TSボクッ娘は完璧な王子様系怪盗を演じたいようです。   作:最高司祭アドミニストレータ

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エトワールへの宣戦布告と決意

 星凪市博物館の東郷館長は、ふかふかとした革張りのソファに深く腰を掛けながら、鼻で笑うのを堪えるのに必死だった。

 

 時刻は夕刻。すでに本日の一般公開は終了し、館内は物々しい空気に包まれている。無理もない。

 

 今夜、この街を騒がせている『怪盗エトワール』と名乗るふざけた泥棒が、この博物館の至宝である特大のブルーサファイア『月下の宝石』を狙ってやって来るというのだ。

 

 東郷の内心は、どこまでも凪いでいた。

 

 たかが一人のおふざけ泥棒ではないか。東郷に言わせれば、警察は過剰反応しすぎである。

 

 当博物館が誇る最新鋭のセキュリティシステムを突破することなど、軍隊でも連れてこない限り不可能だ。

 

 無数に張り巡らされた赤外線センサー、一歩でも踏み込めば作動する重量感知式のアラーム、そしてロケットランチャーでも破れない特殊合金の強化ガラス。

 

 どれをとっても億単位の投資を行っている。それを手品師の真似事のような輩に、出し抜かれるはずがない。すぐ捕まえられる自信しかなかった。

 

 しかし、警察の面子もあるのだろう。大挙して押し寄せてきた星凪市警の者たちを無下に追い返すわけにもいかず、東郷は渋々対応にあたっていた。

 

 それにしても——と、東郷は目の前に立つ「責任者」の姿を見て、呆れを通り越して呆然としていた。

 

 星凪市警察、特殊捜査課警部。カガリビ・リン。

 

 年齢はなんと十六歳だという。燃えるような深紅の長い髪を機能的なポニーテールにまとめ、警察手帳を掲げるその立ち姿は、どう見ても制服を着ただけの少女にしか見えない。

 

 

(警察機構も地に落ちたものだ。こんな子供を警部に据えるとは。お若い警部殿は、少し意気込みが空回りしていらっしゃるようだ)

 

 

 東郷は少女を見下す余裕たっぷりの笑みを浮かべ、鷹揚に頷いてみせた。

 

 

「というわけで、カガリビ警部。我が博物館としては全面的に協力は惜しみませんがね、そう肩肘張らなくても大丈夫ですよ。怪盗とやらが来たところで、入り口のセンサーに引っかかって終わりでしょうからな」

「ご高説、痛み入ります。ですが、その慢心こそが最も危険な『死角』です、館長」

 

 

 リンの返答は、氷のように冷たく、一切の容赦がなかった。

 

 三白眼気味の黄金色の瞳が、東郷を鋭く射抜く。その場違いなほど冷徹で圧のある眼光に、東郷は思わず背筋をゾクッと震わせた。この小娘、ただの子供ではない。

 

 

「現場の最終確認を行います。展示室へ」

 

 

 リンが短く言い放つと、東郷は押されるようにして立ち上がり彼女を先導した。

 

 博物館の最奥に位置する特別展示室。重厚な防爆扉を抜けた先には、すでに大勢の警備員と特殊捜査課の捜査員たちが配置につき、息苦しいほどのピリピリとした緊張感を漂わせていた。

 

 今夜、怪盗がやって来るという予告時刻が迫っているため、誰もが一瞬の隙も作らまいと目を光らせている。

 

 その部屋の中央。幾重にも張り巡らされた不可視の赤外線レーザーの中心にある円柱形の展示台に、それは鎮座していた。

 

 

『月下の宝石』。

 

 

 青白い照明を吸い込み、深海のような神秘的な輝きを放つその宝石の前に立ち、リンは証拠品として透明なクリアファイルに収められた一枚のカードを受け取った。

 

 星凪警察署に送りつけられた、怪盗エトワールからの『予告状』である。

 

 銀色の特殊インクで怪盗のシルエットが浮かび上がる、無駄に凝った造りのカード。そこには、流麗な文字でこう記されていた。

 

 

『静寂の夜、月明かりを纏い、美しき星凪の宝を華麗に頂きに参る。追伸──あなたの警備網は穴だらけですよ。怪盗エトワール』

 

 

 文面を読み上げたリンの黄金色の瞳に、ごうっと鋭い怒りの炎が燃え上がった。

 

 ただの犯行予告ではない。「あなたの警備網は穴だらけ」などと、警察と社会のシステムを根底からコケにし、社会的羞恥心を意図的に煽るような悪意に満ちた挑発。

 

 

(お前の美学などという低俗な気まぐれで、この街の秩序を乱すことは絶対に許さない)

 

 

 リンはファイルを持つ手にギリッと力を込めた。革手袋越しの指先が白く変色する。犯罪者がルールを嘲笑い、エンターテインメント気取りで法を蹂躙することなど、断じてあってはならないのだ。

 

 

「ふん。大言壮語も甚だしい」

 

 

 横から覗き込んだ東郷館長が、鼻を鳴らした。

 

 

「穴だらけ、だと? 笑わせる。警部殿、この部屋のセキュリティは完璧です。床には三十キロ以上の重量を感知する感圧センサーが敷き詰められ、展示ケースの周囲には髪の毛一本触れただけで作動する赤外線レーザーの網。万が一ケースに触れれば、即座にチタン合金のシャッターが降りる仕組みになっています。泥棒がどこから入ろうが、手も足も出ませんよ」

 

 

 誇らしげに胸を張る館長に対し、リンは一切の感情を交えない声で告げた。

 

 

「その『完璧』は、地面を歩いてくる常識的な人間を想定した場合でしょう」

「な、なに?」

「館長、あの怪盗は常識の枠には収まりません。過去の犯行傾向から分析するに、奴は古典的なワイヤーアクションや特殊な煙幕による視界のくらましを用いて、物理的な法則を無視したような三次元的な立体機動を仕掛けてきます」

 

 

 リンは展示室の高い天井を見上げた。

 

 

「重量センサー? 奴が床を歩くとは限らない。通気口から侵入し、ワイヤーを使って天井から一直線に展示ケースの上へ降下すれば、床のセンサーは意味を成しません。赤外線レーザーも、可視化するスモークを焚かれた上で、体操選手以上の柔軟性で隙間を抜けられれば突破されます」

「そ、そんな馬鹿な! 映画の見過ぎではないのかね!?」

「昨夜、市街地で目撃された不審な立体機動の報告があります。重力を無視したような跳躍と煙幕…おそらく奴が本番前に行った『予行練習』でしょう。ただの空き巣と侮れば足元をすくわれます」

 

 

 リンは鋭く館長を睨み据えた。

 

 

「あなたの楽観論に付き合っている暇はありません。博物館のシステムと警察の戦力を連動させ、徹底的な迎撃態勢へと切り替えます。これは要請ではなく、決定です」

 

 

 館長が言葉に詰まるのを尻目に、リンはすぐさま部下たちに向かって的確な指示を飛ばし始めた。

 

 

「各員、持ち場を再確認しなさい。展示室内部の警備員は、天井からの奇襲に備えて上方にも警戒を怠らないこと。奴は煙幕を使う確率が高い、暗視ゴーグルと熱源センサーを常にスタンバイさせておきなさい」

「了解!」

「屋上へのアクセスルートは全て完全封鎖。ただし、奴は外壁を直接登ってくる可能性もある。周辺のビル群に狙撃手と観測手を配置。機動部隊は博物館を包囲し、いかなる逃走ルートも塞ぎなさい。ワイヤーを打ち込むポイントになり得る近隣の高層建築もすべてマークすること」

 

 

 リンがこれほどまでに犯罪者を憎むのには、明確な理由があった。

 

 彼女の両親は、警察官でも政治家でもない、ごく普通の善良な市民だった。会社員の父と専業主婦の母。特別裕福ではないが、温かい愛情でリンを包み込んでくれる、かけがえのない家族だった。

 

 しかしリンが幼い頃、両親は犯罪者によって、あまりにも理不尽で呆気なく命を奪われてしまったのだ。

 

 あの日、幼いリンの心に深く、取り返しのつかない形で刻み込まれたのは、悲しみよりも深い絶望と怒りだった。

 

 

『平凡で善良な人間が、法を守らない些細な悪意によって、いとも簡単に壊されてしまう』

 

 

 そんな理不尽な世界を、リンは決して許すことができなかった。

 

 だからこそ誓ったのだ。「私が法と絶対的な権力を持ち、すべての犯罪者を例外なく裁かなければならない」と。

 

 その悲痛で強迫観念に近い使命感こそが、彼女を常軌を逸した努力へと駆り立て、若くして警察キャリアの警部へと押し上げた原動力である。

 

 

「警備網の再構築、完了しました。館長、ご協力に感謝します。あとは我々警察にお任せを。あなたは安全なモニタールームへ下がっていてください」

 

 

 リンの気迫に完全に気圧された東郷館長は、額に脂汗を浮かべながら「わ、わかった。頼んだぞ、警部」とだけ言い残し、足早に展示室から立ち去っていった。

 

 館長が去り、大勢の警備員たちが静かに持ち場を守る特別展示室。

 再び静けさが戻った空間で、リンは防弾ガラスの向こう側で青く冷たい光を放つ『月下の宝石』を静かに見上げた。

 

 どんな手品を使おうと、どんなに群衆を熱狂させようと、犯罪者は犯罪者だ。

 人々の平穏を脅かし、社会のルールを嘲笑う悪意を、カガリビ・リンは絶対に許さない。

 

 

「待っていなさい、怪盗エトワール…」

 

 

 薄暗い展示室の中で、リンの黄金色の瞳が獲物を狙う猛禽類のように鋭く細められた。

 

 

「今度こそ、そのふざけた仮面を引き剥がし、法律の絶対的な裁きを受けさせてあげるわ」

 

 

 絶対に逃がさない。その揺るぎない執念を胸に秘め、リンはインカムの通信ボタンに指をかけ、夜の決戦に向けた最後の点検を開始した。怪盗が舞い降りる時刻は、もう目前に迫っていた。

 

 

 

 

 

 〇月△日

 

 

 向かいのビルの屋上の縁に立ち、眼下に広がる星凪市博物館を見下ろす。

 

 濃紺から漆黒へのグラデーションを描くテールコート、胸元のクラバット、金糸の刺繍が施されたタイトなショートパンツに、膝上までの静音ブーツ。

 

 漆黒の装束に身を包み、ドミノマスク越しに覗くボクの白銀の瞳は、地上を這い回る無数のパトカーと青白いサーチライトを静かに捉えていた。

 

 博物館の周囲を埋め尽くす群衆は、まだ頭上に立つボクの存在に誰一人として気づいていない。

 

 今夜を迎えるにあたり、ボクに慢心は微塵もなかった。

 

 いくら周到な机上計算と筋力トレーニングを重ねたとはいえ、本番で無様な失敗をして母さんに解剖されるのだけは御免だ。

 

 だからこそ昨夜、ボクは予告状を出した高揚感そのままに、市街地で『本番直前の予行練習』を決行したのだ。

 

 夜の星凪市の雑居ビル街。人目を避けた薄暗い路地から壁を駆け上がり、非常階段を跳び越え、エアコンの室外機を踏み台にして一気に屋上へと駆け上がる。

 

 母さん特製のワイヤーガンを射出し、振り子の遠心力で夜空を滑空する感触は、前世の病室で夢見たイメージと寸分の狂いもなく一致していた。

 

 ついでにテストした小型煙幕弾の拡散範囲も完璧だった。路地裏にパッと白い霧を咲かせ、自身の気配を完全に遮断する。

 

 そのときパトロール中だったのか、真下を通りかかった深紅の髪の警察官が一瞬だけ鋭い視線をこちらへ向けた気がしたが、ボクはすでに夜の闇へと溶け込んだ後だった。

 

 あの予行練習で、この身体の反応速度とガジェットの性能は極限まで研ぎ澄まされた。ボクの頭脳と肉体は、今まさに完全な調和を果たしている。

 

 

「くっふふ、いよいよだねェ。昨夜のテストランで満足して、肝心の本番前に緊張で心拍数が跳ね上がってショック死でもされたら困るよォ?」

 

 

 背後から、白衣を夜風にはためかせた母さんが、エナジードリンクの缶を片手に楽しげに笑いかけてくる。

 ボクはシルクハットのつばに指を添え、振り返らずに静かに口を開いた。

 

 

「緊張なんてするわけないだろう。ボクはこの日のために、健康な肉体を鍛え上げてきたんだからね。昨夜の予行練習だって、ボクの完璧さを証明する前哨戦に過ぎないよ。前世の病室でただ天井を見つめて消えていくはずだったボクが、二度目の生で目指すべき唯一の頂き。それこそが、美少女の肉体を得た『TSボクっ娘の王子様系怪盗』さ。完璧な華として、この退屈な世界を鮮やかに騒がせてみせる」

「あははははッ! なんだいその歪んだ自己顕示欲の塊みたいな設定は! 前世の男の未練と美少女のナルシシズムが混ざり合った、実に滑稽で哀れな喜劇だよォ!」

 

 

 母さんは腹を抱えて、ボクの野望を心底おかしそうに嘲笑った。

 

 ボクは傷つくどころか、口の端をニヤリと吊り上げた。他人にどう笑われようと関係ない。昨夜の疾走感、そして今夜の舞台。これはボクがボクであるための、至高のステージなのだから。

 

 

「笑っていられるのも今のうちさ、母さん」

 

 

 さあ、今宵の舞台の幕を開けようか!




次回はの投稿は火曜日をしています。
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