終生のライバルに負けたオレ。女になってそいつの嫁になりました ~死んだことになった元公爵令息と、救国の英雄の辺境新婚生活~ 作:APP3
「団長ー、もうすぐ谷を抜けますよ!」
レックスの声が渓谷に響く。
ルプスノア峰を二つに裂くように伸びる谷の先が、ハルデンベルク領だ。
谷を抜けると、それまでの薄暗さが一変した。太陽の光が雪面に反射し、視界を満たす。
目を細めながら辺りを見ると、柵に囲われた集落が見え始めた。
しかし、人の気配は無い。
「随分と前から放置されてるみたいですね」
「レックス。一度ここで休憩しよう。他の皆にも伝えてきてくれ」
「了解しました!」
カイルは馬から降り、手綱を引きながら村を見渡す。
補修もされず、穴が開いたままの家屋に、荒れ果てた畑。
こんな光景、シルヴァレイン領では見掛けなかった。
「……ルシアン」
カイルの呟きは、白い息と共に空へ昇った。
◯───
「……何の話でしょうか」
ヴィクトルは眼鏡を中指で押し上げる。
「とぼけても無駄だ」
ルシアンが指を鳴らすと、扉が開かれラウルが書類を片手に入室する。
「奥様。どうぞ。言われたものです」
「ご苦労」
ラウルは書類をルシアンに渡し、退出しようとする。
「おい。お前もここに残っておけ」
「……はっ」
しかし、ルシアンに呼び止められ、扉の前で動きを止める。
ヴィクトルはラウルへ視線を向けるが、その表情にも困惑の色が浮かんでいた。
「で、だ。これ、何か分かるか?」
「それは──国に提出する台帳ですか……」
「そうだ。この領地に来る前に優秀な弟に頼んで色々と調べてもらっていたんだ」
ペラペラと台帳を捲りながらルシアンは口を開く。
その声はどこか嬉しげだ。
「お前がこの領地に着任する前と後で、税収は大幅に増えていた。死者数を見ても、餓死や凍死は圧倒的に減っている。文句無しの良政だ」
パタンと台帳を閉じ、ルシアンはヴィクトルを見つめる。
「だが、ここ数年は一切発展していない。……いや、発展していないってのは正しくないな」
「──発展して増えた税収の分だけ、今度は支出に水増ししているな?」
何もかも見通しているかのような蒼く深い瞳から、ヴィクトルはわずかに目を逸らす。
「台帳を読み込んだ時、どうにもおかしいと思ったんだよ。税収は伸びてるのに、それに合わせて支出まで綺麗に膨らんでるってのがな。うまーく均してたんだな、お前が」
ルシアンは足を組み直し、手に持っていた台帳をテーブルに投げ捨てる。
「で、新しく金を抜く名目が、男爵夫人の私用費ってわけか。どうだ? 私が御しやすい馬鹿な令嬢だと見えたか?」
「…………」
「おい。なんとか言ったらどうなんだ?」
「いえ。面白い推理だなと思ったまでです。ですが……それに気付いたのが、奥様なのは残念です」
「なに?」
ヴィクトルは台帳を手に取り、口角を緩ませる。
「そもそも、私用費については奥様の憶測に過ぎません。それに、台帳の不自然な計算も確固とした裏付けはないのでしょう? これも証拠になり得ませんね」
「……」
「困りますよ。やるなら徹底的に。告発するならもっともっと策を巡らせて貰わないと」
ヴィクトルはくつくつと喉を鳴らし、ルシアンに顔を近づける。
「次は監察官でもお連れになってください。その時は存分におもてなしさせていただきますよ」
「……ふふっ」
「……何か、おかしなことでもありましたか?」
ルシアンは笑みを零した。
そんなルシアンを前に、ヴィクトルの勝ち誇った表情がわずかに曇る。
「いや、なに。お前は一つ勘違いしている」
「……証拠があるとでも?」
「とんでもない! お前の言う通り、お前が横領していたという証拠は持ち合わせてなんかいないさ」
「じゃあ何だというのです!」
ヴィクトルが台帳を机に叩き付ける。
綴じていた紐が解け、書類が宙を舞う。
ルシアンは散らばった書類を一枚手に取り、眺める。
「さっきも言った通り、お前はいつ人が死んでもおかしくない辺境の地を立て直し、尚且つ、金を抜いても変わらず領民の生活を維持し続けてきた」
「まぁ金を抜いていた証拠はない以上、今のは私の推測に過ぎない。だが、一つだけ、普遍的真理がある。それは──」
「──お前が優秀だということだ」
ヴィクトルの瞳が揺れた。
「お前は優秀な内政官だ。だからこそ許せない」
「何故領地を発展させない? 何故領民の生活をもっと豊かにしようとしない? 何故自分の力をより良く使おうとしない?」
「お前はなんだ? 惰性で領地を治めるだけの無能か?」
「──ッ! 違う!! 私は!! そんなどうしようもない奴らとは違う!!」
ルシアンの問いにヴィクトルが反論する。
ルシアンはそんなヴィクトルに嘲るような笑みを見せつけた。
「一緒だ。お前がどんな人間で、どんな人生を歩んできたのかなんて私は知らないし興味も無い。だが、今のお前がやっていることは、そいつらと何も変わらない」
「──それがお前の犯した罪だ」
「ッ!! ……くっ」
力なくソファーに身体を預けるヴィクトル。
そんなヴィクトルを横目に、ルシアンは大きなサファイアがあしらわれた趣味の悪いネックレスを外す。
「そこで、シルヴァレイン男爵夫人として、お前の罪を償う機会を与えることにした。まずこれは、お前のこれまでの功績への報酬だ」
外したネックレスを机の上に置き、ヴィクトルの方へと滑らせる。
「実家から適当にくすねてきたものだ。売れば、お前が抜いてきた金と同じくらいになるだろう。で、ここからが罰だ。私がお前に要求するのはただ一つ」
「──三年だ。三年でこの領地を今よりもっと豊かにしろ」
「無理なんて言わせないし、もし逃げようとするのであれば、お前の首はコイツに刎ねてもらう」
ルシアンは背後に立つラウルに親指を向ける。
ビクッと震えたラウルだったが、すぐに恭しく一礼した。
「……いいのですか?」
「何がだ?」
「私は……私は……!」
「私がお前から聞きたいのは、できるかできないかの二択だけだ」
「っ!」
ヴィクトルは目を閉じる。
やがて瞼を開くと、机上のネックレスへ一度だけ視線を落とす。
そして、胸に手を当て、ルシアンを見据えた。
「男爵夫人様の、寛大な処置に感謝いたします。必ずや、このヴィクトル・ハイネマンが、貴女様のご期待に添える結果をお見せしましょう」