『五等分の花嫁 〜転生した俺は、五月の笑顔を守るために動き出す〜』 作:夜幻
「……お腹が空きました」
夕暮れの商店街。
中野五月は、ぽつりと呟いた。
その隣を歩いていた神城蓮は、思わず吹き出した。
「ははっ!」
「……何がおかしいのですか?」
「いや、ごめん!」
蓮は笑いを堪えようとする。
けれど。
五月の視線が、商店街の惣菜店へ吸い寄せられている。
「……」
「五月」
「何でしょう?」
「さっきからずっと、あの店見てるよな?」
「見ていません」
即答。
しかし視線は店から離れない。
「見てるじゃん!」
「……」
五月の頬が少し膨らむ。
「確認していただけです」
「何を?」
「夕食の参考です」
「なるほど」
蓮は頷いた。
そして店の前で立ち止まる。
「じゃあ、買おう」
「え?」
五月が振り返る。
「何をですか?」
「コロッケ」
店先に並ぶ揚げたてのコロッケ。
衣から、香ばしい匂いが漂ってくる。
五月の目が輝いた。
「……」
「……」
「……」
「五月?」
「……いえ」
五月は視線を逸らした。
「私は、別に……」
その腹から。
ぐぅぅぅぅ。
「…………」
「…………」
蓮は固まった。
五月も固まった。
「……今のは」
「お腹の音ですね」
「言わないでください!」
五月の顔が真っ赤になる。
「す、すみません!」
蓮も慌てて頭を下げる。
「でも、これは仕方ない!」
「何がですか?」
「腹が減るのは人間の本能だ!」
「……意味が分かりません」
「とにかく!」
蓮は店に入った。
「俺が買うよ」
「いけません!」
五月が慌てて追いかける。
「自分の分は自分で払います!」
「いいって」
「よくありません!」
「じゃあ……」
蓮は少し考える。
「半分こ」
「……」
五月が黙った。
「一つを半分ずつ食べればいいだろ?」
「それなら……」
五月は少し考えた。
「……分かりました」
二人でコロッケを買う。
店先のベンチに座る。
「いただきます」
五月が両手を合わせる。
「いただきます!」
蓮も元気よく言った。
一口。
サクッ。
熱々の衣。
その中から、じゃがいもの甘みと肉の旨味が広がる。
「うまっ!」
蓮の目が輝いた。
「これは美味い!」
「……」
五月も一口食べる。
そして。
「……美味しいです」
頬が緩んだ。
蓮はその表情を見て、嬉しくなる。
「だろ?」
「はい」
「もっと食べる?」
「……いいのですか?」
「もちろん」
「では……」
五月が二口目。
三口目。
四口目。
「……」
蓮は無言になった。
「五月」
「はい?」
「半分こって言ったよな?」
「はい」
「俺の分が消えてるんだけど」
五月が手元を見る。
残っているのは、小さな一欠片。
「……」
「……」
「……申し訳ありません」
五月がしゅんと肩を落とした。
蓮は思わず笑った。
「いいよ」
「ですが……」
「美味しそうに食べてたから」
「……」
五月が顔を上げる。
「神城さんは、優しいですね」
「え?」
突然褒められて。
蓮の顔が真っ赤になる。
「そ、そんなことないって!」
「顔が赤いですよ?」
「暑いんだよ!」
「もう夕方ですよ?」
「……」
蓮は両手で顔を覆った。
「褒められるの弱いんだよ、俺……」
五月が小さく笑う。
「ふふっ」
「笑ったな!」
「すみません」
「絶対悪いと思ってないだろ!」
「はい」
「正直!」
二人の笑い声が商店街に響く。
少しして。
五月が鞄から一冊の参考書を取り出した。
「……ところで」
「ん?」
「数学が、どうしても理解できないのです」
「数学?」
「はい」
五月は眉を寄せる。
「勉強しているのですが、どうしても点数が伸びません」
蓮は参考書を覗き込む。
「どこが分からない?」
「この問題です」
五月が指を差す。
蓮は問題を見る。
「……ああ」
数秒。
「ここは公式を覚えるより――」
蓮は地面に落ちていた小さな紙袋を裏返し、簡単な図を書いた。
「こう考えたほうが分かりやすい」
「……」
五月は真剣に見つめる。
「ここをこうして……」
「はい」
「だから答えは――」
「……あ」
五月の目が見開かれた。
「分かりました」
「本当?」
「はい!」
五月の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます!」
「よかった!」
蓮も嬉しくなって拳を握る。
「やった!」
二人で顔を見合わせる。
「……ふふっ」
五月が笑う。
「神城さんは、本当に楽しそうですね」
「そりゃそうだろ!」
蓮は胸を張った。
「誰かが分からなかったことを分かるようになったら、嬉しいじゃん!」
「……」
五月は少し黙った。
「私も」
「ん?」
「そんなふうに、誰かを助けられる人になりたいです」
その言葉には、強い意志が込められていた。
蓮は五月を見る。
「なれるよ」
「……簡単に言わないでください」
「簡単じゃない」
蓮は真っ直ぐ答えた。
「五月が今まで頑張ってきたの、俺は知らない」
「……」
「でも、頑張ってる人の顔くらい分かる」
五月の瞳が揺れる。
「だから」
蓮は笑った。
「焦らなくていいんじゃないかな」
「……」
五月は参考書を胸に抱いた。
「……ありがとうございます」
「うん」
「神城さん」
「何?」
「明日も……」
五月が言葉を止める。
頬が少し赤くなる。
「もしよければ、勉強を教えていただけませんか?」
蓮の顔が一瞬で輝いた。
「もちろん!」
「本当ですか?」
「大歓迎!」
「では……よろしくお願いします」
「任せて!」
蓮はガッツポーズをする。
五月はそんな蓮を見て、少しだけ笑った。
その笑顔を見ながら。
蓮は胸の奥で思った。
――もっと、この子のことを知りたい。
原作を知っているからではない。
未来を変えたいからでもない。
ただ。
目の前で嬉しそうに笑っている五月を、もっと笑わせたい。
その気持ちだけは。
前世の記憶とは関係のない、神城蓮自身のものだった。