あまりにもむごたらしい姿だった。身体は瘦せ、髪は艶を失い、肌はかさつき、目元にはクマがくっきりと。表情には色が無く、まるで、まるで……
「ふふ、死体みたい?そう思ったでしょ。これでも今日は随分と調子良いんだよ?声も良く聞こえるし、視界も良好だし。お昼ご飯だって、皆が来るって聞いて、お茶碗の半分も食べれたんだから」
心の中を読み取られた気がした。とっさに違うと返すことも出来ないそれが、なおさら彩葉を苦しめている。だけど、逃げる事だけは、視線を逸らす事だけは決してしなかった。
あの、紅葉さんとの邂逅のあと。かぐやたちは精神病院へ連絡を取り、彩葉との面会の機会の申請を行った。
『はっきり申し上げます。状態は改善の傾向を見せてはいません。今面会しても、望まれるような結果は得られないと思われます』
分かっていた。彩葉の状態が最悪の一途を辿っていることを。それでも、会わなきゃいけなかった。会って話して、理解し合わなきゃ。でないと失ってしまう。彩葉を。それだけは断じて認められなかった。
「……お母さん、お久しぶりです。お元気ですか。申し訳ございません。このような醜態を晒しましたこと、深くお詫び申し上げる次第です」
「……」
あくまでも悪いのは自分側なのだと。求めに応えられない自分が悪かったのだと。彩葉のスタンスは欠片も変わりはなかった。『母こそが正義であり正論であり何よりも間違いの無い存在』なのだと、そう信じて、信じて、信じつづけていた。
「それで、本日は何の御用で……あぁ、私のことを叱りに来たんですね。そりゃそうです。私はお母さんの期待する娘にはなれなかった。何処までも根性なしで、甘ったれで、何一つ成し遂げられない。情けない娘には、説教が必要ですもん」
そうじゃないよ、彩葉。紅葉さんはね、彩葉と話をしに来たんだよ。だから、そんな自嘲するみたいな言い方……
「よう分かったやんか。ほんま甘ちゃんやな。こんな場所に入院なんぞして、伴侶さんやら部下やら……身内にまで迷惑掛けて。そんな情けないのが私の娘やなんて思わんかったわ」
……は?なに、いっている……なにを、何を言っている!?お前、お前そんなことを言うために来たのか!?彩葉をもっと追い詰めるために来たのか!?分かり合おうしたんじゃないのかよ!?ちゃんと話し合うために来たんじゃいのかよ!?彩葉を介抱できるのはお前だけだって、朝日が、だからっ!
「ざけんなこn」
「待った!かぐやちゃん!お願いやから少しだけ待ってくれ!頼む!」
「うるせぇっ!お前もあの女の言いなりだったのかよ!騙しやがったな!彩葉を益々追い込むために!そうだよな!お前は彩葉を見捨てて逃げたんだもんな!まだ痛めつけ足りないってのかよ!これ以上、これ以上なんて許さないっ!離せっ!彩葉にあんな奴の言葉を聞かせるなんて!」
「頼む!お願いや!この通りや!今の母さんはむやみやたらに彩葉を傷つけるためにあんなことしてるわけやあらへんはずや!頼むっ!少しだけ、少しだけでええからっ!」
「どけっ!どけったらっ!」
「……」
何を静観しているんだよヤチヨ!?おかしいよ!あんなの許して良い筈がない!彩葉はもう十分傷付いたのに!かぐやたちだって傷付けたんだ!だからもうこれ以上傷付けさせやしない!かぐやが護るんだっ!ちくしょうはなせぇぇぇっ!
─────
かぐやがお兄ちゃんに羽交い絞めにされているのが見える。基本的にあの子の身体は他者を傷つける事の無いようにリミッターを仕込んである。よって、普段は普通の女の子程度の力しか出せない。それが功を奏しているようだった。ヤチヨは……何か、見守るようにこっちをじっと見るだけだ。いや、もしかすればもう呆れているのかもしれない。私の不甲斐なさに。こうなっても言い返しも出来ない、情けない私の姿に。
「そうだね。お母さんの言うとおりだよ。私は甘ちゃんで、皆に迷惑ばっかり掛けて、お母さんの娘として失格でしかなかった。本当に申し訳ございm……」
「て、今までやったら、そうして罵っているのが、正解やと思っとった」
……は?
「私は……私は、あんたに強くなって欲しかった。私みたいな苦労をせんような、強さを持って欲しかった。あんたは優秀やから。なんでもそつなくこなして、要領良く出来てしまうから。せやけど、甘いから。優しいから、優しすぎるから。食い物にされん強さを持って欲しかったの……それだけや」
なん、なに、なにいって、それ、なに、その顔、なんで、泣きそうになって、やめろ、お母さんががそんな顔、おかしいよ、お母さんは何時だって正しいんだから、自信満々に、私を罵倒して、認めちゃいけなくて。
「……ほんとに、それだけやったの……せやけど……駄目やね……あんたと私は、親子であって同一人物やないんやもの……おんなじになんて、なれへんもんね……」
やめろ、やめろ、やめて、そんな、そんな風に、違う、正しいのはいつだってお母さんで、私を叱ってくれなくちゃ、間違っていると否定してくれなくちゃ、だからその先を言わないで。
「今まで、ほんとにごめんな、彩葉。お母さんが、間違ってたわ」
「やめてよぉぉぉっ!」
あなたが間違いを認めるな!あなたは間違いの一つもあっちゃいけないんだ!間違っているのは何時だって私じゃなきゃいけないんだ!そうでなきゃ、そうでなきゃ私のこれまでは、かぐやに、ヤチヨに救われる前は一体何だったのだ!?必要のない苦しみだったのか!?得られる筈の幸福を、温もりを、愛情を、全て、間違いの、間違いで、なら私の、私は!?
「抱きしめて、褒めてやれば良かった。一番じゃなくても、凄いねって言ってあげれば良かった。もっと頑張れじゃなくて、一杯頑張ったねって言ってあげれば良かった」
助けてと言えない。助けを求められない。それが酒寄彩葉だった。だって、助けを求めれば母が罵る。
『助けて?そないなこと気軽に言えるのが私の娘やなんて、ほんま驚きやわ』
酒寄紅葉は、自分一人で成し遂げた。だから助けを求めることを恥と覚えた。それを娘にも強要したのだ。それを今更、いまさらっ!
「ほんま、あほやね。甘ちゃんやなんて……自分が、親に蒸発されて、親のやり方もよう分からんで……朝久さんも居なくなって、一人でやらなきゃって、息巻いて……出来ないことをあんたの責任にして押し付けとっただけや……甘ちゃんなのは、私やったわ」
もう言わないでよっ!そんな後悔みたいなこと!自分が悪かったで終わりにするなっ!私はまだ終われなくて、あの頃のお母さんを信じて、それなのにっ!
「はぁっ!はぁっ!はぁっ!はぁっ!」
「彩葉っ!?」
呼吸が苦しい。目の前が霞む。自分の理性的な部分が、これは 過呼吸だと告げている。遂にお兄ちゃんを振り切ったかぐやと、尋常ではない呼吸状態に静観を辞めたヤチヨが私に駆け寄ってくるのが辛うじて見えた。
「落ち着いて彩葉っ!ゆっくり息をしてっ!」
「大丈夫、大丈夫だからっ!」
「たすけて、たすけてやちよ。どうしたらええの?わたし、どうしたら、ええの?うぐっ、ひぐっ、たすけて、おしえてやちよ、やちよぉぉぉ……」
あにがいえをでてしまえば、わたしがたすけをもとめられたのはかのじょだけだった。
かのじょはいつもやさしくわたしにおしえてくれた。
かのじょはいつもしんみにじょげんをくれた。
そのとおりにしたらうまくいった。
だからおしえてやちよ、わたしはどうしたらええの?おかあさんがまちがってたんやったら、わたしはどうしたらええの?どこをなおせばええの?
「ひっ!ひっ!ひっ!ひっ!ひっ!」
「彩葉っ!しっかり呼吸してっ!彩葉っ!」
くるしい。たすけてやちよ。わたしのこと、たすけて。
「か、はっ、はっ、はぁっ!ぐひっ!ぐびっ!ぎゅびっ!」
「駄目っ!しっかり意識を保ってっ!ちゃんと呼吸をしてっ!」
「しっかりせぇ彩葉っ!いろはぁっ!」
だめだ、いしきがおちる。だれもたすけてはくれないんだ。そうだ。ぜんぶじぶんでしなくちゃいけないんだ。たすけなんてもとめちゃ……
「「……大切なメロディは流れてるよ……」」
……うた……歌だ……凄く大好きだった歌……ヤチヨの歌……ううん、それよりももっと前の……
『彩葉。音楽はな、自由にしてええんや』
お父さんの、音楽。お父さんの、作ってくれた曲。私と、かぐやと、ヤチヨを結び付けてくれた曲。
『写真撮るで~?』
『ほら彩葉。お前が主役なんやから。もっと中心に寄りや』
『ピースやで、ピース』
『う、うん……えへへ……』
……そうだ。あの頃、お母さんは、優しくて、皆が居て。でも、お父さんが居なくなって、お母さんは泣かなくて。きっと、誰かに弱みを見せて、付け込まれてしまう事を恐れて、必要以上に強く振舞ったんだね。それを全部認めるなんて出来やしない。私には辛くって苦しくって耐え難い日々だった。それでも、お母さんの努力も、否定したくはなかった。だけどね?
「おかあさん……わたしね……おかあさんに、いっしょにないてほしかったんだよ?おとうさんがいなくなってさみしいねって、いっしょにないてほしかったんだよ??」
「……うん……ごめん、ごめんな、彩葉……」
泣かないで良いよ。泣いたってどうにもならんもん。過去は消えんもん……せやからね……
「……ちゃんと、はなし、しよ……?」
「うん……うん……」
せやからなかんでええねん。もう、あまちゃんやねほんま……
「彩葉、俺、俺な……」
「おにいちゃん……あんがと……おかあさんと、はなすきかい、つくってくれて……」
「お、おれは、おれはな、にげて、にげてまって……」
しかたないじゃん。そうじゃないと、おにいちゃんだってこわれちゃってたよ。せやから、しかたなかったの。そうやってわりきらんと、まえにすすめんのよ?
「……わかった……ありがとな……彩葉……」
おにいちゃんまでないて……なんやのほんまに?
「彩葉、聞こえる……?」
「ヤチヨと、かぐやの歌……」
うん、聞こえるよ。良く聞こえる。私に会いたくて、8000年も頑張った二人の声だ。私の大好きな、二人の声だ。
「ただいま、かぐや、ヤチヨ」
「「お帰り彩葉。大好き」」
随分と、久しぶりに、心からその言葉を受け入れられた気がした。
続く……?
此処から始まり。