余命数年の私の元に現れたかぐや姫   作:グランドマスター・リア

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第8話:守りたい。幸せにしたい。

 

 奇跡なんて起きないと、そう決め付けていた。

 恋愛小説みたいな夢物語は絵空事、現実はもっと酷くて度し難い。最初から、こんなどうしようもない私を、誰かが助けてくれるなんて思っちゃいない。

 それ以前に、心の底から他人を信じられない私に助けを求める事なんて出来やしない。

 

 そこはずっと、色のない世界だった。

 感情の伴わないモノクロ。

 味も、温度も、そこにはあるはずなのに感触として伝わってこない。晴れてるのか、薄暗いのかも分からない世界で、”人らしい”それらが笑って、泣いて、歌って踊っている。

 

 何が面白いのか分からないワルツの中で、私は一人舞台袖に丸まって疲れきった体を休め、誰にも見つからないように泣いてることしか出来なかった。

 

 諦めることが習慣付くと、悲しみすら感じなくなる。

 そうやっていくつもの感情が色を失った日々の中で、奇妙なものを見つけた。箱庭だ。現実と比べて、小さくて狭くて、味も温度もない、とても不完全で不自由な世界。

 

 けれど、そこには何もかもがあった。

 音も、人の笑顔も、涙も、私が失ってしまったものがその世界では当然のように色づいていたんだ。

 味がなくても、温度が無くても、私にとっては現実以上の自由がそこにはあった。

 

 その頂点にいる銀色の姫に、惹かれるのはもはや既定路線だったとすら言えるだろう。元々持っていた崇拝にも似た感情は、より鮮明で綺麗なものに変わって、私は彼女を見つめるのがとても好きになった。

 

 所詮、大衆とオンリーワンの距離。彼女が私を見てくれる事は無い。

 それでも良かった。見ている時間が幸せだった。彼女の歌を聴いて、悲しみ以外の理由で泣ける事が嬉しかった。

 

 神座を城の麓から見上げるだけで、ただそれだけで良かった。

 それなのに……彼女はこんな私のもとに降りて来てしまった。

 

 

 

 これは夢じゃない。

 月見ヤチヨは確かにここに居て、みっともなく泣いた後の私の隣りに座っていた。

 

「ここ。プライベートエリアじゃないんだけど、普段から全然人が来ないんだよね。だから、こうして秘密の時間を過ごすにはとても良いの」

 

「そう…なんだ」

 

 月明かりの見える小さなテラス。

 彼女が言う通り、ここら周辺にはプレイヤーが驚くほど出没しない。それも不思議ではなく、この辺りはメインストリートからも離れている上に、入り組んだ道を進んだ先にある。

 偶然で辿り着ける人すら極僅かだろう。

 

「ふふっ、さっきは沢山泣いたね~。彩葉」

 

「うっ、お見苦しい姿をお見せしました」

 

 我ながら、推しの胸の中で号泣するなんて恥ずかしすぎる。

 こうして考えてみると、私は感情の類いを失ったふりをしていながら、心の奥底では寄り添ってくれる存在を欲していたのだろう。

 どれだけ絶望して諦めたって、やっぱり誰かに話を聞いて欲しかった。

 

「ううん、見苦しくなんかないよ。ちゃんと泣けて偉い。そういうのって、生きていく上で凄く大事なことだと思うから……」

 

 ――生きていくうえで、か……

 実感の伴った言葉だ。

 少なくとも、感情を殺して死んだように生きていくよりはずっといい。

 

「ヤチヨはね。時間の長さとかは、あんまり関係ないって思ってるんだ。どれだけ果てしない道でも、逆に短い道でも、今はまだ歩けるしここに生きてる。その過程で誰かを好きになって、大切にしても、それが誰かにとっての不幸かどうかは分からない」

 

「ヤチヨ………」

 

 その言葉は、近頃そういう悩みを抱えていた私の胸に深く突き刺さる。

 価値観に綻びが生じるほどは響かないが、頭の片隅にはきっといつまでも残る。

 

「私は……私が傷つくのも、誰かが傷つくのも嫌なんだ」

 

 悲痛をかみしめて、心情を吐露する。

 

「変わってしまうのが怖い。それ以上を望まないから、それ以下にもならないで欲しい……自分勝手だって分かってても、そこを変えることはできない。だから、それを守るために必死になって、大切な人に酷い事を言ってしまう。矛盾してるよね……」

 

 傷つけたくないと言いつつ、私はどこまで行っても誰かを傷つけ、何かを壊す事しかできない。更に質の悪い事に、傷つけた人を癒す手段も、壊したものを直す技術も持ち合わせていないのだ。

 色のない世界に閉じこもっていたのは、そうすれば自分も他人も、必要以上に傷つかない。

 

「そうまでして近づけないよ。普通の人であれば、仮に誰かを不幸にして、悲しませても、償うことができる。でも、私に『そんな時間』はない」

 

「彩葉が居なくなれば、どうしたって親しかった人は皆傷つくし悲しむよ」

 

「そうだとしても、それは大抵時間で癒える傷でしょ?少しくらい寂しくたって、思い出が温めてくれる。だけど……お互いを大切にし過ぎれば、それを失う痛みに、人は耐えられない」

 

 そうやって、愛する人を亡くした痛みで壊れた人を私は知っている。

 それを私は想像する事しかできないけど、もしも誰かが私を愛してくれたとして、その愛がいずれ行き場を失って、抱いた本人を苦しめるくらいなら、私は『一人で死にたい』と願う。

 

「ごめんね。折角相談に乗ってくれてるのに、こんなマイナスなことばっかり言って……」

 

 そこで生じた『誰かに私を見てほしい』という願望が叶った今、思い残すことなんてないのかもしれない。

 現実に色がなくっても、この仮想世界にはある。私はまだ全てを失ったわけじゃない。ヤチヨが言った通り、まだこうして生きて、歩くことが出来る。

 かぐやが居る。彼女がいる限り、私が何もかもを諦めて死ぬことは有り得ない。

 

「ねえ、彩葉」

 

 そこで、ヤチヨが私の名前を呼んだ。彼女を見ると、そのかんばせに優しい微笑みを浮かべて、そっと私の手に手を重ねた。

 

「実際に会って、こうして触れてみれば温かいかなって、いつも思うんだ。そんな訳ないのにね」

 

 そうして吐いた言葉には、私なんかでは推し量ることすらできないほどの悲哀が詰まっていた。微笑みを浮かべ、声音も穏やかなのに、心は泣いている。

 この仮想世界に”意味”を見出した私だからこそ分かった事だ。

 

 

「ヤチヨは、大丈夫だよ。どれだけ傷ついても、その痛みをちゃんと受け入れられる」

 

 

 なんでそんな事を言ってくれるのか、私には分からない。

 明らかに愛してくれている。好いてくれてなきゃ、そんな言葉は紡げない。

 

「なんで……そこまで……」

 

 でも、その理由が私なんかに分かる訳なくて、そもそもこの状況に至るまで、そうしてくれたヤチヨが何を思って私に関わってくれたのか、それすらも知らない。 

 

「なんでも、だよ。ヤチヨはもう、彩葉のことを全部知ってる。だから……いいの」

 

 月下に揺らめくその声が、私には泣き疲れた人のそれに聞こえた。

 仮面のようでありながら、その実嘘も偽りもない微笑。声は泣いているのに、顔はそうじゃない。いつからか泣き方を忘れてしまった私みたいに、彼女もそうなのだろうか。

 

「ヤチヨは……優しいね」

 

 そんなありふれた称賛しか吐けない口が、憎らしい。しかし、今の私は彼女に差し伸べる手を持ち合わせていない。

 

「そうかな?」

 

「そうだよ。今日会ったばかりの私のために、傷付いてもいいだなんて……」

 

 自嘲するようにそう言うと、一瞬彼女は悲しそうな顔をした。

 

「今日、会ったばかり……そうだね。確かにそうだった」

 

 すぐにいつもの穏やかな笑みに戻ったけど、その変化を見逃す私ではなく、初めて見るヤチヨの表情に疑問符を浮かべた。

 

「ヤチヨ、今―――」

 

『ネムッテ!ネムッテ!』

 

 口に出そうとした言葉は半ばで、ヤチヨの肩に現れたFUSHIのアラーム音のような声によって遮られた。

 

「オネム……もう時間だね。帰らなくちゃ……」

 

「そ…っか」

 

 お別れ。この夢のような時間が終わってしまう。分かっている。あの月見ヤチヨと、そんなに長く一緒に居ることなんて出来ない。

 むしろ、こうして会って、話せたこと自体が普通は有り得ないような奇跡なんだ。

 名残惜しむなんて、贅沢すぎる。

 ちゃんと笑って「今日はありがとう」って言わなくちゃいけない。そう思うのに、どうにも口はまごついてしまう。

 そんな私を見て、ヤチヨは優しく言った。

 

「お別れ、したくない?」

 

「え?いや、そんなことは……」

 

 困らせたくない。

 そう思ったのに、

 

「ええ~?そんなことないの?」

 

「すみません。嘘です。見栄を張りました」

 

 そんな言い方をされたら肯定せざるを得ない。

 勿論、本心からもっとこの時間を過ごしたいと思っている。離れがたいと感じてしまうほど、ヤチヨとの秘密の時間は心地よかった。

 

「ふふっ、素直でよろしい。でもね、どうかそんなに悲しまないで。確かに今日はこれでお別れだけど、きっとまた会えるよ。ヤッチョが保証しちゃう」

 

 ススっとすり寄って来て、彼女の顔が急接近する。

 高鳴った胸に白く細い指がつんと触れて、視界の端でメッセージボックスが何かを受信した。

 

「それじゃあ、またね」

 

 最後にそう言って、ヤチヨは月光の煌めく夜空へと消えていった。

 

 その余韻から覚めた後、さっき彼女から送られたと思われるメッセージを開くと、そこに書いてあった内容に、私は驚きのあまり頭を抱えた。

 

 

 

 

 管理者区域に戻ってきた私は、上機嫌にアバターを黒いTシャツ姿に変化させて、プライベートルームへと引っ込む。

 八千年ぶりの再会は、予想もつかない形ではあったけれど、ようやく彼女に会えたのだ。今はただ、その事実を喜ぼう。

 

「良かったのか?」

 

「FUSHI……」

 

 そこで、声をかけてきたのはウミウシ型のAIであるFUSHIだ。

 心配そうな声で、まるで私の心の中の迷いすら見透かしているかのような言葉に、私は困ったように微笑した。

 

「まぁ……この世界線の輪廻はすでに狂い始めてるからね。ミニライブでの再会を取り返したと思えば、そこまで……」

 

「そうじゃない。あんな事を言ってしまって、本当によかったのか?」

 

 口を閉ざす。

 [[rb:あんな事 > ・・・・]]とは、どの事だろうか。なんて、聞くまでも無い。さっきの彩葉との秘密の逢瀬において、私は一つだけ彼女に嘘をついた。

 

『ヤチヨは、大丈夫だよ。どれだけ傷ついても、その痛みをちゃんと受け入れられる』

 

 これは、彩葉を救うために、彩葉の心を少しでも癒すために言ったことだ。

 だがこれは、嘘だ。なにもかも、一から十まで、全てが偽りだ。

 どれだけ傷ついても大丈夫?痛みを受け入れられる?彩葉を失う痛みを?無理に決まっている。

 とんでもない大ぼらだ。そんな覚悟も、強さも、持ち合わせていない癖に、私はこの八千年で得た経験を使い、彼女に平気で嘘をついた。

 

「良かったもなにも……ヤチヨが言わない限り、これは私の心の中の話でしかない。彩葉には関係のないことだよ」

 

 そりゃバレたら、怒られるだろうし、より悲しませてしまうだろう。

 けれど、心の内にしまっておけば、彩葉からすれば『最後まで綺麗なヤチヨ』のまま変わる事は無い。

 

「いいや、彩葉はいつか気付くぞ。僕が横槍を入れる直前、彩葉は明らかにお前の様子に違和感を持っていた」

 

「……………」

 

 唇をかむ。

 言い得ていた。嘘というのは、違和感を持たれた時点でバレているのと同じだ。彩葉はいずれ、私に辿り着く。

 

「……分かってるよ。自分の馬鹿さ加減くらい……みっともないよね?彩葉とかぐやの為だって、自分で決めたことを、こんなに簡単にひっくり返して……」

 

 自嘲する。

 あのまま何もせず、過度に接触しなければ、その道筋が現れることはなかった。

 だが、私と彩葉は出会ってしまった。

 こうなったら元通りにはならない。私には、この世界の彩葉がこの先どんな未来を歩むのか、全く予想が付かない。

 私の知る歴史から、あまりにも変わり過ぎている。

 もし、このまま輪廻が狂い続けたら、私と彩葉が出会った事すら、世界から消えてなくなってしまうかもしれない。その原因の一端を、私自身が作ってしまった。

 ダメだって分かっていた。

 ミニライブで会えなかったあの日から、何度も会いたいと願っても我慢してきた。しかしそれも、限界だった。

 

「でもね。私って、そんなに強くないからさ。あんな彩葉を見ちゃったら、ほっとけないよ」

 

 誰も居ない暗い路地で、今にも消えちゃいそうなくらいの儚さで、自分の想いすら否定した彩葉。

 

『好きって、言っちゃダメじゃん』

 

 飛び出していた。

 夜空を舞って、彼女の居る所へ行って、待ってとその手を後ろから引いた。そうして静かな月下で、私と彼女は再会した。

 

「この世界は……どこまでも、彩葉に優しくない。なにも悪い事をしてないあの子が、あんな思いをして、悲しみの中で死ぬくらいなら……私は、もう………勝手にする」

 

 最初に約束を破ったのは、神様の方だ。

 輪廻なんて知ったことじゃない。

 ヤチヨがお利口さんにしてたら、また同じように幸せな日々が訪れると思っていたのに、そこにあったのは、楽しいというにはあまりにも苦い時間だった。

 

「私は、わたしの言葉に責任を持つよ」

 

 その決意も込めて、私は彩葉に特別なチケットを送ったんだ。

 まだ誰にも渡したことのない。この世界でたった一枚しかない、お姫様に会う為の恋文。それがまた近いうち、再び私達を引き合わせてくれる。

 

「そうか……ヤチヨが決めた事なら、僕もいい」

 

「ふふっ、ありがとう。君にはいつも迷惑をかけるね」

 

 この常夜の世界に浮かぶ、仮想の満月を見据え、私は深く哀憐に満ちた微笑みを浮かべた。

 

「待っててね。彩葉……今回は私が、あなたを幸せにしてみせるから……」

 

 

 

 

 芦花と真実の二人と別れて、ツクヨミからログアウトすると、いつも通りの六畳間が視界に広がった。

 先程話し合った内容を頭の中で反芻しながら、椅子に座ってまだダイブしたままの彩葉を見る。

 大きな病院。彩葉の拒絶。異常なまでの苦しみ方。薬の量。あらゆる要素が、芦花の予想した『大きな病気』を裏付ける。

 

「彩葉……」

 

 そっと彼女に近づいて、無防備な顔を見つめる。

 こうしてみると、とてもそんな事情を抱えているようには見えない。何の変哲もない普通の女子高生。それが、稀に姿を変えて痛みに苦しむ少女に変わってしまう。

 

「…………」

 

 やるせなかった。

 切ない。

 息遣いすら聞こえてくるくらいの距離だ。こんなにも近いのに、恐ろしく遠い場所に彼女が居るかのような錯覚すら覚える。

 

「彩葉はさ、優しいよね」

 

 ぎゅっと握り込んだ手からそっと力を抜いて、彼女に触れたい感情を必死に抑える。

 

「こんなにワガママで、気に入らない事があったらすぐに暴れるような悪い子を受け入れて……どんなに迷惑をかけても、追い出したりしないんだ」

 

 それどころか、彼女は怒るという事を殆どしない。大抵の場合は、静かに叱ってくる。

 大声で怒鳴られたのなんて、発作で苦しむ彩葉に手を伸ばし、拒絶されたあの時だけだ。いつも湿っぽい雰囲気を纏って、傍に居てくれる。

 

「かぐやは……なんも、できてないね」

 

 手をみつめると、小さくて、汚れがなくて、無力だった。

 ひ弱すぎて、彼女が振り払えば簡単に弾かれて、無理やり抱きしめるような強さなんてどこにもない。

 哀しすぎる。考えるだけで、泣きそうになる。常に一枚の透明な壁を挟んで、お互い本当の意味で心からは触れ合えない。それが、わたし達の今の関係性だ。

 

「なんでだろ……こんなにも好きなのに……わたしは、彩葉が苦しんでる時に背中をさすってあげる事も、お布団の中でうなされながら泣いてる彩葉を、癒してあげることすら……」

 

 何か彼女のためになりたいって思っても、またあの時みたいに拒絶されたらどうしようって、嫌われたくないって感情が全身を雁字搦めにしてしまう。

 だからあんな風に、こそこそと彼女の親友に探りを入れるなんていう、卑怯な真似しかできない。

 

「ダメだな。こんなんじゃ……『私は、わたしのことが好き』だなんて、とてもじゃないけど、言えないよ」

 

 肩を落として、彼女に背を向けて、夕飯の準備に取り掛かる。

 やがて、彩葉がツクヨミから戻ってくると、いつもの調子で献立を聞いてくるので、こっちもさっきまでの辛気臭い表情が嘘のように笑顔で答える。

 そんな日常が、まるで綺麗なガラス細工のように思えてならなかった。

 

 

✧・゚: *✧・゚:*

 

 

 彩葉の学校が夏休みに入って、そろそろ中盤に差し掛かろうと言う真夏の折、彩葉はわたしに思いがけない提案をしてきた。

 

「ねえ、かぐや」

 

「んー?」

 

 動画編集をしていると、名前を呼ばれたので彩葉の方を見ると、彼女はスマホにとあるトーク画面を映してこう言った。

 

「芦花と真実に誘われたんだけど……一緒に、海行かない?」

 

「ふぇ?」

 

 海へ、行く。

 夏なのだから、特段珍しい提案でもないだろう。夏空の下、大海原を前にエンジョイしたい気持ちを持つのは、女子高生としては当然のことだ。

 

「……マジで?えっ、それ、大丈夫……なの?」

 

 けれど、私は心配そうにそう返答した。

 ただでさえ体が弱い彩葉にとって、夏の猛暑は天敵だ。ひとたび、暑さ対策無しでこの蒸し風呂状態の外に身を晒せば、なけなしの体力は瞬く間に削り取られ、家に逆戻りしてしまう。

 だからこそ、その誘いは青天の霹靂だった。

 けれど、彩葉はそんな私に、困ったように笑って頬をかいた。

 

「うん。皆みたいに泳いだり、遊び回ることは出来ないけどね。でも、パラソルの下とかで涼んどけば、体調の方はそこまで問題ないよ」

 

「いや、それだと彩葉。全然楽しめないじゃん」

 

 それなのに、二人に誘われたからと言っても、何でわざわざ海をチョイスしたのか分からない。

 ―――というより、よくよく彼女のスマホに表示されたトーク画面を見てみると、二人”が”誘ったというよりは、どちらかというと、彩葉が乗り気で海を推しているように見える。

 意味が分からない。

 

「そんな事ないよ。案外いいもんだよ。友達が楽しそうに遊んでるのを眺めながら、くつろぐってのもね」

 

「……ちょっと前、水着を着るのも嫌だって言ってた」

 

「うっ……それは、えっと……」

 

 そう、彩葉はそもそも肌を晒すのを嫌う。

 恥ずかしいからじゃない。

 痩せた体を見せたくないからだ。

 今でこそ彼女は普通の人に比べれば少ないものの、毎日しっかりご飯を食べているが、かぐやが来る前は輪をかけて食が細かったそうだ。

 カロリー摂取量は、だいたい今の半分にも満たない。

 そんな生活を数年間続けたせいで、彼女の体重は平均よりも大分低いし、体つきもかなり細い。

 腕や足の細さにコンプレックスを抱いている事は、少し前に彼女自身が私に語ってくれたことだ。水着を着たくないというのも、その時に聞いた。

 

「……彩葉。本当の理由は、なに?」

 

 そんな負の感情の重さを知っているからこそ、かぐやは真面目な声で訊いた。

 向けられた視線に彩葉はグッと口ごもり視線を逸らしたが、やがて諦めたように息をついた。

 

「……はぁ、やっぱりかぐやには敵わないね」

 

 彩葉は再びその翡翠色の瞳を私に向けて、うららかな春のような優しい笑みを浮かべた。

 

「かぐや。この前、海に興味持ってたでしょ?水着とか、海水浴に関する情報が載ってる雑誌……タブレットで読んでたの、知ってるんだよ」

 

「!……てことは、もしかして……」

 

 ――わたしの、ため?

 確かに、海に関することを興味本位で調べていたのは事実だ。かぐやは当然、海を見たことがない。行った事もない。

 気になっていたのは、事実だ。

 折を見て、一人で見に行ってみるものいいかなって、そう思っていた。

 

「こういう事を言うと、あんたはきっと後ろめたく思うだろうから、あんまり言いたくなかったんだけどね……」

 

 でも、まさか彩葉がそれを気にしてくれてるなんて思わなかった。

 

「かぐやは、私にとても気を遣ってくれてるよね。ワガママに見えて、私の体調とか、色んな事を心配してくれて……ご飯も、食が細い私でも、食べやすそうなものを考えて用意してくれてる」

 

 全部そうだ。

 そうだけど、私はそれを恩に感じて欲しいなんて思った事は一度もない。彩葉はわたしを受け入れてくれた。かぐやっていう名前をくれた。この世界で、かぐやの大部分は彼女で出来ていると言ってもいい。

 

「そんなの……かぐやが勝手にやってることなのに……」

 

「そうだね。でも、私はそれが、とても嬉しかったんだ」

 

 こんなに感謝されてるなんて、思わなかった。

 かぐやはずっと、彩葉に嫌われたくないって、その一心でここ最近は過ごしていた。ずっとあの日の怒鳴り声が消えてくれなくて、ふとした拍子に、またそうなっちゃうんじゃないかって、怖くて仕方がなかった。

 それがまさか、こんな……

 

 

「迷惑……だったかな?」

 

 

 視線を斜め下に向けて困ったように笑う彩葉に、わたしは心臓が高鳴るのを感じた。

 胸の内で、うるさいくらいに鼓動する。経験したことがないくらいに、熱くて、心地よい気持ちにかぐやは生まれて初めて”悶えそう”という感傷を知った。

 

「いろは……」

 

 か細く名を呼んで、両手をおそるおそる伸ばす。

 壊れものに触れるように、そっと両腕の中に収めても、彩葉はされるがままだ。

 眉を下げて、切なそうにしているその表情の裏で、この子は何を思っているんだろう。その苦しみを、すぐに取り除いてあげられないことが、とても悔しい。

 

「迷惑なわけ……ないよ。本当に、凄く嬉しい」

 

 抱き寄せる。

 か細く、か弱い。

 それでいて、人を思いやる優しさに溢れたとても素敵な女の子。

 わたしは思う。例え、その胸のうちにどんなものを抱えていようと、この子には幸せになって欲しい。

 

 かぐやは、彩葉のためだったら何だって出来る。

 何があっても、絶対に守って見せる。

 

 

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