余命数年の私の元に現れたかぐや姫 作:グランドマスター・リア
ヤチヨチャットを使うのは、実に一年と少しぶりだ。
病気が発覚するまでは、変わり果てた家と体調不良が辛いなど、日常生活で上手くいかないことはこの相談アプリに吐き出していた。
AIでの自動返信だと分かっていても、推しが自分の苦しみに対して、何か言ってくれるのは心地よかった。
励ましでも、アドバイスでも、ヤチヨの言葉は私の精神を保つ安定剤になっていたのは間違いない。
病気が発覚してからは、使う余裕すらないほどに荒れていたけど、今はそうでもないことに気付く。
京都から東京へ向かう新幹線の中で、私はふとスマホを開いて、そのアプリアイコンをタップしていた。
『< 今日から東京に引っ越すことになった。家で色々あって、これから一人暮らしなんだ』
打ち込んだ文字を送信すると、チャットの読み込みが終了して返信が返ってきた。
『< そっか。とても大変だったんだね。若いうちから家を出て、遠い地で一人でやっていくのは不安も多いと思うけど、その分今までにない楽しい事だってあると思うし……いっそのこと前向きに考えちゃおうよ!』
前向き、か。
どうかな。
家族との間に修復不可能なほどの確執を刻み、それでも平気な顔してこうして列車に乗ってる私にそんな資格があるとは思えない。新天地に向かうはずの道筋は、とても光に満ち溢れたものじゃなく、むしろ終わりの始まりのように見える。
ターミナルケアと呼ばれるものがある。
日本語では、終末期医療。
終末とはその名の通り、回復を目的としない医療である。病気などで余命が僅かの人に、残りの人生を安らかに過ごしてもらう為に、生活を維持する事を主とする。
私のこの最後かもしれない逃避行は、それに近い。
家族とも、地元の人とも、顔を合わすだけで辛くて、少しでも心が安定する遠い地へと移り住む。何か志があるわけではなく、逃げる為だけの無意味な上京。
『< そうだね。頑張ってみる』
チャットを閉じる。
頑張る気力がない時ほどそうやって『大丈夫』『頑張れる』そういう事を言ってしまうのは、心の底まで絶望が浸食してる証拠だ。もっとも、それを自覚したところで、自分だけの力でどうにかすることは出来ない。
辛い時は、誰かに助けてもらわなきゃ、生きていけない。
私?
私はそりゃ……
言うまでもない。私は、一人だ。
✧・゚: *✧・゚:*
東京での日々は、良くも悪くも平坦だ。
朝起きて、学校に行って、バイトして、勉強して、ゲームして寝る。
家賃と生活費は親からの仕送りでまかなわれているが、何せあんな事があったから、私は自らこの家賃が一番安かったワンルームを希望した。
元は生活費も全部自分でバイトして稼ごうと思っていたのだけれど、それを言うとお母さんは『だったら上京は許さん』と頑なだったので、上京の為に私が仕送りを受け入れるという、とても奇妙な形での決着となった。
だが……実は。
生活費の殆どは、バイト代から払っている。
体調が悪くてどうにもならない時を除いて、生活費としての仕送りはその殆どを大事に小型の金庫にしまっている。
自己満足だ。
家賃も学費も払ってもらっているのに、そんな微々たる金を意地になって残しておいたところで、意味なんて無い。
でも、そうでもしないと私はここで生きて行けそうになかった。
あんな酷いことを言ったのに、それでも母は私を放り出すことはなかった。
責任と言えばそこまでだ。
母のせいで、寿命が縮んだのも一面においては事実だ。
私が背負ってしまった十字架と比べれば、吐いた言葉の重さは大したものではないのかもしれない。しかし、じゃあいっかとなれるほど私はあの家に対して冷淡にはなれなかった。
こんな事になっても、私は誰の事も嫌いになれない。
強いて言うなら、こんな自分が一番大嫌いだ。
自己嫌悪が深まる中で、四季もまた移ろい往く。
始まる当初はどうなるかと思われた東京での学園生活も、案外何事もないまま一年が過ぎた。
唐突に来る発作は相変わらず辛いし慣れないけど、痛み止めを飲んでしばらくじっとしていれば耐えられないほどじゃない。
親友と呼んでもいいような大切な友人だって出来たし、今通っているバイト先も病気のことを話しても受け入れてくれた優しい場所だ。
京都に居た時より、楽しく過ごせているのは間違いない。
それなのに、自己嫌悪も、胸の中の虚しさも消えてくれないのは、きっと私という人間自体は京都に居た頃からちっとも変われていないからだ。
その証拠に、学校では、先生以外には病気のことを秘密にしている。
芦花と、真実……大切な親友にすら、私は何も話せていない。
発作で席を外す時も適当に誤魔化して、ひとけのない所で泣きながら苦しみに耐えて、けれども一番痛いのは肉体的ではなく精神的な部分で……
「カヒュー……カヒュー……うぅ……はぁ」
校舎の裏手で、周囲に誰も居ないのを良い事に、情けなくへたり込んでうざったいくらい晴れた空を見上げる。
緩やかに痛みが引いてきた胸をそっと撫でて、両手で顔をおおった。
「……胸の痛みは、薬を飲んで、座ってたら収まる。なのに……なんか、痛いままなんだけど……なんなのよ、これ……」
これじゃあ、京都で、薬飲んで自らの無意味さに泣いてた時と何も変わらない。
ベクトルが変わっただけだ。ここに居る人達は、体調が悪かったら心の底から心配してくれる。そんなの分かってる。分かってるのに、どうしてもそれを素直に受け取れない。
誰かの思いを偽物だって決め付けることは、とっくの昔に常態化してしまって、いざ優しい人が、私を救ってくれるかもしれない人が目の前に現れても、そう簡単に本心を話す事はできない。
それはつまり、結局周りが変わっても、私が変わらないなら意味がないって事を如実に証明している。
「こんな遠い所まで来て……一年もこんな事続けて……ほんとうに、私ってなんなんだろ……」
生きる意味なんて見失って久しく、少ない制限時間しか持たない私には、それならこれから変わっていこうと前を向く事すら難しい。
そうすると、他人との関係を見限ったまま、誰かの想いを求め受け取ってばかりの最低人間の完成だ。
「だから嫌いなんだ……こんな、自分のことは……」
嗚呼、嫌だ。
これで何回目だろう。
自分の事が嫌い過ぎて泣くのなんて……
そうやって、何度泣いても私はここで生きることを選んだ。
今日も今日とて、夕方からのバイトに精を出す。バイト中は、もしも発作の兆候が出たら早めに言って薬を飲むことになっている。
そうすることで、行動不能になる時間が大分短くなるからだ。
店の人は事情を知っているので、学校みたいに誤魔化して、人の居ない所を探して時間をかけることもない。
故にそう大事になった事もなく、そもそもバイト中に発作が起きるのも稀と言えば稀だ。
普通に働いて、定時になったので上がると、夜の街を歩いて帰宅する。
四六時中街明かりがうるさい東京において、都心部に本当の意味で夜が訪れる事は無い。
けれど、私はちょっと暗い方が好きだ。
暗い場所では、私は私のままで居られるから。
「明日から三連休か。何しようかな……」
スマホに表示されたカレンダーには、三日分の『休み』が書き込まれている。
本来なら、喜ぶべきところだろう。しかし、今の私にはどうしても訪れる空白を喜ぶことができない。
休みなんてあったって、やる事と言えば、決められた分勉強してゲームするくらいだし、そんな空虚な時間は重ねれば重ねるほど辛くなるだけだ。
それくらいなら、常に動いて心を誤魔化している方がずっとマシだ。
だが、この体はそんな事をできるほど体力がない。
体育の授業ですら、座学以外は見学するのが殆どなんだ。肉体的な事は、どれだけ頑張ろうと全てにおいて人並み以下の結果しか出せない。
体が満足に動かせないと、心も滅入ってくる。それがネガティブな思考に拍車をかけて、その負のループは数年前からずっと続いている。
「あっ、流れ星!!」
そんな時、近くの通行人が空を指さした。
そこには確かに、一筋の星が夜の空に尾を引いていた。
通行人は願い事をしている。流れ星が消える前に願い事をすると、願いが叶うらしい。それが本当なら大層な事だ。
私は、そんな迷信は信じない。
「……ひとりになりたい」
だから、投げやりに本音をぶちまけた。
ため息をつく。
この期に及んでまだ、私はこんな事を言っている。
ほろ苦い日々だ。ビターテイストが効きすぎているから、ガムシロップでもぶちまけてやりたいと、そう願った私の『ひとりになりたい』は果たして叶うのか否か。
死ぬことが一人になる事と同義なら、近いうちに叶う。
そう考えて、首を横に振る。
疲れているんだ私は。
闘病生活の中で、バイト終わりの夜なんてこんなものだろう。そうじゃなければ有り得ない。
「……は?なにこれ……」
私の住んでるアパートの前に、虹色に輝くゲーミング電柱が出現しているなんて。
こすこすと目を擦って、もう一度見てもやはり変わらない。
「……なんだ、幻覚か。病気が進行したのかな。どうせ休みだし、明後日にでも病院で診てもらお」
そんな直前に予約なんて取れる訳ないって事すら忘れている時点で重症だ。
もう帰って寝よう。布団の中は唯一、誰の目も憚らずに泣ける場所だ。あの暗闇が恋しい。さあ早くと歩を進めると、ブシューとゲーミング電柱が煙を放った。
流石に驚いて足を止めると、ゲーミング電柱に小さな扉っぽいものが現れて、それが開き始めた。
「へえ、最近の幻覚は演出まで凝ってるんだ」
どこか他人事のようにそれを見ていると、開いた電柱の中には赤ん坊が居た。
「それで、赤ん坊が出てくる、と……」
すやすやと眠りから覚めた無垢な存在が私に笑いかける。
可愛いな。純粋にそう思った。この世の汚れを何も知らない小さな命。私もこのくらいの頃は、今みたいに自己嫌悪に苛まれてなんていなかっただろう。
「無垢な笑顔。ちょっと羨ましいな」
久しぶりに、微笑んだ。
衝動的に子供を抱き上げると、ゲーミング電柱は元の無機質な姿に戻った。
「あ、電柱……えー、普通おいてく?」
ていよく押し付けられたみたいだ。さてこの腕の中の存在はどうしよう。安定は警察に届けるとかだろうけど、なんて説明するべきかな。
簡単な話。段ボールに入っていたとでも言えば住む話だ。まさか警察もこんな女子高生に埒の疑いをかけるような事はないだろう。
見下ろすと、赤ちゃんは心地よさそうに顔を綻ばせている。
そんなに気持ちいいのかな。こんなに細くって、柔らかさの欠片もないような腕がそうとは思えないけど、赤ちゃんに嘘をつくなんて概念はない。
驚いた。疑えない。
「……あんた、何処の誰なの?」
試しに聞いてみるが、赤ちゃんが言葉を返してくれるはずもなく、不思議そうにするばかり。
この腕の中に居る存在は、そんな簡単な意思表示すらできない。
不完全で頼りなくて、誰かの手がなければ簡単に死んでしまう。病気を患った私よりも、ずっとか細くて脆い。
夜空を見上げる。
街頭の少ない住宅街なら、薄っすらと星が見える。
私の心はとても穏やかで、どうにもこの子を何処かの誰かの手に渡らせる事には消極的だった。
この”私より”か弱い存在なら、なんもない私でも―――
「……家、来る?」
そうする事で、意味を得ようとした。
愛情とか、優しさとか、そんな温かで立派な想いがあった訳じゃない。ただ私は、この運命的な展開で、手元に現れた小さき者を救う事ができれば、無意味な自分に少しでも意味が見出せるのではないかと思ったのだ。
「あぅあ……」
「そっか」
赤ちゃんが笑ったから、私は歩き出した。
階段をのぼって、自室へ帰宅する。
そうだ。これは私のちっぽけで、醜いポーズに過ぎない。そうでなければならない。誰かの想いを疑い、突き放すような私が、そんな綺麗な思いを抱いちゃいけない。
部屋について、とりあえずミルクをあげて、お布団の中で小さな温もりを抱きながら、私の大好きなヤチヨの曲である『Remember』を歌い聴かせながら、眠りについた。
その次の日は、案の定赤ちゃんの世話にかかりきりになって、決して安くない出費で必需品を買って、あっという間に朝から夜になる。
昼頃には一度発作があった。
痛くて苦しくて、いつもなら自己嫌悪で死にそうになるのに、その時は一秒でも赤ちゃんから目を離したくなくて、痛みが収まると早々にトイレから出た。
久しぶりに満ち足りていた。
滅入っていた心が、温かくなる感触がした。
その日も、赤ちゃんを抱いて眠った。
そう言えば、布団の中で一人泣かずに眠れたのも久しぶりで、どうにもこの子との出会いは私にとってのピースだったように思えてならない。
しかし、しかしだ。
「うそ……なんで、デカくなってんの?」
「まあ、近頃は色々とスピードが速いですから!」
そこまでしろとは言っていない。
ファンタジー?
SF?
ほうほう……で?
こんな死にかけの少女の元にこんな大それた存在を送ってきて、神様はなんのつもりなのだろうか。
深夜の二時にお腹が空いたと言い放って、オムライスを速攻食べ終えたかと思えば、私の分のタコライスまで遠慮なく貪るこの少女。別に喉通らないから良いけど……
不思議だな。
こういう事って本当にあるんだ。むしろ、私が死にかけだから劇的な体験でもさせてあげようとご褒美をくれたのかも。
月から来たって言う宇宙人。そして余命幾ばくかの少女。なかなか泣ける話じゃないか。
そんな風に思いながら、昔話である『かぐや姫』の内容に文句を垂れる少女を眺める。
「かぐや姫絶対不幸じゃん!それにハッピーエンド面してるのが余計に許せないよー!」
「仕方ないじゃん。そういう話なんだしさ」
そういう話、ね。
こういう夢も希望もない思考が、頭の中に根付いたのはいつからだろう。かぐや姫をはじめとした悲哀に終わる物語は、まるで私の人生のどうしようもなさと重なる部分がある。
物語の世界でもそうなら、現実の私は一体どうして夢や希望を抱けるというのだろう。
「泣いても喚いても、決まっていることが変わる訳じゃない。受け入れて、覚悟するしか……ない」
我ながら妙な説得力を伴った言葉に、自嘲がこぼれる。
闘病中であるから、努めて健康的な生活を送っているおかげで口内炎などはない。吐いた言葉の重さで胸の中はズキズキと痛んでいるけどね。
自己嫌悪の兆し。
そこで、かぐやはバッと立ち上がって意外なことを口にした。
「だったら、かぐやがハッピーエンドにする!そんで、彩葉も一緒に連れてく!」
目の前が真っ白になる感覚がした。
この子は今、何と言った?
言うに事を欠いて、私を相手にハッピーエンド?
無邪気な顔でそうやって希望を振りまいて、自分なら必ずできると信じてやまない。こんな無神経でデリカシーのないことを言われたのは、生まれて初めてだ。
でも、どうしてだろう。
そんなことは不可能なのに、ちょっとだけ、心に熱みたいなのが灯った。
「はっ、出来るもんなら……心の底から、そうして欲しいよ」
諦めたように笑って、投げやりにそう返答した私に、かぐやは何事か言っていたけど、布団に入ると当然のように横に入って来て、なんだコイツって思いながら目を閉じる。
これは、全てを諦めていた私のもとに、とっても無神経なかぐや姫が現れた、その日の出来事です。