TSボクッ娘は完璧な王子様系怪盗を演じたいようです。 作:最高司祭アドミニストレータ
☆月□日
ジリリリリッ。合宿最終日の朝を告げるチャイムが、スピーカーからけたたましく響き渡る。
ボクは重い瞼を開け、シーツの中でゆっくりと手足を伸ばした。
前世の病室では決して味わうことのなかった、全身を覆う心地よい筋肉痛。山道を歩き、煙に巻かれ、大声を出した二日間の激動の疲れが、この健康な肉体に確かに刻み込まれている。
隣の布団に視線を移すと、トップアイドルのアリスガワ・リリが、完璧な巻き髪とは程遠い寝癖のついた前髪を手で押さえながら、「ふぁあ…」と大きな欠伸をして身をよじっていた。
その向こう側では、野生の猛獣・ホシノ・ルルが、掛け布団を巨大な抱き枕のように丸めて抱え込み、まだ「むにゃむにゃ…」と幸せそうに微睡んでいる。
なんとも無防備で、平和な朝だ。
◇月〇日
洗面所には、寝起きの女子生徒たちがひしめき合っていた。
鏡の前で歯ブラシをくわえていると、隣にリリがトボトボと歩いてきた。彼女はボクの顔を見るなり、バッと両手で顔を覆い隠してしまった。
「み、見ないでよ! メイクもしてないし、すっぴんなんだから…!」
耳まで真っ赤にして恥じらうトップアイドル。
ボクは口をゆすぎタオルで口元を拭ってから、極上の笑みを向けてささやいた。
「素顔もとても可憐だよ、お姫様。飾らない君の姿も、朝露のようで美しいさ」
「ゴホッ! ゲホッゲホッ!」
リリはブクブクうがいを喉に見事に詰まらせ、洗面台に突っ伏して激しく咳き込み始めた。
▲月▽日
『来たときよりも美しく』という研修センターの絶対標語のもと、部屋の片付けが始まった。
「シーツは四隅をきっちり合わせて、皺を伸ばしながら畳むこと」
カガリビ・リンが警察官僚顔負けの指揮を執り、一枚のシーツを広げようとしたその時だった。
「あーもう、めんどくさいわね! こうやって丸めれば──」
ルルがシーツの端を引っ張り、野生の怪力で一瞬にして『ビリッ』と嫌な音を立てかけた。
「…器物破損による弁償沙汰にする気かしら? この野生児」
リンの額にクッキリと青筋が浮かび上がり、室内の気温が一気に氷点下へと急降下した。
◎月★日
布団の畳み方チェック。
リンの厳格な検査官としての目は、一切の妥協を許さなかった。
「敷布団の角のズレが3ミリ生じているわ。このままでは監査を通らない、やり直しよ」
警察の家宅捜索ばりのチェックに、ボクとリリは涙目になりながら、敷布団の端をミリ単位でぴっちり揃えるという苦行を強いられる羽目になった。
◆月×日
ボス◯ンバッグのパッキング。
リリがメイク道具やら着替えやらを無計画に詰め込みすぎた結果、バッグのファスナーが完全に閉まらなくなってしまった。
「もうっ、どうして閉まらないのよ!」
「ボクがバッグの上に座って体重をかけるから、君がファスナーを引っ張るんだ」
ボクがバッグの上に跨り、リリが両手で懸命に金具を引っ張る共同作業。その最中、ボクがバランスを崩して手をついた先はリリの手の上だった。
ビクッとリリが硬直し、顔を真っ赤に染め上げる。
「あ…」
バランスを失った二人は、そのまま畳の上へ折り重なるようにしてゴロンと転がってしまった。
□月☆日
施設でのラストミールとなる、朝食の時間。
初日の朝の、あの殺気立ったギスギス感が嘘のように、第4班のテーブルには穏やかな空気が流れていた。
「栄養を補給しなさい、今日は長丁場になるわよ」
リンがそう言って、ボクの白米の上に焼き海苔を一枚そっと置いた。
「ほら、ティーエス! 私のウインナー、半分分けてあげるわよ!」
ルルも満面の笑みで、タコさんウインナーをボクの皿に放り込んでくる。
なんだかんだで、彼女たちはとても不器用で世話焼きなのだ。
▽月◇日
朝食後、返却口へ食器を運ぶ途中だった。
給食スタッフの白いエプロンと三角巾を完璧に着こなした母さんと、狭い通路でパタリとすれ違った。
「くっふふ…部屋のゴミ箱の底に仕掛けた最新型盗聴器…おや、誰かが完璧に外したみたいだねェ?」
「あんたか!! …って、外されてたのかい?」
ボクが驚いて問い返すと、どうやら朝の徹底した部屋チェックの際に、リンが本職の鋭い勘で発見し、事前に処分していたらしい。
有能な警部と同じ班で本当に助かった。
★月▲日
大講堂に集合し、合宿最後のプログラムが始まった。学年全体での『合宿の振り返り作文』と、『これからの高校生活への決意表明』の作成だ。
原稿用紙を前に、ボクはペンを握ったままふと手を止めた。
前世の病室でただ真っ白な天井を見つめ、機械の電子音だけを聞いていた孤独な日々。
それが今誰かと共に山道を歩き、煙に巻かれてカレーを作り笑い合っている。たった三日間なのに、あまりにも濃密で、眩しすぎる時間。
胸の奥が熱くなり、原稿用紙の罫線が少しだけ滲んで見えた。
〇月◆日
各班の代表による、決意表明の発表時間。第4班からは、ルルが勢いよく壇上に跳び上がった。
「第4班の目標! 私の王子様、ティーエスにちょっかいをかける害虫を、すべて私の鉄拳で力づくで排除することよ!!」
ルルが力強く拳を突き上げると、学年全体が水を打ったように静まり返り、引率の担任の先生が深い絶望の表情で頭を抱えていた。
◎月□日
続いて、リリがマイクの前に立つ。
「高校生活と芸能活動の両立! どんな時も私にとって一番大切な人の隣に立ち続けること。絶対に誰にも負けないわ!」
ボクの方をチラリと熱っぽい瞳で見つめながらの、堂々たる公開宣言。
最後にリンが教壇の端に立ち、マイクも使わずに凛とした声で響かせた。
「規律と秩序の遵守。犯罪の未然防止。異常事態への徹底対応。以上よ」
客席のボクは、各方面からの重すぎる感情とプレッシャーに胃の痛みを覚えながら、引きつった笑顔で拍手を送るしかなかった。
☆月×日
玄関前に整列しての退館式。
所長さんの温かい挨拶を聞き、全員で「三日間、ありがとうございました!」と頭を深々と下げる。
初日は「早く帰りたい」と思っていたはずなのに、いざこの施設を去るとなると、不思議と胸の奥がチクリと名残惜しさに締め付けられた。
◇月▽日
駐車場に停められた大型バスのトランクに、重いボス◯ンバッグを積み込む作業。
「さあ、貸してごらん。レディに重いものを持たせるわけにはいかないからね」
ボクが率先して女子たちの重いバッグを軽々と持ち上げると、周囲から「きゃああっ、王子様…!」と黄色い歓声が沸き起こった。
「ちょっと! 私の方が重いの持てるわよ!」
対抗意識を燃やしたルルが、ボス◯ンバッグどころかバスのトランクのドアごと持ち上げようとして車体を揺らし、運転手さんにめちゃくちゃ怒られていた。
▲月★日
全員がバスに乗り込み、いよいよ出発の時。ドアが閉まり、スピーカーから車内アナウンスが響いた。
『えー、皆様ァ、楽しかった思い出はお胸に、ゴミはビニール袋にお収めくださいねェ。帰りの道中も、安全第一で参りますゥ』
…やはりマイクを握っているのは、スカーフを巻いたバスガイド姿の母さんだった。
「まだ乗ってたのかい!?」と叫びそうになるのを、ボクはシートのひじ掛けを強く握りしめて必死に堪えた。
◆月〇日
バスが高速道路に乗ってしばらくすると、二日間の疲れが一気に出たのか、車内の生徒たちが次々と静かな寝息を立て始めた。
かくいうボクの右肩にも、コテンとリリの頭が倒れかかってきた。甘いシャンプーの香りが鼻をくすぐる。
さらに左肩には「むにゃ…から揚げ…」と呟きながら、ルルがぐったりと全体重をかけてもたれかかってきた。
両肩を完全に封殺され、身動き一つ取れなくなったボクはこの幸せで苦しい拘束に耐えながら、窓の外に流れる景色を見つめるしかなかった。
□月▲日
昼食休憩のため、サービスエリアに到着。
寝起きの二人を優しく起こし、フードコートへ向かう。
ルルは「腹減ったー!」と醤油ラーメンを大盛りで豪快にすすり、リリは「カロリーが…」と気にしながら、おしゃれなサンドイッチを小さくかじっている。
「移動中の過度な満腹は消化不良を引き起こすわ。これを飲みなさい」
リンがそう言って、温かいほうじ茶のペットボトルをボクの目の前にトンと置いてくれた。
▽月☆日
出発前の、お土産コーナーでの時間。
ボクは『星凪銘菓・潮風饅頭』の箱を手に取った。前世では修学旅行はおろか、お土産を買って帰る相手すら一人もいなかったのだ。
自室で待つ…いや、目の前のバスの最前列でマイクを弄っている怪しいバスガイドの顔を思い浮かべ、箱をカゴに入れる。
その瞬間、背後から『私の分はタウリンとカフェイン配合の栄養ドリンクにしておくれよォ』という、念話のような母の幻聴が耳元で響き、ボクはゾクリと背筋を震わせた。
★月◇日
バスが再び出発し、高速道路を滑るように走り出す。車窓の景色が、緑深い山林から、見慣れた星凪市のビル群と、キラキラと光る青い海へと少しずつ移り変わっていく。
楽しかった非日常が終わり、いつもの日常へと戻っていく。そのグラデーションに、ボクは少しだけ寂しさを感じていた。
◎月×日
星凪市街へ突入した頃、スピーカーから母の声が響いた。
『え〜皆様、右手に見えますのが当市が誇る星凪市警察署でございます。いつも偉そうにしているカガリビ警部の職場ですねェ』
母さんが余計な観光案内を挟んだ瞬間、斜め後ろの席からリンが身を乗り出し、
「そのマイクを切りなさい! 貴女の身辺を今すぐ洗ってやるわよ!」
と前方のガイド席に向けて本気の怒声を飛ばした。車内はドッと大爆笑の渦に包まれた。
〇月★日
バスが星天館学園の校門前に滑り込み、停車した。
荷物を持ってステップを降りる際、マイクを置いた母さんがすれ違いざまにウインクしながらボクの耳元で小声で囁いてきた。
『おかえり、愛しの特異点ちゃん。極上のデータが取れたよォ』
ボクは盛大なため息をつき、無言でスルーしてバスを降りた。
☆月◆日
校庭に集まり、学年主任からの解散の言葉と次回登校日の連絡事項を聞く。
砂埃の舞う校庭、夕暮れが近づく茜色の空。
三日前、バスに乗り込む時とは違い、周囲の生徒たちの表情は格段に柔らかく、班ごとの確かな絆で結ばれているのが分かった。
◇月□日
校門前での別れ際。
「じゃあ、また月曜日にね」
ボクが手を振ると、リリが名残惜しそうにもじもじしながら自分のスマホを差し出してきた。
「連絡先、交換しなさいよ。週末、課題のこと聞くかもしれないし…」
「なっ、抜け駆けはずるいわよ! ティーエス、私の番号も登録しなさい!」
ルルが割って入ろうとし、さらにその後ろからリンが「歩道で立ち止まるな、一般市民の通行の妨げになるわ。速やかに解散しなさい」と交通整理を始め、またしても三つ巴の乱戦が勃発した。
▲月◎日
帰宅し、自室のベッドにドサリと倒れ込む。
全身を包む心地よい疲労感と、見慣れたベッドの天井。
スマホが『ピコン』と鳴る。画面を見ると、いつの間にか作られていた『第4班』のグループトークの通知が光っていた。
怪盗エトワールとしての、スリリングな夜の仕事も待っている。
この騒がしくて賑やかで、心温まる日常も決して悪くない。
ボクは満足げに目を細め、深く目を閉じた。
次回は木曜日に投稿予定です。こ、今度こそは予定通りに!