私が病院を退院してどのくらいが経過しただろう。健康を自称して皆に迷惑をかけまくった日々がまるで遠い昔のように思える。
『いやぁ、本当に凄い状態だったよねぇ』
『彩葉ってば、ご飯の味はしないわ外を徘徊するわ視覚聴覚にまで異常をきたすわ……今でも黙っていたことは怒っているからね?』
ごめんて。でもこうして、二人のお陰で元気になれたんだもん。感謝しかないよ。
『ふふ~ん♡可愛い恋人のかぐやちゃんに感謝するようにっ♡』
『ヤッチョはぁ、彩葉が元気になっただけで感無量空処なのです♡』
うん、感謝しているよかぐや。ヤチヨもさ、そう言ってくれるだけで本当に嬉しいの。どうもありがとう。
『『どういたしまして~♡』』
『お~い、彩葉~?』
『体調はもう大丈夫かな~?』
あ、芦花、真実。うん、これこの通り。ピンピンしているよ。今日もかぐやたちのパンケーキでしっかり朝ご飯を済ませたし。てかめっちゃ美味しかったんだよね!あの味を今まで体感できていなかったとか損しかないよ!
『いやそれは彩葉が自分の状態を黙ってたからでしょ?』
『おら、今までの心配分も反省してもっと食え、おら』
ひぃぃぃん……真実の手作りクッキーおいしいよぉ……太っちゃうぅぅぅ……
『もう少し太るくらいが適正体重な気がするんだよなぁ……』
『ヤッチョも同意見。芦花、真実、今後も協力よろしく。彩葉ぽっちゃり計画は予定通り進行させるからね』
『合点』
『承知』
ぽっちゃり計画って何!?私は一体どうなってしまうと言うの!?
『ふふふ、抱き心地が良くなってしまうが良い♡』
『ふかふか彩葉、楽しみなのです♡』
『わ、私も抱っこしてみたいな~……』
『あ、私も私も』
しょんなぁぁぁ……
『よう彩葉、具合はどうだ?無理してないだろうな?』
お兄ちゃんだ。お兄ちゃんにもたっくさん迷惑掛けちゃったよねぇ。反省しかないよ。
『俺はどんだけ迷惑掛けてもええんやで。お兄ちゃんなんやからな。それよりかぐやちゃんたちに隠し事してたことを猛反省せなあかんぞ?』
う、それは、はい……身に染みて痛感している次第でして……
『ならええよ。かぐやちゃんたち、今後もこいつがなんか隠し事してたら遠慮せんで俺に通報してな?説教かますから』
『『『『はぁい』』』』
くっそう……私には味方がいないのかぁ……孤立無援とはこの事か……
『い、彩葉……』
……お母さん……
『あのな、その……お母さん、そのな……』
どうしたのお母さん。そんな口ごもって、お母さんらしくないよ。お母さんはさ、何時だって正論で私を打ちのめす人だよ。優しい言葉なんてお母さんは掛けたりしない。慰めの言葉なんてお母さんは掛けない。叱って、罵って、認めてくれないのがお母さんだよ。ほら、いつも通りのお母さんになりなよ。
『……はん、そうやって無駄口だけ立派になって。言葉だけ達者でも実利が伴ってないんやったらただの口先人間になるんやで。体調を崩したことも、それを周囲に隠してたことも、全部あんたが甘ちゃんだからや。反省しぃ』
ほら、これこそ『私の想像通り』のお母さんだ。こうじゃなくちゃね。
『Mかな?』
『Mなのです』
『M葉だぁ』
『M葉だねぇ』
『Mやな』
おっと?人を特殊性癖みたいに言うのは止めなね。さって、そろそろお仕事も進めなきゃねぇ。
『所長、お待ちしていましたよ。全く、自分の身体もきちんと管理できないようで義体開発なんて無理なんですからね?』
『これからもバリバリ頑張って行きましょうね』
『所長が居ないと研究所も成り立たないんですから』
所員の皆も私を心待ちにしてくれていた。分かっているよ。今まで休んだ分もバリバリ働くからね!目指せ、かぐやとヤチヨをハッピーエンドにっ!
『楽しみにしているね彩葉♡』
『ファイトなのです♡』
『突っ走って行こうね~』
『ハッピーエンドにレッツゴーだよ~』
『応援してんで』
『あんたみたいな甘ちゃんに止まってる暇なんてあらへんよ』
皆の応援が身に染みる~!ようし、頑張るぞ~!
「……きt……いr……おねg……めをs……」
なにか幻聴が聞こえた気がするけれど気のせいだな。だってその手の症状はぜーんぶ治ったし。きっと聞き間違いだろう。うん。ほら、もう聞こえなくなった。大丈夫だね!さ、お仕事済ませて、かぐやたちとツクヨミでライブするぞ~!
『『彩葉♡大好き♡』』
私もだよ♡
─────
「あはははは♡わたしもだいすきだよふたりとも♡あはははは♡」
「ねぇ起きて!起きて彩葉ぁっ!こんなのやだぁっ!やだよぉぉぉっ!」
彩葉のお母さん……紅葉さんを伴いいざ病院へ。そう決めた矢先のことだった。
『あ、酒寄彩葉さんのご家族の方ですか!?し、至急病院へお越しくださいっ!酒寄さんが大変なんですっ!』
切羽詰まった電話越しのお医者さんの声。これだけでもう何か良くないことが起こったのが窺い知れた。急いで病院へ駆けつければ、青い顔をした主治医の先生がかぐやたちを待ち構えていた。
「こ、この度は、病院側の管理責任不足によって、その、えっと……」
なにかもごもごと謝罪の言葉みたいなことを口走っているが、そんなのよりまずは彩葉のことを教えて欲しい。何があったの?何が起きたの?
「えっと……酒寄さんが……向精神薬を、処方されていた分を内服した振りをして、多量に内密所持していたようで……それを、どうやら今日、すべて内服したようなんです……」
向精神薬を多量接種。オーバードーズ。精神に作用を及ぼす薬は医師によって厳重に管理されているはずじゃないのか?それを服用したことを確認もせずに、彩葉が溜め込んでいたことを見過ごしていたと言うのか?
「あ、す、すみません!その、御高名な博士号持ちの方だったもので……本人の申告を鵜吞みにしてしまい……あの……」
「職務怠慢じゃないの!そんなの良い訳になんないよっ!」
怒声を上げたのはヤチヨの方が先だった。大声に縮こまる医師に、結局彩葉がどうなったのかを尋ねた。
「……こちらへ、どうぞ……」
案内されたのは、もともとの彩葉の入院していた病室ではなく……『隔離室』と書かれた、なんとも武骨で殺風景な部屋。全面クッションのような緩衝材で覆われたその部屋の中央に。
地面に座り込んで、うつろに笑い続けている、彩葉の姿があった。
「い、彩葉っ!彩葉、かぐやだよ!かぐやが来たよっ!彩葉っ!」
だが、かぐやの言葉に対して返って来た反応は……
「あは、あはははは♡だいすきかぐや、だいすきやちよ♡あっはっは♡すてき、たのしみ♡つくよみでなにうたおうか♡ね♡あはははは♡」
壊れたように笑い、目の前のかぐやではない他の『かぐや』と『ヤチヨ』に笑う掛け続けている彩葉であった……
「あ、あ、あぁぁぁ……」
「い、彩葉、彩葉、いろはぁぁぁっ!おきて、おきてよ彩葉っ!ヤッチョだよ?ヤッチョ、此処に居るよっ!こっち見てっ!ヤッチョのこと見てっ!」
「ひひひっ♡うん、やちよのことだいすき♡もうぜったいにはなさないからね♡ずっとずっとぎゅうってしてあげるからねぇ♡」
「やだ、やだぁぁぁっ!違うよ彩葉っ!そっちじゃないよっ!目の前のヤッチョを見てよっ!彩葉っ!いろはぁぁぁっ!」
どれだけかぐやとヤチヨが語り掛けても、彩葉はこっちを見ていなかった。焦点をずらし、どこか遠くの『かぐや』と『ヤチヨ』を見続けている。揺さぶろうと、叫びかけようと、決して変わらなかった。
「彩葉?お、お兄ちゃん来たで……?な、こっち見てや……なぁ、彩葉……」
「あっはっは♡おにいちゃん、ありがとう♡おにいちゃんにはくろうかけたねぇ♡ろかにもまみにもすごくめいわくかけたねぇ♡これからはたくさんおんがえしするねぇ♡」
「恩返しなんか……恩返しなんかええから……起きてくれ、彩葉……たのむ、たのむからぁぁぁ……」
朝日の声だって、決して届きはしなかった。
「い、彩葉……?お母さんのこと、分かるか……?」
「うん♡おかあさん♡おかあさんのいうことはいつだってただしいんだ♡おかあさんはいつだってただしくわたしをみとめてくれないんだ♡それがおかあさんだもん♡だからずっとがんばれるんだよ♡ありがとうおかあさん♡」
「ちゃう、ちゃうの、ちがうのぉぉぉ……わ、私は、彩葉に、強くなって欲しかっただけなの……こんな、こんな、ちがうぅぅぅ……」
紅葉さんが泣き崩れた。それにだって彩葉は反応しなかった。どこか遠くの『紅葉さん』の言葉を受けて、もっと頑張るって笑っていた。
これが、これがハッピーエンドなの?違うよこんなの、全然ハッピーエンドじゃない。唯のバッドエンドだよ。彩葉、お願い、ハッピーエンドに連れて行って。お願い、ハッピーエンドに一緒に行こう。
「あっはっは♡しあわせだねみんな♡すっごくハッピーエンドだよね♡」
もう壊れ切ってしまった彩葉のくるったような笑い声が、かぐやたちの絶望の象徴のようだった……
バッドEND……
彼女の中にはハッピーだけが残されている。