TSボクッ娘は完璧な王子様系怪盗を演じたいようです。 作:最高司祭アドミニストレータ
〇月△日
あの悪夢のような三歳の誕生日から数日が経過した。ボクの右耳の奥には現在、米粒よりも小さな『超小型インカム』がすっぽりと、そして物理的に絶対外れないようなロック機構を伴って装着されている。
すべては、あの狂気の化け物こと、母さんの仕業だ。
中身が十代の転生者であることが完全にバレてしまったあの日、彼女はボクの耳にこの忌まわしい通信機をねじ込み、ひどく冷めた声でこう告げたのだ。
『キミという極上のオモチャを、世間のつまらない研究機関なんかに奪われたくはないからねェ。キミが社会で「前世の知識」をひけらかして悪目立ちしないよう、私が遠隔で完璧な幼児生活をプロデュースしてあげるよォ』と。
要するにボクが普通の幼児として完璧に擬態できているか、常に監視し、指示を飛ばすための装置である。
朝から晩まで、右耳の奥からは母さんの皮肉めいた指示が飛んでくる。前世の知識があるとはいえ、ボクのベースは常に疲労しやすい幼児の身体だ。
ただでさえ体力のコントロールが難しいというのに、常に脳内で母親の声に耳を傾けなければならない二重生活。
ボクの第二の人生は、どうしてこうも前途多難なのだろうか。
〇月×日
星凪市にある、ごく一般的な幼稚園の年少組に入園した。ボクの年齢もいよいよ三歳から四歳になろうとしている時期だが、周囲は当然ながら本物の幼児たちの巣窟である。
右も左も、意味不明な奇声を上げて走り回るか、母親と離れたくなくて泣き叫ぶ生き物ばかりだ。前世で十代の知性を持ち、静寂を愛するボクにとって、ここは地獄のような騒音空間だった。
周囲の阿鼻叫喚を冷めた目で見下ろし、一人だけ背筋を伸ばして腕を組んで立っていようとしたその時だった。右耳のインカムから『ジーッ』というノイズと共に、母さんの底知れない声が響いた。
『くっふふ。何を一人で大人ぶっているんだい? 周りの群れを見なさい。入園式で誰一人として親から離れない中、一人だけ腕を組んで虚空を睨んでいる三歳児なんて、異常行動の極みだよォ。さあ、今すぐ他の凡庸なガキどもと同じように、床に寝転がって泣き喚きたまえ』
理不尽極まりない。なぜ立派な精神を持つボクが、床に転がって泣き真似などしなければならないのか。
しかしここで逆らえば、家に帰ってからどんな恐ろしい実験が待っているか分からない。
ボクは心の中で血の涙を流しながら、這いつくばって「ふぇぇん、おかあしゃーん!」と見事な嘘泣きを披露した。先生は優しく頭を撫でてくれたが、ボクの尊厳はズタズタだ!
△月〇日
今日、幼稚園の砂場で信じられない人物を見た。ホシノ・ルルという名前の、同じクラスの女の子だ。
入園してしばらく経ち、ようやく周囲の顔と名前が一致してきた今日。ボクは彼女の顔を正面から見て、心臓が止まるかと思った。
短い髪に、少しつり上がった大きな瞳。
間違いない。前世のあの薄暗い小児病棟で、ボクが毎日絵本を読み聞かせていた、あの『〇〇ちゃん』に瓜二つだったのだ。
もしかして彼女もボクと同じように、同時期にこの世界へ転生してきていたのだろうか。
だとしたら、これは運命だ。前世で「いつか外の世界へ連れ出す」と約束したボクの誓いを、この健康な身体で果たす時が来たのだ。ボクは感動で胸を熱くし、彼女に声をかけようと砂場から立ち上がった。
…はにゃ?
ホシノ・ルルは、自分が使おうとしていた赤いプラスチックのスコップを別の男の子が横取りしたのを見るや否や、凄まじい脚力で跳躍し、男の子の背中に強烈なドロップキックを見舞ったのだ。
砂まみれになって泣き叫ぶ男の子を尻目に、彼女は高らかに笑いながらスコップを奪い返し、「あはははっ! これはわたしのよ!」と野蛮な雄叫びを上げていた。
ボクは、そっと砂場に座り直した。
…うん。似てるだけだなァ。
ボクの記憶の中にある前世の○〇ちゃんは、もっとこう、窓際で儚げに微笑むような、可憐で繊細な天使のような女の子だったはずだ。目の前で泥まみれになって男の子を蹴り飛ばしている野生の猛獣が、あの〇○ちゃんであるはずがない。
きっと、顔のパーツが偶然一致しただけの、完全な赤の他人だろう。
右耳のインカムからも、『おや、ずいぶんと活きのいい個体だねェ。キミ、負けずにあのスコップを奪い返してきなさい』という母さんの無茶振りが飛んできた。
他人の空似の猛獣と、スコップを巡って血みどろの争いをしろと!?
×月△日
ホシノ・ルルとは、なぜか腐れ縁のような関係になってしまった。前世の○〇ちゃんとは似ても似つかない野蛮な性格だというのに、彼女はやたらとボクに絡んでくる。
今日もお遊戯の時間に、ボクが部屋の隅で静かに一人で積み木を城の形に高く組み上げていたところ、彼女が弾丸のように突っ込んできて、ボクの城を粉々に粉砕した。
ボクが抗議の声を上げようとすると、右耳のインカムが鳴った。
『くっふふ、芸術的な破壊だねェ。キミも三歳児らしく、彼女の髪の毛でも引っ張って取っ組み合いの喧嘩をしなさい。これも大切なカモフラージュだよォ』
母さんの指示は絶対だ。ボクは涙を飲んで、大人のプライドを捨て、ルルの頬っぺたを両手で引っ張るという極めて幼稚な攻撃に出た。
しかし、ルルは痛がるどころか「やるわね!」と目を輝かせ、ボクの身体を押し倒して上に馬乗りになってきた。この猛獣、純粋な腕力では今のボクより遥かに強い。
健康な身体を手に入れたとはいえ、肉弾戦では全く歯が立たないのだ。
先生が慌てて引き剥がしに来るまで、ボクは泥まみれの床の上でルルと揉みくちゃにされていた。その間も、インカムからは母さんの楽しそうな笑い声がずっと響いていた。
帰りの会の時間。ルルはボクの隣に座り、「あんた、けっこうしぶといのね。あしたもあそんであげる!」と、なぜか上から目線でウインクをしてきた。
彼女の顔を見るたびに、どうしても前世の可憐な〇○ちゃんの顔がチラついてしまう。だが、その直後に繰り出される容赦のない暴力と暴言のせいで、ボクの脳内にある美しい思い出は日々上書きされ、破壊されていく。
絶対に、彼女は〇〇ちゃんではない。ボクはそう自分に強く言い聞かせながら、幼稚園の送迎バスの窓枠に頭を預けた。
三歳児のふりをし母さんの理不尽な指示に従い、猛獣のような幼馴染に振り回される。
あぁ、本当に。
ボクの第二の人生は、どうしてこんなにも大変なんだろうか。
〇月×日
今日はお絵描きの時間があった。
ボクは十代の精緻な空間認識能力を駆使し、クレヨンで完璧な黄金比のリンゴを描こうとしていた。
しかし、右耳のインカムから『くっふふ。三歳児が遠近法を使うんじゃないよ。もっと狂ったように画用紙を真っ黒に塗りつぶして、保育士の不安を煽りなさい』という母さんの無茶振りが飛んできた。
逆らえば後で何をされるか分からない。ボクは泣く泣く、せっかくのリンゴを黒色のクレヨンでぐちゃぐちゃに塗りつぶした。
それを見たホシノ・ルルが「あんた、へたくそね!」と笑いながら、ボクの画用紙に赤いクレヨンでミミズのような線を書き足していった。
△月〇日
お昼寝の時間。薄暗い遊戯室で、ボクは目を閉じながら脳内で『星凪市の立体マップ』を構築していた。
すると隣で寝ていたルルが、寝返りを打つと同時にボクの腹部に強烈な踵落としを決めてきた。肺の空気が全部出た。
痛みに悶絶していると、インカムから『おや、素晴らしい一撃だ。キミも寝相の悪い幼児を装って、彼女の顔面に反撃のパンチを入れなさい』と指示が飛んだ。
ボクは眠っている猛獣に逆襲する勇気を持てず、ひたすら狸寝入りを貫いた。前世の〇〇ちゃんは、もっと天使のように静かに眠る子だったはずだ。絶対に他人の空似である。
×月×日
泥だんご作り。ボクは物理法則と土の水分量を計算し、真球に近い、鏡のように光を反射する究極の泥だんごを完成させた。
『美しすぎるねェ。さあ、それを自分の頭でかち割って、泥まみれのバカな幼児のフリを完成させたまえ』
ボクが絶望して躊躇していると、横から突っ込んできたルルが「わぁ、きれー!」と言いながら、ボクの究極の泥だんごを無慈悲にも握り潰した。
ど、泥だんごガァァァ!?
〇月△日
三行だけ書き残す。
母さんがインカムのテストと称して、ボクの右耳に大音量のヘヴィメタルを流し込んできた。
幼児のフリをして微笑みながらヘヴィメタルを耐え抜くのは、拷問以外の何物でもない。
あの人は本物の悪魔だ。
△月×日
幼稚園のお遊戯会に向けた配役決めがあった。
演目は『桃太郎』。ボクは当然、悪の美学を体現する『鬼の親玉』を志願しようとした。怪盗としてロールプレイをする絶好の練習機会だ。
しかし、母さんからの指示は非情だった。
『くっふふ、目立つんじゃないよ。キミは「岩」をやりなさい。一言も喋らず、微動だにしない完璧な岩の演技で、私の観察データを潤しておくれ』
結果、ボクは舞台の端でうずくまるだけの「岩A」になった。ちなみに桃太郎役はルルだ。彼女は鬼役の男の子たちを、本気のタックルで次々と薙ぎ倒していた。
あれは桃太郎ではない。ただのバーサーカーだ。
×月〇日
給食にピーマンが出た。前世からボクはピーマンの苦味が嫌いだが、紳士たるもの出された食事はエレガントに平らげるのが流儀だ。鼻をつままず、涼しい顔で飲み込もうとした。
『吐き出しなさい』
インカムからの冷酷な一言。
『三歳児がピーマンを平然と食べるなんて不自然の極みだ。今すぐ「ぺっ」と吐き出して、床を転げ回って嫌がりなさい』
ボクは涙を堪えながら、口に含んだピーマンをティッシュに吐き出した。先生には怒られるし、ルルには「よわむし!」と馬鹿にされるし、最悪の昼食だった。
〇月〇日
外遊びの時間。鬼ごっこ。
鬼になったルルが、凄まじいスピードでボクに迫ってきた。ボクは無意識のうちに前世の知識を応用し、遊具を蹴って空中で軌道を変えるパルクールじみた回避行動を取ってしまった。
インカムから『ほう?』という、母さんの底知れない声が響いた。
『面白い挙動だが、目立ちすぎだ。今すぐ、何でもない平坦な地面で自分の足に躓いて、派手に転びなさい』
ボクは華麗な着地を決めた直後、自らの意思で両足を絡ませ、泥のグラウンドに顔から突っ込んだ。直後にルルにのし掛かられ、ボクは完全に敗北した。
△月△日
ルルが絆創膏をくれた。ボクがグラウンドで転んで膝を擦りむいた時、彼女がポケットからキャラクター物の絆創膏を出して差し出してきたのだ。彼女の顔が前世の病室で優しく微笑んでくれた、可憐な〇〇ちゃんと完全に重なった。
なんだ。野蛮に見えて、やっぱり根は優しい天使じゃないか。ボクが感動に打ち震え、その絆創膏を受け取ろうとした直後。
ルルは「えいっ!」と掛け声を上げ、ボクの傷口に全力の平手打ちの要領で絆創膏を叩きつけてきた。
激痛にボクが悶絶していると、インカムから母さんの爆笑する声が聞こえた。
前言撤回だ! 天使じゃなくて悪魔だ!
×月△日
たった一言だけ言わせてほしい。
幼稚園の体操の時間は、テンポが遅すぎてひどく退屈だ。が、『全力で幼児特有の奇妙な踊りを披露しなさい』と強制されるのは、精神の削られ方が尋常ではない。
〇月×日
家族の似顔絵を描く時間。
ボクは真実を世界に伝えるため、緑色の怪しい薬瓶を持ち、隈の浮いた白銀の瞳で薄ら笑いを浮かべる母さんを画用紙に叩きつけた。
『くっふふ。帰ったら、脳波測定の出力を三倍にしてあげようか』
ボクは秒速で画用紙を裏返し、ピンク色のエプロンを着た、ニコニコと微笑む一般的な優しいお母さんの絵を描き直した。
△月〇日
幼稚園の裏庭での探検ごっこ。
ボクはこれを『敵アジトへの潜入ミッション』と見立て、物陰から物陰へと音を立てずに移動するステルス訓練を行っていた。完璧な怪盗の第一歩だ。
しかし、背後からついてきたルルが「あ! だんごむし!」と鼓膜を破るような大声を出し、ボクのステルス行動はすべて水泡に帰した。
インカムの母さんは『いいカモフラージュ役じゃないか』と笑っていたが、ボクにとってはただの妨害工作員でしかない。
×月×日
水たまり。幼児という生き物は、なぜあんな泥水の中に自ら飛び込んでいくのか。ボクには到底理解できない行動だ。雨上がりの園庭に出た瞬間、インカムからの命令が下った。
『さあ、あの最も深く濁った水たまりに、全力のジャンプで飛び込みなさい。靴下まで泥まみれにするのが、正しい幼児の生態だよォ』
ボクは心を無にし新品の運動靴を履いた足で、泥水の中へとダイブした。隣でルルが「あはは! あんたばかね!」と笑っていたが、お前も五分前に同じことをやっていただろうと言いたかった。
〇月△日
幼稚園の年少組も、もうすぐ終わりを迎える。
この一年を振り返ってみたが、右耳で響き続ける母さんの理不尽な遠隔操作と、他人の空似である暴れん坊のルルに振り回された記憶しかない。前世で思い描いていた『夜の街を駆ける完璧な怪盗』への道は、あまりにも遠く険しい。
しかし、ボクは諦めない。この屈辱的な幼児の擬態生活を完璧にこなし、いつか必ず自由を手に入れてみせる。
…とりあえず明日は、母さんの指示で『お遊戯の最中にお漏らしをして泣く』という最悪のミッションが控えているので、ボクの尊厳は明日で一度完全に死滅する予定だ。
次回は金曜日に投稿予定です。