余命数年の私の元に現れたかぐや姫 作:グランドマスター・リア
だがそれが美しい
一ヶ月と少し前の私に、この景色を想像できただろうか。
ツクヨミの中でも、最も大きなライブ会場。そこは現実でいうドームであり、ヤチヨが大規模なライブを行う時は、大体ここだ。
いつもは観客席から、光の彼方に居るあなたを見上げている。
―――それが、いつの間にか、こんなにも遠くまで来てしまった。
裏方の控室。
ここに足を踏み入れたからには、今度は私が、誰かの見上げる先に立つということ。その実感を伴って心臓がトクトクと脈打ち、胸に手を添え鼓動を確かめれば、『悪くない』と、微笑みを浮かべる。
準備は完璧だ。
程良く睡眠を取り、ご飯もしっかり食べたことにより、体のコンディションはそれなりに良い。抑制剤もちゃんと飲んだ。進行は完璧に頭に入っているし、機材チェックも問題ない。
「……うん、いい感じ」
閉じていた目を開ける。
精神統一を終えた頭は、冴えに冴え、これまでにないほど集中できている。今なら、サマーソルトでの銃弾はじきも百発百中でかませそうだ。
「彩葉……もう少しで始まるけど、いけそう?」
かぐやが心配そうに確認してきて、私はなんとでもなると言った所作でゆるりと頷く。
「大丈夫。むしろ、ここ最近じゃ一番ってくらい好調だよ。乗り過ぎて、かぐやの事も置いてっちゃうかもね」
「っ……にひひ、じゃあかぐやと同じだね♪わたしも今、楽しみで楽しみで仕方ないもん。ねぇ、手繋いで、一緒に走り抜けちゃおっか」
お互いの瞳に、お互いの表情を映し出す。
さながら太陽と夜が顔を合わせたみたいに、感情の線は二人の間で春風の花吹雪みたいに絡み合う。
有頂天になっている。
気を引き締めろって理性は囁くけど、どうにも感情はお行儀よく座ってはくれない。
かぐやと過ごしてきた時間、生活、触れ合いの集大成がここにあるみたいで、限られた命のタイムラインに、燦然と輝くこの刻を刺し込めたのが、私はきっと何よりも嬉しいんだ。
予感がする。
ここに来て、ようやく私は『意味』を見つけられるんじゃないかって。
「おっつ~☆ふたりともー、調子はどうかな?」
ヤチヨがぽんっと控室に現れる。
ようやく三人揃った。
「あ、ヤチヨじゃん。おっつー、かぐやは絶好調だよ!」
「同じく」
やっぱり、いいな。
なんでこんなにも、この二人が一緒に居るとしっくりきてしまうんだろう。性格も立場も全然違うのに、その笑顔に宿った色だけは、びっくりするくらい同じなんだ。
声、表情、言葉の選び方、ふとした時の……囁き。
少しだけズレた二つの波長、白とオレンジ。
そうして、とりとめもない思考にひたっていると、
「ねーねー、彩葉。お腹空いたし、終わったらパンケーキ食べよ?」
「……いいよ。後で、材料買いにいこっか」
かぐやがいつもの調子でパンケーキをご所望のようなので、ライブの後に買いに行こうと約束する。
「いいなー、パンケーキ。ヤチヨも食べたいな」
どうやらこっちも甘い物に目がない様子。
けれど、思いを馳せる目は楽しみを思い浮かべるというより、まるで夢を見ているように儚げだ。
「え?ヤチヨも一緒に食べる?」
「よよよ、ヤチヨは電子の歌姫なので食べられないのです」
「えー、それ何の拷問?かぐやだったら絶対に耐えられない!」
――だろうね。
しかし、なるほど確かにヤチヨは電子の存在である以上、現実の食べ物は楽しめない。ツクヨミにも味覚の類いはないし、それは……寂しいだろうな。
味を感じられない空虚さを、私は知ってる。
世界から隔絶されたみたいに、私だけが、他の人と同じ喜びを享受できない。
なんでもないようにヤチヨは言うけど、なんでもない訳ないんだ。それだけは、分かる。
「ヤチヨ可哀想、なんとかしてあげられないかなー」
「泣けること言ってくれるねえ……でも、大丈夫。ヤチヨは代わりに、たくさんのキラキラを食べて生きてるから」
キラキラ。
とても抽象的な表現だ。
「キラキラ?」
「そう、ツクヨミに集まってくれたみんなの想い。笑顔とか、喜ぶ姿とか……そういうキラキラを見るのが、ヤチヨは何よりも好きなんだ」
これは、本心だろう。
自らが作ったこの楽園を、そこに生きる人々を、ヤチヨは凄く大切にしている。それ自体は嘘じゃないけど……だからって、その愛情が、心に巣食った諦めという名の痛みまで消してくれる訳じゃない。
私の胸の苦しみと同様に、喜びと、悲しみは、混在できる。
同じ領域に存在出来てしまうからこそ、喜びと悲しみの区別がつかなくなる。そのせいで『大丈夫』だと、勘違いしてしまうんだ。
「…………そっか」
そこまで理解しているのに、私にはこんな事しか言えない。
ヤチヨの深い部分に踏み込んでいいのか、分からなかった。手を伸ばそうとしても、自分で作った不可視の壁に阻まれて、どちらへも行けない。
昨日の夜、ヤチヨと心を通わせた時みたいに、『伝えろ私』と唇を噛む。
「キラキラかー。あっ、それならこれあげる。パンケーキが無理なら、かぐやのキラキラをお裾分け!」
その時、かぐやが一歩を踏み出した。
気が付けば、彼女の方が先に前に居て、銀糸の姫に手を差し伸べている。彼女がヤチヨに渡したのは、自らの手首に付けてあった金のブレスレットだ。
現実で彼女が付けている物と同じ物を、ツクヨミ内でも見繕った逸品である。
「こらこら、こういうのは、もっと大切な人にあげるもんなんだよ」
ヤチヨはそれを返そうとするけど、すぐにその手をかぐやが押し戻す。
「だったらいいじゃん。かぐやとヤチヨは、もう友達っしょ?友達を大切にするのは当たり前だしー、だからこれはヤチヨにあげる!受け取ってくんなきゃ泣きわめく」
だが、かぐやも負けじとそれを拒否。
――凄いな、かぐやは。
私が越えられない一線を、彼女はいつだって軽々と通り過ぎてしまう。
それは、勇気なんて大層なものじゃくて、『そうしたい』『してあげたい』っていう、シンプルでありながら何よりも強い思い。
「うっ……このお嬢さん、なかなか言いおる……ほら、かぐやには彩葉という愛するパートナーが居るじゃないの」
「彩葉にはもっと凄いのあげる!」
「あー、そう来たか……」
ちゃっかりもっと凄い贈り物をする宣言を受けてしまったが、それよりもてこでも考えを変えようとしないかぐやに、ヤチヨは戸惑っている様子だ。
仕方がない、本番まで時間も無いし、そろそろ助け舟を出そう。
「……ヤチヨ、貰っといてあげて。こうなったかぐやは説得不可能だから」
「うぅ~ん……分かった。ありがとね、かぐや」
言って、ヤチヨはかぐやからブレスレットを受け取った。
ほんのり照れくさそうな様子でブレスレットを見つめるヤチヨに、かぐやはご満悦みたい。かく言う私もヤチヨのレアな表情が見れて大満足だ。
気が付けば、そこにはもう先程までの儚げな雰囲気はない。
温かで、居心地の良い、春の放課後みたいな空気。かぐやのお日様のような快活さは、”今なら私も”という気持ちを後押しする。
「ヤチヨ。私からも、いいかな」
私はキーボードをストレージから出すと、飾っていたメンダコのキーホルダーを取り外して、ヤチヨに差しだした。
「え、彩葉からも!?これ、くれるの?」
「ヤチヨのグッズだから、あげても仕方ないのは分かってるけど……私も、ヤチヨにキラキラ、お裾分けしたくて」
そっと華奢な手にキーホルダーを置く。金色のブレスレットとメンダコのキーホルダーがちんまり並んで、ヤチヨはそれらを大切そうに両手で包み、胸の前に持って行った。
「……ううん、とっても嬉しい。二人とも、素敵な贈り物をありがとう。ヤッチョ、何千年でも大切にするから!」
「大袈裟だなぁ……でも、そういうノリ、かぐやも結構好きだよ!」
こんなに喜んでもらえたら、贈ったこっちとしても嬉しい。
ふわっと幸せそうに微笑むヤチヨに、無邪気にはにかむかぐや。私とかぐやの繋がりに、銀色の糸が合流する。
まただ、心が通うような感覚。
大切な人が喜んでいる。笑っている。それが本心だと分かって、お互いに喜びを感じた時の独特な情感。
ゼロ距離で触れ合う、コネクト。
それは、魂を投影したアバターで潜る仮想空間だからこそ成しえる。
『各所、準備OKです』
空間に準備完了のメッセージが浮かび上がる。
時間ピッタリ。私達のメンタルとコンディションも、これ以上なく良い。
「いざ、ゆこうか」
ヤチヨに連れられて、私とかぐやは控え室の一角にあつらえられた板間に踏み入る。全員が乗ると、ふわっと床が浮かんで、昇っていく。この先は、あの広大な会場の中心、ステージだ。
「床が上がってる!すごー、なんかワクワクしてきた!」
かぐやは子供みたいに大はしゃぎ。
その隣で、私は目を閉じて、耳を両手で塞ぐ。いつもは一回集中状態に入れば、二度目はやらないルーティンを、今回は再び行う。
現実から意識を切り離し、完全にアバターへ落とし込む。緊張を集中力に、肩ひじの強張りは指先へ、閉じた瞼の内で、淡い黒の先には自らの分身である狐アバターが立っている。
『やろう』
――来た。
目を開き、耳から手を離す。
それとほぼ同時に昇降機が上り切り、未だ暗闇のベールに包まれたライブ会場へと至る。
暗闇の先にある無数の光は、全てがファンの皆が振っているサイリウムだ。
眼下に広がる広大な世界、これら全部がこれから私達のライブ会場になる。
うっと来そうなほどの圧力。やはり、念入りに二度のルーティンを挟んだのは正解だった。
「毎度ヒリヒリなんだよね、この雰囲気」
傍らに立ったヤチヨが呟き、私もその言葉に共感する。
こんな緊張、一種のトランス状態にでも入らないと耐えられそうにない。
「みんなが楽しんでくれるかな~って、いつもガクブルしちゃうの。彩葉はどう?」
「平気……とは行かないかな。現に、二回も暗示かけてるし……だけど、そうだね。悪くはない、かな」
刺激とは人生を彩るスパイスだ。
止まってはくれない時間の中で、僅かとなった白紙のページになにかが描かれていく感覚が、私は好きだ。
命に、物凄いスピードで熱が叩き込まれていく。こんな日が来るなんて、思わなかった。
ねえ、過去の私、見える?
意味がなかった私の命でも、ここまで来たんだよ。モノクロだった世界も、嘘ばかりの居場所も、今はとっても綺麗なの。
今こそ思う。
嗚呼、どうしようもなく、生きることも悪くは無いかなって。
「やっと、思えたんだ。もっと綺麗で、熱い景色を見たいって……」
「ふふっ、そっか」
手を握る。数年ぶりに、そういう動作を取った。
スタートラインに立つ。光り輝き、走り出す頃合いだ。
「さてと、時間だよ」
ヤチヨがそう言うと、暗闇の世界に光が宿る。星々の煌めきが、全方位に展開され、その美しさに目を奪われそうになる。
アバターが変わって、今日の為に特別に用意されたとても可愛くて、カッコイイ衣装へと変化する。
これまでは、私もあの無数の星のうちの一つで、閉じこもった殻の中から、飛び立てない雛鳥みたいに、今はこうして隣にいる少女を見上げていた。
「ヤオヨロ~~☆みんな生きるのどうですか?良い事あった?それとも泣いちゃいそう?よしよし、全部大丈夫。どんなに孤独な道のりでも、楽しかったなーって記憶が、足元を照らしてくれる」
お馴染みとなったヤチヨの口上にファン達の歓声が上がる。
[b:「今日、色も温度もない世界が……光に満たされる奇跡を起こすよ」]
ミュージックスタート。音圧に合わせて楽器を奏でる指が踊り出す。
かぐやとヤチヨの歌とダンスに、私の演奏が重なって、シェアされた感情がより深い部分で微笑み合う。
傍に身を摺り寄せた二人の色っぽい笑みに、私はウインクする。
あまりにも劇物的高揚感。織りなされる音楽は新天の華となって、光で世界をぶち抜く。
鮮烈なまでの感覚に充てられながら、私は笑う。
お兄ちゃんと戦った時みたいに、楽しいって感情以外に湧かない。
加速度的に高まっていく体温。ああこれ以上はどうしようもない。
楽しい。もっとだ。
足を前に出し、純度百パーセントの感情と気持ちをそのまま乗せた、情熱の笑みを表情に浮かべる。
すると心成しか、観客席から一際の歓声が起こった。
かぐやが私の手を握ると、二人で並んで走り出す。
けたたましいレーザーライトの向こうの世界を示すように、かぐやが―――あの日のような、天真爛漫な笑みで私を導いた。
ライブの終わりは、さながら流星群の終焉のようだった。
最後、三人で手を合わせた時の、ほろ甘くも胸にすっと透き通るような多幸感が、消えずにずっと残っている。
〈ヤチヨさいこー!〉
〈かぐや、愛してるぞー!〉
〈いろP、最高にかっこよかったぁああ!!〉
歓声が鳴り止まない。私への声が聞こえてくるたびに、届いたという達成感が胸中に満ちる。中には〈狐先生ーー!〉って叫んでる奴までいる。
―――私の命に、価値と意味はない。
何度も反芻した言葉が、別の意味へと変わっていく。この考えが消えることは、きっと永遠にないけど、それこそが私のアイデンティティなのかなって、思ったりもするのだ。
現実の命”に”あるべき物が無いからこそ、この仮想空間で、私はここまで輝けたのだから。
「あぁーあ……終わっちゃった」
髪をさっと払って、晴れ晴れした気持ちで前を向く。
永遠に感じた時間が、終わってみれば刹那。
「……そっかぁ……そう、だよね……」
同時に、泣きそうになる。
時間が進んでいくのを、感じるのだ。これまでのような、薄っすらとした白い感傷じゃない。
ライブの終盤で、最高に上がったボルテージで、この眩い光の中で、夢のように楽しい時間が終わってしまうと、そう思った時に『ああ、こういう事なんだ』って私は今更ながらに、分かってしまったんだ。
[b:――私って……本当に、死んじゃうんだ……]
今度は、兄と戦った時以上に、鮮明に。
余命の意味を。
この時間を、何度も繰り返したい。またやりたいと、そんな事を願っても、実現する頃にはそこに私は居ないって現実に気付かされる。
それは、後悔なんて漠然としたものじゃない。
なんで私には次が無いんだろうって、心の底から嘆いた瞬間に初めて形を持つ、もっと儚くて、淡くて、徒花とした感傷だ。
それが、今だった。トリガーは『楽しい』と思ってしまったこと。
いつかはそうなるとか、そんな事もあるのかなって、いつも私は、自分の事なのにどこか他人事だった。
仮想空間に現実以上の意味を見出してしまったが故に、現実に訪れる死を見ることができなかった。
でも、今は違う。
かぐやと、ヤチヨ。
二人と一緒に居る自分自身を、大切に思ってしまった。
死を目の前にして――嫌だ。
って、思っちゃった。
「……彩葉」
かぐやが駆け寄ってくる。
「めーーっちゃ楽しかった!」
この子は、本当に、どこまでもまっすぐで、色んなことを私に気付かせてくれる。ダメだよ。本当に、死にたくなくなっちゃう。
そうやって目を潤ませて、幸せそうに、
「彩葉、好き」
そんなこと言われたって、私には無理なんだよ。
想いはある。目を逸らすのをやめた、もう空っぽじゃない。やっと芽生えただけのちっぽけな想いだけど、あなたの想いには遠く及ばないけど、それでも、確かに、私は……
だけど、私には時間がない。あなたと歩む道を選んだとしても、数歩進んだら、あなたの手を離さないといけない。
その意味が分かる?
残された人は、居なくなった人への届かない想いを抱えて、色のない世界で、何十年も生きなければならない。
寂しい道のりを、たった一人で歩いていかなきゃいけないんだ。
待っているのは、満足なんて程遠い、悲しみに包まれた湿っぽい末路。
命の残り時間が短いって言うのは、そういうこと。
「あー、もー、彩葉と結婚しちゃおっかなー」
お願いだから、観客の方見てファンサでもしててよ。
ほら、ヤチヨとか表面上は笑顔だけど、凄く心配そうにこっち見てるし、私がどんな顔をしているのか自分でもわからなくて怖い。
「……え、っと……」
私もだよって言えたら、どれだけ良い事か。
答えとなるたった二文字を、言えたなら、どれだけ幸せだろうか。
そんな無責任なこと言える訳がない。誰かの事を大切だと、一等大事にしていきたいと、思えばおもうほどに口に出来なくなっていくジレンマ。
「ダメ?」
ここで、今この場で、言ってしまいたかった。
余命があと一年しかないんだって、全部打ち明けて楽になりたい。
「…………」
「彩葉?」
何も言わない私に、かぐやは不思議そうに首を傾げる。
どう答えたって罰の悪い結果にしかならない。
それならいっそのこと、彼女を突き放せばいい。そうすれば、悲しみは一時で済む。けれどそれができるほど、私が彼女へ抱く感情は安くない。
結果生まれるのは、何も言えない、何も出来ない無力な自分。
それはまるで、病気によって進む道を閉ざされた私の人生そのものみたいだ。
「大丈夫だよ」
その時、かぐやはいつもみたいに笑って、私の手を握った。
「かぐやが一緒に居るよ。だから彩葉は、どんなことがあっても大丈夫。彩葉を悲しませること全部から、かぐやが守るから」
いつだって、彼女は私の一歩先に居る。
それならもう、いいのかな。
前を歩く彼女は、きっと私が足を止めてしまっても、一人で強く、これまでみたいに歩いて行ける。
私が居ないと、なんてのは傲慢だ。そうあって欲しいという、願望でしかない。
「私、は……私も……」
言おうとしたが、その瞬間―――私は身の毛もよだつような悪寒に襲われた。
「っ!!なに?」
全身にかかった、強烈な圧力。それは、この仮想空間において、私がこれまで感じてきたどんな情報量よりも強大なものだ。
周囲を見回しても、どこにも変なところはない。
強いて言うなら観客の歓声の幾つかが、ノイズがかかったみたいな音声トラブルを起こしていることくらい。
でも、決して気のせいじゃない。
「どうしたの?」
「いや、なんか……」
違和感は、変化となって訪れる。
反射的に神経を張り巡らせていたからこそ、誰よりも早く気付けた。何かが音もなく通り過ぎる気配。
それが人型であること、白い姿形であることを認識する前に、剣を振り抜いていた。
「ッ!かぐや!」
かぐやへと伸ばされた腕を中途で切り落とす。
花びらではなく黒い泥をまき散らして崩れ落ちた白い小人に、私は目を見張った。
「なに?この灯篭頭……」
これまで、ツクヨミのどんなマップでも見たことのないエネミーだ。
それに、感覚的な話になるが、私にはこれが単なるMobの類いとは思えない。不気味で掴みどころのない。底なし沼のような圧迫感が、これの異常性を雄弁に語っている。
「こいつは……」
かぐやはそれを見て、何かを感じているようだ。
だが、それを聞く暇もなく、人型はどんどん湧いて出て、私達を取り囲む。
「かぐや、私から離れないで」
「う、うん……」
明らかにツクヨミのルールの外に居る。
敵を前にして恐ろしいと感じたのは初めてだった。しかし、遅れは取らない。さっきの不意打ちだって、間一髪ではあったが反応できた。
集中状態ならば十分に対応できる。
立ちはだかる私を意に介さずかぐやに触れようとする白い人型を、次々と斬り倒す。
「チッ、次々と出てきて……やりづらいな」
手ごたえが気持ち悪い。
透明人間を切っているような気分だ。
いつまで続くのか分からない、ライブ後の余韻の中で始まった戦闘。体力的にはまだまだやれる。何時間続けられようと、指一本かぐやに触れさせるつもりはない。
「まだま……だ……あ?……ぇ」
目を細め、白い人型を睨みつけ、剣を振ったと同時。
威勢が唐突に引っ込んで、声が遠くなった。
「なっ………嘘、これは……」
胸が唐突に鈍い痛みを訴えたのだ。
思考回路も、アバターの四肢すらも重くなって、それまでの速度が出せなくなる。耐えきれず崩れ落ち、膝をついた。
「な、んで……よくせいざい、ちゃんと……のんだ、じゃん……」
呼吸が浅くなる。
発作だ。でも、おかしい。
抑制剤はライブの直前に飲んだ。効き目が切れるまであと何時間もあるはず。
「彩葉!しっかりして!」
酷い耳鳴りの中で、かぐやの声だけがかろうじて聞こえる。
早く、立たないと。
ログアウトして薬を飲まなきゃ命にかかわる。そんな事すら頭から抜けて、かぐやを守らなきゃって魂が叫ぶ。
「いろ……ああもう、コイツら邪魔!こっちにくんな!」
かぐやがハンマーで応戦している。
でも、ダメだ。
数が多すぎる。
「コヒュッ……グっ……ア゛……」
喉が潰されたみたいに、声が出ない。
動け、動け、動けと何度命令を送ってもアバターはうんともすんとも言わない。視界がチカチカと点滅する。
脳が無数の危険信号を発し、心臓が直接捻じ絞められるような激痛で、意識が赤色に染まる。
――熱い…痛い……
血管にドロドロのマグマが流し込まれたみたいに熱くて、痛くて、それなのに指先は震えてしまいそうなくらいに冷たくなっていく。
血の気が引く、とはまさにこのこと。
一秒が経過するごとに、状況はどんどん悪化する。
――薬、飲まなきゃ……いや、ダメ。今ログアウトしたら、かぐやが……
こんなにも長い間、発作を我慢したの自体初めてで、今更鎮静剤を飲んだところで治まるのかは不明だ。
体をバラバラにされちゃったんじゃないと錯覚するほどの痛みの中で、意識を手放さず、完全に崩れ落ちていないのすら奇跡に等しい。
「か………ぐ、や」
手を、一ミリ上げる。
たったそれだけの動作ですら、途方もない精神力がいる。
目すら、まともに見えない。本来ある景色の上で、幾つもの渦がとぐろを巻いている。出来上がった絵画に絵具をぶちまけて、筆でぐちゃぐちゃにされたみたいに、ぼやとノイズだらけ。
それでも、かぐやの美しい色だけは、どこにあるのか分かったんだ。
一心不乱に振り乱すハニーゴールド。
必死な顔で、こっちに来ようとしている。
そんな彼女の、背後に白い何かが迫っている。触れられてしまう。私の大切な、私のかぐやに。
――かぐやに………触るな。
「あぁぁああああ!!」
慟哭と共に飛びだし剣を振った。
その一振りは、寸前で白い人を袈裟型に切り裂く。間一髪、コンマ数秒の刹那に大切なお姫様を守り切った。
しかし、それが最後の力だったのだろう。
プツリと、糸が切れたみたいに、
「あっ」
遂に、限界を迎えた私の意識はブラックアウトした。