デジモンDワールド-Repair-(ユキアグモンと少女の冒険記) 作:山下敬雄
11月25日、午前7時42分。
橘家自宅のダイニングルーム。朝の静けさの中、新聞を大きく広げて椅子に腰掛けるのは砂雪の父、橘
しかしこの日は少し違った。いつもは物静かな娘の砂雪が、彼に対してある突飛な質問を投げかけたのだ。
「空に浮かぶ巨大な土偶?」
「ええ。土偶って空に浮かぶもの?」
依然新聞紙を広げたまま、父である章は先ほど娘から投げかけられた言葉をそのまま疑問符をつけて返した。
砂雪は今焼き上がった半熟の目玉焼きをそっと、フライパンからスライドさせる。そしてテーブルの上にある皿、半分余ったトーストの上に置いていく。
「何を言い出すかと思えば……んー、土偶といえば……その奇怪さと造形の特異さから、一説には宇宙人の姿を模した物とも言われているな」
「宇宙人?」
普通の家庭では答えに困る類いの質問だったが、章にとってはそれは専門範囲。土偶から連想する言葉や知識を見つけるのは、少し考えれば容易であった。
「一説だ一説、本気でとらえるな。あとはそうだな、あっ。アラハバキか」
「アラハバキ……それって?」
かと言ってこれを本気で汲み取られても困る。そういう場合は、一説だけではなく並列して新たな興味深い事象を並べるといい。
少しこの親子のやり取りにどこか懐かしさを覚えた章は、また思いついたワードを小出しにし、話を続けた。
「簡単に言うと日本に古くから伝わる未だに謎多き神様のようなものだが……ってどうしてそんなことを聞く? 砂雪」
饒舌に語り始めたと思えば、章はふと我に返ったのか、広げた新聞を下げ顔をちらりと覗かせる。そして向かい席に座っていた娘の顔を訝しみ見た。
そもそもこの話題を父に振った発端は何なのか、気になり性の彼は娘にそのことを問わずにはいられなかった。
「うーうん、ちょっと気になっただけでなんでもないわ。──あ、時間だわ、いってきます」
「あっ、おい──」
エプロンを素早くほどいた砂雪は、リビングに用意していた通学カバンを手に取ると、そそくさと玄関に向かって歩き出した。どうやらいつでも煙に巻いて出られるように準備をしていたようだ。
やがて『バタン』と、玄関の扉が閉まる音が鳴る。父がいつも聞くより大きい音だ。
「──ネットで何か妙な噂でも調べたのか? 漫画やアニメ、ファンタジーや……小説にもぱったりと興味をなくしたくせに、おかしな娘だな」
「って俺の娘か。はぁ朝から余計なもんインプットしちまった。さてと仕事仕事、橘先生は絶賛新作の執筆作業で忙しいの! …………土偶とアラハバキか……題材にはちょっと面白そうだな?」
横目で追いかけた制服姿の娘の姿はもう見えない。
読みかけの新聞を閉じると、それをぽいとテーブルの上に投げ捨てた。半熟卵の乗ったトーストを口に押し込みながら、橘章はようやくダイニングの椅子から立ち上がった。
神戸市、閑静な住宅街。冷たい風が吹く通学路に、綺麗な藤色の長髪が靡いた。
(お父さんは小説家だから、高校生の私は朝こうっやって先に学校に出かける。いつもこんな毎日。いや、いつからだったかな。思い出さなくてもいいことね。──あと、今は絶賛スランプ中。怒っちゃうから内緒ねっ)
橘砂雪は足早に出ていった自宅とは裏腹に、なんともマイペースな落ち着いた足取りで通学路のアスファルトを、独り言を呟きながら歩いていた。
その時、藤色の髪をした彼女の背を目掛けて、慌ただしい足音が後ろから近づいて来ていることに砂雪は気づいた。だが、それが誰なのかもおおよそ見当が付いていたので、砂雪は足音が追いつくまでは振り返らずにそのまま前を歩いていた。
「あっ! 砂雪さん、昨日の数学の宿題やった? お願いちょっと見せてくんない!」
「ええ、いいわ。1ページ1000円でなら」
「ええ、悪魔ぁ!? 今日の前髪なんかかわいくなーい」
慌ただしい足音で近づいて来たのは小谷町子、橘砂雪の同級生の女子だった。町子は砂雪のさらりと言った冗談を受けて、今指をさした藤色の前髪に文句をつけ始めた。
砂雪はそっと、友人の彼女に指をさされた自分の前髪を右手で触る。
「前髪は関係ないと思うのだけど? じゃあそうね。友情割引で990円引き」
「わぁ、天使ぃ! 今日の前髪さいこーにかわいい!」
「ありがとっ」
千円は冗談が過ぎたと思った砂雪は、思い切った割引を提案した。
(結果10円で友情を買ったのでした。なんてね──前髪そんなに変だったかしら?)
手のひらを返して喜んだ町子から砂雪は10円を受け取ると、町子が何やらまた砂雪に向かい指をさした。
「砂雪、それなに」
同じ制服姿の砂雪の胸元には、町子の知らないペンダントのようなものが首から垂れ下がっていた。
「あ、これは。お守り」
「見せて見せて──その砂時計みたいなのがお守り? ふーん。なんか落ち着いた感じが、砂雪っぽいね!」
「地味ってこと?」
「いやいや違くて!?」
「ふふ」
あえて友達に見せたそれは、ペンダントというには少し地味目だった。小さな砂時計を紐に通しただけの物であった。
(きっとこの先、夢で見たあの土偶のことなんて忘れていく。でもこうして保存すれば、時々は思い返せるかもしれない)
朝日に照らされた小さな砂時計のネックレスが、白い砂をこぼしながらわずかに煌めいた。
高校から帰って来た、夕刻。
すっかり肌寒くなってきた風を浴びながら、砂雪は小さな一軒家の自宅の鍵を開けた。
「そろそろ、こたつ出さないとかな」
もうすぐ12月。本格的な冬支度をしなければならないかもしれない。玄関で靴を脱ぎつつも、外の風の冷たさに砂雪はそんなことを考える。
静まり返ったダイニングテーブルの上には、ぽつんと千円札が一枚置いてある。それと添えられていた小さなメモ用紙には、「取材にいってくる」とだけ、忙しそうな父の筆跡で書かれていた。
「取材だといいのだけど──。今日はおでんかな」
そういうことなら作り置きのできる、おでんが丁度いい。砂雪は朝と同じ椅子に、同じまま掛けられていた緑のエプロンを手に取った。
エプロンの紐は解かれ、また同じ椅子の上に掛けられた。台所の火元では、ぐつぐつと仕込まれたおでんが煮えている。
物置部屋から一人で引っ張り出して来たこたつ。そのこたつの机上にノートパソコンを置いて、ライブカメラの景色を垂れ流す。そしていつものように砂雪は、家事を終えて余った時間で学校の勉強をしていた。
全国各地の様子を映し出すライブカメラ。日本地図をタッチするだけでその土地の景色が簡単に切り替えて見れるものだから、砂雪にとってその配信は何か作業をする時に流す分にはお気に入りの一つであった。
ペンを止め勉強を一段落終えると、砂雪はこたつに座りながらライブカメラの映像を好きに切り替えていく。自分の知らない場所にクリックすれば一瞬で小旅行ができる、そんなところも砂雪がこの配信を気に入っている要素の一つだ。
そのまま黙々とマウスを操作しカメラを切り替えていると、唐突にパソコンの画面に灰色の砂嵐が走った。何事かと思った砂雪は一瞬驚いてみせたが、すぐに奇妙な砂嵐は去り、映像は問題なくパソコンのモニターに映し出された。
再び映し出された映像は、降りしきる雪で覆われていた。そんなに積もっているなんて北国の方でもクリックしていたのか、砂雪はライブカメラを切り替えずにしばらくその雪原の様子を眺めていた。
遮る物が何もない雄大な雪原の景色を、砂雪がこたつに温もりながら眺めていると、ふとそこに何かが横切るのが見えた。
「なにか……追われてる?」
真っ白で小さな玉のような生物が一匹、青い肌をした人に追いかけられている。野蛮にも棍棒を振り回す青い肌の人型は、ぴょんぴょんと雪原を跳ねる白玉の生物をなおも執拗に襲っていた。
そんなライブカメラに映った危うい光景を見かねた砂雪は、開放されていたチャット欄に、パソコンのキーを打ち込み「がんばれ」と短いメッセージを送信していた。
すると、そんな彼女のささやかなテキストベースの応援が届いたのか。棍棒に小突かれ雪に埋もれていた白玉の生物は、次に顔を出した時には、凍てついた嘴を生やした一回り大きな姿になり、青肌の小鬼へと今度は逃げずに果敢に立ち向かっていた。
「あのこ、いま成長した……?」
可愛らしかった姿形が、氷の嘴を口元に纏った少し勇ましいものになっていた。食い入るように映像を見ていた砂雪は、分からずもそれを「成長した」と表現した。
それでもまだ体格は、白い生物と比べて青肌の小鬼の方が二倍以上は大きく見える。だが、白い生物はなおも勇敢に目の前に敵に立ち向かいつづけていた。
手に汗を握るような小競り合いがつづいている。すっかり釘付けで観戦していた砂雪が、もう一度チャット欄にメッセージを打ち込もうと思い立ったその時──。
自分の書き込んだメッセージ以外何もなかったチャット欄に、突如QRコードのようにも見える模様が大きく表示された。
砂雪は打ち込み途中のメッセージを一旦止め、キーボードから指を離した。そしてそのQRコードのことが気になった砂雪は、制服のポッケから取り出したスマホを、カメラを起動させながら翳してみた。
そしてパソコンの画面に翳したカメラが、怪しげなQRコードを読み取った瞬間──不意にスマホのモニターから、設定限度の光量を超えた眩しい光が生じた。
光量は際限なく増していき、目も開けていられない程の虹色の光となり、やがて部屋中を飲み込むように煌々と照らしていった。
制服のスカートごしに、やけに冷たい感触がする──。尻餅をついて体ごと後ろに倒れた砂雪が、長く閉じていた瞼を再び開くと──。
「ここは……」
何故か雪が降っていた。仰ぎ見るのは、空、雪の降る空。寝転んでいるのはきっと、そう──積もる雪の中。
視界に得た情報から連想を重ねた砂雪は、次に彼女が右手に持っていた熱い感触に目をやった。
すると彼女の握る手の中にはスマホではなく、知らない球状の機器が一つあった。
「スマホじゃない? これは?」
あの突然発光をしたスマホを、確かに落とさずに握っていたはず。冷たい地からゆっくりと上体を起こした砂雪が、知らない球状の機器を不思議そうに訝しみ見ていると──。
雪を踏む慌ただしい足音が、後ろから近づいてくるのが聞こえた。友人の小谷町子のものではない、すぐにそう気づいた砂雪が振り返るよりも早く、
「サユキあぶないっ! 【ダイヤモンドダスト】!」
可愛らしくも勇ましい声が、雪原を吹き抜け彼女の耳へと響いた。
奇声を発する青肌の小鬼スノーゴブリモンが、背後から砂雪へと飛びかかり棍棒を振り下ろす。その刹那──腕と嘴を生やした白玉の生物ヒヤリモンが、細氷の飛び道具を飛ばし、スノーゴブリモンを攻撃し砂雪を助けた。
「──! ……青肌のコボルト。それに、あのこはさっきの。今私の名前を?」
全身に細氷を浴び撃ち落とされたスノーゴブリモンが、情けない格好で転び、雪原に埋もれていく。
そしてもう一体、パソコンの映像で見た未知の白い生物、駆けつけたヒヤリモンに砂雪は驚いていた。
「わー、サユキだ! サユキ!」
「私のこと知ってるの?」
「うん。なんか、えーっとね。ついさっき!」
「ついさっき? 面白いこと言うわね。あなたは?」
「ぼくはヒヤり──」
立っている周りを、ぴょんぴょんと嬉しげに飛び跳ねる陽気な生物ヒヤリモン。顎に手を当てた砂雪は、友好的なその未知の生物と会話をしながら、名前を伺おうとした。
『ぎぃい……【スノーゴブボルト】!』
その時だった。砂雪との会話途中であった飛び跳ねるヒヤリモンに向かい、真っ直ぐに飛んできた雪弾が直撃した。
「──! 大丈夫?」
ヒヤリモンを突き飛ばしたその雪弾は、いつの間にか雪の地から起き上がったいたスノーゴブリモンの仕業であった。
砂雪はブレザーの胸元に受け止めたヒヤリモンを抱えながら、大丈夫かどうか目を落とし心配そうに問うた。
「これくらい……だいじょうぶっ! だからサユキ、ぼくをもっと応援して!」
「応援?」
「そうすればぼくはもっと強くなれる気がするんだ!」
そうお願いを告げたヒヤリモンは、雪をぶるぶると身を震わせながら払い、砂雪の腕の中から元気に前へと飛び出した。
「そうなのね。うん。──がんばれ」
「もっと!」
ヒヤリモンは跳ねる。まだまだ声が小さいと。
「がんばれっ」
「もっともっとぉ!」
ヒヤリモンはまた跳ねる。まだまだ応援が足りないと。
「がんばれヒヤリっ、倒して!」
砂雪から発された今日一番の大声を受けて、ヒヤリモンは飛び跳ねた──その時、ブレザーのポケットに仕舞われていたデジヴァイスQが輝いた。
「ヒヤリっモンっ進化ぁあああーー、────【ユキアグモン】!」
空中で眩い光の粒子へと変わったヒヤリモンは、天より下る光のデータの柱を一身に浴びて、そのフォルムを、強さを、再構成し進化する。
「成長……いいえ。進化……した……!」
細まる光の柱をくぐり、雪原を再び堂々と踏み締め降り立ったのは、鋭い爪と牙を宿した白い小竜の〝デジモン〟の姿だった。