ケンが冊子をテーブルに置くと、コタが真っ先に身を乗り出して、逆さまから覗き込んだ。
「悪い話って、どっちですか。死にそうだった系ですか、それとも金がない系ですか」
「金の話は俺の担当だろ」
ダイチが、コタの頭を軽く押しのけて自分が覗き込んだ。
「で、どっちなんだよ」
「前者寄りだ」
ケンは、俺の破れた袖を指さした。
「先、悪い話。白いのは、強え。フレンジーボアの突進を覚えてるつもりで避けると、半歩遅れる。カイが背中の毛にかすっただけで、2割持ってかれた」
「2割?かすっただけで?」
ナナがスプーンを止めた。
「かすっただけ。ちなみに俺は避けた」
「ケンさんあれ、俺が引きつけてる間に後ろ回っただけでしょ」
「作戦だ。作戦」
「じゃあ白イノシシ、盾で受けたらどうなんだよ」
ダイチが、パンを持った手を止めて言った。
「受けてないから、わかんねえ。俺もカイも盾持ってねえし」
「攻撃受けるのは俺とソラってことか」
ダイチは、テーブルの横に立てかけてあった丸盾を見て顔をしかめた。修理したばかりのソラさんの大盾と並べると、ずいぶん小さく見える。
「……俺の盾、そいつの角の太さくらいしかねえんじゃねえか」
「そこまで小さくはないと思います」
コタが、真顔で盾とダイチの顔を見比べた。
「角のほうがちょっと細いと思いますよ。たぶん」
「たぶんで言うなよ」
「で、変な話は?」
そのまま、ナナが急かして聞いた。
ケンは、鐘の音のことを話した。道の上の白いイノシシだけが、音のたびに一斉に東を向いたこと。草原のフレンジーボアは、顔も上げなかったこと。丘の上に、塔のような影があったこと。
聞き終えたコタが、パンを手に持ったまま目を丸くした。
「なんですかそれ。学校のチャイムじゃないですか」
「チャイム?」
「鳴ったら、みんな同じほう向くじゃないですか。教室に戻らなきゃって」
ダイチが盛大に吹き出した。
「イノシシが、昼休み終わりで教室戻るのか」
「イノシシの教室って、どこなんですかね」
「知らねえよ」
笑いながら、俺は、コタの言い方が妙にしっくりきていることに気づいていた。呼ばれて、戻っていく。行商人が言った「並んでる」も、チャイムのあとの廊下を思い出せば、そんなに変な言い方じゃなかった。
「で、そっちは今日どうだった?」
俺がナナに聞くと、ナナはしばらくスプーンの柄をいじっていた。
「持つだけなら平気なの。でも、構えてると腕が落ちてきて、ソードスキルの発動前に中断しちゃう。プレモーションって一瞬、溜める時間があるでしょ。そのあいだに、どんどん重くなってくる感じがして」
「発動できたら当たるんだろ」
ダイチが言った。
「そうね。発動したときは、勝手に体が引っぱられて、狙ったとこに入るけど」
「——それ、たぶん、STRが足りてないんだと思う」
ケンが、冊子をめくりながら口を挟んだ。
「アニールブレード、重量あるからな。要求値に届いてないと、構えは取れても、保持してるあいだにアシストの条件から外れる」
「あーそういうことなんだ」
「……ナナ、お前、今つけてる革の胴、一番重いやつだろ。明日は布のに替えてみろ。ポーションも、自分で持ち切れない分は俺らで分ければいい」
ダイチは腕を組みながら発言した。
「……たしかに、それなら軽くなるかも。でも、みんなの荷物、増えない?」
「一本二本なら誤差だ。お前が剣を振れない、そっちのほうが困る」
ナナは、少し黙ってから、自分の手のひらを見た。
「……1回だけ、すごくきれいに入ったの。ネペントの蔓が伸びきったところに、お兄ちゃんがスイッチって言って」
「そりゃいいじゃねえか。入り方が良いなら、あとは出せる回数の問題だ」
ダイチは、自分のパンを半分に割ってナナの皿に載せた。
「明日それで試して、駄目なら16日にみんなで話す。もともとそういう約束だろ」
15日目の朝は、薄く霧が出ていた。
東の門を出たところで、ナナが腕を何度か回した。革の胴をやめて布の上着に替え、ポーチも小さくなっている。抜いた剣を一度だけ構えると、剣先が昨日より高い位置で止まった。
「……ちょっと、軽い、これならいけそうな気がする」
「よし」
轍の跡は、霧の中に吸い込まれるように続いていた。昨日ケンがスケッチした道しるべの石を過ぎれ、フレンジーボアが土を掘る草原を過ぎる。青い背中は今日も、道の外で、霧に濡れた土を掘っていた。
白い背中が見えたのは、昨日と同じあたりだった。3頭。道の真ん中に並んで、霧の中でじっと東を向いている。
ナナが足を止めた。
「マジか。ほんとに道の上にしかいない」
「だろ。俺も昨日見て、ちょっと意味わかんなかった」
ケンが同じ方向を見ながら答えた。草のほうが柔らかいはずなのに、白いイノシシは固い土の上に立っている。その並び方には、群れが餌場に集まるときの散らばり方がなかった。順番を待っているような立ち方だった。
ソラさんが大盾を構えて、一歩前へ出た。
すると、白いイノシシの片方が、ゆっくりこっちを向いた。ザッ、ザッ。前足が2回、土を掻く。
「来るぞ」
突進してきた巨体を、ソラさんの大盾が正面から受けた。
ゴンッ!と鈍い音がして、ソラさんの足が、轍の溝の中を半歩ずり下がる。けれど、止まった。白イノシシの鼻先が盾に押しつけられたまま、前足が空回りしている。
「止められる! こいつ、止められるぞ!」
ソラさんの声が、いつもより大きかった。
もう1頭が、横から来ていた。
「ダイチさん、右!」
ダイチが丸盾を構えて、右へ回り込む。構えた瞬間、盾の縁が淡く赤く光った。昨日までなかった光《挑発》のスキル効果だ。
2体目の白いイノシシの顔が、ぐいとダイチのほうへ向いた。
「うお、ほんとに来た!」
先日入れたばかりのスキルを、ダイチは初めて実戦で使っていた。《ブリッスルボア》がダイチの盾にぶつかる。ダイチの体が、斜め後ろへ弾かれる。倒れはしなかった。
「重っ! 重いぞこいつ!」
「そのまま!」
俺は横へ走り込んだ。盾に頭を押しつけた体の、脇腹がこちらを向いている。昨日、ケンが言ったとおりだった。剛毛が、腹へ下りるにつれて短く、まばらになっていた。
「ダイチさん、スイッチ行きます!」
「……今!」
腰を落とす。一瞬、止める。噛み合う感触があって、刀身にオレンジ色が走った。
《レイジスパイク》
昨日、片手剣の熟練度が50に届いたとき、スキル一覧に増えた技だった。
橙色に輝いた刀身が毛を割って脇腹へ食い込み、柄を通して確かな手応えが返ってくる。
白いイノシシがよろける。その後ろから、コタが走り込んでいた。
《疾走》スキルを発動しているのか。その分だけ、いつもより一歩早い。俺が振り返ったときにはもう間合いの内側にいて、槍の穂先が《ピアス・ライン》で青く光って、腹の下から突き上げた。
一頭目の白イノシシはポリゴンの破片となって消えた。
「こっちも頼む、ナナ!」
ソラさんが大盾が半歩引くと、支えを失った巨体が前へつんのめった。
「スイッチ!」
ナナは、もう剣を構えていた。入れ替わりに踏み込んだ彼女の肩は、上段にあった。頭上から正面へまっすぐ斬り下す《バーチカル》、単発技だ。しかし、剣先は揺れていない。
ひゅっ。
刀身を包んだ水色の光が、剣先まで一気に走った。重い刃が軌道に引かれ、イノシシの首の付け根を深く斬り抜ける。
「……できた!」
「うわ、今のめっちゃ減りましたよ!」
「ナイス、ナナ。首に入れば、その剣はちゃんと強えな」
振り抜いたあとも、ナナの剣先は地面へ垂れなかった。昨夜まで両腕にぶら下がっていた重さを、今朝は自分で支えているように見えた。
「今の位置、覚えとけ」
ソラさんが大盾を構え直した。
「俺が引いたあと、半歩右。あの距離なら、お前は最後まで振れる」
残る一頭を、ダイチが盾を叩いて引き受けた。
「こっちだ、こっち! 教室あっちじゃねえぞ!」
盾の縁が赤く光り、白いイノシシがダイチへ向きを変える。その横からナナが踏み込んだが、今度は構えの途中で剣先が落ち、水色の光が途切れた。
「焦るな。俺がまだ持たせる!」
ダイチが丸盾で鼻先を押し返す。ナナは一度下がり、両手を握り直した。次の突進が止まった瞬間、《バーチカル》が首元へ入り、最後の一頭が砕けた。
丘へ着くまでに、さらに四頭の白いイノシシが道を塞いだ。
盾で突進を止め、剛毛の薄い腹と首を狙う。その形が崩れなければ、三頭を相手にしたときほど時間はかからなかった。幸い、HPもほとんど減ることはなかった。
丘の上には、高さ15mほどの塔が立っていた。
近くで見ると、塔というより、崩れかけた見張り台だった。石を積んだ壁が3階分ほど立ち上がって、その上に、木の屋根が半分だけ残っている。屋根の下に、黒い鐘がぶら下がっているのが見えた。大人が2人で抱えられるかどうかという大きさだった。
塔の足元は、白いイノシシで埋まっていた。
10頭では済まなかった。塔を囲むように、ぐるりと、白い背中が並んでいる。全部が、塔のほうを向いていた。
「うわ」
ナナが口を押さえた。
「これ、全部こっち来るの?」
「チャイムの教室、ここですね」
「笑えねえよ今回は」
俺は、塔の壁を目で追った。入口らしい穴が、正面に1つ。その上に、木の梯子が掛かっているのが、壁の割れ目から見えた。梯子は途中で折れていて、2階の床の穴から、上の階へ続いている。
「正面から入るのは、無理そうです。入口の前に、6頭いる」
「そうだな。どうするか?全部片づけるか」
「……いや、白ボアはまだ新しく寄ってくるので、それはリスクが高いと思います」
俺は塔の裏手へ回ってみた。そちら側は崖になっていて、白イノシシの姿はない。崖の途中から、外壁に沿って崩れた石段が張り出している。段は半分ほど欠けていたが、手も足もかけられそうだった。
「ダイチさん、裏の崖の方から登れそうです。俺が行ってきます」
ダイチは崖と塔を見上げて、一度うなずいた。
「了解。何かわかったらすぐ知らせろ。こっちは白いのを引きつけて、そっちに回らせないようにする」
「助かります」
「石も古いからな。落ちんなよ」
「落ちたら拾ってください」
「拾えるかよ」
崖の岩は、見た目より手がかりが多かった。指をかけて、足を探して、少しずつ体を持ち上げる。下では、ソラさんの大盾に白い猪がぶつかる音が、何度も響いていた。ダイチの「こっちだこっち!」という声がして、また鈍い音がした。
崖の途中で、壁の外の階段に手が届いた。
石段は、半分ほど崩れていた。残った段を選びながら、壁に沿って上へ回り込む。塔の3階にあたる高さで、壁の割れ目から中へ入れた。
中は、思っていたより明るかった。屋根の抜けた場所から、霧の晴れかけた空が見える。床板は古くて、踏むたびにきしんだ。
その真上に、鐘があった。
太い梁から、黒い鐘が吊るされている。鐘の内側には金属の棒が吊り下げられていて、振り子のようにゆっくりと左右へ揺れ、揺れきったところで内壁を打つ。あれが音の正体だった。
鐘の上、梁のところに、木の歯車のようなものが組んであった。そこから縄が1本、屋根の外へ伸びている。屋根の外には、風車の羽根のようなものが、ゆっくり回っているのが見えた。
「……風で鳴ってるのか」
口に出した、その直後だった。
「あの、何かクエストを受けてるんですか」
背後から、女の子の声がした。
「誰だ!」
反射的に振り向き、剣の柄を握った。さっき通ったばかりの入口には誰もいなかったはずだ。鐘の音に紛れて、足音を聞き落としたのか。それとも、俺とは別の道から登ってきたのか。
崩れた壁の縁に、女の子が一人しゃがんでいた。
俺と、たぶん同じくらいの歳だった。短く切った髪が、屋根の穴から吹き込む風に揺れている。腰には片手剣を下げていたが、こちらへ手を伸ばす様子はない。片手で梁から垂れた縄の端を摘まみ、驚いたように俺を見返していた。
「ご、ごめん。驚かせるつもりじゃなくて」
女の子が縄から手を離し、両手を見える位置まで上げた。それを見て、俺も剣を抜く寸前で指を止める。
「……こっちこそ、ごめん。下に仲間しかいないと思ってたから」
柄を握る力を少し緩めた。それでも手は離さず、女の子の腰の剣と、背後の崩れた壁を交互に見た。俺が登ってきた石段とは、反対側だった。
「それで、あなたも何かクエストを受けてるんですか」
今度の声は、さっきより少し慎重だった。
「ああ、はい。この鐘が、街道の白いイノシシを集めてるみたいで。俺たち、仲間が下にいますけど、あっちの方にあるホルンカの村から」
俺は西の方を指さしながら挨拶した。
「あ、やっぱりそうなんだ」
女の子は壁の外を覗き込んで、塔の足元を埋めた白い背中をしばらく見た。
「私は《メダイ》から。ユレナです。あっち夜中でもこの鐘、聞こえるの。それで、どういう仕組みなのかなーって見に来てて」
「カイです。……鐘の仕組み、わかった?これ止めようと思って登ってきたんです」
「止めるんですか?」
「はい、《閉ざされた街道》ってクエストを受けているんだけど、この鐘の音に寄ってきた、あの白イノシシで荷馬車が通れないっていうやつで」
「へえなるほど、でも変だよね、鐘の音に集められてイノシシが行列作ってるって」
「なんか不気味ですよね」
「まーじゃあ、止め方、一緒に考えましょうか。えーと、羽根が回ってるあいだ、ずっと鳴ってますよね。軸は石の下敷きで、押さえても動かなくて」
ユレナに言われて見ると、屋根の外の軸の根元が、崩れた石材にがっちり埋まっていた。
俺は、歯車から鐘の中の棒へつながる縄を目で追った。
「この縄を外せば、鐘を打ってる棒は止まりそうじゃないすか」
「でも、自由に揺れたらまた鳴りますよ」
ユレナが、垂れた縄の端を指で弾いた。
「なるほど、それなら——外した縄でそのまま縛っちゃいません?内側の壁に寄せて固定すれば、風が来ても打てないし」
「それ、いいですね。……縄、足りるかな」
「歯車から外した分が全部使えるなら、届きそう」
俺たちは、床のきしむ場所を避けながら梁の下へ移動した。
ユレナが壁の出っ張りに足をかけ、歯車から縄を外す。垂れてきた縄を俺が受け取ろうとした瞬間、鐘の中の金属棒が大きく揺れた。
「うわ、揺れた」
「押さえます」
俺は両腕で金属棒を受け止めた。思っていたより冷たく、鐘の内側を打とうとする力が強い。俺が壁際へ押しつけているあいだに、ユレナが縄を巻きつけていった。
「今!」
巻いた端が、梁から突き出た木の釘に結ばれた。初対面の相手と息を合わせるのはちょっと妙な感じだった。
「離していいよ」
手を離す。棒は内壁に寄りかかったまま動かない。外では羽根が回り続け、歯車も回っている。それでも縄は空回りするだけだった。
音は、鳴らなかった。
「……止まった?」
「止まった。いい感じ」
「やった」
ユレナが、額の汗を拭う仕草をした。
ずっと肌に当たっていた低い震えが消えて、屋根の外の風の音だけが残る。
「……これ静かすぎて、逆に落ち着かないな」
「わかる。え、まって見て。これ、ちゃんとした鐘だよ。縁のとこに、模様が彫ってある。花?蔓?かな。こんなとこにある見張り台の鐘に、わざわざ模様彫る人がいたんだ」
俺は、鐘の縁を見た。言われるまで、模様があることに気づいていなかった。
塔の下を見ると、足元で、白いボア背中が揺れていた。
一斉に塔を向いていた群れが、一頭、また一頭と首を振りはじめる。塔を見て、周りを見て、また塔を見る。どこを向けばいいのか、わからなくなったような動きだった。
やがて何頭かが、ばらばらに歩き出した。
「……バラバラになったね」
ユレナが言った。
そのうち、2頭が、ダイチたちのいるほうへ向きを変えていた。
「あれ、カイくんの仲間のほう行ってない?」
「ああ、行ってる。ちょっとヤバいな」
「大盾の人、すごいね。ずっと止めてる。じゃあ、急いだほうがいいね。私も下ります、仲間が岩陰で別の場所を見てるので」
「了解。ユレナさん、ありがとうございました。助かりました」
崖を下りるのは、登るより速かった。最後の2メートルは、ほとんど飛び降りた。
下にはユレナの仲間二人が待っていた。
「こっちがリクで、手帳持ってるのがヒナタ。二人とも、メダイから一緒に来た仲間」
リクは息を整えながら軽く頭を下げ、ヒナタは俺たちの人数を数えるように見回した。
「カイ! 上はどうなった!」
ダイチの怒鳴り声。
「止めました! 鐘、止まってます!」
「止まったのにこの数かよ!」
「止まったから散ったんです!塔を向かなくなってます!」
俺は、ダイチが引きつけた一頭の脇へ回り、脇腹に《スラント》を入れる。注意がこちらへ揺れた一瞬、大盾の陰からナナが踏み込んだ。半歩右。光が最後まで伸びて、首を横に払う。
「ナイス! その位置でいけるぞ!」
「うん!」
散った群れを片付けるのに、それから一時間近くかかった。まとまって来ないぶん、一頭ずつヘイト管理をして扱えた。受けて、呼んで、滑り込んで、削って、決める。同じ手順を何度も繰り返すうちに、声を出す回数が減っていった。
最後の一頭が散ったとき、丘の上に白い背中は一つもなかった。
ダイチが草の上に仰向けで倒れ込んだ。
「終わった。もう動かん。10分寝る」
「ダイチ、十分って言って20分寝るじゃないですか」
「いいんだよ、俺が最年長なんだから」
ケンは冊子を膝に乗せて座り込んでいた。ページをめくる指が、まだ少し震えている。
「鐘、止めてから、今んとこは白いのも新しく来てねえ」
「じゃあ道、通れるんじゃないですか」
コタが立ち上がって、街道の先を指さした。
「行商のおじさん、四日ぶりに荷馬車出せますよ」
崖の上から声がした。見上げると、ユレナと、背の高い男子と、髪を後ろで結んだ女の子が石段に立っている。ユレナが指で歯車の回る仕草をして、二人に何か説明していた。結び髪の子は手帳を開いて、崖の下のほうを指している。
「そっちの人たち、お疲れさまー! イノシシの団体さん、解散したね!」
コタが俺の袖を引いた。
「誰ですか、あの人たち」
「塔の上で会った。東のメダイから来てるって」
「メダイって、どの辺ですか」
「この街道の、もっと東らしい」
「へえ。フィールドで知らない人に会うの、久しぶりですね。上で会ってたなら先に言ってくださいよ、俺も行きたかったです」
20分ほど休んだ。ダイチは本当に寝ていた。ソラさんは大盾の傷を指でなぞっていて、ナナは剣を日にかざして刃を見ている。
ケンが、急に顔を上げた。
「……おい」
声が、低かった。
ケンの視線を追った。
丘の麓、街道が南へ曲がるあたり。
白い背中が、1つ、立っていた。
さっきまで全部片づけた場所だった。
「え、また来た!」
コタが飛び起きる。
「鐘、止めたのになんでだよ!あれが原因じゃなかったのか!」
ダイチが跳ね起きて丸盾を掴んだ。白い背中の後ろから、もう一つ。さらにもう一つ。三頭が、街道の上をこちらへ歩いてくる。
「待って、あれどこから来たの?」
ナナが剣を抜きながら街道の先を目で追った。
「あっちから歩いてきたなら、さっき見えてたよね」
3頭は、ばらばらに突っ込んできた。
さっきと同じ要領で、ソラさんが受けて、ダイチが引いて、残りで削る。3頭目を倒したとき、俺はその白いイノシシが立っていた場所に、目を落とした。
3頭目が散る、その一瞬。
俺は、そいつの前脚を見ていた。蹄から膝の上まで、べったりと赤茶色に汚れている。
「……ケンさん」
「あいつの脚、赤茶色の泥が付いてませんでした?」
「泥?」
「血じゃなくて、泥みたいな。赤っぽいやつ」
ケンが、冊子をめくる手を止めた。
足元の土をすくうと、手のひらの上で乾いて白っぽく散った。丘の上も、街道の轍も、昨日歩いた草原も、全部この色だ。
「ここの土、白いですよね」
ケンが自分の靴の裏を返した。白い土がこびりついている。
「さっきの一時間で倒したやつ、誰か脚を見たか」
「見てないです。でも、あんな色が付いてたら気づくと思います」
コタが首をかしげた。
「鐘に呼ばれて来てたやつらは、この白い土を踏んで歩いてきたはずだ。……今の3頭は、どこ歩いてきたんだよ。不自然すぎる」
ダイチが、街道の南へ曲がるあたりを見た。轍の跡は、そこで草の中に消えている。
「なあ。鐘を止めりゃ終わり、って話だったよな」
「仮説でした」
「仮説が一個、潰れただけだ」
ケンがそう言って短く笑い、冊子に赤茶色の泥、と書きつけた。
離れた岩から、ユレナがこっちを見ていた
「今の、どこから来たんですか」
「わからない。けど、脚に赤い泥が付いてました」
ユレナは自分の足元の白い土を見下ろして、それから、街道の南へ顔を向けた。