余命数年の私の元に現れたかぐや姫 作:グランドマスター・リア
私がと兄の時間が再び動き出したのは、病気になってから中学二年の夏。病気になってから一ヶ月が経った頃のことだった。
検査入院が終わって、ようやく家に帰してもらえた次の土曜日。
兄が家に帰ってきた。
病院に居た時も、何度もお見舞いに来てくれたし、本人も『これからはちゃんと帰ってくる』と言っていたから驚きはしなかったけど、移動の大変さを考えたらそこまで無理しなくていいのに、とも思う。
だが、それを口に出す事はしない。
私に出来る事と言えば、あらゆる言葉に苦笑いを返す事くらいだ。
―――病気のことを知って、東京から遠路はるばる駆けつけた兄は、ベッドで眠る私の手を握って、ずっと『ごめんな』とこぼしながら、泣いていたそうだ。
”そうだ”というのは、これは母から聞いた話だから。
兄は、上京してからというもの、一度として家に帰ってきたことはない。
そりゃそうだろう。
私だって兄と同じ立場なら、あんな生き辛い場所にわざわざ何時間もかけて里帰りしようだなんて思わない。
それなのに、放置してごめんとか、これからはそんなことしないとか、意味が分からなかった。
夢の為と言いながら、実家から逃げた側面が、無いとは言えないだろう。
しかし、そこを恨むのは筋違いというもので、悪いのは全部あの母親だ。
出て行った時は散々文句を言っていた私だが、それくらいは理解していた。
だから、兄から謝られる度に、私は「お兄ちゃんが、そんな事気にする必要ないじゃん」と、それが言葉のナイフであるとも知らずに、何度も、何度も、何もかもに諦めきったような微笑みを浮かべて言った。
そうする度に、余計に兄の中で罪悪感が育っていくのを、私は分かっていなかったし、分かろうともしていなかった。
むしろ、それならそれでいいとすら思っていた節がある。
とことん最低の人間だ。
そんな私に、根気強く話しかけ続けた人がいた。それが、お兄ちゃんだ。
「おーい、彩葉。お兄ちゃんが帰ってきたぞ。さあ、いつもみたいにゲームしようぜ」
彼はめげずに、無気力にベッドで眠る私を呼びつけ『ゲームをしよう』と誘った。
ソフトのジャンルは幅広く、RPGから対戦ゲームと、彼は色んなゲームを持ってきては私にプレゼントしてくれる。
最初の方は、突っぱねていた。
「気分じゃない」「いらない」「そういうのいいから」と、とげとげしい言葉を突きつけ、そうすれば優しい兄もどこかで愛想を尽かすだろうと……
「もう、うっざいなぁ。ずっと、鬱陶しいって言ってんじゃん。お兄ちゃんが幾ら気にかけてくれたって、私の病気は治らへんねん!」
あまりにしつこいので、そんな事も言ったっけ。
けれど、兄は、どこまで行っても兄だった。
「……せやね。俺自身、虫の良い話やと思うわ。でもな、俺は諦めへんよ」
投げ捨てたゲームを拾い上げて、彼は優しく笑っていた。
「キッモ、今更兄貴面すんの?」
「そうや。俺は一度、彩葉を見捨てた。それは俺にとって、どうやったって償い切れることじゃない。例えお前がそう思ってなくても……な」
罪滅ぼし。
そう言っているように聞こえて、私は、どうしようもなく惨めになった心を、かきむしりたくなる。
そんな中で、兄は言葉を続けた。
「そういう罪悪感があるのは、否定せえへん。けど、決してそれだけじゃないって事は、ちゃんと分かっといて欲しい」
「……え?」
それだけじゃない?
だったら、他に何があると言うのだろうか。
全く分からない。この冷え切った家族仲に、罪悪感以外の何があるというのか、その答えを兄は告げた。
「俺は、罪の意識とか以前に……純粋に、お前との時間を大切にしたい」
そう言われて、私は改めて自分が余命数年の身であることを思い出した。
お兄ちゃんにとって私は、あと数年で居なくなっちゃうかもしれない人なんだ。
考えてみれば当然のことなのに、ずっとピンと来ないその事実。
「わかんない……わかんないよ。そんなこと、言われても……」
力のないこの手と体には、自らの心の扉を開いて、彼の言葉を真正面から受け止められるだけの気力はない。
「今はまだ、わからなくていい。だから、これは俺のワガママや。妹と過ごせる、あと少しかもしれない時間を大切にしたいって言う、自分勝手な自己満足」
泣き疲れたこの目は、涙すらこぼさない。
死んでしまった心は、こんなにも温かい言葉にすら動かない。
色の映らないこの目は、無機質な灰色の世界を映し出すのみ。
それでも、せめて兄の顔だけは見たくて、視線を上げた。
「良かった。やっと、目が合ったな」
兄は、本当にうれしそうだった。
私はこんなにも惨めな気持ちなのに、確かにワガママな人だってどこか納得してしまう。
「こうしてお前と過ごせるのも、あとちょっとかもしれへん。本当の意味で、お前が居なくなったら……俺がどれだけ願っても、二度と……叶わん」
大袈裟な人だ。
私が死んだところで、お兄ちゃんは前を向けるだろうって、そうは思っても口には出せなかった。
「だから、やないけど……お兄ちゃん、また彩葉と一緒にゲームがやりたい」
「…………うん、ええよ」
ここまで譲歩した言い方をされて、ようやく私は自分を曲げることができた。
それから私は、兄が出て行く前と同じように、また彼と並んでゲームをした。
驚いたことに、それが結構楽しかったのだ。
思えば、これこそが、私がゲームを本気で好きになったきっかけだったのかもしれない。
ゲームの中では、どれだけキャラや自機を激しく動かしても、疲れる事は無い。
体力の著しい低下のせいで、すぐに息切れしてしまうようになった体でも、皆と同じように全力を出せる。
それは、ハマるには十分すぎる理由で、私は家に居る間、暇な時間は兄のくれたゲームで遊びつくすようになった。
そうして、その後高校の進学祝いに兄からスマコンを贈られ、舞台はツクヨミへと移った。
そこからのストーリーは、語るまでも無い。
いずれ『狐先生』なんて変な名前で呼ばれるまでに、私はこの世界で、文字通り全身全霊をかけて戦い尽くした。
他の人にとっては嘘の世界でしかなくても、私にとっては命のタイムリミットをかけて生きる、もう一つの現実だったのだ。
―――その結果、時を経て、私は今その兄と本気の勝負をする場に立っている。
だからこそ、負けるのは死ぬほど悔しい。
死にそうになりながら戦っているからこそ、そう思えるのだ。
一戦目のコールドから、二戦目。
生半可な策略では、また一戦目と同じように封殺されて終わりだ。そこで、かぐやがある提案をしてきた。
「ねえ、彩葉!」
「ん、なに?かぐや」
そこからかぐやが語った内容は、突飛なんて言葉じゃ表現しきれないほどぶっ飛んだものであったが、私もヤチヨもその作戦に頷いた。
手堅くいってもどうせ勝てないなら、やれること全部やって、暴れるだけ暴れてやろう。
その意気で、迎えた二戦目……
私とヤチヨの配置を入れ替え、ヤチヨが単独でボトムレーンを攻める形で始まった。
そのトップレーンにて櫓への道で、私は遂に彼と対峙していた。
「こうして、面と向かって対戦すんのは久しぶりだな」
帝アキラこと、私の兄はいつもとは違った優しい笑みを浮かべて私を見ている。
「危機的状況なのに随分と余裕そうじゃん。幾らお兄ちゃんでも、私を相手しながら櫓を落とすのは無理じゃない?」
「さあな、やってみなきゃわからないだろ?」
目の前の男は余裕そうにしているが、黒鬼はまさに危機的状況のはずだ。
かぐやは上空で乗っているレプトケファルスからジェットハンマーを起動し、今頃ボトムレーンへと飛んでいる。
トップレーンで私と一緒に行くと見せかけてヤチヨと合流し、速攻で乃依を叩いて櫓を占拠、続けざまに天守閣へと向かう作戦だ。
黒鬼はさっきと同じ作戦の為、雷がトップレーンの櫓を落としても、私の時みたいに乃依の足止めが機能しなければ、かぐやとヤチヨの進行速度には間に合わない。
「それよりいいのか?兄妹なこと、ちゃっかり言っちゃってるぞ」
「いいよ、そのくらい。別に隠す事でもないでしょ」
観衆と実況の音声はうるさいので切っている。
後でかぐやからの質問攻めにあうかもしれないが、どうせいつかはバレることだ。
「ふっ……明るくなったな、彩葉……」
「お陰様で、ね」
これ以上、言葉はいらない。
お互いに頷き合って武器を構え、同時に踏み込む。
剣と剣がぶつかりあって火花を散らし、私とお兄ちゃんの勝負が始まった。
これまで、幾度も繰り返された私とお兄ちゃんのゲーム対決の戦績は完全五分。
だが、このKASSENでの対戦は初めてだ。
思い出すのは、幼き日の光景と、私が病気になって以降のもの。
純粋に兄とゲームをするのが楽しくて、その時間を何処か心の拠り所にしていた幼少期。
病気になってからは、冷めきった心におけるゆとりとして、それが私と兄の繋がりになっていたのは間違いない。
目の前の兄は、とても楽しそうだ。
私は、今どんな顔をしてるのかな。
かぐやと出会って、わずかに心を覆う分厚い氷の一部が溶けて、ようやく思い出せたことがある。
病気になってから、週に一度帰ってきた兄とゲームをする時、私は一度も笑った事がなかった。
終始無表情で、傍から見ればつまらなそうにしか見えない、そんな人とゲームをやったって楽しい訳がない。
なのに、その様子を、兄はずっと微笑みを浮かべて見守っていた。
嫌な顔ひとつせず、いつかの言葉通り、その時間を大切にしてくれた。
あの頃の自分も、今の自分も、等しく無価値な命という点は変わらない。
他人との間に、心の壁を作り、深く関わろうとしない薄情さはそのままだ。
そんな自分が大嫌いで、けれどもその大嫌いのうちで、気付けたこともあるんだ。
私は確かに、この人と過ごす時間を―――
「いいね!やっぱ強いな、彩葉!」
「そっちこそ」
心の底では楽しいって、早くまた来て欲しいって、あの部屋で待っていたんだ。
今こうして、拮抗した実力で真剣勝負ができることが、どれだけ幸せなことなのか、こんなにギリギリになってようやく気付けた。
お互い一歩の引かない攻防は、少し景色が変わっただけの、あの一幕と何も変わらない。
『ヤチヨが天守を落とした!なんと!かぐや・いろP、黒鬼に一矢報いる。かぐやの奇策がハマった!』
『いろPもずっと帝を足止めしてんの、スゴすんぎ』
気が付けば、二戦目が終わっていた。
「……勝負は、三戦目に持ち越しだな」
お互い、残機は一つも減っていない。
やっぱ強い。めちゃくちゃ強い。
私が一対一で、こんなにも長い間打ち合って倒せない相手なんて、今まで居なかった。
「次こそは決着、つけるよ」
「望むところ」
そう言い合って、自陣へと戻る。スコアは【1-1】のフルセット。
次の三戦目を取った方が、文句なしの勝者だ。
戻ると、かぐやとヤチヨがハイタッチしていた。この1ポイントは、二人が上手く連携してくれたおかげで取れた。
段々とその勝利が現実味を帯びる。あの黒鬼に、一勝したんだ。
「あ、彩葉!いえーい!」
かぐやが駆け寄ってきてハイタッチをせがんできたので、控えめに応じる。
「はいはい。二人とも、お疲れ様。それにしても凄いね、かぐや。あの黒鬼に、本当に一勝できちゃったよ」
一戦目でボコられた時は正直もうダメかと思ったけど、やっぱりかぐやは凄い。
彼女の機転がなければ、あのまま呆気なくこの勝負は終わっていたことだろう。
「彩葉と、勝ちたいから!かぐや、次もめちゃくちゃ頑張るよ!」
「かぐや……」
花が咲く様な笑顔。
「そうだよ。ここまで来たんだし、絶対に勝とうね!」
「ヤチヨ……」
静かに微笑むヤチヨ。
不思議だ。この二人となら、なんでもできちゃうような気がしてくる。
「……ねえ、二人とも……」
だからこそ、一つ、自分勝手なお願いをしようと思います。
「あと一勝で、試合に勝てるっていう今、言うような事じゃないって分かってる。だけど……一つだけ、お願いをしても、いい?」
意を決して、私がそう言葉にすると二人は一度顔を見合わせてから、満面の笑みを浮かべて言った。
「「聞かせて!」」
三戦目、開始と同時に二人は私のお願いを叶えるために動いてくれた。
最終戦は激戦を極め、両チーム残りの残機を散らせながらの攻防となる。
『おーっと、ここでかぐやとヤチヨ、雷と乃依が共に残機を使い果たし相打ち!勝負はミドルレーン、マップ中央!いろPと帝、再びの一騎打ちに託された!』
私は、マップ中央の広場に立っている。
向かい側には、赤髪の鬼が立ちはだかり、再び私達はこの場に至った。
「最終戦。マップのど真ん中で、お互いに残機は残り一つ。俺達の決着には、これ以上ない展開だな。シナリオライターは彩葉か?」
「まあね。二人には、無理を言っちゃったけど……」
互いの残機は残り一つ。
つまり、天守閣を落とすまでも無く、この一騎打ちに勝った方が、この試合における勝者となる。
私は、かぐやとヤチヨに『もう一度、お兄ちゃんと一対一で戦いたい』と言った。
二人はそんな私に身勝手な願いを聞き届け、これ以上ないくらいに場を整えてくれた。
そこまでして、私がこの形にこだわった理由は、先に約束した”決着”のためでもあるけれど、実はもうひとつあるのだ。
「……お兄ちゃん。勝負を始める前に、ちょっとだけいいかな」
「なんだ?」
成り行きで参戦したこの戦い。
その中で、私はこの戦いに勝つにしても、負けるにしても、いかなる目標を持って戦うか、ずっと考えていた。
その答えが、ようやく出た。
ボイスを個別用に切り替えて、お兄ちゃんにだけそれを明かす。
「私には今、大切な人が居るんだ」
秘めたる想いの一部を、語り始める。
「その子はね。凍てついていた私の心を溶かして、灰色だった世界に色をくれた。温度の感じないこの手に、もう一度、温かさをくれたの」
ここまで過ごした日々。
そこには酸いも甘いもあって、思い通りにいかない事の方がむしろ多くて、言いたくもない酷い言葉もたくさん吐いた。
諦めたかった。
目を逸らしたかった。
でも、出来なかった。
彼女の放つ淡い輝きは、あまりにも温かかったんだ。
「生きる意味なんて、今でも見つからないけど……でも、ようやく、私は、私自身の意思であの子の為になりたいって思えた」
今日の私は、情けない姿ばかりだ。
かぐやとヤチヨだけじゃなく、お兄ちゃんにまで無理を言おうとしている。
「この勝負、私が勝っても負けても、お願いを一つ……聞いて欲しい」
「っ……」
お兄ちゃんは、目を見開いた。
驚いたよね。呆れられたかな。それでも、この人以外にこんな言葉を告げることは出来ない。
私は久しぶりに幼き日にあった、『酒寄彩葉』の目と声で紡いだ。
「いつまでも、最悪の妹でごめん。でも……これが、私からの最期のお願いだから、さ」
そうやって笑ったのは、もう遠い昔のこと。
懐かしい思い出、戻れない昔日。それを何年かぶりにリフレインする今この時。
「彩葉、お前………分かった、お安い御用だ」
兄もまた、いつかの彼と同じ優しい目で私を映し、頷いてくれた。
――あぁ、やっぱり優しいなぁ。
なんでこの人のこと、もっとちゃんと見なかったんだろう。何度も、何度も、声をかけてくれたのに、あんなにも優しくしてくれたのに、機会なんて幾らでもあったのに……
兄は言ってたじゃないか。
私との限られた時間を大切にしたいって、それなのに私は、そんな大事で尊い時の中で、どんな顔をしていた?
私に、少しでもその気があれば、一緒にいる時間を、それとは違った、別の形にできたかもしれない。
失った時間は取り戻せない。一度塗られてしまった悲しみを塗り替えて、取り返す時間なんて、私にはもうないって分かってたはずなのに、なんで……なんで……
「ありがとう。それじゃあ……そろそろ始めようか」
「ああ」
後悔なんて、してもし足りない人生。
それでも、今この時だけは、後悔したくない。
『互いの残機は一つ。正真正銘、これが最後の戦いだ!』
『王者対最強の剣士!開幕だー!』
一瞬の間の後、地を蹴って、肉薄する。
「はああああああーー!」
気合い十分に、剣を振る。
攻め込んだ私と、それを受け流し、カウンターを放つ兄に、こちらも瞬時に対応してやり返す。
押しては返す、波のような攻防。
目を見ればわかる。お兄ちゃんも本気だ。
さっきまでの飄々とした様子は消え、ただ私を倒す事にだけ集中した鋭い眼光に、私も同じくらいの鋭さで返答する。
技量は完全に互角。
しかし、僅かでも相手に傾く要素があるとすれば、それは経験だ。
兄は黒鬼のリーダーとして、今まで数多の修羅場を潜ってきたが故に、セオリー通りの攻撃は全て読まれる。
この強みに対して、基礎を煮詰めた私の立ち回りは極めて相性が悪い。
そこで必要になってくるのは、やはり先ほどの乃依との戦闘で見せた突発の閃き。
「せあッ!」
「っ、今度は足か!やるじゃねえの!」
打撃を絡めた、武器に頼り切らない戦い方だ。
刺突を放ち、避けられたらすかさず足で追撃。剣撃から打撃、打撃から剣撃へと、反撃の隙すらも与えないラッシュを繰り出す。
私がこれまで積み重ねてきた戦闘経験と、技術のあらん限りをつぎ込んだ、特製のコンボだ。
これには流石の兄といえど舌を巻き、距離を離して中距離戦に移行してくる。
――近距離がきつかったら、当然距離を離してくるよね。それも想定内。
そこで、逃さんとばかりに左手の剣を投擲する。
「くっ!」
相手のバックステップに合わせた絶妙なタイミングでの投擲だったにも関わらず、当然のように弾いてくる。
だが、これはあくまで囮。
「はああああー!」
攻撃を弾く一瞬の隙をついて、再び接近する。
「お前なら、そう来ると思った!」
そこで、彼の体が淡い光を放って揺らめいた。
瞬間、ありえない早さで私に肉薄する。兄のウルトだ。
「やばっ」
まさかこの土壇場で切り札を切ってくるとは、なんという勝負強さだ。
反射的に剣を構え、振り上げられた金棒を受ける事には成功するが、ウルトのパワーが乗った重撃を完全に止めることはできない。
「ぐっ」
スガンと音を立てて、受けた剣ごと私を上空に吹き飛ばす。
「行くぜ」
ウルト状態のまま、兄が地面を蹴って跳躍し、私を追いかけてくる。
上空で体勢が整えられず無防備なこの状態では、彼のアタックを防ぎ切ることはできない。
「っ、まだ!」
即座に剣を手放し、柄に足をぶち当てて位置を調整、ミートなタイミングで底部を蹴り飛ばす。
「おいおい、マジか」
刃は寸分違わず追撃せんとしていた鬼へと飛んでいき、これには兄も今日何度目かの驚愕の表情を浮かべて、間一髪でこれを弾く。
「けどこれで、もう防ぐ手段はないだろ!」
剣を二本ともロストし、回避行動も取れない上空。
地に足がついていなければ、得意とする打撃も形無し。
今度こそ終わりだと言わんばかりに、焔のようなオーラを纏って突っ込んでくる赤い閃光。
だが、
「いいや、計算通りだよ!」
ここまでの
「せーのッ!」
ワイヤーと繋がったクナイを懐から抜き放ち、思い切り引く。それと同時に、パッシブのワイヤーアクションを発動。
「な!?弾いた二つの武器が、ワイヤーと繋がって……ぐお!」
弾き飛ばされたそれぞれの剣と、戦闘中に各所へと配置したクナイが連動。
からくり仕掛けのように次々と、雁字搦めに上空に居る帝アキラを絡めとる。
「せええッやああ゛!!」
身動きを封じられた鬼に、落下の加速を乗せた拳を放つ。
渾身の一発は帝のアマイマスクの頬へ諸に入り、地面へと叩き付ける。
衝撃によって粉塵が舞う中、双剣を回収しながら距離を取る。
「はぁ……はぁ……」
時間にしてものの数秒の攻防だったが、体感ではその何倍にも感じた。
その末にヒットさせた渾身のカウンターだったが、ただの打撃ではHPを削り切るほどのダメージは見込めない。
上空からの落下ダメージも考慮すれば、それなりに削れただろうが、試合が終わっていないことがその証明だ。
「……いいのが、決まったぜ。ぐっと来たよ」
ほら、やっぱりまだ立つ。
煙幕の中からゆるりと現れた兄は、消耗こそしているもののピンピンしていた。
「そう言う割には、あんまり堪えてないみたいじゃん」
「勝負はまだ終わってねえんだ。一発くらったくらいでへこたれてらんないだろ?」
ここまでやってもまだ倒しきれない。
本当に、どれだけ強いんだ。
それなのに、どうしてかな。今までの対戦で、今この時が一番楽しいって、私は胸を張って言える。
「そっか。だったら、今度はもっと強く決めてやんないとね」
「はっ、望むところ」
再びの交差。
剣を合わせる度に、これまで彼と過ごした日々がリフレインする。
情景が浮かぶ。
そこに居るのは、過去の私と、お兄ちゃんだ。二人は楽しそうに笑っている。
あぁ、そうだ……
私はちゃんと、感謝してたんだ。
ようやく分かった。逃げ場のなかった私に、拠り所を、心の息つく場所をくれた兄だから、私は……
情景が浮かぶ。
そこに居るのは、何もかもに絶望して笑わなくなった私と、同じように笑ってる兄。
その日々の中で私が少しでも笑えていたなら、今みたいに楽しい時間を、もっと過ごせたかもしれない。
『ありがとう』って、たったそれだけの言葉を、一度でも言えていたら、どれだけよかったろう。
その部分を取り返せないまま、私達はいずれ近いうちに永遠に別れる事になる。
古びた雪が、甘い雨に溶かされるみたいに、この思いも後悔も、私と一緒に消えてしまう。
今感じている史上の喜びと、過去からやってくる果てしない悲しみ。
今の私には、それらの感情を、くしゃくしゃになった青写真と一緒に抱きしめることしかできない。
だからこそ、
―――この仮想世界で繰り広げられる兄との勝負は、まさに夢のようで。
終わって欲しくない。
「ぜやあああああ!」
「うおりゃああ!!」
それでも、時間は有限である以上いつかは終わりが来る。
最後の交差。
私と帝の剣が同時に両者のアバターを貫いた。互いのHPが同時に消失し、アバターが花になって散る。
その中で兄は、寂しそうに笑っていた。
「……楽しかったな」
「うん……」
決着だ。
法螺貝の音が鳴り響いて、戦闘の終結を告げる。
『決着ー!死闘の結果はなんと、相打ち!かぐや・いろP、死力を尽くしてあの黒鬼と引き分けて見せたー!』
終わってしまった。
あぁ、本当に終わってしまった。
きっとこれは、私たち兄妹にとって、一際の輝きを放つ、宝物になるだろう。
私が死んだ後も、兄の思い出の中には『妹と過ごした最高の思い出』として、この記憶が残り続ける。
けど、なんでかな。
それをとても、悲しく思ってしまうのは……
いや、簡単なことだ。
名残惜しく思うのは、きっと―――
この日、私は初めて、このまま死ぬのは嫌だって、そう思うことが出来たからだ。