余命数年の私の元に現れたかぐや姫 作:グランドマスター・リア
かぐやにとってのヤチヨのような人の事を、人間はきっと血を分けた家族って言うのかな。
電子生命体に血縁なんてものはなく、人のように誰かから生まれる訳でもない。
血肉とはそれすなわち自らを構成する情報だ。それなら、記憶を共有し、根元に同じ魂を持つわたしとヤチヨは正しく姉妹と呼ぶに相応しい関係だとかぐやは思う。
記憶を継いだことで、救いたい人も、守りたい日常も、多くの『大切』がわたしの背に乗った。
見る前と後じゃ、心も持ちようからして丸っきり違う。
もともと生半可な覚悟ではなかったけれど、それが更に鮮明な輪郭を帯びて昇華したという感じだ。
ヤチヨをあの暗い部屋に置いていく事を惜しみつつも、マンションを出た時には外はすでに暗くなっていた。
時刻は夜の八時をやや過ぎており、家で一人待っている彩葉を思うと、急いで帰らなきゃと足早に帰路を辿った。
「ただいま~」
逸る気持ちを落ち着けながらも、愛しき我が家の扉を開いたのは九時ちょうどくらい。
なるべく早く帰ってくると言ったのに、すっかり遅くなってしまった。
それだけヤチヨの八千年は重かったということだ。時間を加速し、圧縮したとしても、そう簡単に超えられるようなものじゃない。
とはいえ、彩葉には謝らなくちゃね。そう思っていると、
「おかえり」
声が聞こえた。
玄関先から、大好きな人が出迎えてくれる。
それがなんだか、とても懐かしく思う。
わたしが実際に経験したことじゃない。あくまで追体験しただけ。それなのに、まるでずっと会えなかった人とようやく再会できたかのような感動。
会いたかった。一緒に居たかった。
そんな叫びを何百何千と聞いて、自分の事のように繰り返して。
「いろはっ!」
「わっ」
彼女の胸に飛び込む。
この温もりがひどく懐かしい。
『かぐやはヤチヨじゃない』と、棲み分けて、心を固めておいて、こういう時は自分を彼女に重ねて、ヤチヨはまだなのにわたしばかりが彩葉を独占する。
そうして陥るいつも通りな自己嫌悪の中で、それでも愛してしまった相手を手放すことができない。
「ちょっ、いきなりどうしたの?出かけた先でなんかあった?」
でも、それがわたしだ。
かぐやなんだ。
「ううん、何でもない。大丈夫、なんでもないよ……」
ヤチヨのことは、ヤチヨの口から彩葉に伝えるべきだと思うから、かぐやからはなにも言わない。
明後日を越えたら、二人の運命もきっと繋がる。
そうしてしばらく、匂い、感触、魂の形に至るまで包み込み堪能していると、ふと彩葉がわたしの髪に手を添えて言った。
「そういえば……かぐや、なんか髪の色変わってない?」
「え?」
言われて、はてと首を傾げた。
ボディーランゲージをした覚えはない。かぐやは彩葉が綺麗と言ってくれるこの髪色が気に入っているので、ずっと金髪のままにしている。
少なくとも、最初にこの色にしてから一度も変えたことはない。
「……ちょっと来て」
彩葉に連れられて、洗面所に向かう。
鏡の前に立たされると、その変化をわたしも認識した。
「ほら、金色の髪にところどころ白が混じった感じになってる。今まで気付いてなかったの?」
「う、うん……はぇえ、なるほど、そういうことか……」
風がふけばさらさらと流麗にたなびく金髪に、まちまちと束ごとに散りばめられた雪のような白。
メッシュカラーというには調和が不釣り合いで、穂先に色合いが集中しているように見える。
それを見て、かぐやは得心した。
月人のボディランゲージを用いた髪色や肉体の変化は、割と能動的で感覚や気分に寄るところが大きい。
故に、独創性やこれといった感性がない月人はあまり扱いが上手くないのだけれど、逆にかぐやはこれが得意だった。
――それにしても、白……ねぇ。
色が変化した理由なんて、すぐに分かった。
この姿こそが、多分かぐやの心が無意識のうちに出した答えなんだ。
かぐやのまま、ヤチヨを受け入れることに決めた――わたしの在り方。
その白を慈しみのこもった目で見つめると、隣りで訝しんでいる彩葉にわたしはあっけらかんとして言った。
「まあ……イメチェン的な?ほらほら、これからかぐやちゃんは運命の戦いに挑むわけだから!髪色から気合を入れていこうと思って」
心機一転という意味では間違いなくそうで、決意と覚悟が昇華した結果としてはこれ以上ない願掛けである。
「そう?そういう事なら、別にいいんだけど……」
煮え切らない様子だが、とりあえず納得してくれた。
「にひひっ、似合ってる?」
「そりゃもう、これ以上ないくらいには……綺麗だよ、かぐや」
ダメだ、顔がにやけちゃう。
そんなカッコイイ顔で『綺麗だよ』だなんて、今のかぐやちゃんには刺激が強すぎる。
八千年ものの恋心にあてられた後の女の子にこれを耐えろだなんて、そんな残酷なことがあっていいわけがない。
「あっ、ご飯も一応私が作っといたから……お腹、空いてるでしょ?かぐやみたいに上手くは作れなかったけど……」
だから、そういう事を湿っぽい雰囲気で言えちゃうところが……
「大好きぃいい!」
「わああっ!わかった、わかったから!」
この気持ちを諦めなきゃ成り立たない世界なんて、壊れたっていい。
死んでも、消えても、最後の瞬間までかぐやは彩葉が好きで好きで仕方がない、自分勝手な悪童のまま居よう。
姫なんて柄じゃない。
ヒロインでもない。
わたしはもう、なりたい自分を見つけているから。
✧・゚: *✧・゚:*
一晩を越えて、9月11日――
間もなく決戦だ。明日、わたし達の歩いた季節が一旦終わりを迎える。
負けるつもりなんて欠片もないけど、これは時間とタイミングの話。勝敗の有無に関わらず、そこがこの物語におけるひとつの区切りになるという意味。
思い返せば、わたしと彩葉の御話には、二ヶ月という短い期間ながら幾つかの節目があった。
一番最初の『出会い』から始まり『ヤチヨのミニライブ』、すこし飛んで『帝との激闘』を経て『コラボライブとその後起きた出来事』へと繋がり、そこから『かぐやとヤチヨの真相』と来て、今まさに最後の点を迎えようとしている。
彩葉を救い、ヤチヨを温かな未来へ連れて行く。
わたしの命はその為にある。それこそがわたしの幸せであり、けれどもその理想にちゃんと自らの姿を刻み込むのも忘れない。
できることを全部やっても、上手くいく確率は二割もない。
だけど、逆に言うとその一割を掴めさえすればハッピーエンドってことだ。
かぐやにはそれだけあれば十分。二割とか三割とか、そういう中途半端な数字じゃない分むしろ気合が入る。
決戦の前日だとしても、わたし達の日常は変わらない。
示し合わせた訳でもなく、かぐやと彩葉はいつも通りの姿で過ごす。
名残惜しくないのかって?
だって、帰るつもりなんてないんだから変にしんみりする必要なんてないじゃん。
かぐやからすれば、この日常は明日も、明後日も、何も変わらず続いていく。
それこそ、気を遣って特別なことしようとしたら、まるで別れを受け入れているみたいじゃないか。
そっちの方が嫌だ。
仮に特別ななにかをするなら、勝った後の祝勝会がいい。
午前中にライブ本番の為の調整をして、お昼ご飯を食べた後、わたしは彩葉に断ってツクヨミに潜る。
本当は一日中彩葉と一緒に過ごしたいけど、やらなければいけないことがあるんだ。
場所はツクヨミ内にヤチヨが用意した専用のプライベートルーム。そこに、数人の知り合いが集まっていた。
「皆、今日は集まってくれてありがとう」
帝、雷、乃依、芦花、真実、ヤチヨ。
彼らには一週間ほど前から、協力のお願いをしていた。
かぐやの素性を打ち明けて、月から来る迎えを追い払う手伝いをして欲しいと。
全員が協力してくれるかは、あまり自信がなかった。
彩葉からの願いなら、信じる信じないに関わらず手を貸してくれるだろうけど、かぐやはあの子ほど皆と深い繋がりがある訳じゃない。
そりゃ、皆大切な友達だけど、存在の大きさが違う。
『お願いします。助けてください』そう綴ったかぐやの想いに、一人でも応えてくれたら御の字だと、そう思っていた。
だが、結果はどうだろう。
こうして、誰一人欠けることなくここに集まってくれた。
「正直に言うと……こんな荒唐無稽な話、信じてもらえるとは思ってなかった……本当に、なんてお礼を言ったらいいか……」
本当、かぐやには勿体ないくらい最高の友達だ。
そう語ったわたしに、帝はニッと笑って言う。
「水臭いこと言うなよ、かぐやちゃん。彩葉の
可愛い妹、か。
ヤチヨが姉で、帝が兄。なんだか面白い家系図が出来上がる。
確かに帝は、かぐやがこの世界に来てから、彩葉の次に付き合いが長い。リアルで話した時間も相応にある。
「それに……かぐやちゃんが月のプリンセスだってなら、むしろ納得だぜ」
それに、コイツがかぐやのデビューから秒でチャンネル登録していたのも知っている。
当初は彩葉の隣りに居るわたしの品定めだったかもしれないけど、思えばこのいけ好かない軽薄な男とも浅からぬ関係になったものだ。
そして、ここに来てくれたのは、そんな帝とブラックオニキスのメンバーだけじゃない。
彩葉の親友である二人も。
「かぐやちゃん、私達も同じ気持ちだよ。そりゃ、彩葉の為って言うのもあるけど……私にとっては、かぐやちゃんだって失っちゃいけない友達の一人だから」
芦花のしなやかで綺麗な両手がかぐやの両手に重なる。彼女の目には、かぐやとヤチヨにも負けないくらい強く芯のある想いが宿っていた。
「そんな子が『助けて』って言ってるのに……放っておくようなこと、私は絶対にしない」
とても高潔で、凛としていて、そんな姿にある種の憧れのようなものを抱いてしまう。
「そうだよ。かぐやが彩葉の為に悩んで、泣いてるのを何回見てきたと思ってるの?そんなかぐやの言葉を、信じないわけないじゃん」
そう言ってくれる真実は、今にも泣きそうなくらい瞳を潤ませている。やっぱり、優しい女の子だ。
芦花と一緒に重ねられた手は震えていて、心の底からかぐやの事を思いやってくれてるのが分かってしまう。
「一緒にご飯食べに行く約束だって、一ヶ月後まで埋まってるんだし……勝手に帰られたら困っちゃうよ」
かぐや、こんなに幸せ者でいいのかな。
好きな人と想いを繋げ、こんなにも素敵な人達が周囲に居てくれる。
こんなにも愛され、想われているのに、それすらも置いて帰るなんて出来るわけがない。
「ありがとう……ほんとに、ありがとう゛……芦花、真実……」
触れて気付けば、それは一生モノの宝になる。
でもかぐやは、それを宝箱にしまって後生大事に胸に秘めておくつもりはない。
表に出して互いに共有した方がずっと良いって、知っているから。
「ヤチヨも、全力で皆をサポートするよ。今回は大盤振る舞い!ツクヨミ管理者の力を最大限に使っちゃうから!」
ヤチヨの言葉から、改めてこの場の顔ぶれを見ると、本当に少しも負ける気がしない。
あまりにも心強い仲間達だ。
間違いなく仮想空間において最高のメンツが揃っている。
「ツクヨミの管理者が後ろにいるなら百人力だけど……あの子は来るの?狐ちゃん」
そこで、乃依が彩葉の参加について聞いてきた。わたしはそれに対して首を横に振る。
「ううん、彩葉は多分……来ない。彩葉は、かぐやが帰ることを望んでるから……」
「えっ、なんで!?」
その答えに声を荒げたのは真実だった。芦花も信じられないといった様子で目を見開いている。
帝は彩葉の事情を知っているだけにその真意を理解できるから、複雑な表情で口を閉ざしている。
「それは……」
その理由を語るというのは、彩葉の余命について明かすことを意味する。
でも、これをかぐやの口から言うのは違う。かぐやがそうだったように、二人だって彩葉の口から聞きたいはずだ。
「……真実、やめとこ」
「芦花……でも……」
沈黙とは時に言葉以上に雄弁に事実を語る。
芦花の方は、今のかぐやの言葉の詰まり方で大方その裏を察した様子だった。
「これはきっと、彩葉の口から直接聞かなきゃいけないことだよ。そうなんだよね、かぐやちゃん」
「……うん」
彩葉が病院に通っていることを突き止め、その先にある事実まである程度の推測を立てていた彼女のことだ。
もしかしたら、その事実が残酷なものであることを察しているのかもしれない。
だからこそ、この場で聞くのはダメだと思いとどまれる。
「ああもう……分かった!この戦いが終わったら、絶対に彩葉から聞く!」
「そうだね。そろそろ私も、あの子の秘密と向き合いたい」
芦花も真実も、ひとまずはそれで飲み込んでくれた。
二人が敢えてそれに触れてこなかった優しさも、かぐやには理解できるから、二人の親友と彩葉の物語を悲しい結末にしたくはない。
その為にも、この戦いだけは勝たなきゃいけない。
仕方ない?戦力差?
勝つ以外は全てバッドエンドなんだ。しのごの言ってないで魂をかけるだけだ。
「……さっきの話だけど、確かに彩葉は来ない。でも、勝つ算段はあるよ。無策で挑むわけじゃない」
プランはあるんだ。十割の敗北を九割に抑える冴えた手。
必然を壊す一手は、かぐやとヤチヨの意志が重なった時点で浮かび上がった。
「まあ……俺らも、かぐやちゃんから話を貰った時点から準備は始めてたしな。相手が誰だろうが、そう簡単に負けるつもりはねぇさ」
「えぇ~、あれやっぱ使うの?」
「リーダーの命令は絶対」
なにやらブラックオニキスにも秘策があるようだし、かぐやの方でも『本命』を通す為の舞台装置は用意している。
それらが通用するかと言えば非常に微妙なところだが、秘策なんて多いに越したことはない。
「それじゃあ、当日の詳しい作戦を話すね」
そうして、全員に明かす。かぐやとヤチヨが立てたとびっきりのハッピーエンド大作戦を。
■
作戦会議を終えて戻ると、後はずっと二人の時間だ。
色々話して、触れ合って、彩葉の笑顔を見る度に、どんどん気持ちは膨らむ。
日が暮れると一日の終わりを感じ、次第に胸の中で抑えていたものが溢れそうになる。
幾ら、明日以降も一緒に居られるから大丈夫だと言い張っても、これから一夜を越えればそこが運命の日であることは変わらない。
自らの感情が無視できないくらい大きくなっているのを自覚しながら、かぐやは笑う。
ご飯を食べて、お風呂に入って、自然な流れで彩葉の部屋へ。
二人で並んでまったりした時間を過ごす。
なんでもない眠る前のひと時、いつもこうしてる。
そして、時間になったら二人でお布団に入ってスヤスヤと。ただそれだけ、何も変わらない。
だけど……その日は、少しだけ違った。
「……明日だね」
「うん」
先に口を開いたのは彩葉の方で、かぐやは穏やかな声で答える。
「かぐやは、戦うの?」
「……帰りたくないから」
一言、そう答えると彩葉は「そっか」と何でもないことのように相槌を打つ。
この選択は、かぐやに辛い思いをして欲しくないという彩葉の思いを踏みにじるものだ。
決して彼女の為だなんて、綺麗な言葉で取り繕えることじゃない。
「仕事、ほっぽって来たんでしょ?」
「そうだけど……他人の迷惑やかぐや自身の責任よりも、大事なものを見つけちゃったから」
月の人達は別になにも悪くない。
かぐやが勝手に仕事を放り出して、無責任に出奔しただけだ。
彼らはそんなわたしに、やるべき仕事をしてもらう為に迎えに来る。
彩葉との仲が引き裂かれるのは、その結果として起こる悲劇でしかなく、元はと言えば仕事を残したままにしたかぐやのせい。
故にどっちが悪かという話をするなら、それはかぐやの方だ。
月の人達に迷惑をかけ、これまで『沢山のかぐや達』が守ってきた輪廻を壊し、彩葉の思いも踏みにじる。
それだけの不徳を成してでも、自分が欲しいものの為に大暴れする。
なんて悪辣で度し難い行為なのだろう。
こんな女の腐ったような奴が姫だなんて、笑い話にもならない。
何より、その最奥にあるのは『好いた人を自分の手で幸せにしたい』という見え透いたエゴだ。
「かぐやは、悪い子だね」
「………」
咎めているようで、声音はすこしも鋭くない。
肩に回された手は、どこまでもわたしのワガママを受け入れてくれる。
「あんたがそこまでするのは、私の為?」
「違う」
きっぱりと答える。真剣に言ったのに、彩葉はおかしそうに笑った。
「ふふっ、相変わらず嘘が下手。自分のためだって言うの?それは建前でしょ」
「っ……彩葉にそんなこと、言われたくない」
言われたことにむっとして、ちょっと棘のある言い方になってしまった。
けど、これは彩葉が悪いと思う。わたしのこれが建前だと言うのなら、彩葉のそれだって建前だ。
どっちも本音を語っていない。
「……それもそっか」
彩葉はただ苦笑するだけだった。
ズレていく。
それは、すれ違いに近い。
通じ合っていて、理解もしているのに、何故か意固地になって誰よりも近いはずのあなたに触れられなくなる。
――これって、良くない……よね。
なんだか、違う気がした。
いつも通りを意識しすぎて、わたしの本心がそこにない。
考えてみれば、彼女を尊重したいが為に、それ以外の気持ちを押しつぶして言葉にしていたことに気付く。
本当にかぐやがしたいこと、言いたいことっていうのは、それとは真逆だ。
でも、これを一度口にすると、恐らく歯止めがきかなくなる。
彩葉が泣くことを、覚悟しなくちゃいけない。
だってそれは、彼女が絶対に聞かれたくないことだろうから。
「彩葉――――」
それでもわたしは、彼女の名前を呼ぶ。
どうしてそれができるのかと言うと、今までもそうやって進んできたからだ。
わたしも彩葉も、これまで沢山の困難や悲劇を経て成長してきた。途中で折れなかったのは、その度にお互いの弱みとも言うべき、聖域を晒してきたから。
かぐやが月のことを打ち明け、彼女が秘密を話したように……
彩葉が余命を告白したことで、かぐやの決心がより強まったように……
大丈夫。怖くても、これまでの思い出が背中を押してくれる。
時には、思いやりや尊重以上の――我儘な愛が誰かを救う事もあるんだ。
――わたしはそれを誰よりも知っている。そうでしょ?かぐや。
深呼吸して、一拍の間を置いた後、決定的な言葉を口にした。
「あなたの本音を聞かせて」
翡翠色の瞳が揺れた。息遣いが苦し気に途切れる。
普段通りの湿っぽい表情で受け流そうとして、けれども歪んだ表情は彼女の思いとは裏腹にどんどん悲痛に濡れていく。
そんな彩葉を見て、心臓を掴まれたみたいな痛みが胸に走った。
それでもかぐやは、口をぐっと閉ざして、彼女の言葉が出るまで何も言わない。
数分、そうして無言の時間が続いた。
俯いてしまった彩葉。傍目から見たら、何か話せるような雰囲気じゃない。だけど、かぐやは知っている。
こういう時、彼女はかぐやの想いから逃げたりしない。
「………ぃ」
か細い言葉の尻尾を捉える。
震えを必死に抑えながら、彼女は言葉にした。
「死にたく……ない」
――やっと、言えたね。
心の中で安堵がもれでる。
余命のことを知ってから、ずっと言って欲しかった。彼女がいつまでも、それを言えないなんて耐えられなかった。
もういいんだよ。怖いことも、辛いことも、かぐやが受け止める。
どれだけ深い闇にとらわれても、わたしが何度でも『彩葉』ってその名前を呼ぶから。
「私だって……私だって、もっと生きていたいよ。もしも……病気じゃなかったらって、何回も考えた……」
思わないはずがない事を、吐きたいはずの弱音を、この数年に渡って彼女は一度も言えなかった。
言える相手が居なかった。知ってるよ。だって、ヤチヨはそんな彼女を見てきたから。
「でも仕方ないじゃん!私は死ぬんだよ!生きられないんだよ!」
どれだけ薬を飲んでも、日に日に体力は減って、体調は悪くなっていく一方。
夢も希望もない。明日を生きても、明後日には死ぬかもしれない。
皆がしている未来の話に、自分が居ない絶望を、彼女は胸の奥にしまって生きてきたんだ。
「嫌だ……死にたくない……怖いよ……」
そうだよね。そうだったんだよね。
彼女の境遇なら、普通は他人を気にする余裕なんてない。
それでも彩葉は優しいから、自分の死が誰かに与える傷をずっと気にしていた。
その誰かと、未来の先でも一緒に居たいという、切なく苦しい本心を殺して。
「ずっと、一緒に居たい」
女の子が当たり前に抱く甘くて素敵な夢すらも、捨てなきゃいけなかった。
でも、もう大丈夫だよ。あなたが捨てた思いも、感情も、こうしてかぐやが拾うから。
「本当は……お別れなんて、したくない……」
死ぬまで一緒に居て欲しい。
それがどれだけ残酷な願いか知ってるからこそ、彩葉はわたしにそれを言えなかった。
喪失の痛みを知っているからこそ、かぐやにそれを負わせたくなかった。
――嬉しいなぁ。けど、ちょっと意地悪だよ。
こんなにかぐやを愛してくれる人の最期に、共に在れないだなんて、そっちの方がかぐやは辛い。
「いいに、決まってるじゃん。永遠に……一緒に居てあげる。彩葉が望むなら、かぐやの全部をあげる」
どんな世界線でも叶わなかったことを、かぐやがこの世界で叶える。
それによってどんな不幸が起こっても、誰が損をしてもいい。
「ありがとう、彩葉。話すの、辛かったよね……」
しゃくりをあげる彩葉の背中を撫でながら、よしよしと宥める。
「次はかぐやの番だね」
彩葉に言わせたのだから、かぐやも言わなきゃ。
こっちはそんなに難しいことじゃない。わたしが抱えている想いは、彼女のそれよりも言葉にすればとてもシンプルだ。
熱すぎて、ちょっとだけ見せるのが恥ずかしいくらいかな。
女を見せろ、かぐや。
大切な人との誓いを、今こそ交わすんだ。
決心を固め、彼女の両肩に手を添えて、そっと顔を近づける。
「んっ」
そうして、一番純粋で柔らかなところに口づけした。
「……かぐや?いま……」
なにが起こったのか分からないといった様子の彩葉。
けどすぐに口元を押さえて、顔を赤くした。
触れるだけの淡くて初心なキス。
とっても気持ちよくて、ふわふわして、頬が熱くなる。
うわぁ、凄い。初めてってこんな感じなんだ。甘くて、熱くて、蕩けちゃいそうで、咄嗟に顔を隠したくなるくらいに恥ずかしい。
「これが、かぐやの気持ちだよ。明日、帰ってきたら……続き、しようね?」
かぐやの本音。
それは一言に尽きる。
―――あなたのことを愛しています。
✧・゚: *✧・゚:*
ライブの会場は、特設のKASSENステージだ。
決戦にふさわしい舞台の天守で、わたしとヤチヨは並んで、これから敵が現れる地平を見つめていた。
「彩葉と約束したんだ。ずっと一緒に居ようって……」
「そう。なら、なおさら負けられないね」
自然と緊張はない。
これに負けたら全部終わりなのに、かぐやの頭の中にはその後のことしかない。
唇には、まだ昨日の熱が残っている。指でなぞると、ぶわっと体があったかくなる。
恋にうつつを抜かした無敵のかぐや姫。
「準備はできてる?お姫……いや、この場合は勇者様かな?」
「もちろん!ライブが終わったら、みんなでパーティーして……そんで、彩葉と……」
たった一度きりの思い出を作る。
その先は恥ずかしくて口にできないけど、ヤチヨは分かってくれる。
「甘いね~。かぐやがそんな事を言えるようになるなんて、ヤッチョは感激のあまり涙が出そうなのです……」
よよよと僅かに頬を染めながら言うヤチヨ。
そんな彼女だけど、秘密を明かせばあなたもその甘いひと時の仲間入りを果たすのは間違いない。
彩葉がこの子の思いを受け入れないわけがないんだから。
わざわざ言ったりしないけど、ヤチヨもそんな希望にあふれた未来を目指しているはずだ。
「だったら、そんな女の子の大切な約束を邪魔しようとする無粋な連中には……お引き取り願わないと、ね?」
不敵に笑ってそう問いかけてきたヤチヨに、わたしは頷いた。
「うん!あの人達には悪いけど……今度こそ、決着をつけるよ!」
これまで、幾つもの世界線で、何千何百とこの決戦に敗北して来たんだろう。
その中にはかぐやが戦った世界も、戦わなかった世界もあると思う。
涙ながらに別れを口にした世界、無理やり引き裂かれた世界……『大好き』を最後に別れた世界。
全部にかぐやと彩葉が居て、それによって巡る輪廻が何度もヤチヨを生み出し、酒寄彩葉を絶望の淵から救って来た。
ごめんね、今までの
これからかぐやは、かぐやの勝手で、それを終わらせます。
でも、もしもあなた達もそれを応援してくれるなら、どうか力を貸してください。
わたしは―――この世界の彩葉と幸せになりたい。