彩葉が入院してから一か月が経過した。その間、一度たりともお見舞いに訪れることは出来なかった。正確に言えばお見舞いには行こうとした。病院へ赴き、面会希望の申し出を要請したのだ。だが、その度に返ってくる答えは。
『当人が面会を希望されていませんので許可は下りません』
これだけだった。面会を希望していない。会いたくないと、お前らなんか見たくないと、そう言われているようで。項垂れながら帰ってくることしか出来ない。それでも彩葉がいつでも帰ってこられるように、いつ帰ってきても大丈夫なように。そう思って配信活動だけは頑張って続けていた。それだって途中で泣いちゃったり、ファンに迷惑を掛けちゃったりなんて感じだったが。それでも、彩葉に少しでも届けばいいと考えて。必死に声を上げて歌を送り続けていた。
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そんなある日朝日から呼び出しがあった。
「かぐやちゃん、ヤチヨちゃん。これが、彩葉の入院してる精神病院から送られてきた。所謂『状態経過報告書』っちゅうやつだ」
そう言って彼が、テーブルの上に一つの大きめの封筒を差し出した。
状態経過報告書。つまり、彩葉が入院してから、病状がどうなっているのか。進行、停止、回復。或いはそのどれでもないか。何れにせよ何らかの結果が其処に記されていると言うことだ。唾を飲んだのはかぐやか、それともヤチヨか。
「ごめんな。本当なら二人に送られて来るべきなんやろけど。二人は……その……」
「分かってる。同性であり義体でもあるかぐやたちには、現日本での……ううん、今の世界での配偶者、親族、伴侶……そう言う事がまだ法律的には認められていないって」
「気にしなくて良いよ朝日。それよりも、中身、見よう?」
促せば頷いた朝日が、大きめの封筒の封を切る。大丈夫、心配するな、きっと良い結果だ、何も問題無い、彩葉は無事だ、そうに決まっている。かぐやもヤチヨも、祈るようにその光景を見つめた。
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経過報告書
患者名・酒寄彩葉
治療方針・投薬及びカウンセリング等による状態改善
現在の状態
味覚障害・顕著
聴覚障害・顕著
睡眠障害・顕著
幻聴症状・顕著
ホルモンバランス・不調
生理・発現せず
結果・状態の改善は見られず。投薬治療の強化及びカウンセリングの強化実施となることをご報告致します。
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ガクンと、膝が折れた。目の前の視覚機能がブラックアウトしそうだ。震えが止まらない。人工胃の中身を吐き出してしまいそうだ。
「……な、にも……?なにも、かいぜん、してないの……?じゃあ、じゃあ、かぐや、なんで、彩葉に……?」
入院しよう。きっと良くなる。彩葉にそう言ったのは他でもないかぐや自身で、同意したのはヤチヨだった。なのに、何も変わらない。改善してない。何一つ変わらず、彩葉は未だあのままだと。ならかぐやのしたことってなんなの?彩葉を突き放すような事を言って、入院させて。かぐやたちから引き離して。それでこれなの?1ヶ月程度で大きな改善などあり得ないことは分かってる。だけど、何一つ、少しも改善してないなんて。
「……こん、こんなことなら……かぐやたちの傍に、ずっと居て貰った方が、良かった……一緒に居てあげて、かぐやたちが彩葉に優しくしてあげて、かぐやたちが彩葉を癒してあげれば良かったんだ……」
何時もそうだ。かぐやは選択肢を誤る。仕事をサボって月から地球へ降りたことも、彩葉の苦労も知らず散々にお金を使ってしまったことも、彩葉の時間を割かせてヤチヨカップに使ってしまったことも……いや、そもそもだ。かぐや自身が彩葉にとって『益』ではなく『疫』だったのでは無いだろうか。そんな考えさえ浮かんでくる始末だった。
「ひ、ひぃ、ひぃっ、ひぃっ、ひぃっ」
「かぐや、しっかりっ!ゆっくり呼吸してっ!」
やや過呼吸気味になったそれを必死に抑えようとするがまるで意味が無かった。苦しい。こんな時、彩葉ならきっと優しく背中を撫でてくれて、呼吸を整るのを手伝ってくれた。勿論ヤチヨだってそうしてくれている。だけど、かぐやが欲しいのはそれじゃないよ。彩葉の掌が欲しい。彩葉に撫でて欲しい。だけど彩葉は居ない。
だってかぐやたちがきょぜつしたから。
「ひぃっ、ひぃっ、ひぃっ」
「かぐや、かぐやっ!」
ああ、くるしいよ、たすけていろは、たすけて。
ぴんぽーん
過呼吸に陥りそうなかぐやによってちょっとした騒動になり掛けている室内に響くチャイムの音。誰だろうか?此処は朝日の家だから乃依君かな?しかし、チャイム音のお陰で少しだけ呼吸が静かになった。
「ふぅ、ふぅ、ふぅぅぅ……」
「だ、大丈夫かぐや……?」
「う、ん……ごめん、迷惑掛けちゃって……」
「そんな、気にしないで。大丈夫だから……」
彩葉もこんな気持ちだったのかな……心配を掛けたことを後悔して、何でこんなことになってしまったんだろうと後悔して、次は気を付けようとして……でも、その次を奪ったのはかぐやだ。かぐやたちだ。
「……皆、ちょい帰ってくれへんか……お客さんや……」
チャイムに対応していた朝日が戻ってきたが、酷く浮かない顔だ。どうしたの?何か問題ありなお客さんなの……?
「……母さんや」
母さん。お母さん。朝日のお母さん。それはつまり、彩葉のお母さん。彩葉の心を壊した、お母さん。
だっ!
「あ、かぐや駄目だよ!?」
気が付いたら駆け出していた。ヤチヨたちが制止しようとするのを意に介さず玄関へ。そのまま扉を開けば……
「わっ。なんやの一体……あんた誰や?朝日の友達か?」
「あんたが、彩葉のお母さんか?」
「……なんやのほんまに。私は確かに彩葉の母親やけれど……礼儀知らずな子やね。一体どこの」
ばちんっ!
平手が振り抜かれ、目の前の女性を打ち抜いていた。倒れはしなかったものの、急に平手を喰らったことには流石に面食らったらしい。彩葉のお母さんはびっくりした表情でかぐやを見ていた。
「な、ほんまなんや!?いきなり張って!警察呼ぶで!?」
「……わたしはかぐや……彩葉の……伴侶だ……」
「……っ」
名乗りを上げればそれだけで彩葉のお母さんは瞳を見開いた。次いで、後ろから追いついて来た朝日に視線を向けていた。
「朝日。この子、彩葉の……?」
「……まずは上がってや……此処じゃ面倒や……」
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「まずはごめんなさい。いきなり暴力を振るったことは間違い用のない事実です。警察を呼ぶのならそうしていただいて構いません」
かぐやの言い様に彩葉のお母さん……紅葉さんは特に怒りの反応を見せなかった。寧ろ、戸惑いと言うか動揺の様子を見せていた。
「そ、れはええけど……あの、あんた……ほんまに彩葉の……?」
「はい、伴侶です。こちらのヤチヨと二人で、彩葉と同居しています」
「……どうも、月見ヤチヨです」
話には聞いていたはずだ。ほぼ絶縁状態だった彩葉だが、添い遂げたい相手が女性であることは説明していたはずだから。最もかぐやたちがそれだとは流石に予想外だったのだろうか?
「……まぁ、ええわ。それより朝日。彩葉に連絡つかへんのやけれど……今どこにおるん?少し前に電話した時、その……なんや具合悪い聞いてな……?聞き出そう思ったけど、その前に切られてしもて。で、確認したかったんやけど……着信拒否それてて……私も仕事で中々時間取れんくて……やっと時間取れて、さっき家に行ってみたんやけど、留守やってな。こっち来てみたんや」
いま、どこに、いるか……?そう言ったのか、紅葉さんは……?もう入院して一か月だぞ?今更になって居場所を気にすると言うのか……?そもそも、電話である程度事情は知ってたと言ったな……?仕事が忙しくて時間が取れなかった……?母親でしょ?仕事の方が、娘の体調より大事だったって言うの……?
「……彩葉はな……今、精神病棟へ入院中や」
「……は?」
何だその呆けた声は。なんだその呆けた表情は。お前が……お前がそんな顔するんじゃない……っ!
「彩葉な?もう随分と、色々患っとってな……かなりの状態なんや……入院して一か月経過したけれど……症状の改善は無いそうや」
「改善無しって……ちょい見せぇっ!」
ひったくるように、朝日から彩葉の経過報告書を奪い取った紅葉さん。報告書を流し呼んでいくうちに、みるみる表情が強張って震えだしていた。
「生理、来てないって……そんな、い、何時から……?」
「何時から……?は、ははは……家に居た頃からだそうやけれど……?気が付かんかったん……?」
本日何度目かの驚きの表情と共に言葉を失う紅葉さん。自分がそんな事にも気が付かなかったことに動揺しているのか?
「満足かよ。娘の幸せ奪って。満足かよ。娘の普通ってやつを奪って。満足かよ。娘の心を壊して……満足なんかって聞いとるんやっ!ちゃんと返事せぇよっ!母親やろがっ!」
怒号。朝日の悲鳴染みたその声にビクリと肩を跳ね上げる紅葉さん。相当びっくりしたのだろうか、おどおどしているようにさえ見える。
「眠れんくて病院に行きたい言う娘に『甘ちゃん』やって?それが母親の言うことかよっ!?心配してやれよっ!」
「……私は、あの子に強くなって欲しかった……あの子は、何だって人に譲って、何だって人に従って、誰にだって優しくしてしまうから……食い物にされんように、強くなって欲しかった。せやから、厳しく当たった……ほんまに、それだけの事やったんや……」
「ふざけんなぁぁぁっ!」
もう我慢できなかった。なんだその理由は。彩葉は、彩葉はそんな理由で壊されたってのかよ!?そんな理由であんなになっちゃったってのかよ!?そんな話があるかよ!
「強くなって欲しかった?そんなの、理由にならないよっ!彩葉は今苦しんでいて、辛くって、どうしようもないほどに傷付いているのにっ!お前が、お前がもっと彩葉に優しくすればっ!」
「……」
何黙り込んでんだよ?あんた弁護士なんだろ?言葉が武器なんだろ?なら反論しろよ!かぐやたちの言う事なんて簡単に覆せんだろっ!何とか言って見せろよぉっ!
「……わ、たしは……ただ、あの子が、私なんか跳ね除けるようになって欲しかった……こんな、正論ばっかの親なんか跳ね除けて、飛んでいけるようになって欲しかったんや……こんな、こんなの、望んでた訳やない……」
望んでた訳じゃない。そんなのただの言い訳じゃないか。現に今彩葉は限界なんだ。もうどうしようもなく病んでて、それが普通だって思ったままなんだぞ!
「……なぁ母さん。今から、彩葉の入院している病院、行ってみぃへんか?」
「……え?」
何を言っているの朝日。こんな奴連れて行っちゃ駄目だよ。どうせ彩葉を苦しめて終わりだ。いや、そもそも面会を受け付けてくれるはずが……
「なら電話なりなんなりでもええ……彩葉に、声を掛けて欲しいんや……あいつの苦しみの凡そは、母さんからの言葉やった……せやったら、それを解放するのも母さんの言葉なんやないんか……?」
……彩葉を解放するのが……紅葉さんの言葉……?
「認めて欲しいんやと、思う。彩葉は多分、認められないって分かっている母さんからの、認める言葉をどっかで待っているんやと思う。絶対にあり得ん母さんからの認めの言葉……それがあれば、ひょっとしたら……彩葉も……」
そんな訳ないよ朝日。こんな奴が彩葉を救えるはずがない。彩葉を救うのはかぐやたちで……
「勿論救うのはかぐやちゃんたちや……せやけど、その前の……彩葉を解き放つのは、母さんじゃなきゃあかんと思う……それとも、自分が原因で精神病棟へ入院した娘なんて、会うのが怖いか……?」
「……ええよ……会いに行こ……」
……かぐやは、許したわけじゃないから……
「ヤッチョも、許せないから……」
それでも……もしも朝日の言う事に少しでも可能性があるんなら……試すしかない……その先に、ほんの少しの光が待っていることを信じて……
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良くならなきゃ。良くならなきゃ。良くならなきゃ。良くならなきゃ。良くならなきゃ。
「はやくよくなって、かぐやとヤチヨの傍に戻らなきゃ。そうやないと、二人がまた泣いてしまうかも知れへんもん……」
続く……
それでも望みがあるのならば