TSボクッ娘は完璧な王子様系怪盗を演じたいようです。 作:最高司祭アドミニストレータ
やましいこと考えるモブ登場です。
山奥の広大な敷地を誇る研修センター、『星凪青少年の家』。
日付が変わろうとする深夜、木々のざわめきと微かな虫の音だけが響く静寂の中、教員用宿泊棟の一室だけが、薄暗い常夜灯の光を妖しく放っていた。
部屋の備え付けである硬いパイプベッドの上で、偽バスガイドの制服を脱ぎ捨てていつもの白衣姿に戻ったアンタゴは、手にしたエナジードリンクの空き缶をカランカランと力なく弄りながら、深大なため息を吐き出した。
「あーあ。どうにも寝付きが悪いねェ」
今日の昼間は最高にエキサイティングだった。
愛娘であるティーエス・プロタゴニストを中心に、猛獣のような幼馴染のホシノ・ルル、プライドが高く独占欲の塊であるトップアイドルのアリスガワ・リリ、そして法と秩序の権化でありながら無自覚な好意を拗らせているカガリビ・リン警部。
この異常極まりない三人のヒロインたちが、たった一人の鈍感な『王子様』を巡って水面下で火花を散らす様は、どんな一級品のサスペンス映画よりもアンタゴの知的好奇心を刺激してくれた。
しかし夜ともなれば合宿所の規律は厳しく、生徒たちはさっさと就寝時間させられてしまう。引率の教員たちも昼間の野外活動の疲労からか、とうの昔に泥のように眠りこけていた。
「せっかくの合宿初日だというのに、こんな健全な時間に寝かしつけられるなんて、私のマッドな体内時計に対する冒涜だよォ」
退屈だ。退屈で退屈で、死にそうだ。
アンタゴはベッドからむくりと起き上がり、白衣のポケットを探って自作の生体データ採取用小型スキャナーを取り出した。
暗闇の中でそのディスプレイが青白く光る。
「そうだ。愛娘と、あの激重ヒロインたちの『就寝時の生態データ』を採取しに行こうじゃないか」
名案だと、アンタゴは一人で不気味にほくそ笑んだ。
普段は見せない無防備な寝顔。寝相の悪さ。誰がティーエスにすり寄って寝ているか。あるいは、誰が抜け駆けをして夜這いを企てているか。
そんなプライベート空間の極秘データは、今後のからかいのネタ…いや、貴重な研究資料として計り知れない価値がある。
「くっふふ。女子高生たちの寝顔を深夜に覗きに行くなんて、もし私が男子生徒だったなら、全国の男子たちから万雷の拍手と喝采を浴びる英雄的行為ってもんだろうねェ。まあ、女子たちからはゴミを見るような氷点下の冷たい眼差しを向けられること間違いなしの、問答無用の犯罪行為だがねェ」
自分がこれから行おうとしている変態的かつ違法な行為を、面白おかしく正当化しながら、アンタゴは音もなく自室の窓を開けた。
怪盗エトワールを育て上げた師匠である彼女にとって、この程度の施設の警備網を掻い潜るなど、赤子の手をひねるより容易い。アンタゴは夜の闇に白衣を溶け込ませるようにして、するりと窓から抜け出し、女子宿泊棟の裏手へと音もなく忍び込んでいった。
木々の間を縫うように進み、枯れ枝一つ踏まない完璧な足運びで、アンタゴは目的の場所──第4班、すなわちティーエスたちの部屋の窓辺へと接近した。
建物の裏手は鬱蒼とした雑木林に面しており、防犯カメラの死角になっている。換気のために少しだけ開けられた窓ガラスの隙間からは、微かな寝息が漏れ聞こえてくるはずだ。
完璧なデータ採取のシチュエーション。そう思いながらアンタゴが近づいた、その時だった。
(…おや?)
アンタゴの研ぎ澄まされた視覚が、窓辺の暗がりにモゾモゾと蠢く不自然な人影を捉えた。
暗闇に完全に同化し、気配を殺して観察する。
どうやら、合宿施設のアルバイトか、あるいはどこかから潜り込んできた変質者の男のようだ。
年齢は三十代から四十代ほど。薄汚れた作業着のようなものを着ており、その手にはネット通販で買えるような、安っぽい赤外線暗視スコープが握られていた。
(こんな夜更けに、まさかの先客かい?)
アンタゴは呆れ半分、興味半分で、木の陰から男の挙動を観察することにした。
男は窓の隙間に顔を近づけようと、下卑た笑みを浮かべながら足場を確認している。その動きは素人丸出しで、息遣いも荒い。怪盗の美学からすれば、マイナス百点を通り越して採点不能なレベルの、ただの小汚い犯罪者だ。
すると男はなぜか、暗闇の中で誰に聞かせるわけでもないのに、ニチャニチャと笑いながら一人でベラベラと声に出して喋り始めたのだ。
「ヒヒヒ! 俺の計算は完璧だぜ! この数万円もした最新型暗視スコープを使えば窓のわずかな隙間から、あのピチピチの女子高生たちの無防備な寝姿が丸見えって寸法よぉ!」
(…はい?)
アンタゴの眉がピクリと動いた。
「万が一、見回りの教師や警備員に見つかったとしても問題ねえ! その時は『迷子の猫を探して裏庭に迷い込んだ、動物愛護精神に溢れる可哀想な男』を演じる完璧な言い訳も用意してあるからな! 完璧だ、俺の頭脳は冴え渡っている! これで今夜、俺の欲望は満たされるという寸法よォ!」
男の口から次々と飛び出す、自分の計画や動機、果ては言い訳のバリエーションに至るまでの、ご丁寧すぎる実況解説。
それまで面白がって観察していたアンタゴの顔から、スーッとあらゆる感情の起伏が消え去り、真冬の湖面のような無表情へと変わった。
(…うわぁ)
アンタゴの脳内で、絶対零度のドン引きの感情が渦巻いた。
なんだい、この底辺極まりない思考回路は。これから行う自分の犯罪計画の経緯も、万が一の時の言い訳も、全部丁寧に声に出して実況するなんて。
漫画の三下悪役ですら、もう少し状況を弁えるというものだ。深夜の隠密行動中にペラペラと喋るなど、自ら「ここに不審者がいますよ」と宣伝しているようなものではないか。
(知能指数を疑うねェ…。というか、本物のバカじゃないか。どんなに素晴らしい機材を持っていようと、使用者の脳味噌がスライム以下なら豚に真珠だよォ。あんな低俗な言い訳で、教師が納得するわけないだろうが…)
狂気に満ちた天才科学者であり、数々の犯罪的実験(ギリギリ合法)を繰り返してきたアンタゴにとって、この男のあまりの小物感と説明口調は、同業者(?)として耐え難いほどの知性の欠如を感じさせた。
この時、アンタゴの脳内からは『自分もまったく同じ目的で覗きに来た分際である』という事実が、都合よく宇宙の彼方へと放り投げられていた。
自分の高尚なデータ採取と、この愚物の低俗な覗きを一緒にされてはたまらない。アンタゴは心の底から男を軽蔑し、冷ややかな視線を投げ続けた。
「さァて、アイドルちゃんたちの可愛い寝顔、拝ませてもらうぜェ…ヒヒヒッ!」
男が涎を垂らさんばかりの勢いで、窓の隙間に暗視スコープを押し当てようと顔を近づけたその瞬間。
バチッ! という微かな電子音と共に、窓枠の隙間から、男の顔面に向けて圧縮されたピンク色のガスが猛烈な勢いで噴射された。
「ぎゅべッ!?」
それはカガリビ・リンが『不測の事態および不審者の接近に備えて』念のために設置しておいた、警察仕様の超高濃度防犯用催涙スプレー・自動噴射トラップだった。
顔面を直撃された男は、暗視スコープを取り落とし、両手で顔を覆いながらカエルのような悲鳴を上げた。
「ぎゃあああああっ!! 目がぁぁ! 鼻があぁぁっ! 痛てぇぇぇっ!!」
悲劇はそれだけでは終わらない。のたうち回りながら後ずさった男の足首が、草むらに隠されていた硬い金属に触れた。
ガキンッ!! という無慈悲な音と共に、男の足首にホシノ・ルルが『野生の獣が来たら夕食の足しにしてやる』と言って勝手に仕掛けていた、熊捕り用のトラバサミが見事に食い込んだ。
「ぎゃああああぁぁぁぁっっ!?!? 俺の完璧な計画があぁぁぁっ!!」
男は断末魔のような叫び声を上げ、催涙ガスの激痛とトラバサミの物理的苦痛のダブルパンチに悶え、地面をドジョウのようにのたうち回り始めた。
完璧な計画(笑)が見事に粉砕された、自業自得の、あまりにも無様で悲惨な末路であった。
「……」
木の陰からその一部始終を無表情で眺めていたアンタゴは、フッと小さく息を吐いた。
遠くの宿泊棟の方から、「なんだ今の声は!?」「不審者か!?」と、騒ぎを聞きつけた見回りの教師たちの足音がドタバタと近づいてくるのが聞こえる。あんな馬鹿げた悲鳴を上げれば、当然そうなるだろう。
警察官と猛獣のトラップに見事に引っかかった哀れな男をこれ以上観察していても、時間の無駄だ。巻き添えを食らう前に退散するに限る。
アンタゴは暗闇の中で完全に気配を消し、白衣の裾を翻して踵を返した。そして、地面で泡を吹いている男を冷たく見下ろしながら、呆れたように肩をすくめた。
(くっふふ。まったく、深夜に女子の部屋を覗きだなんて、最低の犯罪行為だねェ。紳士淑女たるもの、他人のプライバシーは尊重すべきだよォ。倫理観の欠如も甚だしいねェ)
先ほどまで小型スキャナーを握りしめてワクワクしていた自分の目的を、完全に棚の最上段へと放り上げ、アンタゴは涼しい顔をしたまま、知らんぷりをして自身の部屋へと引き返していくのだった。
翌朝、研修センターの裏庭で『迷子の猫を探していただけだ』と泣き叫びながら警察に連行されていく不審者の姿が目撃されたが、それがアンタゴの知る由もない、合宿初日の裏側のドタバタ劇であった。
良い子の皆は覗きしないように! したら天罰がくだりますからね。