入っている間なんて見向きもしなかった。修理の資材の計算ばかり気にして、艦娘がどれだけ痛がっていようが興味なんてなかった。
「でも、嫌な気はしなかったんじゃない?」
川内が湯気の中に足を浸しながら、ニッと笑う。
「うるさいわね!べ、別に…っ、下手くそなのは変わらないんだから!」
バシャバシャと湯をはね返す満潮の横で加賀は静かに温かいお湯に身を沈めた
視線の先には、絵名が気を利かせて置いていったであろう、まだ新しい清潔なタオルがきちんと並べられている。
(……東雲絵名、か)
完璧な指揮もできない。軍人としての威厳もない。
けれど、傷ついた自分たちを見て本気で涙を流し不器用に出迎え、何かできることはないかとオロオロしていた少女。
まだ、警戒を完全に解いたわけではない。
過去のトラウマが消えたわけでもない。
それでも――氷のように冷え切っていた鎮守府の空気の中に、ほんの少しだけ温かい湯気のようなぬくもりが混ざり始めたのを全員が確かに感じていた。