余命数年の私の元に現れたかぐや姫 作:グランドマスター・リア
人にはそれぞれ、信じる世界がある。
こうであるはず、こんな事起きるはずがない。そうやってあり得ないと決め付ける事で、本来なら向き合うべき問題から目を逸らし、心の安寧を手に入れるのだ。
わたしは、その可能性を、ちゃんと分かっていた。
分かっていたはずなんだ。
『重い病気を患っているかも』と考えた時点で、かぐやの頭の中には、同時にもう一つの予感が浮かび上がっていた。
ただでさえ、発作で苦しむ彩葉を何度も見て、そうなる事への恐怖心は常に胸の中にあったんだ。
でも、見ないふりをしていた。
まさか、そんな事あるわけがないって、無意識のうちに自分自身の心を守っていた。
彩葉の秘密と向き合うっていうのは、それを直視し、認めることに他ならない。けれど、そんな覚悟をしないままに、わたしは真相を目にしてしまった。
「ゆい、ごん……?」
書簡の表面に書かれていたのは、聞きなれない単語だった。
遺言、その言葉の意味は知っている。
死期を悟った人が、残される大切な人や家族に残すメッセージ。でも、なんでそれが、彩葉の部屋の引き出しに入ってるの?
どうして『かぐやへ』なんて宛名が書かれていて、こんな鍵付きの箱に、しまわれて……
「な……なんで……?なんで……え……」
側頭部を押さえて、疑問形の言葉を何度も吐き出す。
誰も答えてなんてくれない。否、答える必要がない。
何故なら、今わたしの手にあるものが、そこに書かれた単語と宛名が、全てを物語っているから。
「ゆ、遺言……って、死ぬ人が残すもので……あれ?でもこれ、彩葉の部屋の……」
嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
認めたくない。知りたくない。
――なんで?
かぐやが自分で箱を開けたのに?
彩葉の意思を無視して、隠していたものを勝手に暴いて、そんな最低なことをしたのはかぐや自身なのに、何で逃げたいとか思ってるの?
崩れていく。
自分の中にあった、何か大切なものが、ぐちゃぐちゃになっていくのを感じる。『かぐやの世界』が壊れていく。
体の震えが止まらない。
鳴り止まない動悸に急かされてせり上がってくるものを、口元を抑えて、なんとか我慢する。
首を振って、必死に頭の中から追い出そうとする。だけど、そんな行為に意味はない。
わたしはもう、知ってしまった。
どんな言い訳を並べたてても、目の前にある真っ黒な事実を否定することはできない。
むしろ、そうやって目を逸らそうとするほど、残酷な真相はわたしの中で形を持つ。
喚く気力もわかず、暴れ回る力すらない体が、壁にもたれかかって、滲んだ視界が薄っすらと白い書簡を見つめた時、ようやくわたしは、その ”現実” を言葉にした。
「彩葉が………死んじゃう?」
彩葉が死ぬ。いつかなんて遠くじゃなくて、近いうちに死ぬ。
かぐやの前から、この世界から永遠に居なくなる。
「うっ……うぅ……あ、あぁぁぁ……ああっ……」
書簡を傍に置いて、伏せるように項垂れる。
腕で顔を囲って、拳を床に突きつける。物理的に視界が真っ暗になったことで、抑えていたものがとめどなく溢れ出した。
「あぁ…………うああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
うめき声ともつかない、悲痛な泣き声が部屋に響く。
何が辛くて、何が悲しくて、何が嫌で、何が苦しいのか、そんな事すらも分からないまま、慟哭を上げ続ける。
痛い場所があるとすれば、わたしの中にある、柔らかい部分。
愛の臓って言うのかな。
誰かを好きになって、大切にしたい、守りたいと思った時に色を付け、鼓動を始める。形はないし、不可視だけど確かにある、心の中の最も大事な場所。
そこがね。
ずっと、痛い。
「あああああああぁぁぁあああ!!!あああああああああぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ゛あ゛あ゛!!!!!」
泣きまくって、叫びまくって、部屋の床を何度も殴る。
そうやって自分を痛めつけて、激情を外に出し続けないと、本当にどうにかなってしまいそうだった。
「ゲホッ……ゴホッ……っ、うぅ……」
やがて、喉が枯れて叫ぶことすらできなくなる。
何度も息をついて、体の中を暴れまわっていた感情はようやくマシになったけど、今度はその分悲しみが冷たいベールとなってわたしを包む。
―――感傷が刺激された頭の中で、密かに貯めていた理想図がリフレインを始める。
色々と、決めていたことが、あったんだ。
秋は一緒に
全部、かぐやが心の底からやりたいこと。
やれるって信じていたこと。
彩葉との未来は、いつも黄昏色なんだ。ほろ甘くて、切なくて、想像するだけで生きることが楽しくなる。
早く明日を迎えたい、もっと先へ歩いていきたいと、そんな風に思えるんだ。
「ぐすっ……かぐやと……彩葉の、未来も……どっか、行っちゃうの?」
それが、消えていく。
思い描いていた未来を、どれだけ叶えられるのか分からない。案外全部実現できるかもしれないし、一つも叶わないかもしれない。
どんな未来も、彩葉が居ないとつまらない。
例えば、彼女の消えた世界が訪れたとして、わたしは一生、事あるごとに物陰で彼女の姿を探し続けるだろう。
彼女の存在は、わたしの全てなんだ。
比喩でも例えでもなく、そのまんまの意味。
「これから、やりたいことたくさん……あるのに……叶わないのかなぁ……」
心のアルバムに綴られた、青い情景の数々。
春、夏、秋、冬。四季折々に彩られた世界で彩葉はいつも笑っているのに、彼女の姿はどこか遠くにあって、かぐやがいくら手を伸ばしても届かない。
丘の上、散っていく花吹雪の中心で、儚げな表情をしながら、一本の桜の木を見ている。
どうすれば、そんな彼女を救えるのか、考えても考えても答えは出ない。
かぐやがどれだけ頑張っても、病気を消し去ってあげるのは無理だ。
「彩葉と……ずっと、一緒に居たいよ……」
ただ一つ、変わる事のない本音だけが、涙に濡れた真新しい部屋に薄く消えていった。
✧・゚: *✧・゚:*
結局、遺言書の中身を読む事はできなかった。
ちょっと折り目がついてしまった白い書簡を、丁寧に箱の中に戻して、纏めた荷物を持って家を出る。
封を解き、内容に目を通せば、彼女の想いも、遺言書を書くに至った詳細な理由も、なにもかもを知ることができるだろう。
けれど、そうした瞬間、わたしは”わたしで居られなくなる”予感がして、逃げの一手を取った。
大切な人を喪うかもしれない現実は、あまりにも重い。
受け止めるには時間が必要で、ここ数日の歪んで癒し切れていない心では、一滴の劇薬を垂らしただけで仮死となってしまう。
そんな脆弱さも情けないと言えばそうだが、最も度し難いのは、それが自分の意思で知った真相であるという事。
わたしが何かの間違いで見てしまわないように、鍵をかけてまで隠されていた。
箱を見つけ、あまつさえ解錠し、その中身に触れたのはわたし自身の意思だ。
ここだ。
この事実が、わたしをどこまでも惨めにする。
どうしようもなく、自分が憎い。怒りが湧いて仕方がない。
箱を見つけた時、鍵の存在に気付いた時、解錠し蓋をあける瞬間、引き返すタイミングは幾らでもあったし、見ない選択肢はちゃんとあったんだ。
中身が、わたしに少なからずショックを与える事だって、分かっていた。
それでもわたしは、大切な人の秘密という一見甘そうな美辞麗句を前に、苦い現実へと踏み出した。
覚悟が足りていないことを自覚しながらも、目を瞑ったままでいることは出来なかった。
―――彩葉のことなら何でも知りたい。
そう叫びながら、最終的には全てを知る機会を先延ばしにし、拒んだ。
このちぐはぐさこそが、わたしという人間の中途半端さを表している。
無気力、無力感に打ちひしがれて、笑う元気なんてどこにもあるはずがない。
それでも、彩葉の所に戻らなきゃっていう意思だけはあって、こうして足を動かしている。
「病室に着くまでに、笑えるようにしとかないと……」
こんな顔で、彩葉の前に出ることはできない。
腫れた目元を冷やすことすらせず出てきてしまったものだから、どこかで応急処置しないと、彩葉は一目でそれに気付く。
今のわたしでは、彼女に指摘されたら、或いは心配されたら、あったことを全部吐いてしまいそうだった。
そんな心をひた隠すように、独り言を呟く。
「熱いなぁ……でも、もうちょいこのままでいいかも……」
公園から首を伸ばした、黄緑色の葉が視界の隅。
草葉の擦れる涼しげな音と共に、そよ風がバリエーション豊かに頬を撫でて、心地よさの中にほんのり切なさが混じる。
夏の風景には、陽気でも快活でもなく、静やかで寂しげな色こそ似合うのかもしれない。
現に『ひと夏の思い出』なんて言葉があるんだ。
過ぎ去る日々への哀情にはうってつけな表現で彩ってみると、その先に待っているビターでベターなエンドが輪郭を現す。
秋を迎える主人公の隣に、果たしてあなたは居るのだろうか。
なんとなく、ほろ苦い結末になるのを予感していながら、わたし達は進んでいくしかない。
何があったとしても……
「……ん?」
陽光の射す住宅街の道。
ふと視線を上げた先に、それは居た。
灯篭の頭をした、白い人型。
人型は綺麗なお辞儀をして、そこに立っている。
「え?あいつは……この前、ライブの後に襲ってきた……」
――なんでここに。
そんな疑問を呈するも、真っ昼間の日常的風景の中で、異質なまでに溶け込んだ姿には、どうにも警戒心というものが上手く作用しない。
先日の事を考えたら、すぐに踵を返して逃げるべきだ。
それなのに、わたしは何故かそうする気にはなれなくて、逆におそるおそるな恰好で足を前に進めている。
それは、もう逃げたくないという意思の現れなのか、形容し難い予感が故か。
取り留めもない感覚だ。
でもわたしは、この物語の真相を知る上で、この人型との接触は切っても切れない鍵のように思ったのだ。
「ねえ……聞かせてよ」
思考でも感情でもない。
もっと奥底の潜在意識が揺れる音。それは、あのライブ後のひと時、こいつを一目見た時にも感じたものだ。
「あんた達は、一体なんなの?」
遂に目前まで来た。
人型はようやく頭を上げると、ノイズまみれの声で『手に、触れてください』と声を発した。
言葉の後、人型はあの時のように襲ってくるような事はせず、ただ静かに手を差し出す。
「手を……握れば、なにか分かるの?」
聞いても、白い人型はなにも答えない。
しかし、沈黙とは時として言葉以上に雄弁に語る。
これは、今日で二度目の境目だ。箱を開けるか否か、それによって知る事を受け入れるか否か。
「……わかった」
どうにかして足搔きたかった。
まだわたしには、足りない。
脆いままじゃダメなんだ。欠けたままの状態じゃ、彩葉と向き合うことなんて永遠にできない。
その足りない部分を補う為には、何か重要な一手が必要で、ピースはどこかから持ってくるしかない。
「教えてよ。かぐやに、知るべき事があるのなら」
今度は迷いなく、拒むことなく、わたしはその手を取った。
□
想いを綴り、重ねていくと、曲の最終的な完成形の輪郭が見えてくる。
構想が本格的に指に乗り始めたタイミングで、一度体をぐっと伸ばす。
そこで、病室の扉が開いた。
「あっ、お帰り。かぐや」
来訪者は、やはり彼女だ。
さっきは手提げ袋一つだけだった荷物が、ちょっと膨れたリュックに変わっている。
「お待たせ、彩葉。頼まれてた物、持ってきたよ」
そう言って、ベッドの傍に置かれたパイプ椅子に腰かけたかぐや。
そんな彼女を見て、私は疑問符を浮かべた。
――あれ?かぐや、ちょっと元気ない?
表情は普段と何も変わらない、いつもの彼女だ。しかし、何となく、様子がおかしいように思えたのだ。
歩く時の何気ない所作や、覗いた横顔から感じた空気感、言葉の節々から感じる温度。それらは本当に微細で、私ですら見逃しそうになるくらい小さな変化だ。
でも、決して気のせいなんかじゃない。
だけどそれと同時に、落ち込んでいたり、悲しんでいる感じともまた違う。
故に、”おかしい”という表現が最もしっくりくる。
「はい。五線譜って、これで合ってるよね?」
「……うん、ありがとう」
差し出された五線譜を受け取って、テーブルの上に置く。
その間も、視界の中には常にかぐやを収めている。
――さて、どうしたものか。
こういう場合、「何かあった?」なんて聞いても大抵の人は「なんでもない」と答えるだろう。
何千回とそのやり取りを繰り返してきた私だからこそ、その気持ちは誰よりも分かる。
加えて、今の私は”こんな状態”だ。
病床の人間が何を言った所で、色好い会話になるとは思えない。
「外、熱かったでしょ?この時間帯が、一日の中でも一番熱いもんね」
「ほんとにね~。マジで嫌になっちゃう。溶けるかと思ったわ」
まずは当たり障りのない会話から始める。
からっと爽快感のある笑顔を見せてくるかぐやに対して、私は率直に『わざとらしいな』と思った。
集中して数秒観察すれば、疑念を確信に変えるには十分な証拠が集まる。
視線の泳ぎ方、指先の微動ひとつ取っても、人ってのは癖の塊だ。
普段通りにしようとすればするほど、無意識な強張りが節々に現れるし、秘密を抱えたまま会話すれば、必ずどこかにほころびが生まれる。
そんな変化の中でも、決め手となったのは目元だ。
かなり意識して見ないと分からないものの、僅かにお化粧で整えた跡がある。
芦花直伝の技である為、相当上手く隠せているが、私の目は誤魔化せない。そして、これが意味することは一つ。
――かぐや、泣いてたんだ……
やっぱりそうだ。さっき別れてから、ここに戻ってくるまでの間に、何かあったんだ。
「でもほら!フカフカも沢山持ってきたから、これで夜一人でも寂しくないでしょ?更に、これ全部かぐやが抱きしめたやつだよ!」
リュックの中から可愛いぬい達を取り出して、次々とベッドの上に置いていく。
湿っぽい笑顔だな。まるで、私みたいだ。
いつからそんな笑い方をするようになったのよ。
「そうだね。確かに、かぐやの匂いがするかも……お日様の匂いってやつ?」
お互い嘘の混じった笑顔を浮かべて、語り合いたいはずの本音からは遠ざかってばかりで、こんな日常が果たして幸せと言えるのかな。
出会った頃とは対照的な二人。
けれど、私はそれを後退したと思いたくはない。そんな風に言ったら、かぐやが可哀想じゃん。
「どっちかと言うと月じゃない?かぐや、月出身だし……」
「どうだろ。じゃあ、私からは京都の匂いがするの?」
もっと話していたい。
シンプルだけど尊い願いを抱いて、難しく喉に引っかかる感覚を飲み下しながら言葉にする。
「え?いや、それこそわかんないよ。かぐや、京都行った事ないし……でも、どっちかと言うと彩葉は”花”かな。紫陽花とかイメージ近いかも」
紫陽花か。
雨とセットで描かれるその花が私とは、これまた粋なことを言う。
「それが答えだよ。生まれた場所は、確かにその人の重要な一部だけど、全てじゃない。どこかを目指し、歩いていく権利は誰にだってあるはず……時間がある限り、ね」
余命いくばくか、家庭環境だってお世辞にも良いとは言えなかった私ですら、こんな遠くまで来れたんだ。
かぐやが月から地球へ来て、ここで様々な物を積み上げて成長したように、人は常に変わっていく。
私が変わったように、かぐやだって一年後にはもっと大人っぽい気配と香りを纏うようになるだろう。
「どこの生まれだろうと、かぐやは かぐや だよ」
これこそが、私が彼女と関わり、ここに至るまでに得た答えだ。
私にだって、ずっと言えてない秘密があるように、かぐやにも色々とある。
それすらも全部悲観してしまったら、私がこれまで、彼女と関わって育んできた大切な想いすらも崩れ去ってしまう。
そりゃ、いつかは踏み込む必要がある。
決して、このままにしておくつもりはないけど、それは私自身も彼女に打ち明ける決心がついてからだ。
それに、どうやら私の言葉はちゃんと、かぐやに届いたらしい。
「かぐやは、かぐや。そっか、彩葉はそう言ってくれるんだね……」
俯きがちにそう言ったかぐやに、私は唇を綻ばせる。
なりきれない薄笑いでも、取り繕ったものでも、今まで彼女がそうしてくれたように、私だって受け入れたい。
それが、誰かと向き合いながら生きるってことだ。
「ねえ、彩葉。かぐや、これからも沢山頑張るよ。どんな事があっても、彩葉が『かぐやをかぐや』だって言ってくれる限り、諦めない」
「そう?嬉しいな。でもどうしたの?急に改まって……」
かぐやの目に浮かんだ決心を受け止め、涙の痕に見ないふりをして、次の言葉を待つ。
「なんでもないよ。言ってみたかっただけ……ただね、気付きって言うのかな。どんなことがあっても、今更かぐやは諦めたりなんて出来ないし、彩葉から離れることもできないそうにない」
かぐやは私の手を取って、ベッド脇から見上げるような形で告げる。
「守りたいんだ。”何を”って言うのは、まだハッキリしてないけど……今、彩葉がくれた言葉で、ちょっとだけ見えた気がする」
誰よりも強い視線と熱量で、そう語るかぐやに、私は何かとんでもない事を言ってしまったんじゃないかって自分の言葉を頭の中で反芻する。
しかし、言ってしまったものは引き下げられないし、そもそも決心の中身も分からなければ是非もない。
この場合、返すべき言葉は……そうだ。
「それじゃあ……かぐやが危なくなったら、私がかぐやを守るよ」
「っ……彩葉ったら、そういう所だよ。もう……」
違っただろうか。
いやでも、嬉しそうにしてるってことはこれでいいのかも。
わからないまま、知らないまま、私達はお互いに言葉を送り合い、約束を交わし、歩いていく。
窓の外、空は澄んだ青。雲一つない晴天だ。
漠然と予感する。案外、この旅も、あと少しなのかな。
■
なにかをしたい。
なにかを作り出したい。
そういう情熱は、指を動かす原動力になる。
幸いなことに、病院側の配慮で個室の病室を貰えていたお陰で、周りを気にせず作業できる。
消灯時間に眠りにつき、朝起きたらまた作業を始める。
退院して家に帰った後、速攻で構想を実現するべく、今はとにかくアイデアを打ち込むんだ。
かぐやなら、たぶん落ち着いた曲調よりも、アップテンポなのを好む。
ただし、だからといって荒々しくはならず綺麗さ繊細さも忘れない。
面会時間が来れば、またかぐやが来てくれる。
その時、歌詞についても話し合おう。
「楽しい……」
時が、人生が、前に進んでいると実感する。
この瞬間、私は確かに生きているんだ。
過ぎた日々を懐かしみ、消えていくモノに悲しみを抱きながらも、あなたと手を繋いで、色とりどりの世界を迎えに行きたい。
私は今、誰よりも命をかけて一分一秒を生きている。だからこそ、全身全霊をかけ、歌に命を吹き込める。
人は、のめり込み集中すればするほど、時間の経過を早く感じる。
元より一つの事に集中するのが得意な私にとって、起床から面会開始時間までの数時間なんてあっという間だ。
――早く、かぐやとこの曲を共有したい。
その一心で、進行を少しでも前へと進める。
やがてPCの右下に表示された時計が所定の時間を過ぎてから数分して、案の定私の病室の扉が開かれた。
ガラララと扉の開く音に、私はピタンと作業する指を止めてそっちを見た。
「来た。今日も早いね、かぐ……や……?」
けれど、そこに居た人物を見て、私は凍り付いた。
体に溜まった熱量が一瞬で冷めていく。弾んだ声は嘘のようにしぼんで、喉の奥へと引っ込んでしまう。
指先一つすらも、怖じ気づいたように機能を停止。
内心は小動物のようにふるふると怯え、それに呼応したように、か細く震えた声で私は口にした。
「……お母さん?」
お待ちかね
親子回です