TSボクッ娘は完璧な王子様系怪盗を演じたいようです。 作:最高司祭アドミニストレータ
☆月□日
ジリリリリッ、と無機質な目覚ましのベルが鼓膜を叩き、ボクは深い眠りからゆっくりと意識を浮上させた。
前世の薄暗く無臭な病室とは違う。青畳の匂いと、山間の澄んだ空気が肺を満たす、最高に爽やかな朝…のはずだった。
「んん…ティーエスぅ…」
「スヤァ…私の、お肉…」
目を開けたボクは、自分が物理的に身動き一つ取れない状態にあることに気づいた。
右腕には、布団を蹴っ飛ばしたホシノ・ルルが、まるで巨大な丸太を抱え込むヒグマのようにがっしりと抱きついている。
そして左側からはアリスガワ・リリがボクのシルクパジャマの袖口と布団の端を、親の仇のようにぎゅっと握りしめてスヤスヤと寝息を立てていた。
ボクは金縛りに遭ったような状態で、ただ天井を見つめるしかない。
「…風紀の乱れ極まれり、ね」
頭上から氷のような声が降ってきた。
視線を向けると、すでに完璧に制服へ着替え、髪を一つ結びに整えたカガリビ・リンが、氷点下の眼差しでこちらを冷たく見下ろしながら仁王立ちしていた。
「早く起きなさい。この堕落した光景を他の班に見られる前に」
…ボク、完全に被害者なんだけどなァ。
◇月〇日
朝霧が立ち込めるグラウンドに、大音量でラジオ体操の音楽が響き渡る。
ひんやりとした空気が心地よい。ボクは前世の病床で夢見ていた『自由に身体を動かせる喜び』を噛み締めながら、パルクールの柔軟性としなやかなバネを活かし、指先から足先まで連動した完璧な関節運動を披露した。
「あの子、ただのラジオ体操なのに、なんであんなに色気があるの…」
「朝から美しすぎる…」
周囲の他クラスの女子たちから、うっとりとした吐息が漏れるのを耳ざとくキャッチし、ボクは心の中でガッツポーズを決めた。
ふと視線を前に向ける。朝礼台の上で体操の手本を見せているはずの体育教師の横で、なぜか青いジャージを着込んだ母さんがボクの方へ向けて、不敵な笑みを浮かべながら双眼鏡を構えていた。
朝からストーキング活動ご苦労なことだ。
▲月▽日
食堂での朝食は、質素な和食メニューだった。
でもまあ、第4班のテーブルだけは相変わらず熾烈な戦場と化している。
「ほら、ティーエス! この納豆、私が百回以上混ぜてフワフワにしてあげたわよ! 食いなさい!」
ルルが豪快に納豆のパックをボクの顔面すれすれに突き出してきた。
「ちょっと野蛮なことしないでよ! ティーエス、朝はやっぱり焼き魚でしょ。私が綺麗に骨を取ってあげたから、あーんは?」
リリが箸でほぐした鮭の切り身を、顔を真っ赤にしながら差し出してくる。
「朝からカロリーと塩分の計算を放棄するな。納豆も鮭も糖質代謝には有効だが、食物繊維が足りないわ。このひじきの煮物を食べなさい」
リンが真顔で、ボクの白米の上にひじきの小鉢を丸ごとひっくり返した。
…胃袋が、朝からパンク寸前だ。
◎月★日
体育館で、午前のプログラム説明が行われる。
「えー、本日の午前中は、施設周辺の山林を使った『ウォークラリー』だ。地図とコンパスだけを頼りに、チェックポイントを回ってもらう」
教師の言葉に、ボクの胸が高鳴った。
地図とコンパスを使った未知のルート開拓。怪盗としての空間把握能力と、パルクールによる三次元的な移動スキルが疼いてしまう。
◆月×日
だが、期待は山道に入った瞬間に打ち砕かれた。ルート選定で大揉めになったのだ。
「地図によれば、ここを右に曲がって最短かつ安全な舗装路を進むべきよ」
リンがコンパスを見ながら理路整然と主張する。ならば、ボクが怪盗の視点で自信満々に提案してみせよう。
「いやいや警部さん。あそこの急斜面に見える木の枝を三角跳びの要領で経由して、崖をショートカットすれば5分は短縮できるよ。ボクの計算に狂いはない!」
「「「山を舐めるな(わよ)!!」」」
舌で舐めるの? ぷーくすくす。
ごめんなさい許してください。
□月☆日
山の中腹。昨夜の強風のせいか、太い倒木がルートを完全に塞いでいる難所にぶつかった。
「迂回ルートを再計算するわ。少し時間をロスするけれど…」
リンが地図を広げ直したその時だった。
「どきなさいよ、邪魔ね!」
ルルが助走をつけて飛び上がり、空中で見事な回し蹴りを放った。
バキィィィンッ!! という豪快な破断音と共に、大人の太もも以上ある倒木が真っ二つにへし折れ、道が拓かれた。
「さあ、行くわよティーエス!」
爽やかに笑う幼馴染を前に、リリが「な、なにそれ…本当に人間なの…!?」と、誘拐事件の時と全く同じ顔でドン引きして震えていた。
そりゃ、人間を自称してる化け物だからねェ。
▽月◇日
朝露で滑りやすくなった山道。
「きゃっ!」
石の苔に足を取られ、リリが派手にバランスを崩して崖側へ倒れ込みそうになった。
ボクは咄嗟に反応し、地面を蹴って彼女の腰を腕で抱き寄せ、その身体をしっかりと胸元でキャッチした。
「おっと、足元にお気をつけて、お姫様。怪我はないかい?」
芝居がかった台詞が、息をするように自然と口を突いて出る。
至近距離で見つめ合う形になったリリは、ボクの腕の中で「あうっ」と耳の先まで真っ赤に染め上げ、言葉を失って固まってしまった。風邪かな?
その背後で、ルルの拳が「ゴキッ」と不吉な音を立てて鳴った。どうしたんだい? ボクの幼馴染は。
★月▲日
いくつかのポイントを通過し、ようやく目的地の飯盒炊爨場に到着。
煙と灰が舞う中、合宿のメインイベントである『カレー作り』がスタートした。かまどの火起こし担当、野菜の皮むき担当、米研ぎ担当と、各班で熾烈な役割分担が始まる。
〇月◆日
かまど担当は、リンとルル。
「薪の組み方と、酸素を取り込むための空気の対流を計算して…よし。ここで種火を」
リンが科学的なアプローチで綿密に木を組んでいる横で、ルルが「燃えろーッ!」と叫びながら、分厚いうちわをマッハの速度で扇ぎ始めた。
バサァッ!! と凄まじい突風が巻き起こり、かまどの中から真っ黒な灰が大量に舞い上がり、リンの顔面を真っ黒に染め上げた。
「貴女という人間は」
顔を黒塗りにしたカガリビ警部のこめかみに、かつてないほど太い青筋が浮かび上がった。
怒るのも無理は無い。
◎月□日
野菜担当はボクとリリ。
リリはピーラーを握りしめ、おぼつかない手つきでジャガイモの皮を剥いている。
「トップアイドルの手に万が一でも傷がついたらどうするのよ? こんなの事務所が知ったら大問題なんだから!」
文句を言いつつもリリは剥き終わったジャガイモをボクに見せ、「上手に剥けてる?」と褒めてほしそうに上目遣いで視線を送ってくる。
実に可愛らしいお姫様だ。「完璧な仕上がりだよ、流石だね」と微笑んでおこう。
リリはフンッとそっぽを向きながらも、嬉しそうに次のジャガイモに手を伸ばした。
☆月×日
紆余曲折と煙の充満する大騒ぎの末、第4班のカレーが完成した。
飯盒の底のご飯は少し焦げ付き、ジャガイモの大きさもバラバラ。だが、キャンプ用のプラスチック皿に盛られたカレーは、湯気を立てて黄金色に輝いていた。
一口、スプーンで口に運ぶ。
スパイスの香りと、野菜の甘みが口の中に広がる。
──美味しい。
前世の薄味の病院食や、一人ぼっちで食べる冷めた点滴の記憶がフラッシュバックする。こうして煙に巻かれながら、仲間たちと共に騒いで作った温かいご飯。
それは、ボクの人生で一番贅沢な味だった。
「すごく、美味しいね」
ボクがスプーンを持ったまま感慨深げに呟くと、ルルもリリも顔を真っ黒にしたリンまでもが、食べる手を止めて優しく微笑んでくれた。
警部さんって笑えたんだ…そりゃ人間だから笑うよね。
◇月▽日
後片付けの攻防。鍋の底にこびりついた強烈な煤落とし。
「ティーエスの手が荒れたらどうするのよ! アンタは休んでなさい!」
「私がやるわよ、アンタこそ引っ込んでなさい!」
ボクの手を汚させまいと、ルルとリリが金たわしと鍋を力づくで奪い合い始めた。
「や、やめなよ二人とも!」
ボクの制止も虚しく、バキィッ! という音と共に頑丈な鉄鍋の取っ手が無惨にもへし折られた。
結局、施設の人にめちゃくちゃ怒られ、代表して室長のリンが深々と頭を下げる羽目になった。
▲月★日
午後のプログラムは、大広間でのクラスミーティングだ。
『高校生活の目標』を一人ずつ発表していくという、少々気恥ずかしい時間。
ボクの番が回ってきた。
「ボクの目標は…そうだね。何事にも囚われず、ルールに縛られず、自由に夜空…あ、いや、広い視野を持って生きたいです」
怪盗としての本音と願望をうっかり口走りそうになり慌てて訂正したが、斜め後ろからリンの「犯罪者のような思考回路ね」という鋭い視線が矢のように突き刺さってきた。
犯罪者のような思考回路って、独特な感性だねェ。
◆月〇日
全員での校歌練習。
隣に並んだルルが、突如としてジャイアン並みの破壊的かつ音程を無視した超大声の歌唱力を発揮し、体育館の窓ガラスをビリビリと共鳴させ始めた。
「なっ、音痴すぎるでしょ! アイドルの私が本物の歌を聴かせてあげるわ!」
リリがプロの意地とプライドをかけ、マイクなしで凄まじい美声と声量を張り上げて対抗し始めた。
第4班の周囲だけが破壊音波と超高音の美声がぶつかり合う、地獄の音響戦争の様相を呈した。
大丈夫? ガラス割れない?
ボク怖いんだけど…!?
□月▲日
明日の退館式に向けた、感想文の記入時間。
ボクが『カレーがとても美味しかった。仲間と協力することの素晴らしさを…』と平凡な文章をペンで走らせていると、右耳のインカムから忌まわしい声が響いた。
『くっふふ。駄目だよォ、愛娘。「カレーが美味しかった」なんて知性の欠片もない感想は却下だ。「飯盒の熱伝導率と、加熱によるメイラード反応がもたらすアミノ酸の相関関係について」書き直したまえ。さあ、今すぐだォ』
さて、インカムの電源を切ろうっと。
▽月☆日
食堂での夕食。
昨日までの、一触即発でピリピリしていた空気が嘘のように、第4班のテーブルでは会話が弾んでいた。
リリが自然な動作でボクの隣に座り、ルルも「私の肉、少し分けてあげるわよ」と笑顔を見せる。リンも小言を言いながらも、どこか口元が緩んでいる。
相変わらず不器用で、ぶつかり合ってばかりの三人だが、昨日のバスの中とは明らかに違う。確かに、心の距離が縮まっているのを実感できた。
★月◇日
二日目の大浴場。
昨日よりは少しだけ慣れたものの、やはり湯煙の中で、年頃の女子たちと全裸で湯船を共にするというのは、前世が男のボクにとっては精神崩壊スレスレの滝行のような修行だ。
ボクは湯船の隅で「無の境地、無の境地…色即是空…」と心の中で念仏を唱えながら、ひたすら天井の換気扇の羽が回るのを数え続けた。
昨夜の母さんのような潜水艦乱入者が現れなかったことだけが、唯一の救いであった。
◎月×日
夜。合宿最後のイベントである『キャンドルファイヤー』。
体育館の照明が完全に落とされ、中央の大きな燭台に据えられたメインキャンドルに、厳かに火が灯される。
赤とオレンジの炎が暗闇の中で幻想的に揺らめき、学年全体が静かで厳粛な雰囲気に包まれた。
パチパチと薪の爆ぜる音。
ボクは揺らめく炎を見つめながら、ふと、前世で一人きりで過ごした、消灯後の暗い病室の夜を思い出していた。誰もいない、機械の電子音だけが響く孤独な夜。
けど今は違う。右を見ればルルが、左を見ればリリが、そして向かいにはリンがいる。
隣に仲間たちがいるという確かな温もりに、ボクは不意に胸の奥をぎゅっと締め付けられた。
☆月◆日
部屋に戻り、合宿最後の夜の自由時間。
布団の上に集まり、隠し持っていたお菓子をつまみながら、消灯までの他愛のない女子トークが始まった。
「実はね、あの有名な俳優の〇〇さんって、裏ではすっごくケチで…」
リリが芸能界の生々しい裏話をポロリとこぼし、ルルが「小学生の頃、熊の子供と素手で相撲をとったことがあるわ」という人間離れした武勇伝を語る。
恋バナや、学校の噂話。
前世の魂を持つボクの心はこのディープでリアルな女子会の空気に耐えきれず、終始相槌を打つことしかできなかった。
◇月□日
消灯時間。カチリと部屋の電気が消された。
完全な暗闇になっても、誰からともなくクスクスと忍び笑いが漏れてくる。
山道を歩き、煙に巻かれ、大声を出した一日。心地よい疲労感が全身を包み込む中、ボクは静かに瞼を閉じた。
喧嘩ばかりで、手のかかる不器用な仲間たち。
けれどこの健康な身体で彼女たちと共に迎えた合宿の最後の夜は、前世のベッドの上で思い描いたどんな夢よりも眩しく、そして温かかった。
次回は火曜日に投稿予定です。