余命数年の私の元に現れたかぐや姫 作:グランドマスター・リア
かぐやがヤチヨと関わった時間は、それほど多くない。
彩葉とのそれに比べれば、とても短く、一瞬にして束の間。
そんな僅かな関わりでしかなくとも、交わした言葉が内包する密度は、かぐやにとって軽い物じゃない。
意味を理解すると、一言毎に込められた感傷も見えてくる。
一見結末を予見させるような思わせぶりな言葉も、実は彼女の悲鳴だったんじゃないかなって、今は思う。
「ヤチヨは、かぐやだったんだね」
問うってよりは、まさしく答え合わせをするかのような言葉遣い。自分でも驚くほど優しい声が出る。
かぐやは、暗闇の中にひとりの幼子を見つけた。その幼子は、ずっとかぐやの大切な人を支えてくれた大恩人で、わたしと違って大人だと思っていたその人の、か弱く小さな背中は、誰よりも繊細で寂しそうだった。
どこまでも不可思議で、荒唐無稽で、蓋を開ければ残酷かもしれない事実。それでも、わたしは触れる。
触れて、確かめることを選んだ。
「今は昔」
ヤチヨは諦めたように笑い、語り始めた。
表面上はいつも通りのヤチヨのようで、ともすれば他人事じみた話し方。
銀髪の姫君は語った。運命に逆らえず、月へ帰った一人の少女の物語。その後、起こった悲劇と哀奏の道のりを―――
ある程度、予想はしていたつもりだった。
ヤチヨの正体に気付くことさえできれば、あらゆるヒントや過去と未来の可能性から、その背景を推測する事自体はそこまで難しいことじゃない。
だが、想像と事実はいつだって別だ。
仮に語られた内容が予想と同じであっても、内包する熱量は天と地……否、月とすっぽんほどの差がある。
「――かぐやはウミウシを通してだけ、世界と交流を持てました」
それがどれだけ辛く悲しい事だったか、同じ自分のことなのにイマイチ実感がわかない。
知った気になっていた節はある。ヤチヨが『かぐや』なら、かぐやにだけは彼女の全てを理解できると、受け止めてあげられるって。
暗いマンションの一室で、安置されていたタケノコを思い出す。
痛々しいと、寂しそうだと、そういう気持ちを抱いた。
そんな数分前の自分を、今すぐひっぱたいてやりたいよ。
「やがて……かぐやはツクヨミを作り出し、世界と関わることができるようになりました。そして、仮想空間ツクヨミの歌姫として、彩葉と出会うことができたのです……」
本来なら、そこでプロローグは終わって、かぐやと彩葉が出会った時間軸へと繋がる。
そうであるはず……そうでなければならなかった。
けれど、わたしは知っている。交わった時間軸において、ヤチヨが目の当たりにしたあまりにも残酷すぎる現実を。
「と……ここで終われば、良かったんだけどね……」
辿り着いた世界に、彼女が求め信じていたものは、存在しなかった。
「お姫様が、恋焦がれ、会いたくて仕方がなかった人は……っ……」
八千年。
寿命や時間というものをおよそ超越した存在であるかぐやをして、実感を持つことが難しいほどの年月。
そんな途方もない刻を、肉体すら持てず、魂だけで孤独に過ごすなんて、かぐやには到底耐えられないことのはずなのに、それができたのは誰よりも会いたい人が居たからだ。
少女が運命に逆らえなかったように、運命もまた理には逆らえない。
どれだけ辛いことがあっても、未来において再会が約束され、そこに在る日々がもう一度訪れるからこそ歩み続けることができたのに。
「数年で、死んじゃうんだって……」
その終わり……そして始まりで、彼女が突き付けられたのは、命よりも大事な人のあまりにも少なすぎる命の残り時間。
「………ごめんね。こんな、夢も希望もない話を聞かせて……」
語り終えたヤチヨは、ただ色白な頬に影を落としてそう言った。
「これじゃあ、めでたしめでたし~……どころか、バッドエンドだよね」
片手で顔を押さえ、疲れ切った表情をしたヤチヨを前に、かぐやは言葉を失う。
彩葉なら、言えたはずだ。一言で、彼女を救ってしまうようなことを、その道を肯定できる何かを、届けられたに違いない。
なんで、わたしにはそれができないのかって?
そんなの当たり前だ。
半端に共感できてしまうからこそ、わたしには、彼女と同じ立場になった時、どんな言葉があれば救われるのかなんて分からないからだ。
それが分かるのなら、今ここで、ヤチヨはこんな顔をしていない。
真の救済っていうのは、共感の上に、愛情に溢れた客観が無ければ成り立たない。
「……ヤチヨが居た世界の、彩葉は……」
「うん。少なくとも、病気なんてなってなかったよ」
聞かなくても分かることだ。敢えて問う必要もないのに訊いている時点で、かける言葉が無いと自白しているも同然だ。
しかし、こんな風に口は役立たずでも、心の中では、ふつふつと怒りが累積する。
――あり得ないでしょ。
――そんなの、絶対にダメじゃん。
だったら彼女は、何のために月へ帰ることを受け入れたんだ?
何のために、ここまで歩いてきたの?
努力も、憧憬も、夢も、未来も、最後には信じた愛すらも全て否定されたようなもの。
冗談じゃない。どう考えたって、彼女は報われるべきだ。
同じ人を愛し、同じ好きを持つかぐやだからこそ、思いの丈くらいは分かる。
そりゃ、思いの大きさに見合った結果が得られるとは限らない。
生きている以上、いずれ辛い現実と直面するのは避けられないし、嫌な事でも受け入れなきゃいけない時だってある。
だけどそれは、前提として自らや大切な人が幸せになるためだ。
自分だけの自由や目先の得よりも、大切なものがあるから。
誰もがそうだ。不幸になるために、過酷を背負う人は居ない。
「……そもそも、私は前の世界線で、ヤチヨの正体には気付けなかった」
ヤチヨが言う。それは……そうだろうと思う。
かぐやが気付けたのは、彩葉を取り巻く環境と、そこから得たものが、わたしの事を成長させてくれたからだ。
誰かを見て、誰かを思い、誰かの気持ちを考える。
ほんのちょっとだけど、言葉の裏や行間を読み取れるわたしになれたからこそ、かぐやはここに立っている。
「かぐやが来るってFUSHIから聞いた時も、凄く驚いたんだよ?最初にここに来る人が居るとすれば、彩葉だと思ってた……この世界のかぐやは、そこまで気付けるんだって……」
その言葉を構成するのは感嘆と尊敬、そしてエッセンス程度の嫉妬。
以前の自分にはそこまでは出来なかった。分からなかった。
こんな世界なのに、そこに降り立った過去の自分には、以前の『かぐや』には思いもよらなかったことが理解できて、行動に移せている事実。
彩葉との関係だってそうだ。
それらには常に『わたしにはできなかったのに』が付く。
仄暗い心はまるで自分のことのように分かる。それなのに、そこより先は見通せない。
「そんなの……経験したことが違うんだから、当たり前じゃん」
比べても仕方がない。かぐやがそう言っても、当然ヤチヨは納得しない。
「そうだよ。でもね、他の人ならいざ知らず、あなた相手にそうやって割り切るのは難しい。気持ち……わかるでしょ」
そう、こういう所で『半端な共感』が裏目に出る。
つくづく、大人になった自分と話しているみたいだ。より的確に表すなら、年の離れた姉というのが正しいかもしれない。
「ただのおとぎ話……かぐやは、この話を聞いて、そんな風に思える?」
棘のある言い方だ。
けど、これでも大分優しい方だ。
ヤチヨの立場になれば、もっと恨みつらみや酷い言い方をされたって、ちっとも理不尽には感じない。
「……意地悪な言い方だったね。ははっ、ほんとにダメだな、私……こういう事を、言いたかった訳じゃないのに……」
どうにも上手くいかない感情から目を背けるように、ヤチヨはわたしに背を向けてバルコニーに出る。
かぐやもその後をついていくと、ヤチヨはそこから永夜の世界を見下ろして、感慨深げにつぶやいた。
「ここからの眺めが、ヤチヨは大好きなの」
知ってるよ。だってヤチヨ、この世界のキラキラを食べて生きてるんだって、自分で言ってたじゃん。
なのに、その景色を眺めるヤチヨは、慈しみに満ちた笑顔の裏で、泣いてるようにも見えた。
「かぐやの答え合わせは、これで十分?」
「………」
頷けるわけがない。
ここで首肯してこの場を去ってしまえば、送り出してくれた彩葉に合わせる顔がない。ううん、それ以前にわたし自身が納得してないんだ。
「まだって顔だね~。いいよ、好きなだけ付き合ってあげる」
下唇をかみしめ、俯く。
情けない。自分の意思でここに来たというのに、言いたいことの半分も口にできず閉口してしまった。
「ヤチヨは……どうして……」
胸にたまったモヤ付きが限界に達しようとしている。
このままでは、言っちゃいけないことを口にしてしまいそう。
抑えろと自分を律しようとしても、先程ヤチヨが言ったように、相手が相手なだけに上手くそれができない。
「なんで、泣かないの?」
自身が経験した訳でもない理不尽への、自分勝手な不満と、尚も仮面を外そうとしないヤチヨへの同情。
「なんでって……それが、ヤチヨだからとしか……」
困ったように笑うヤチヨを見て、こんな無神経な問いすら彼女の感情を揺らすには至らなかったことを悟る。
足りない。
こんなんじゃ、全然届かない。
――なんで……なんでなんだよぉ……
どうして、ヤチヨばっかり、こんな想いをしなきゃいけないの?
「えっ、かぐや?」
すると、ぎょっとしたような顔でヤチヨはわたしを見た。
「ん、なに?」
「……もしかして、気付いてないの?」
――なにが?
ヤチヨの言っている意味が分からなくて、首をかしげる。そんなわたしに、ヤチヨは近づくと、そっと指で目元に触れる。
話した指先には、小さな雫が乗っていた。
「あ……あれ、おかしいな。こういう感じにするつもり、なかったんだけど……」
拭っても、ぬぐっても袖が湿っていくばかりで止まらない。
閉じたまま口に出来なかった言葉が、雫になって溢れ出す。
いつまで経っても、みっともない。慰めたい人の前で泣き、救おうと思った誰かを逆に心配させてしまう。
見てよ、ヤチヨの顔。さっきまで泣きそうになりながら自分の過去を語ってたのに、今は泣いてるかぐやを案じてくれてる。
「……悔しくて」
それならもう、言ってしまおう。
涙まで見せたんだ。
これ以上、呆れられる事も格好悪くなることもない。
「わたし、ヤチヨを助けるために、ここに来たんだ。お互いの答え合わせをして、その上で、かぐやがしたい事を全部伝えようって……そう思ってた」
だが、そんな軽々しく絵空事を話せるほど、ヤチヨの過去は軽くなかった。
その過去を聞いても尚『どうにかしてみせる!』と自信満々に言えたなら、それはカッコイイ主人公って感じだけど、かぐやはそんな強い人じゃない。
打たれ弱くて、脆くて、助けたい人を助ける前に自分がへばっちゃうような、ダメな子だ。
「だけど、まだまだ……こんなんじゃダメだね」
「かぐや……」
わたしの抱くあらゆる覚悟はまだ、ヤチヨに言えるだけのものじゃない。
それでも、嘘じゃないんだ。
ただかぐやが納得できてないってだけで、彩葉の為に戦い抜く決意も、ヤチヨを救いたいって想いも、全部本心からのもの。
繋ぎとめるために足りないのは、積み重ねだ。
「ヤチヨ!」
もっともっと、話さなきゃいけない。
「全部、聞かせて!八千年の間にあったこと!」
まずは相手のことを知る。これは何よりも大切なことだ。
あんなおとぎ話じゃない。等身大の人生として、彼女の言葉で聞かないと、かぐやは前に進めない。
「……無茶言うねぇ。でも、そういうノリ。結構好きかも」
目を丸くしたヤチヨは、ふっと笑ってみせた。
二人で神楽殿に戻ると、座敷の上で向かい合って座る。
ヤチヨが手を横に振ると、厳かな造りの部屋から景色が一転、わたしと彩葉が一ヶ月前に住んでいたボロアパートの一室に変わった。
「とっても長い話になるからね。せっかくだし、ここの方が落ち着くかなって……そ・れ・に☆」
ピコンとかぐやの傍にデジタル時計が出現する。
なんだと思って注視すると、なんだか妙に秒数の進みが遅い。
「この部屋の中だけ時間を加速したから、今なら一週間話したって現実では三時間くらいしか経たないよ。こういう頭に悪そうなことができるのも、私達みたいな電子生命体の特権だよね」
「あー、それは助かるかも……暗くなる前には帰るって言ってきたから……」
普通の人間相手に脳の時間加速なんてしたら、どんな異常が起こるか分からないが、わたし達なら別になんてことはない。
わたし自身、聞き終わるまで動くつもりはなかったから、ヤチヨの気遣いはとてもありがたかった。
やっていることはもちろん凄いけど、ここが実質的に『もと光る竹』の内部なら、できない事でもないだろう。
ちゃっかりテーブルの上にはコーラやお菓子が置かれ、準備万端だ。
「んじゃ、まずは縄文人と魚とった話から―――」
昔々や、今や昔、なんて語り口調じゃない。
ヤチヨらしい言葉から始まった、彼女の人生の話。それらを、まるで楽しいことばかりだったかのように、彼女は話す。
たった二ヶ月この世界で生きてきただけのかぐやでも、苦しいことを何度も経験したのだから、そんなはずはないのに。
それは、ヤチヨの意地と優しさだ。
これまでの道筋を悲しいものだったと言わないための意地と、かぐやには夢を見ていて欲しいという優しさ。
嬉しいよ。楽しいよ。
あなたの話す物語は、この地球上にあるどんなおとぎ話よりも痛快で、面白くて、かぐやはそれを笑いながら聞くんだ。
時代を跨ぎ、沢山の人と出会う。
波乱万丈で、大それた旅路。
時に語られる別れの場面すら希望に満ちたもので、ちょっぴり切ない出来事もあって、聞けば聞くほどヤチヨの一生が愛おしくなる。
話すこと、体感時間にして二日。
「ネムッテ、ネムッテ!」
唐突に、FUSHIのアラームによって話しが打ち切られる。
「あちゃ~、ヤチヨの方が眠る時間になっちゃった……起きたら続きを話してあげるから、かぐやも休んでて!そんじゃおやすみ~」
ヤチヨはそれだけ言うと、糸が切れたかのように横になった。
傍に寄って見てみると、寝息はついていないけど瞼を閉じている。
頬にそっと触っても反応を示さないことから、かなり深く眠りについているようだ。
「ヤチヨの活動限界は五十二時間だ。充電やアップデート、記憶の整理のためにスリープ状態になる必要がある。かぐやは……平気なんだな」
「ん~、まあね。かぐやはヤチヨみたいにツクヨミの管理をしてる訳じゃないし、リソース的には……あと二日くらいならいけるよ」
『もと光る竹』がツクヨミのメインサーバーとしての役割を果たしているなら、実質的にそれらの管理は全てヤチヨの頭の中でしていることになる。
動かしている分身も多いみたいだし、故に同じ電子生命体でも、かぐやの方が活動できる時間が長いのだ。
「……それにしてもまあ、安らかな寝顔なことで……」
おでこに触れて、銀糸の前髪を払う。
無防備な寝姿は本当にかぐやとそっくりだ。八千年経っても、こういう所はありのままで居られることに、我ながら安心する。
眠っているのに、ヤチヨはまだ楽しさの抜けきらないといった様子で、笑顔を浮かべている。
笑い話ばかりじゃないはずなのに、ずっとけらけらと笑っちゃって。
「楽しそうに話してたよね。ヤチヨ……」
それはきっと、誰に向けた言葉でもない。
自分の中で、知った事をかみしめるためのワンステップ。
「普段はあんなに聞き上手なのに、一度話し始めるとこんなに喋ってくれるんだ……でも、それはおかしな事じゃないんだよね。だって、この子も……」
――かぐや、だから。
かぐやは、喋るのが好きだ。特に好きな人とだったら、何時間でも話し続けていられる。ネタが尽きる事を知らない。
けれど、やっぱり違うところもある。
笑い方も、話し方も、優しさの形も、存在としては同じかぐやであっても、人としては別。
親近感は湧いても、同一人物だという実感はそこまで。
わたしが抱いているのは、ちっぽけな共感や同情以上の果てしない親愛だ。
おかしな感じ。けど、これでいいのかも……
「FUSHI、ヤチヨが話してないこと……教えてくれる?」
確信は持てた。きっと、上手くいく。
「……お前たちは、根本的には同一人物だ。ヤチヨの記憶を投影したら、お前の人格がどうなるか……」
「大丈夫。今のかぐやなら、そんな事にはならないよ」
思慮深いウミウシが危惧していることは、もちろんわたしも承知の上だ。
魂と精神の性質上、かぐやはヤチヨの記憶に共感しすぎてしまう。そのせいで、今の人格が歪んで元に戻らなくなるかもしれない。
分かっている。その上でお願いしているんだ。
「辛い事もたくさんあるぞ。見たくないものも見ることになる。ヤチヨが話さなかった意味を、ちゃんと理解しているんだな?」
「当ったり前でしょ。そういうのも含めて、かぐやはヤチヨの全部を知らなきゃいけない。これから……皆で幸せになるために!」
かぐやに足りないものを、ヤチヨから貰う。
とても褒められた行為じゃない。
ヤチヨの事をより深く知って、彼女を救うためだとか、そんなおためごかしを吐くつもりもない。
これはかぐやのワガママだ。勝手な理想を叶えるために、人の記憶に土足で踏み入る悪い行為。
本来それは、彩葉にしか許されない。
ヤチヨが幼かった頃は、決してしなかったことだ。
ほら、この時点でかぐやとヤチヨは違う。
「ごめんね、ヤチヨ。かぐや……これから、あなたに酷い事をする」
愛でるように、労わるように頭を撫でる。
許してくれるかは分からない。多分、かぐやが同じ立場だったらめちゃくちゃ怒る。それくらい、記憶っていうのは大切なものなんだ。
「……FUSHI、お願い」
言うと、FUSHIは流動的なウミウシの体で器用に頷いた。
「わかった。行くぞお!!」
部屋が光に満ちて、記憶の旅へとかぐやを誘う。その前に、もう一つだけ、この子に謝っておかなくちゃ。
――ごめんなさい。わたしは、
✧・゚: *✧・゚:*
――ここ……どこ?
気が付くと、そこは白い砂浜だった。
背後には森や山、正面には果てしない大海原。
――なんで、こんな所に居るの?
彩葉の歌を聴いて、わたしは地球に戻ってきたはずだ。月の仕事を全部片づけて、引継ぎもして、百年ほど前の彩葉と過ごした時代に。
こんな誰も居ない砂浜、知らない。
舟が大きな隕石にぶつかった事までは覚えている。
だとしたら、時間遡行の機能が誤作動して……
『もと光る竹』へ信号を送る。何度も、動いて、動いて、動いてって……祈ること数百回、全ての試行が無駄に終わる。
――嘘、でしょ……待って、まってよ。
信じたくなかった。
――彩葉。
叫んだら、来てくれると思った。
――彩葉!
そして叫べてもいない事に気付く。
――彩葉……っ!
どこかからひょっこり現れて、いつもみたいに「しょうがないなぁ」って言いながら、わたしをあの家に連れて帰ってくれるって……
けれど、そんな奇跡すら越えた超常現象が都合よく起こったりはしない。
わたしは失敗した。
ドジッちゃったんだ。
声も出せない。姿も見えない。ここから離れることも、消えることも、死ぬことも……なんにも、できない。
会いたい人が居るのは、八千年後。
――あっ……あぁ……
嫌だ。いや、いや……いやだ、ヤだ、こんなのいやだ。助けて、誰か。誰でもいいから、かぐやを彩葉に会わせて。
嫌だと、助けてと、ごめんなさいを何度も繰り返して、はっとした。
そんな声にすら、誰も答えちゃくれないってことに……
忘れないように、ずっと同じように歌っていた。
彩葉がくれた歌を、かぐやを『もう一回』ってさせてくれた曲を。
いずれ
例え、わたし自身がいつか消えることになっても、最期くらいは楽しかった頃の記憶を抱えて死にたかった。
時は移ろい。
雨が降り、雪が降り、花が咲く。
やがて、ウミウシの体を得て、世界とほんの少しだけ繋がりを持てるようになり、かぐやは長い旅に出た。
最初のうちは、ちょっとだけ楽しかった。
なにせ、動けない状況から、動けるようになった喜びと、未知の景色の数々は凍り付いたかぐやの心を温めてくれたから。
けど、それも最初だけ。
結局、かぐやが会いたかった人は、そこには居ない。
どれだけ歩いても、会いに行く事はできない。
――ヤチヨ、どっかに居るんでしょ……出てきて、助けて。
八千歳ならどこかに居るはずだと、日本中を探し回った。一緒に居てくれるなら、彼女でもいい。それくらい、一人は辛かった。
ひとりぼっちは、死に至る病だ。
そればかりか、世界は綺麗なことばかりじゃなく、無残で酷い光景を数えきれないほど見せつけられた。
人間が好きだという想いすら、朽ちていくのを感じる。
誰と関わっても、その場では笑えても、決して潤わない心。
それでもたまに、気が合うかもって人は居て、けれどその人もかぐやからしたら刹那の一瞬で居なくなっちゃう。
自分だけいつも取り残されて。
時が経つにつれて、あの日々の記憶すらもおぼろげになっていく。
――会いたいよ……彩葉。忘れたくない……
大切なものを失っていく感覚は、まるで自分がゆるやかに死んでいくような感覚だった。
――いいなぁ、人間って……ほんとうに辛くなる前に、死ぬことができて……
最低で最悪な嫉妬を抱き、何千年も、泣き続けて。
出会いと別れを繰り返し、それでも年月は前へと進んでいく。
仮にかぐやが足を止めても、不死の思念体は未来まで生き続ける。
かぐやは旅のなかで『誰かの死』というのを、この世界の誰よりも知った。
死のない月人の癖に、感情も感傷もない世界で生きてきたかぐやが、誰かの『これから』が消えていくことの意味を飲み込む。
あまりにも皮肉で、嚙み合わない。
けれども、分からないままでは許されないのが世界ってものなんだ。
弱い自分からは逃げられない。無力なこの体では、誰かの運命を変える事なんて到底出来なくて、何人もの人の死を見送り、後悔するたびに心に消えない傷ができる。
それを誤魔化す為に嘘の笑いを浮かべて、やがてその仮面の外し方すらも忘れてしまう。
彩葉が言っていたことの意味を、恐怖を、かぐやは彼女の生きた何百倍もの時間をかけて、ようやく実感した。
――そろそろ、会えるよ。彩葉……
とても長かった、ほんの少し。
いつしか、かぐやは運命の直前に立っていた。
思い付きで仮想空間の初期構想を作り出し、その名前をルンルン気分で決めた時に、やっとこさかぐやは気付いた。
――かぐやが『ヤチヨになる』っていう事に。
そして、この世界はそれを何度も繰り返している。同じ回数、かぐやと彩葉の出会いも……
それなら、未来は希望にあふれているはずだ。
ウミウシの小さな心臓が脈を打つ。
もう最強のかぐや姫はどこにも居ない。こんな
それでも良かった。せめて、あなたの生きる時間を外側からでも見られるなら。
―――2013/05/11 酒寄彩葉の誕生。
ログにひとつの奇跡が刻まれる。
とある病院の一室。出産の一報が入った時、まだ空は白みだしていて、彼女の産声はまるで軽快なワルツのようだった。
その時からだ。
待っていたかのように、記憶がよみがえり出す。
彼女が一歳になる頃には、ほとんど思い出していた。
楽しかった。嬉しかった。
あの頃のわたしが知らなかったあなたの成長をこの目で見れていることに、どうしようもなく感動した。
――えっ、彩葉……いま立って歩いてなかった!?すごーい!えらすぎ!
これまで刹那のように過ぎた時間とは比較にならないくらい、それからの年月は長かった。勿論、良い方向で。
――へぇ、この頃から音楽が好きだったんだ。お父さんと一緒にピアノを弾くの、楽しそうだなぁ。
一歳毎に成長を祝福する。
あっという間に大きくなっていく彩葉がただただ愛おしくて、ヤチヨもまた、たくさんのことを頑張ることができた。
じゃあ、それからはずっと幸せだったのかっていうと、やっぱりそうはいかない。
彩葉のお父さんが亡くなった。
酒寄家が次第におかしくなっていき、今こそ彩葉のために動こうと思って、配信活動に併せてヤチヨチャットもリリースし、できる限り彩葉の助けになろうとした。
実際、私とのお話は彼女の息抜きになっているようだったし、このまま、かぐやとの出会いを迎えるまで導こうと……そう、思っていたんだ。
『現代の医療では、完治が難しく、症例も少ない難病です』
透明な電子の体で、私は誰に知られることもなく、それを聞いていた。
『高校卒業までの四年。それが、一つの山場になるでしょう』
頭の中が真っ白になった。
――余命宣告?あと、四年?えっ、彩葉が……たったそれだけしか、生きられ、ない?
彩葉が死ぬ。
言葉にしてみると、全然わかんない。なんだよ、それ。
でも、それまで多くの死を見届けてきた私には、あまりにも実感が深い言葉だった。
――うそだ。そんなの……ぜったいに、信じない!!
頭が理解する事を拒んでも、無機質な理性の部分が明瞭に現状を照らし合わせ、何が起こったのかを私に突きつける。
――彩葉が死ぬわけない!だって、前の世界じゃそんなの……
輪廻は決して覆らない。だから、かぐやと彩葉がいずれ出会う事も、ヤチヨと彩葉が再会することも運命なんだ。
だから、ここまでやってこれた。
辛くてもやってこれた。
――ふざけないで!だったらヤチヨは……かぐやは、これまで、何のために……
そうして私は、ゆっくりと絶望する。
無い血の気が引いていく。電子の海をどれだけ洗っても、彩葉の病気が完治する方法は出てこない。
直接会いに行って、励ましたり、抱きしめる事も出来ない。
チャットを通して話せるだけの透明人間。
けれど、その存在意義すら……
――いやだ!彩葉、やめて!消さないで!ヤチヨとの繋がり……それだけは、お願い……だから……
絶望した彩葉は、余命宣告から程なくしてヤチヨを拒絶した。
余命のことをチャットで一言ヤチヨに伝えると、それ以降一切開かなくなった。通知も切られて、どれだけヤチヨが言葉を送っても届かない。
――やだ、やだよぉ……彩葉、応えて……お話し、させて……
あと四年しかないのに、話す事すらもできない。
ヤチヨはどこまでも無力で、日に日に憔悴していく彼女になにもしてあげられない。
それなのに、配信では上っ面の笑顔ばかりみせて、私は一体何なんだ?
自分が酷く穢れているように見えた。
大切な人がしんどい思いをしてても、私はというと呑気に仮想空間の運営とライバー活動にご執心ときた。
最低。大嫌い。
ルールを破って、彩葉のスマホにでもなんでも直接侵入すれば、無理やりにでも縁を繋ぐことは可能なのに、それすらも臆病な私は実行できずにいる。
この期に及んで、輪廻が狂うことを考えている。
その時点で、私には、彼女を好きでいる資格なんてなかったんだ。
それから一年。
彩葉が上京することになり、その当日になって、ようやく彼女の方からチャットを繋いでくれた。
視界に僅かに色づくのを感じながら、覚束ない動作で彼女からのメッセージに返信する。
嬉しかったかって?
そりゃもうね、飛び上がるくらいには……
でも、私はもうダメだった。
月見ヤチヨは―――『かぐや』の心は、すでに壊れかけだった。
本筋たる物語の後にもしかしたらあるかもしれないと密かに期待していた未来も、自分の幸せも、なにもかもを諦め、希望なんて欠片も見出せない。
かぐやと共に来る最初のライブ。その時、彩葉との再会すら叶わなかったことで、淡く残っていた光すら、粉々に砕かれた。
気丈に振るまってはいても、涙すら枯れた私に残っているものなんてない。
――――いや、二つだけ、あった。
コラボライブの日に、二人が贈り物をくれた。
ツクヨミで二人が身につけていたアクセサリー。
前の世界で、わたしがヤチヨに渡そうとした時は返されてしまったそれを、今回はかぐやと彩葉の押しが強かったのもあって、受け取ってしまった。
ほんのり、胸の中に熱が宿る。
二つのお守りは、抱きしめると温かい。
温度がないはずの仮想空間で、とっても温かいんだ。
その時、私の中にひとつの想いが芽生えた。
――あぁ……そっか。ヤチヨは、この二人を幸せにするために、今まで生きてきたんだ。
彩葉のことを幸せにするのは、ずっと前から決めていた。
けれど、そこに『かぐや』の名前がちゃんと刻まれたのは、この時だ。
どうすればいいのか、沢山考えた。
考えて、考えて、考えて……
挫けそうになったかぐやを励まし、手を差し伸べ、もう一度歩けるように背中を押した。
ヤチヨの紡げるありったけの言葉で、道を示す。この世界線では、絶対に諦めて欲しくなかった。
そのお陰か分からないけど、苦しみを乗り越えたかぐやは、前の世界で『かぐやだった頃』の私よりも、ずっとずぅっと強くてカッコイイ女の子になった。
彩葉のことを支え、彩葉の為に戦おうとする。
まるで物語の主人公みたい。
――いいなぁ。かぐや、かっこいい……なぁ。
私も、あんな風になりたかった。
どうして、できなかったんだろう。
今なら分かる。彩葉の幸せを一番に考えるなら、例え負けることになっても、私は諦めちゃいけなかった。
それなのに……
すべては過ぎてしまったこと。
私が居た世界には、その世界のヤチヨが居る。彼女がきっと、私と居た彩葉を支え、上手くやってくれているはずだ。
でも、私にそんな大役は務まらない。
私は諦めちゃったから。
けれど、できることがないわけじゃない。
これでも私は『かぐや姫』だ。
機能は万全。完璧に構築した防御壁と外殻のお陰で、八千年が経とうと少しの衰えはなく、むしろ最適化されていると言っていい。
役としては、足りるはずだ。
「彩葉、かぐや。二人とも……ヤチヨが、必ずなんとかしてみせるからね」
強いて言うなら、これがヤチヨの幸せ。
こんなどうしようもない女でも、二人の為にやれることがある。それだけで、ヤチヨは十分。
「愛してるよ……」
胸に抱いた二つの贈り物がある限り、壊れるのも怖くない。
決意した。
私はかぐやの代わりに、月へ帰る。
そして、もう一度巡る。
そうすれば、輪廻が壊れず、この世界の二人も一緒に居られる。
それでハッピーエンド。大団円。もしかしたら、次の世界でなら、ヤチヨも少しは幸せになれるかもね。
おまけがあれば嬉しいくらいの感情。それが叶っても叶わなくても―――この世界の二人が手を繋いでいられるなら、満足だ。
✧・゚: *✧・゚:*
とてつもなく長い夢が、ようやく覚める。
「かぐや、かぐや!」
誰かが、私のことを呼んでいる。
重たい瞼をふるりと震わせおもむろに開くと、そこにはヤチヨが居た。
「……ヤチヨ?」
彼女のふとももに頭を乗せる形で、私……いや、わたしは寝かされている。
視線を左右に動かすと、そこはボロアパートの一室でも、ヤチヨの私室でもなく、鏡映しの湖が永遠に続く幻想的な空間だ。
「バカ
――戻ってこれなくなる、か。
わたしとしては、その辺のこともちゃんと考えてはいたし、様々なことを考慮に入れ、不測の事態も想定した上で、尚も大丈夫だという確信があった。
だけど、実を言えば、考えが甘かったと言わざるを得ない。
結果として、わたしは『かぐやのまま』こうして目を覚ますことが出来たものの、ちょっと危なかった。
ヤチヨの八千年から読み取った無数の感情と思いに、何度も自分を重ね、共感し……実際、どっちが自分なのか分からなくなる寸前まではいったんだ。
それでも、かぐやのままでいられたのは、最後の最後まで、ヤチヨがした幾つかの選択にノーと言うことができたから。
「でも、ちゃんと戻って来たっしょ?」
にっと笑いかける。
彼女の八千年を見て思った。やっぱりかぐやは、ヤチヨにはなれない。わたしにはもう、自分の手で幸せにしたい人が居る。
それを無かったことにして旅立つのは、もはやかぐやの存在そのものを否定することに他ならない。
だから言える。
「……かぐやとヤチヨは、似てはいても同じじゃないよ。ヤチヨの選択はヤチヨのものだし、かぐやの選択はかぐやのもの。それが最終的に重ならなかったから、わたしはわたしのままで居られた」
ヤチヨがかぐやであっても、かぐやはヤチヨじゃない。
わたしは、こんな風にはなれないと思ってしまった。その時点で、わたし達は完全に別人として確固たる隔たりを築いたんだ。
「そっか……本当に、すごいね。かぐやは……」
ヤチヨが俯く。
これまではその内側を見通せなかったけど、今なら彼女がなにを考えているかくらいは分かる。
「いやいや、何言ってんの。凄いのはヤチヨの方だよ」
「えっ?」
彼女の八千年を見て、思った事は色々ある。
数えきれないくらい、言ってあげたいことや伝えたいことはあるし、生意気にも『なんであそこでこうしたんだ』とか、文句もいっっぱいだ。
秋に散る落ち葉のように、枚挙に暇がない言の葉の中で、それでも一層彩づいているものを拾う。
「だって、八千年だよ!?そんなにも長い間、彩葉を待ち続けて……そして、再会できた今も、正体を隠してあの子のために頑張ろうとしてる。わたしじゃ多分、そうなる前に壊れちゃう」
仮に八千年待つことができても、彼女のように正体を隠してまで、その世界の『彩葉とかぐや』を応援するなんて無理だ。
「だからヤチヨは、かぐやよりずっと偉いの。そんなヤチヨのことを、わたしは誰よりも尊敬してる」
「いや、ヤチヨは、そんな……」
意固地だな。いいよ、わたしはもうヤチヨの事分かってるから。かける言葉に迷ったりしない。
ヤチヨがどれくらい優しくて、慈愛に溢れた人なのか、かぐやは知った。
その悲壮なまでの決意と、自ら定めた結末を。
「……お願い。自分の事を卑下しないで……かぐやはね、ヤチヨの決意を見て、本当に心の底から『遠いな』って思った」
ヤチヨは驚いたようにわたしを見る。
そんな彼女に伝わって欲しくて、届いて欲しくて、必死で言葉を紡いだ。
「あの途方もない時間を、わたしと彩葉のためにもう一度繰り返そうとしてくれた……そんな愛に溢れた人を、貶めるようなこと言わないでよ」
「かぐや……」
ヤチヨもあの時言ってくれたよね。
『私の恩人を貶めるようなことを言わないで』って。
同じだよ。ヤチヨの優しさを一番わかってないのは、ヤチヨ自身だ。今になってようやく、あの時の彼女の気持ちが分かった。
「嬉しいこと、言ってくれるねぇ……」
嚙みしめるようにそう言うと、ヤチヨの声が震え出す。
「……二人がくれた贈り物。あったでしょ」
ヤチヨは、そういって両手の上に二つのアクセサリーを出現させた。
金のブレスレットとメンダコのキーホルダー。
それらを大切そうに胸に抱いて、ヤチヨは慈しみに満ちた目をかぐやに向けた。
「これさえあれば、大丈夫だって思えた。どんな辛い事があっても、生きていけるって……」
健気で純粋で、かぐやなんかよりずっと強くて、凛としたお姫様。
眩しい。彩葉が惹かれる気持ちも分かる。かぐやだってそうだもん。
「かぐやは、彩葉と一緒に居てあげて……ヤチヨが、全部引き受けるから……」
泣きながら笑って、まるで今が人生で一番幸せだということを欠片も疑っていない表情で、そんなことを言えてしまうヤチヨ。
「……いやだ」
でも、そんなの受け入れられるわけがない。
「かぐや、分かって?こうすれば、かぐやと彩葉は引き裂かれずに済んで……」
「違う。そんなの幸せな未来じゃない。ヤチヨはずっと誤解してる」
これまで何千年も待ち、恋焦がれてきた少女を踏み台に歩む未来なんて、そんなのこっちから願い下げだ。
「『分かって』はこっちのセリフ!なんで……わたし達の未来には、ヤチヨも必要なんだってわかってくれないの?」
そこには、ヤチヨも居なきゃいけないんだ。
かぐやは、かぐやの大切で大好きな人が、そんな過酷な運命に身を投じる世界なんて絶対に認めない。
だって、この子と彩葉が、一番報われなきゃいけないに決まってるから。
「ヤチヨ……満足だって、思ってたよね。それが本当だとしたら、ヤチヨはかぐやと同じで、自分のことが大嫌いなんだ」
無力な自分が許せなくて、こんな理不尽な世界以上に、それをどうにもできない自分を呪う。
分かるよ、かぐやもずっとそうだった。
「自分のことを嫌いなままでもいいよ。多分かぐやも、一生そうだから……でもね、そんなヤチヨのことを『好きだ』『愛してる』って、言ってくれる人が居ることも、絶対に忘れちゃダメ」
「…………」
彩葉にヤチヨのことが好きかと聞けば、彼女は間を置かずに『愛してる』って答えるだろう。かぐやも同じだ。
「もういいんだよ。ヤチヨ」
呆然としたヤチヨを抱きしめる。
彼女の顔を肩に乗せ、あやすように背中をさすり、彼女を解き放つ一言を紡いだ。
「今まで…………よく、頑張ったね……」
――あぁ、ほんとに凄いなぁ。
わたしも、この子と同じくらい、彩葉のことを愛せるかな。この子の未来を、報われる結末に変えることが出来るのかな。
怖いくらいに、大きなものを背負ってしまった。
手が、震えちゃう、けどそれは、ヤチヨも同じ。
背に回されたヤチヨの手の指先が震え、伝播し、肩が震え、伝播し、最後にようやく声になった。
「………いいの?」
「うん」
頷く。
「ヤチヨ、もう……ひとりぼっちじゃない?」
「うん……うん」
言葉は嗚咽交じりに変わっていく。
「……………ずっと、しんどかった」
やっと、彼女はそれを言葉にした。
心の奥の奥、しまっていた悲しみも寂しさも、それをきっかけに溢れ出す。
「ずっと……ずっと!何年も、何百年も……何千年も待って、やっと会えたの!かぐや、頑張ったの!」
知ってる。わかるよ。全部見たから。
「なんで……どうして?」
理不尽への問い。何度も繰り返したはずだ。
誰も答えてはくれなくて、共感や同情すらもなくて、それでも続けてきた。その糸が切れる事の方が、よっぽど怖かったから。
「こんなに我慢したのに……すぐに、さよならなの……?」
だからって、痛みを忘れたわけじゃない。
体がない思念体だからこそ、心に負った傷は取り返しがつかない。苛まれるんだ。自然に治る事なんて無い。
唯一、癒す方法があるとすればそれは、誰かを愛し、愛されることだ。
彩葉の病気と余命を知った時、かぐやの心も限界だった。それでも前を向けたのは、やっぱりこれも『愛』があったからだ。
「もっと一緒に居たい……今度はずっと……お別れなんて、せずに……」
今度は私の番でしょって言いたいはずだ。
この世界のかぐやが過去に行けばいいって、そう思ったっていいのに、ヤチヨはそんなこと一度だって考えなかった。
「大丈夫。大丈夫だよ……もう二度と、ヤチヨにあんな思いはさせない」
かぐやがやるんだ。
これからすることに、一切の迷いも、躊躇いもない。八千年にも及ぶ彼女の歩みが、かぐやに最後のピースをくれた。
「アクセサリー、大切にしてくれてありがとう。かぐや、そんなヤチヨのことが大好き」
わたしと彩葉が送ったアクセサリーを『これさえあれば……』だなんて、恥ずかしいくらいに嬉しい。
助けたいと思うのに、それ以上の理由は要らない。
「わたしが、彩葉も……ヤチヨも助けるから」
「っ……」
その宣言を聞いたヤチヨは息をのんだ。
強張った体からすこしずつ力が抜けて……
「う、ああ……うあああぁぁぁあああああ!!!!」
泣き叫ぶ。
その慟哭には、八千年分の彼女の感情が込められていた。
―――何時間経っただろう。
仮想の空が黄昏色になる頃に、ヤチヨはようやく泣き止んだ。
「……恥ずかしい、死にたい……」
「あははっ……」
着物の袖で顔を隠すヤチヨ。
流石に過去の自分を相手に大泣きしたのはそう簡単に受け入れられないらしい。
彼女の人生を考えたら、そんなに恥ずかしがらなくてもいいのにって思うけど、かぐやもヤチヨの立場になったら同じような反応を取るだろうし、ここは安易に励ましたりしないのが吉だ。
「八千歳のおばあちゃんなのに……しかも、過去の自分の前であんな……」
これは長くなるなと思いつつ。
わたしは内心でこれからのことを考えた。
ヤチヨの八千年分の記憶を見た事で、固まっていなかった部分も無事に形になったけど、それでもやろうとしていることは簡単な事じゃない。
「……ヤチヨ」
どちらにしても、かぐやひとりじゃ無理だ。
「ん……なに?」
泣きべそかきながらでも、かぐやの言葉に耳を傾けてくれる。
いやその袖からちょこっと目を出す仕草はなんだ?我ながら可愛いなコイツ。
重たい頭を横に振って雑念を追い出すと、早々にわたしは本題を切り出す。
「かぐやは、戦う」
言葉にすると、以前よりとてつもなく重い。
ヤチヨの記憶を見て、それがどれだけ無謀なことなのか、より深く理解したからだ。
それでも『助ける』と言ったからには、それを嘘にはしたくない。
「月の奴らに一泡吹かせる。その為に、ヤチヨに協力して欲しい」
それは、もしかしたら八千年を越える以上に難しいことなのかもしれない。
ヤチヨの過ごした年月だって、かけがえのないもので、その輪廻の重要性も理解している。
とても、ロマンティックだ。
何千回繰り返しても大好きな人と巡り会えるなんて、そんなに幸せなことはないだろう。
でも、かぐやは納得しない。
「かぐやが……今回で、このループを終わらせる」
最終目標が決まった。
ようやく、これで前に進める。
「……分かった。ヤッチョに任せて」
ヤチヨもまた、心強い笑顔で頷いてくれる。
これ以上、結末は重ねない。
ハッピーエンドだろうと、なんだろうと、この一回きりで最高の大団円を手にする。
かぐやが憧れたのは、そういう複雑で、曖昧で、繰り返しのない人々と世界だから。
その日、星降る海の上で―――二つの月が交わった。