TSボクッ娘は完璧な王子様系怪盗を演じたいようです。 作:最高司祭アドミニストレータ
☆月□日
完璧な朝には、完璧な朝食が必要不可欠だ。ボクはダイニングテーブルにつき、こんがりと絶妙なキツネ色に焼き上がったトーストにナイフでバターを滑らせ、アールグレイの紅茶を優雅に傾けていた。貴族の朝とは斯くあるべきである。
しかし、目の前に座る母さんの様子は、貴族とは程遠いものだった。
「あ、はい…今月の、お給料です…サクラ代、これで全額です…うぅ、私の研究費が…っ!」
母さんは真っ白に燃え尽きたような顔で、震える両手でボクに薄っぺらい茶封筒を差し出してきた。どうやら昨夜のデビュー戦で大量の女性エキストラを雇いすぎた借金返済のせいで、彼女の財政は完全にショートしたらしい。
「ご苦労様、母さん。素晴らしい演出だったよ。ところで、今月はボクの美容液が切れそうなんだけど、特別なお小遣いとか…」
「絞りカスからまだ搾取する気かい!? 悪魔! このボクっ娘の皮を被った守銭奴!!」
泣き喚く母さんを放置し、ボクはトーストを美味しくいただいた。
◇月〇日
昨夜の『月下の宝石』強奪事件の余波は、一晩明けた学校でもすさまじいものだった。
「ねえねえ、昨日のニュース見た!? 怪盗エトワール!」
「見た見た! マジで美少女だったよね! しかもキザでカッコよくて、私テレビの前で悲鳴上げちゃった!」
教室に入るなり、クラスメイトの女子たちが興奮気味にそんな噂話に花を咲かせている。ボクは自分の席に座り、文庫本を開くふりをしながら、内心で「フッ、もっと褒めるがいいさ…」と完全なムフフ状態に浸っていた。
世界中がボクの完璧な手口と美貌に熱狂している。この自己顕示欲が満たされる甘美な感覚こそ、怪盗家業の最大の報酬だ。
▲月▽日
朝のホームルーム。担任の教師が「今日はみんなに紹介したい転校生がいる」と言い出し、教室がざわついた。
ドアが開き、一人の少女が姿を現した瞬間、教室中の空気がピタリと止まった。
国民的アイドルとして第一線で活躍する美少女──アリスガワ・リリだ。艶やかな長い髪、吸い込まれるような大きな瞳。彼女は芸能活動の合間を縫って、この学校へ転校してきたらしい。
◎月★日
アリスガワ・リリの初登校日は、まさに嵐のようだった。
誰もが彼女の圧倒的な美貌とトップアイドルとしてのオーラに圧倒され、遠巻きに見つめることしかできないでいる。
だが、ボクは一つだけ奇妙なことに気がついた。彼女は教壇で自己紹介をしている間、なぜかボクに対してだけ、鋭く嫉妬に満ちた冷ややかな視線を向けていたのだ。
そして休み時間、彼女は真っ直ぐにボクの席まで歩いてくると、腕を組んで見下ろすように言った。
「ふん、この学校で噂の『王子様』って、これのこと?」
初日からずいぶんと当たりが強い。どうやら、ボクが学校で女子から人気を集めているのが気に入らないらしい。
◆月×日
「ねえ、あなたってそんなにすごいの? 芸能界のトップで輝いている私より目立とうなんて、ずいぶんいい度胸じゃない」
リリはツカツカとボクの机に寄りかかり、ピリピリとしたトーンで絡んできた。周囲の生徒たちがハラハラしながら見守っている。
「おや、これは美しいレディからの熱烈なご挨拶だね」
ボクは本から顔を上げ、極上の王子様スマイルを向けてかわした。
「ボクはただ、ありのままの自分を生きているだけさ。君のその眩しい輝きとは、また別の光り方をしているだけだよ」
「なっ…!? そ、そういうキザな台詞をサラッと言うところが鼻につくのよ!」
リリは顔をほんのりと赤くしながら、さらにムキになって言い返してきた。実に分かりやすいお姫様だ。
□月☆日
昼休み。購買で買ったサンドイッチを片手に屋上へ向かおうとしたところ、廊下の陰からスッと幼馴染のルルが現れた。
今日の彼女はいつもの理不尽な暴力を封印し、なぜか壁際で深くしゃがみ込んでいる。
「何をしているんだい? ルル」
「シーッ! 声が大きいわよ、バカ!」
ルルは、周囲を警戒しながら声を潜めて言った。
「ねえ、あの転校生のアイドル、あんたに変にちょろちょろ近寄ってきてムカつくのよね。あんたのために、私があの女を抹殺と思うんだけど、どう?」
どう? じゃない。
あまりにも完璧すぎる、そして過激すぎる暗殺計画だ。
「待て待て、落ち着けルル。彼女はただ少し自己承認欲求が強いだけで、悪い子じゃないさ。ボクのために犯罪者になる必要はない!」
ボクは真顔で、全力で彼女の計画に反対した。
必死の説得にもかかわらず、ルルは「えー、でも邪魔くさいし…あんな女、私の鉄拳で一発よ」とまだ不満げに唇を尖らせている。
このままでは本当にトップアイドルが血祭りに上げられかねない。ボクは意を決して、ルルの頭にポンと手を置いた。
「ダメだよ、そんなことしちゃ。手を汚すのは似合わない」
そして、優しく髪を撫でながら、満面の笑みでトドメの決め台詞を放つ。
「だってボクは、君の王子様なんだからさ」
ボクの「王子様」発言を受けたルルは、予想外の強烈な副作用を引き起こした。
彼女はボンッと音が鳴りそうなほど顔を真っ赤に染め、頭からシュウシュウと湯気を出し始めたのだ。
「そ、そうよね! あんたは私のものよね! じゃあ、あの女に手出しは無用ってことね! わかったわ!!」
完全に暴走したムフフ顔で両頬を押さえ、廊下をスキップしながら去っていく幼馴染の背中を見送りながら、ボクは激しく後悔した。
「…なんか、変なスイッチを押してしまったな」
◎月□日
放課後の静かな美術室。
ボクはデッサン用の石膏像を前に、怪盗としての空間把握能力を鍛えるためのスケッチトレーニングを行っていた。
すると、ガラガラと乱暴に扉が開き、またしてもリリが乗り込んできた。
「ちょっと、さっきの歴史の授業のノート貸してよ! 私、仕事で少し寝ちゃったんだから!」
相変わらず強気な口調だが、その目はどこか潤んでいるように見えた。ボクが黙ってノートを差し出すと、彼女はそれを受け取りながら、ポロリと本音を漏らした。
「私にだって、普通の友達みたいに接しなさいよ。みんな、遠巻きに見るだけで誰も話しかけてくれないんだから…」
☆月×日
リリが足早に美術室を去った直後。
耳に装着していた超小型インカムから、母さんの声が響いた。
『くっふふ、トップアイドルを手玉に取るとはいい度胸だねェ。その調子で、あの手この手で次々とクラスの女子のハートを盗んでおしまいよォ』
「そういうわけじゃない! ボクはただ、困っているレディに手を差し伸べただけさ!」
ボクは誰もいない美術室で、顔を赤くしながらインカムに向かって反論した。
◇月▽日
翌日の登校時。
下駄箱で靴を履き替えていると、遠くの柱の陰からリリがじっとこちらを見つめているのに気づいた。
挨拶をしようと手を挙げかけた瞬間、彼女はビクッと肩を揺らし、大声で叫んだ。
「べ、別にあなたを待ってたわけじゃないんだからね! 勘違いしないでよね!」
そして、見事なまでの王道ツンデレセリフを残し、耳まで真っ赤にして足早に走り去っていった。
あの不器用さ、見ているこちらが恥ずかしくなってくる。
▲月★日
クラスの係決めの結果、ボクは美化委員に選ばれてしまった。
放課後、一人で校舎裏の花壇にしゃがみ込み、雑草抜きを命じられる。誰にも邪魔されない静かで平和な作業時間…のはずだった。
『はい、そこ右に十センチずれて。今ちょうど隠しカメラの死角だから。そのまま土の中に小型マイクを埋め込みなさい』
インカムから母さんが謎の指示を出してくる。
「…ただの学校の花壇になんの工作をしているんだい、母さん」
◆月〇日
雑草抜きを終え、手を洗うために掃除用具入れの前を通った時のこと。不意にルルが通りかかり、「差し入れよ」とぶっきらぼうに何かを押し付けてきた。
手の中にあるのは、ゴツゴツとした黒い塊。以前も見たことがある、あの不気味な手作り『岩チョコ』だった。決して泥団子ではないらしい。
「これ食って午後も頑張りなさいよ」
ボソッと言い残して去っていくルル。暴力はないが、胃袋への物理攻撃力は相変わらず致死量に近い。
□月▲日
教室に戻り、自分の机の引き出しを開けると、またしても見知らぬ女子からのラブレターが大量に詰め込まれていた。
やれやれ。罪な魅力を振り撒きすぎるのも考えものだ、とため息をついた瞬間。
「またこれ…! 私より目立つなんて絶対に許せないんだから!」
横からリリが烈火のごとく怒りながら現れ、ボクの引き出しからラブレターをすべて勝手に回収し始めた。
「私が責任を持って処分してあげるんだからね! 感謝しなさい!」
鼻息を荒くして手紙の束を持ち去っていく彼女の背中を見つめる。独占欲のベクトルが斜め上すぎて、ボクにはどう対応していいか分からなかった。
▽月☆日
放課後の図書室。
ボクは星凪市の分厚い古地図を開き、怪盗としての第2ターゲットの候補地を密かに模索していた。
静かな空間で集中していると、背後からスッとリリが近づいてきた。彼女は隣の椅子に座ると、何も言わずにボクの肩にこつんと頭をもたれかけ、そのままスヤスヤと居眠りを始めてしまった。
★月◇日
肩に感じるアイドルの柔らかな重みと、微かな寝息。
彼女を起こさないよう、ボクは古地図に視線を落としたまま、なんと一時間も微動だにせず耐え抜く羽目になった。
右耳のインカムからは、母さんが『くっふふ、良い絵面だねェ。スクープ写真として週刊誌に売ろうか? 高値がつくよォ』と悪趣味なからかいの声を響かせている。
「黙れ、悪徳プロデューサー」
ボクは口パクでそう返し、静かに冷や汗を拭った。
◎月×日
部活を終え、放課後の買い出し。
母さんから「エナジードリンクの買い出しついでに、地下室用の新しい配線コードを買ってきなさい」とパシリを命じられた。
夕暮れの商店街を歩いていると、首筋にやけに強烈な視線を感じる。誰かに尾行されているような…いや、気のせいか。
〇月★日
地元の庶民的なスーパーの特売コーナー。
主婦たちに混じって特売の卵のパックを真剣に吟味していると、背後からフワリと、この場には不釣り合いなほど甘く上品な香りが漂ってきた。
芸能活動用のかつてない高級な香水。振り返ると、帽子とマスクで変装したアリスガワ・リリがなぜか片手にネギを持って立っていた。
☆月◆日
「なぜこんな庶民的なスーパーに、トップアイドルが?」
ボクが小首を傾げて尋ねると、リリはひどく焦った様子でネギを背中に隠した。
「ち、違うわよ! 家の手伝いで…その、庶民の味をしっかり知っておくのも、トップアイドルとしての演技の勉強なの!」
必死に言い訳をする彼女の姿がおかしくて、ボクは思わず吹き出してしまった。
「素晴らしい心がけだね、レディ。演技の肥やしになることを祈っているよ」
結局、ボクはリリの買い出しに付き合うことになった。
野菜の鮮度を真剣な顔で確かめ、特売の豚肉をカゴに入れる彼女の姿は、テレビの中の華やかなアイドルとは全く違う、年相応の普通の女の子の可愛らしさに満ちていた。
「意外と家庭的なんだね。お嫁さん候補として百点満点だね」
ボクが冗談めかしてそう言うと、リリは「なっ…!」と耳まで真っ赤に染め上げ、驚きのあまり手に持っていたトマトを床に落とした。
▲月◎日
スーパーでの買い出しの一件以来、学校でのリリの当たりがさらにトゲトゲしくなった。
しかし、その視線には明らかに好意が混じっており、どこか照れくさそうにボクの周りをうろつくようになっている。
周囲の生徒たちは、「あの孤高のリリ様が、特定の誰かとあんなに仲良く喋ってる…!?」と、校内は大騒ぎになっていた。
▽月×日
そして、その事件は突如として起きた。
放課後、ボクが一人で下校しようと校門を出た時のことだ。人通りの少ない路地の角を曲がった瞬間、視界が急に暗転した。
バサッ、という嫌な音と共に、頭から大きな黒い布袋を被せられたのだ。
直後、背後から両腕をガシッと屈強な力で掴み上げられる。
「なっ──」
大声を上げようとしたが、分厚い手袋のようなもので口を強引に塞がれてしまった。「んっー!?」とくぐもった声しか出せない。
★月□日
視界を奪われた暗闇の中、荒い息遣いと、聞き覚えのない男たちの野太い声が頭上から降ってきた。
「おい、うまく捕らえたか?」
「あぁ、バッチリだ。例のアイドルを人質に取る計画は、これで完璧だ」
ガサリ、と嫌な音がして、ボクの身体は強引に持ち上げられ、そのまま見知らぬ車──あるいはトラックの荷台のような冷たい鉄板の上へと押し込まれた。
重い扉が閉まる音が響き、車のエンジンが唸りを上げる。
どれくらい揺られただろうか。やがて車が停まり、ボクは無理やり引きずり降ろされた。
暗闇の中で、ようやく頭の布袋が荒々しく外される。
まばたきをして焦点を合わせると、目の前に広がっていたのは、カビ臭い見知らぬ廃倉庫だった。
そして、ボクの視線の先には、ロープでぐるぐる巻きに縛り上げられ、涙目で震えているアリスガワ・リリの姿があった。
周囲を取り囲む男たちの、下劣で悪意に満ちた笑い声が倉庫内に響き渡る。
「えっ、誘拐されちゃったの?」
状況を正確に把握したボクは、縛られたままの格好で思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
次回の投稿は木曜日に予定しています。