入院してから更に時間が過ぎた。だと言うのに私ときたら、未だに回復の兆候が見えないと言うのは如何なものなのだろうか?
医者の診断も、面談も、カウンセリングも、投薬も、接触制限も、睡眠も、全部護って来た。規則正しい生活とか言う奴を送れるように努めてきたつもりだ。味のしないご飯を食べ、良く聞こえない先生の話を聞き、偶にスマホでツクヨミにログインしてはかぐやとヤチヨのライブや配信を見て、そして寝る。その間にも世界と言う奴は回っていくし、かぐやたちはどんどん先に進んでいくし、私と言う存在は置いてけぼりのまんま。そうやって無為に時間だけが経過した。
「……は、あは、あははあは……」
最近では意味もなく笑みが零れる様になっていた。ストレス性の疾患なのだろう。唐突に何故か笑えて笑えてどうしようもなくなるのだ。ひとしきり笑い終えて、それが無意味だと知ってまた笑いたくなる。お薬も増えたし、食事はまるでゴムか砂利でも食べている気分。先生たちの声は最早ノイズが生じ、聞こえる聞こえない以前の状態だ。睡眠は……どうなんだろう。寝れてはいるような気がする。だけどそれはあくまで『意識が無くなる』と言う学生時代のようなそれと同じであり、とても健康的な睡眠とは言えないだろう。かぐやたちの配信も、見る事すら辛くなっていた。
『いろPの居場所、皆で護っていこうね~っ!』
『ヤッチョたち、一生懸命頑張るよ~っ!』
そんな彼女たちの声に、会場から湧き上がる歓声。だけど私にはそれが、『居ても居なくても変わりやしない存在に対する保護欲』みたいなものにしか感じなかった。要は、私が居なくたってかぐやもヤチヨももう大丈夫だってことだ。
研究所だってそうだ。私が居なくなって暫く経つが、運営についての不備の情報は一切流れてこない。研究は順調に進んでいる、新しい科学機関との協力体制、スポンサーにどこの誰が名乗りを上げた。そんな情報ばかり。私は要らなかったのだ。
「あはあははあっはっはっはっはっ♪」
狂ったような笑い声が病室内に響く。これが私の口から漏れ出ているのだからこれまた驚きだ。初戦私は不要物だったと、自分自身で納得しているのかもしれない。そう考えればこの笑いにも納得しようと言うものだ。とんだ道化だ私は。何がハッピーENDに連れて行くだ。思い上がりも甚だしい馬鹿だ。
『彩葉?』
ふと、声がした。とても綺麗で、とても澄んでて、でも何処かいたずらっ子のようで、それでいて愛しくて、そんな声。思い当たる声はたった一つ。だけど、それはあり得やしない声だ。
「……かぐや……?」
そう、かぐやの声だ。だけどそんな筈はない。だってかぐやは今もツクヨミでライブ中の筈だ。よってここにかぐやの声がある筈がない。遂にかぐやの声までも幻聴として聞こえるようになってしまったのか?
『ふふふ、幻聴?酷いな彩葉は。こぉんなキュートな悪童の声が幻聴だって思っているの?かぐや泣いちゃいそうだよぉ♪』
声のする方に視線を向ける。スマコンも付けていないのに、あの日の着物姿のままのかぐやが、後ろに月人を引き連れて私の視界の中に居た。
「え、あ、う、あえぇ?」
『ああ、驚かせちゃってごめんね彩葉。そんなつもりは無かったんだけどさ……ちょっと、放っておけなくなっちゃったの』
放っておけない。それは私のことか?いけないな、月に帰ってしまったかぐやにまで心配を掛けてしまったと言う事だろうか。それでこうして様子見に来てくれたと……?あれ、でも確か、かぐやは月から地球に来るときは、もと光る竹に乗ってやってきた筈で……?だけど失敗して、肉体を失うのが輪廻の流れの筈では……?
『うん、そうらしいね。凡その事は調べたよ。でもかぐやはもう輪廻なんて我慢できなくなっちゃったんだよ。だからこうして『迎え』に来たのっ♡』
……迎え……?
『肉体に限定しなければ、月人があの卒業ライブの日に来たみたいに、ツクヨミを経由してこうして来るだけは出来るんだよ。だから今のかぐやは肉体無しの思念体って事。彩葉が見えているのは、限定的にそう作用させているからなだけだね。まぁそのせいで、多分此処に月人かぐやが居ることはヤチヨたちに知られちゃっているけれど。てかヤチヨってかぐやだったの?すっげぇよね~!あと、かぐやって地球行き失敗するんだ!?そっちも驚きだよ!?』
そう、なんだ……でも、迎えって……
『彩葉はさ、すっごくすっごく疲れているんだよ。すっごくすっごく、心も体も疲れているの。このままじゃあ、彩葉はもっともっと壊れちゃう。壊れて壊れて、壊れ切って動かなくなっちゃうよ。そんなのいやだ。全然ハッピーENDじゃないじゃんっ!』
まぁ、そうだね。でもそれは私が弱いからだよかぐや。弱くてどうしようもない、私が全部悪くって。
『そんなこと無いよ彩葉。それは違うよ。かぐやはね、彩葉が居たから救われたの。何もない退屈だった月もね、あの日の卒業ライブ以来、ほんの少しだけ変わった気がする。彩葉が地球から送ってくれる歌を皆で聞いたりしてさ……かぐやが爆速で仕事を終わらせるから地球にもう一度行きたいって言うのも、許可が下りたのは彩葉のお陰だよ』
……そうなんだ……そう言ってもらえると、嬉しいな……報われた気持ちになるよ……
『でも、そんな彩葉が救われないのは間違っているから。そして、今からやろうとしていることも本来は間違っている。間違っていると分かった上で、かぐやは迎えに来たの……ね、彩葉。月人になろう?』
つ、月人になる……?何を言っているの、かぐや?
『そのまんまの意味。彩葉は、今のボロボロの身体を脱ぎ捨てて、月人かぐやと同じ『月人彩葉』になれる。偉い人にちゃんと許可も取った。今回は無断じゃないよ。そして、自由意志なこともちゃんと確認してきた。これは月人かぐやからの提案で、お願い。強要でも強制でも無理やりでもない。月人かぐやの、輪廻が壊れると知ってなおの我儘な提案でお願いなの』
……
『これをすることが、彩葉以外の人の不幸を呼ぶことは勿論理解している。彩葉が本当の意味で救われるわけじゃないことも知っている。今までの彩葉を否定するようなことなのかもしれない。でも、かぐやにはもう、今のボロボロのままに終わってしまいそうな彩葉をそのままに出来なかった。だからこうして来たの。かぐやなりに、彩葉を救うために』
……かぐや……
『正直に言ってあんまり時間は無い。もう全部今のかぐやとヤチヨにバレているから。多分猛スピードでこっちに向かってきていると思う。そして、これ以降にこうして彩葉を迎えに来ることも出来なくなる。ツクヨミからの侵入を遮断されるだろうから。出ることは出来ても入ってくることはもうできない。何よりこれは不可逆。一度行えばもう二度と身体に戻れない。これっきりのチャンス。これっきりの機会。今決めて欲しい』
わ、たしは……でも……
『……彩葉ぁ、おねがぁい……かぐやの手を取ってぇ……』
……ははは、ずるいなそれ。私がそれに弱いこと、ちゃんと覚えているんじゃん。ほんと、悪童め。
「良いよ。行こうか」
『っ!ほん、とに……?』
ホントだよかぐや。こっちのかぐやとヤチヨには申し訳ないし、未練が無いと言えば嘘だ。でも、こっちのかぐやたちには一杯友人が出来た。沢山のファンもいる。支えてくれる人が大勢いる。月人かぐやには……まぁ、意識改革は進んでいるみたいだけれど、それでも支える人って言うのは居なそうだし。だから、良いよ。一緒に行こう。
『……彩葉……大好き……♡』
「私もだよ、かぐや』
言葉の途中で、私から『私』が切り離されたのが分かった。おお、これが月人の超技術か。すげぇなおい。あ、私が見える。すっげぇやつれてて顔色悪い。呼吸はしているみたいだけど……死んだの?
『体はもう抜け殻なの。地球人類で言う『死んだ』って言うのよりは、脳死って感じかな。もうあの『酒寄彩葉の抜け殻』は、動かないし喋らないし食べない。泣いたり怒ったり笑ったり悲しんだりもしない。唯の抜け殻だよ』
そっか。バイバイ、私の身体。今まで無茶させてごめんね。これからはもう、ゆっくりしてて良いからね。本当にありがとう。さようなら。
バタバタバタバタっ!がちゃんっ!
「彩葉っ!いろ……あ、あぁぁぁっ……いやぁぁぁっ!?」
「そん、な……い、ろは……」
かぐやの悲鳴。ヤチヨの絶望の顔。それらが見える。ごめんね二人とも、ハッピーENDには連れて行けなかったよ。でも大丈夫。二人はもう二人だけでハッピーENDに行けるからね。私はもう必要ないよ。元気でね。
「っ!?かぐや……月に居る筈のかぐや……っ!?なんで、こんなことをっ!」
「もどしてっ!今すぐに彩葉を戻してぇぇぇっ!」
『もう無理だよ。二人なら分かるでしょ?だって『かぐや』なんだもん。これが不可逆だって、ちゃんと理解しているでしょ?』
そう言って、月人かぐやは私を優しく抱きしめたまま月へと昇っていく。もう、かぐやとヤチヨには届かない場所へと昇っていく。
「いかないでっ!いかないでいろはっ!おねがいだからぁぁぁっ!」
「やだぁぁぁっ!ヤチヨたちのこと、おいていかないでぇぇぇっ!」
どうか、お元気で、皆さん。何時までもご壮健であることを、強く願っております。
『かぐや、ヤチヨ。大好き。さらば~い』
─────
『さぁてっ!今日のライブも勿論この人!いろP伴奏によるスペシャルだよっ!皆盛り上がって行こ~っ!』
『い、いろっぴぃ~……よろしく~……』
わぁぁぁぁぁっ!
不可視の世界である月人の国に響き渡る大絶叫。
目視上は何もない場所に絢爛とそびえたつライブ会場。
誰も居ないはずの月上に数多溢れかえる月の民。
『うぉぉぉっ!いろP!いろP!いろP!』
『こっち向いてくれ~っ!』
『素敵です~っ!』
『今日も姫といろPさんのライブは大盛り上がりですねぇ……今日こそはこのボサツが限定10枚のサインを頂戴しますよ……』
沢山の歓声の先に、着物姿の美しき少女と、狐耳の可愛い少女の姿。忙しい仕事と、でもこうして二人で息抜きに行うライブは月人にも受け入れられて。
二人は楽しそうで、楽しそうで、楽しそうで。幸せで、幸せで、幸せで。
地球から聞こえる、何かの声など、聞こえようもなくて。
『……ろは……いろ……おねg……へんj……ざざざっ』
ただそれだけの、何処にでもあるようなおとぎ話の、終わり方でありましたとさ……
めでたしめでたし……
一つの終わりの物語。