TSボクッ娘は完璧な王子様系怪盗を演じたいようです。   作:最高司祭アドミニストレータ

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走れる身体が嬉しすぎて、六年間があっという間に過ぎ去った件

 〇月△日

 

 今日からボクは、星凪市立の小学校に通う一年生になった。真新しいピカピカの赤いランドセルを背負い、校門をくぐる。

 

 前世では学校に通うことすら叶わなかったボクにとって、このありふれた入学式という行事は、感動で打ち震えるほどの輝かしい第一歩だった。

 

 せめて歩く時くらいはエリートらしく、背筋をピンと伸ばしてエレガントに決めてやろう。そう意気込んで一歩を踏み出した瞬間、右耳の奥に埋め込まれた極小インカムから、あの化け物の冷酷な指示が飛んできた。

 

 

『くっふふ。なにをランウェイを歩くモデルみたいに気取っているんだい? キミはただの小学一年生だ。もっと鼻の下をだらしなく伸ばして、半開きのアホ面で歩きなさい。三歩に一回は自分の足に躓くのも忘れるなよォ』

 

 

 ボクは絶望のあまり視界が滲んだ。逆らえば後でどんな実験が待っているか、分からないからだ。

 

 涙を堪えながら口を半開きにしてアホ面を作り、わざと派手に転んで膝を擦りむきながら校門をくぐった。

 

 初日からボクの威厳はボロボロだ!

 

 

 

 △月〇日

 

 初めての算数の授業。

 黒板に書かれたのは「1+1=2」という、脳細胞を全く使わない次元の数式だった。

 

 退屈すぎる。ボクはノートの隅に微小積分の解法や、ワイヤーの張力計算式をに書き殴り始めていた。

 

 

『ジリリリリリッ!』

 

 

 突然、右耳のインカムから鼓膜を破壊する勢いの警告アラームが鳴り響いた。痛いよ…。

 

 

『おや、一年生のノートにシグマやインテグラルの記号が見えるねェ。今すぐそれを消しゴムで消して、余白にア○パン◯ンの絵を描きたまえ。さもないとインカムの電流を流すよォ』

 

 

 そんな脅しに屈するとでも?

 するに決まってるだろう! 怖いからね!

 

 

 

 ×月×日

 

 ひらがなドリル。

 ボクは筆圧を完璧にコントロールし、「あいうえお」を手本のような美しいフォントで書き上げた。

 

 

『美しすぎる。消しなさい』

 

 

 またしても母さんからの非情な指示だ。

 

 

『小学一年生がそんな達筆を披露してどうする。もっと枠からはみ出して、ミミズが這いずり回ったような下手くそな文字に書き直すんだ』

 

 

 ボクはわざと腕をプルプルと震わせ、枠を完全に無視したダイナミックで読めない文字を捏造した。担任の先生に、「もう少し丁寧に書きましょうね」と赤ペンで直されてしまう。

 

 ボクの心が…ぐすんっ。

 

 

 

 〇月×日

 

 初めての給食当番だった。

 ボクは小さな白衣を着て、配膳台の前に立った。

 

 カレーが入った重い寸胴鍋も、今のボクの健康な身体ならどうにか扱える。前世の数学的知識を活かし、クラス全員の皿に寸分の狂いもない「黄金比率」でカレーとご飯を盛り付けていく。

 

 ボクの完璧な仕事ぶりに酔いしれていたその時、背後から「わたしもやるー!」という野蛮な叫び声と共に、猛獣ホシノ・ルルが突撃してきた。彼女の強烈なタックルを背中に受けたボクは、カレー皿ごと熱い寸胴鍋の中に頭から突っ込みそうになった。

 

 間一髪で踏みとどまったが、白衣はカレーまみれになった。ルルは「あはは、どんくさーい!」と笑っていた。

 

 殴りたい、この笑顔。

 

 

 

 △月△日

 

 身体測定。

 保健室で身長と体重を測った。結果を見たボクは、あまりの感動にその場で立ち尽くしてしまった。

 

 前世の病室ではボクの身体は痩せ細り、体重計の数値は減っていく一方だった。しかし今世ではたった一年で身長が伸び、体重もしっかりと増えているのだ。

 

 

「増えてる…ボクの身体が、大きくなっている…ッ!」

 

 

 ボクが感動のあまり打ち震え涙を流していると、周囲の女子たちが「えっ、体重増えて泣いてるの?」「かわいそう…」とヒソヒソ同情し始めた。耳いいなボク。

 

 違う。これは成長の喜びの涙なのだと説明したかったが、インカムから『そのまま体重を気にするおませな女子のフリをしておきなさい』と指示され、ボクは無言で泣き続けるしかなかった。

 

 

 

 ×月〇日

 

 二年生になった。

 今日は放課後、ルルに腕を引っ張られて、学校の裏山へと「探検」に連行された。

 

 鬱蒼とした森の中を歩きながら、ボクは思考をフル回転させ、『この裏山を敵対組織のアジトに見立てた場合の最適な潜入ルート』や『高低差を利用した逃走経路』を冷静に分析していた。完璧な王子様系女子になるための、有意義なフィールドワークだ。

 

 かん、ぺき…何か忘れてる気がするけど、気のせいだろう。

 

 

 

 〇月△日

 

 図書室の魔窟。ボクは学校の図書室で、ようやく百科事典や難しい専門書が読めると思い、意気揚々と重厚な装丁の本に手を伸ばした。

 

 

『そこから離れたまえ。キミが読むべきはそんな小難しい本じゃない。そこの本棚にある「かい○つ○ロリ」だ。それを手に取り、声を上げてゲラゲラと笑いながら読みなさい。それが健全な小学二年生の生態だ』

 

 

 ボクは血の涙を流しながら百科事典を棚に戻し、キツネのキャラクターが活躍する児童書を広げた。そして周囲に怪しまれないよう、「あはは! オナラで飛んでる!」と棒読みで爆笑する演技を強いられた。

 

 せ、精神が削られる…っ。

 

 

 

 △月×日

 

 体育の授業で「逆上がり」をやった。

 

 ボクの脳内には鉄棒を支点とした遠心力の計算式と、足を振り上げる最適な角度が完全にインプットされている。理論上は、世界で最も美しい逆上がりができるはずなのだ。

 

 ボクは自信満々で地面を蹴り上げた。

 ──が、身体が全く持ち上がらなかった。

 

 頭でどれだけ完璧な物理計算をしても、現在のボクの腕の筋力では、自分の体重を支えきれなかったのだ。

 

 結果として、ボクは鉄棒にぶら下がったままピクピクと痙攣する、干し肉のような無惨な姿を晒すことになった。ルルは隣の鉄棒で、大車輪でもする勢いでぐるぐると回っていた。理不尽だ。

 

 

 

 ×月△日

 

 ルルが珍しく学校を休んだ。

 風邪だという。その言葉を聞いた瞬間、ボクの脳裏に、前世のあの薄暗い病室の記憶がフラッシュバックした。

 

 まさか、ただの風邪ではなく、前世のボクや〇〇ちゃんを苦しめたような重病なのではないか!? もし彼女がこのまま帰らぬ人になったら…。

 

 ボクは気が気でなくなり、放課後、大パニックに陥りながらルルの家へとお見舞いに走った。

 

 翌日。ルルは「もうなおったわよ!」と完全復活を果たし、登校するなりボクの背中に全力のドロップキックを見舞ってきた。

 

 ボクの昨日の心配とパニックを返してほしい。怒りと安堵が入り交じり、ボクは泥まみれになりながら天を仰いだ。

 

 

 

 〇月×日

 

 二年生の夏休み、自由研究の提出日。

 ボクはこの一ヶ月、密かに書き溜めていた『身近な日用品における摩擦係数と重力加速度に関する考察』という、立派な物理学の小論文をカバンに入れようとしていた。

 

 しかし、背後から音もなく忍び寄った母さんに、論文をあっさりと没収された。

 

 

『こんなオーパーツを提出してどうする気だい? キミの宿題はこれだよォ』

 

 

 そう言って渡されたのは、画用紙にクレヨンで適当に描かれた、歪なアサガオの観察日記だった。「はながさいたよ。きれいだな」という、知性を微塵も感じさせない一文が添えられている。

 

 

『さあ、この素晴らしいゴミを提出してきなさい』

 

 

 素晴らしいゴミって何!?

 

 

 

 △月〇日

 

 三年生になった。

 体育祭のクラス対抗リレー。ボクはアンカーを任された。

 

 バトンを受け取った瞬間、ボクは「走る」という行為のあまりの喜びに、前世の鬱憤を晴らすかのように全力疾走してしまった。

 

 風を切る感覚。息が苦しくならない肺。地面を蹴るたびに湧き上がる力。

 

 気づけばボクは、他の走者を大きく引き離して圧倒的な1位でゴールテープを切っていた。クラス中が歓喜に沸く中、インカムからは母さんの氷のような声が響いた。

 

 

『目立ちすぎだ。運動能力が高すぎるのも監視対象になるリスクがある。いいかい? 本番のレースでは、一番いいところでわざとバトンを落として派手に転びなさい』

 

 

 ボクの爽やかな達成感は、一瞬にして絶望へと突き落とされた。

 

 

 

 ×月×日

 

 放課後、ルルに無理やり駄菓子屋へと連行された。

 彼女は百円玉を握りしめ、赤や青の毒々しい着色料がたっぷりと使われた、舌が染まりそうなガムや飴を大量に買い込んでいた。

 

 前世のボクは徹底した食事制限により、ジャンクフードは一切口にすることができなかった。

 

 ボクは、ルルから渡された青色のキャンディを口に入れた。

 

 強烈な甘味料の味と、人工的なグレープの香りが口いっぱいに広がる。決して高級な味ではない。血を吐くこともなく「お菓子が美味しい」と感じられるこの健康な身体のありがたさに、ボクはボロボロと涙を流した。

 

 ルルは「なに泣いてんのよ、キモいわね」と笑っていたが、今日だけは許してやろう。

 

 

 

 〇月△日

 

 プール開きの日。

 冷たい水の中に潜っても、息を止めていられる。肺が水を吸い込んで溺れる恐怖もなく、ただ水の中の静寂を楽しめる。

 

 これこそが健康体の特権だ。ボクは感動に震えながら水中で優雅なクイックターンを決め、怪盗顔負けの水泳スキルを披露しようとした時だった。水面から「とぁーっ!」という掛け声と共に、ビート板を持ったルルが降ってきた。

 

 彼女のビート板がボクの後頭部にクリーンヒットし、ボクは優雅なターンを完遂する前にプールの底へと沈んでいった。インカムからは水越しに母さんの爆笑が聞こえた。

 

 健康な身体でも、物理攻撃には勝てないのだ。

 

 

 

 △月×日

 

 近所の空き地で、ルルとダンボールを使った「秘密基地」を作ることになった。

 

 ボクは雨風を凌げる、完璧なトラス構造のダンボールハウスを設計しようとした。しかし、主導権を握るルルが「ここはピンク! ここは窓!」と構造力学を完全に無視してダンボールを切り刻んでいく。

 

 ボクが口を挟む隙などなく、完成したのは見るも無惨なハリボテの小屋だった。

 

 そして夕方。案の定、突然の夕立が降り注いだ。

 ルルの作ったハリボテは一瞬で崩壊し、ボクたちはダンボールの残骸の下敷きになりながら、ずぶ濡れになった。

 

 自然の脅威と野生児の暴走には、どんな頭脳も無力だ。

 

 

 

 ×月〇日

 

 今日は恐怖の「二者面談」の日だ。

 

 教室の廊下で待つボクの横を、黒いスーツをビシッと着こなした母さんが通り過ぎていった。普段の怪しい白衣とエナジードリンク姿ではない。

 

 

『頼むから、普通の母親として振る舞ってくれ』

 

 

 ボクは心の中で必死に祈りながら、面談の様子を盗み聞きした。

 

 中からは、「ええ、とても活発な子でして。少々お転婆ですが、それが子供らしさというものでしょう」と、完璧に作られた「常識的な母親」の声が聞こえてきた。

 

 担任の先生はすっかり騙され、ボクのことを「少し元気すぎる普通の子」として完全に認識したようだ。

 

 母さんの人間を操る心理誘導のスキルが恐ろしすぎる。あの化け物が学校という聖域に侵入してくるのは、心臓に悪すぎる一日だった。

 

 

 

 〇月△日

 

 四年生になり、いよいよクラブ活動が始まった。

 

 ボクは迷わず『演劇部』の入部届を手に取った。舞台の上で悪の美学を体現し、将来の怪盗としてのロールプレイや変装技術を磨くための完璧なステップアップだ。

 

 しかし、提出の直前で右耳のインカムが起動した。

 

 

『演劇部などという自己顕示欲の塊みたいな場所に行くのは許可しないよォ。キミは卓球部にしなさい。素早い反復横跳びと動体視力のデータが欲しいからねェ』

 

 

 ボクの怪盗への第一歩は、母さんの無慈悲な実験欲によって打ち砕かれた。放課後、ボクは薄暗い体育館の隅で、ただひたすらにピンポン玉を打ち返すだけの機械と化した。

 

 

 

 △月×日

 

 図工の授業で、初めて彫刻刀を使った木版画の制作をした。

 

 精巧な空間認識能力と手先の器用さを持つボクにとって、ただの板を芸術品に昇華させることなど造作もない。ボクは一彫り一彫りに魂を込め、陰影の美しい、まるで中世ヨーロッパの絵画のような風景を彫り上げた。

 

 だが、隣の席から覗き込んできたルルが、その芸術作品を見て「なにこれ、呪いの板?」と無神経に言い放った。

 

 ボクのプライドは深く傷ついた。ちなみにルルの作品は、彫刻刀の使い方が荒すぎて板が真っ二つに割れていた。どうやったらそうなるの??

 

 

 

 ×月〇日

 

 宿泊学習「林間学校」の夜。

 

 大きなキャンプファイヤーの炎を見つめながら、ボクは少しだけ感傷に浸っていた。前世ではこんな風に夜の森で本物の炎の熱を感じることなど、絶対にあり得なかったからだ。健康な身体でここまで来られたことに、静かな感動を覚えていた。

 

 その美しい感傷は、フォークダンスの『マイムマイム』で完全に粉砕された。

 

 隣でボクの手を握っていたルルが、中心に向かって突進するステップを全力のタックル並みの勢いで踏み込んできたのだ。ボクの身体は宙を舞い、キャンプファイヤーの火の粉と一緒に派手に吹き飛んだ。

 

 前世の〇○ちゃんは、絶対にこんな野蛮なステップは踏まない。

 

 

 

 〇月×日

 

 今日はバレンタインデーだ。

 今世では女の子の身体になってしまったが、それでもこの日は少しだけソワソワしてしまう。

 

 放課後、ルルが「はい、これ失敗作」と言って、アルミホイルに包まれた茶色い物体をボクの机に叩きつけてきた。見た目はどう見ても泥団子だった。一口齧ってみると、石かと思うほど硬く、奥歯が砕けそうになった。

 

 インカムから『くっふふ、見事な凶器だねェ。残さず食べなさい』と指示され、ボクは涙を流しながらその岩のようなチョコレートを粉砕して飲み込んだ。

 

 

 

 △月△日

 

 放課後、木登りをしていて、着地の際に少しだけ足を擦りむいた。

 

 血が滲むのを見た瞬間、前世の『死と隣り合わせだった記憶』がフラッシュバックし、ボクは「あ…ボクはこれで死ぬのか…?」と顔面を蒼白にしてパニックに陥ってしまった。ただの擦り傷なのに、心臓がバクバクと嫌な音を立てる。

 

 インカムからは、母さんの腹を抱えて爆笑する声が響いていた。

 

 

『あははははッ! 擦り傷ひとつで死を覚悟する転生者! 最高の喜劇だよォ!』

 

 

 笑い声のおかげで我に返ったが、自分のトラウマの深さと母さんの性格の悪さに、ボクは深く絶望した。

 

 

 

 ×月×日

 

 五年生になった。高学年だ。

 

 委員会活動は、静かに本が読める『図書委員会』を選択した。これならインカムの指示も少なく、平穏な放課後が送れるはずだった。

 

 しかし「面白そうだから」という理由だけで、ルルが図書委員会についてきた。

 

 結果、図書室はルルが貸し出し用のバーコードリーダーを銃のように構えて走り回る無法地帯と化し、ボクはその後始末と本の整理に追われるハメになった。

 

 

 

 〇月△日

 

 家庭科の調理実習。

 ボクは包丁を手に取り、プロの料理人顔負けの華麗な千切りを披露しようとした。

 

 

『ストップ』

 

 

 インカムからの冷酷な一言。

 

 

『小学生がそんな手つきで包丁を扱うのは異常だ。左手を極端な「猫の手」にして、不器用にモタモタとジャガイモを切りなさい。いいかい、一分間に三回以上切ったらペナルティだよォ』

 

 

 ボクは極限まで丸めた左手と、震える右手で、たった一個のジャガイモと十分間も格闘する羽目になった。班の女子たちからは「大丈夫? 代わろうか?」と本気で心配された。

 

 

 

 △月〇日

 

 運動会の組体操。

 持ち前の身体能力とバランス感覚の良さから、ボクはピラミッドの頂点に抜擢された。

 

 一番上によじ登り、立ち上がった瞬間。グラウンドを見下ろすその高い景色に、ボクは『怪盗として夜の街の屋根の上に立つ姿』を重ね合わせ、密かに胸を熱くしていた。

 

 だが、そのロマンチックな妄想は一瞬で崩れ去った。一番下の土台を担っていたルルが、「ぶっくしょん!」と特大のくしゃみをしたのだ。

 

 土台が揺らぎ、ピラミッドは無惨に崩落。ボクは怪盗の夢と共に、グラウンドの砂まみれの地面へと真っ逆さまに落ちていった。

 

 

 

 ×月△日

 

 奇跡が起きた。インカムのバッテリーが切れたのだ。半日だけ、右耳からの母さんの声が完全に途絶えた。ボクはついに自由を手に入れたのだと歓喜し、羽を伸ばそうとした。

 

 しかし、指示がない状態が数時間続くと、ボクの心に強烈なパラノイアが襲いかかってきた。

 

 

「ここで大人びた発言をしたらボロが出るのではないか」「この走り方は小学生として自然か」その他諸々。

 

 

 自分で完璧な小学生を演出しようとするあまり、極度の緊張で神経がすり減り、放課後にはボロ雑巾のように疲弊しきってしまった。

 

 皮肉なことにあの忌まわしいインカムの指示がある方が、ボクは楽に生きられる身体になってしまっていたのだ。

 

 

 

 〇月×日

 

 夜、ベランダに出て星凪市の美しい夜景を眺めていた。

 

 前世では絶対に見られなかった、自由に外の空気を吸える健康な日々。インカムの束縛や野生児の暴力はあるけれど、それでも生きていられるだけでありがたい。

 

 ふと、ボクの心の中に小さな違和感がよぎった。

 

 

「ボク、何かすごく大事な野望を持っていたような気がするんだけど…なんだっけ?」

 

 

 しかし、小学生の身体特有の猛烈な睡魔が襲ってきて、ボクはその違和感を深く追求することなく、ベッドに潜り込んでしまった。

 

 

 

 △月×日

 

 六年生の修学旅行。歴史的な寺院などの建造物を見学して回った。

 

 ボクの脳は無意識のうちに、『あの梁を使えば屋根裏へ音もなく侵入できる』とか『あの塀の高さなら三角跳びで越えられる』など、完璧なステルスルートの品定めを始めていた。

 

 

『くっふふ。目は口ほどに物を言うねェ? キミのそのハンターのような視線、監視カメラで見たら一発で不審者だよォ。もっと頭を空っぽにして、木刀のお土産でもねだる観光客の顔をしなさい』

 

 

 ボクは慌ててアホ面を作り、どう見てもぼったくりの木刀を欲しがるフリをした。

 

 

 

 ×月〇日

 

 最近、ランドセルが小さく感じる。

 ボクの身体が、確実に成長している証拠だ。手足が長くなり、十代の思考スピードに肉体がようやく追いついてきた感覚がある。

 

 放課後のドッジボール。ボクは思い通りに動く身体が嬉しくて、飛んでくるボールをマトリ○○スのように身体を反らせたり、アクロバティックな跳躍で避けまくったりしてしまった。

 

 試合後、ルルに「あんた、今日の動きなんかキモかったわよ」と真顔で言われた。インカムの母さんにも『くっふふ、同感だねェ』と笑われた。

 

 完璧な身体操作を、「キモい」で片付けられるボクの努力は一体何なのか。

 

 

 

 〇月△日

 

 中学校の制服の採寸に行った。

 

 鏡の前に立ち、真新しいセーラー服を身体に当ててみる。

 

 前世の記憶があるボクにとって、スカートを穿くことには未だに微かな抵抗感がある。だが、鏡に映る自分の姿を見て、「ああ、ボクは本当に、女の子の身体でこの世界を生きているんだな」と、六年経って改めて実感した。

 

 少しだけ複雑な気分になりながらも、この健康な身体をくれた神様母さんに、ほんの少しだけ感謝した。

 

 

 

 △月□日

 

 卒業文集の制作。

『将来の夢』という欄を前に、ボクはペンを握りしめていた。

 

 ここは当然、『夜の街を騒がせる華麗な怪盗』と書くべきだ。ボクの魂の叫びを、この文集に刻み込んでやる。思い出してよかったァ。

 

 

『やめたまえ。卒業文集に怪盗なんて書いたら、中二病をこじらせた痛い児童として精神鑑定送りだ。キミの夢は、安定と平和の象徴「公務員」だ。今すぐそう書きなさい』

 

 

 ボクは涙で文字を滲ませながら、将来の夢の欄に「市役所で働く公務員になりたいです」という、無難の極みのような嘘を書き連ねた。

 

 ボクの野望は、文集の片隅にすら残してもらえないのか…ッ。

 

 

 

 ×月×日

 

 ついに、小学校の卒業式を迎えた。

 校長先生から卒業証書を受け取った時、ボクの胸には熱いものが込み上げてきた。

 

 ボクがこの健康な身体で、小学校の六年間を一度も大病することなく駆け抜けたのだ。これは、紛れもない奇跡だ。

 

 ボクが感動の涙をこぼしそうになった、まさにその時。隣の席のルルが、丸めた卒業証書の筒をボクの脇腹に思い切り突き刺してきた。

 

 

「えいっ! 死ね、あくとう!」

「…ッ!!」

 

 

 ボクは声にならない悲鳴を上げ、パイプ椅子から転げ落ちそうになった。感動のフィナーレは一瞬にして消し飛び、ボクは涙目になりながらルルの証書の筒とチャンバラごっこをする羽目になった。

 

 

「くっふふ、めでたいねェ! さあ、そこでお母さんと一緒に記念撮影をするよォ!」

 

 

 式典が終わった後、校庭の桜の木の下。

 

 普段は怪しい白衣とエナジードリンクが定番の母さんが、今日ばかりはビシッとしたスーツ姿で隣に立ち、ボクの肩を強引に引き寄せた。

 

 カメラマンの「はい、笑ってー」という声に合わせ、母さんは完璧な「常識的で優しい母親」の笑顔を作り、ボクはルルに脇腹を突撃された痛みを堪えながら、ひきつった愛想笑いを浮かべた。

 

 カシャリ、とシャッター音が響く。

 

 記念撮影地獄からようやく解放され、帰り道の坂道を歩きながら、ボクはふと空を見上げた。

 

 六年間、長かったような、短かったような。

 

 六年間の小学校生活が終わった。

 

 中学生になれば、少しはこの騒がしい日常も落ち着く…のだろうか。




次回は中学生の回になります。
土曜日の投稿を予定しています。
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