終生のライバルに負けたオレ。女になってそいつの嫁になりました ~死んだことになった元公爵令息と、救国の英雄の辺境新婚生活~ 作:APP3
『死なないで』
優しい声が響く。
この声の持ち主を、オレは知っている。
最後まで傍らにいた、数多の精霊の中で唯一、オレを
『死なないで』
優しい声が響く。
あまりにも優しく、残酷な願いだ。
これ以上生きていて意味があるのか?
ライバルに敗れ、今まで積み重ねてきた努力の全てが、無意味だったと思い知らされた自分に。
『死なないで』
優しい声が響く。
響く、響く、響く。
「うるさい」
頭がガンガンする。
もう嫌だと言っているのに、響き続ける声。
うんざりする。
どれだけしつこいのか。
──どれだけオレに生きて欲しいのか。
胸がチクリと痛む。
そこを抑えるように、胸元を強く握りしめる。
だったら、仕方がないから、もうちょっとだけ生きてやる。
だから、もう黙れ。
そう心の中で呟くと、先程までうるさく響いていた声が止む。
そして、静まり返った暗闇に──雷鳴が轟いた。
◯───
「奥様。もうちょっとで着くらしいですよ」
「ん……? もう、そんなに経ったのね」
アーシャの声で目が覚める。
寝ぼけ眼を擦りながら窓の外に目を向けると、一面銀世界が広がっていた。
「綺麗……」
うっとりと窓の外を眺めるアーシャ。
その横顔を眺めながら、凝り固まった身体を解すため伸びをする。
「アーシャ。そこの箱、取ってくれるかしら」
「これですね? はいどうぞ!」
アーシャから宝石が散りばめられた箱を受け取り、膝の上に載せ、開ける。
箱の中には、綺羅びやかなネックレスや腕輪などのアクセサリーが、所狭しと詰められていた。
「着けるの、手伝って頂戴」
「はーい! 後ろ向いて下さいね!」
ルシアンは言われた通り後ろを向くと、後ろからネックレスを首に回される。
大きなサファイアが埋め込まれた、見れば見るほど悪趣味なネックレス。
アーシャがネックレスの留め具に手こずる、カチャカチャという音が馬車の中に響いた。
──ここからだ。
ルシアンではない、ルーシー・アルヴェイン・ド・シルヴァレインの人生が始まるのだ。
ルシアン改めルーシーは、胸元のネックレスを握り締めた。
◯────
人差し指でタンタンと机を叩くたび、傍らのインク壺がカタカタと揺れる。
執務室の窓から外を何度も覗き、手に持つ懐中時計を確認する。
「あの、団長? もうちょっと落ち着いて下さい」
くすんだ長い金髪を無造作に一つに括り、王国式の騎士服を纏った男が、主君、カイルを諫める。
「……俺は落ち着いている。現に俺が迎えに行っていないのだから。俺は落ち着いている……」
「あ! 馬車が見えましたよ!!」
「本当か!?」
「──嘘です。ひっかかりました?」
「レックス!!」
「わははっ!」
レックスと呼ばれた男は、カイルの反応を見て腹を抱えて笑う。
「心配しすぎですよ団長。そもそも護衛にラウルをつけてるじゃないですか。万が一にも、アイツがしくじることはないですって」
「それは、そうだが……」
「ま、のんびり待ちましょうよ──ってそんなことしてたらほらっ。今度は本当に着いたみたいですね」
「行ってくる!」
「って、ちょっ! 団長! 転けないでくださいよー!」
懐中時計をレックスに放り投げ、外へと飛び出していくカイルの後ろ姿を見送りながら、レックスはやれやれと懐中時計の蓋を閉めた。
◯───
屋敷の廊下を走り抜ける。
階段を二段飛ばしで駆け降り、玄関ホールに辿り着く。
「旦那様! 外は寒いので上着だけでも!!」
「心配ない!」
上着を差し出してくる使用人にそう言い残し、玄関扉を開け放つ。
──しんしんと降る雪の中、雪の積もる庭園の中心に、銀白の髪が見えた。
少しでも早く近付きたくて、駆け足で進む。
表情が見えるようになる距離まで近付くと、想い人は両手に白い息を吐きかけ、温めていた。
息を整えながらそんな姿に見惚れていると、ふと、目が合った。
「ルシア──」
「カイル様!!」
名を呼ぼうとした時、軽い衝撃と共に、寒かった身体が一瞬にして温かさに包まれる。
困惑しながら自身の胸元に目を落とせば、そこには銀白の髪があった。
「ル、ルシア──イッ!?」
太腿をズボンの上からつねられ、あまりの痛みに思わず声を上げてしまう。
「カイル様! ルーシーは、ルーシーは! この日をずっと待ちわびておりました!!」
どこか猫なで声のように聞こえるルシアンの声と同時に、抱く腕にさらに力が込められる。
「どっ、どうしたんだ──」
ルシアンは背伸びをし、カイルの耳元へと唇を寄せ、
「……ルーシー」
と、囁いた。
「あっ」
踵を下ろしたルシアンは、一瞬だけ冷やかな視線を向けると、何事もなかったかのように再びカイルへと抱き着いた。
「ル、ルーシー。俺も会いたかったよ」
「ふふっ。相思相愛ですわね?」
胸元で艶やかに笑うルシアン。
豹変したルシアンの態度。
何故ここまで芝居がかった振る舞いをするのかは分からないが、一つだけ分かることがあった。
──不用意にルシアンと呼んではいけないと。
◯───
顔合わせに領内視察。
諸々やらなければならないことがあったが、憎たらしい旦那様は、「今日は疲れているだろうから明日にしよう」なんて言いやがる。
「湯加減はいかがですかー?」
「悪くないわ」
「お身体洗いましょーか?」
「結構よ」
ルーシーは外から聞こえるアーシャの声を聞き流しながら、お湯に浸る自身の身体を眺める。
自慢の筋肉はどこへやら。
剣を振ったこともないような細い腕に、胸元には二つの脂肪。
かつて割れていた腹筋も、今では跡形もなく平らで柔らかい。
──ヤツに、カイルに勝つために鍛え上げてきた努力の面影は何一つない。
浴槽の縁に頭を預け、目を瞑る。
覚悟して、ここに来たはずだ。
今までの何もかもを捨て、女として、ルーシーとして生きると。
それでも、カイルにルシアンと呼ばれると、どうしてこうも胸の奥がざわつくのか。
まぁ、考えても仕方ないか。
「アーシャ。やっぱり頼めるかしら?」
「はーい!」
ルーシーは縁から頭を上げ、外にいるアーシャに声をかける。
そして、膝を抱えるように身体を丸める。
揺れた水面の中で、自分の顔がぐしゃりと歪んだ。