三頭目が散った場所に、赤茶色の
その足跡は丘の麓から南へ延び、街道の曲がり角へ続いていた。
俺はしゃがみ、足跡に残った赤い泥へ触れた。この辺りの白っぽい土は乾いていて、指で払えばすぐ落ちる。けれど赤い泥は湿っていて、指先にまとわりつき、爪の隙間にまで入り込んだ。
「うわ、これ粘るね」
いつのまにか、ユレナが横にしゃがんでいた。同じように泥を触って、指先をこすり合わせている。
「《メダイ》の北の遺跡のあたり、土がこの色の感じでした。雨のあとだと、靴がこれで重くなって」
「ここから遠いんですか」
「歩いて1時間くらい。……でも、1時間も白い土の上歩いてきたら、普通こんなに残らないよね」
ユレナは自分の靴の側面を見せた。うっすら赤い色が残っているが、もうほとんど白い土に隠れている。
「私のこれ、今朝メダイを出てきたやつ。もうこんな感じになってる」
結び髪の女の子が手帳を閉じて、こちらへ歩いてきた。
「ユレナ、足跡追う? 私たち、どっちにしろ南の岩場は見るつもりだったし」
「追う。カイくんたちも行くよね」
俺が答える前に、ダイチが丸盾を背負い直していた。
「行くに決まってんだろ。止めたはずの鐘の後始末で、また夜まで居残りとか勘弁だ」
足跡は、草むらへ入ると見つけにくくなった。
草の根元に残った赤い泥を一つずつ拾いながら南へ下る。やがて地面が浅くへこみ、白い小石の転がる、干上がった川跡に出た。雨の日だけ、ここを水が流れるらしい。川跡の先では、街道を支える石の壁が行く手を塞いでいた。
赤い足跡は、その手前で途切れている。
「……終わっちゃった」
ナナが小石を蹴った。
「石の上じゃ泥すぐつかなくなっちゃうもんね」
「でも、どっちに行ったんだ?」
コタが川跡の上流と下流を見比べる。俺たちも手分けして赤い泥を探したが、それらしい跡は見つからなかった。
ナナが、街道を支える石でできた壁へ近づいた。
「ねえ、ここの石、あの塔のやつと似てない?」
壁には、同じ大きさの四角い石が隙間なく積まれている。角の削り方も、見張り塔の壁とそっくりだった。
その中に、一つだけ模様の彫られた石があった。
曲がりながら伸びる植物の茎と、その先に咲いた花。見張り塔の鐘に刻まれていたものと同じ模様だ。
「なんで、こんなところにもあるんだろう」
泥を手で払ってみる。模様の周りには細い継ぎ目があり、その石だけ、壁の奥へ押し込めそうにも見えた。
「絶対押すやつじゃないですか?」
コタが隣から手を伸ばした。
「待って。そういうの、勝手に触ると――」
ナナが言い終える前に、コタが模様の石を押した。
動かない。
「……あれ?」
「だから待ってって言ったのに」
「でも、押すやつに見えたんですよ」
「貸してみろ」
ダイチがコタと場所を替わり、両手で石を押す。ソラさんは、その横で石の継ぎ目を覗き込んだ。俺とナナも近づいた、そのときだった。
足元で、ごと、と音がした。
みんなが乗った平たい石が、指二本ほど沈む。
「うわっ!」
コタが飛び退いた。石はそれ以上沈まなかったが、開いた隙間から冷たい空気が吹き上がってきた。
俺は、途切れた足跡を振り返った。最後の足跡は、上流でも下流でもなく、まっすぐ石の壁を向いていた。
「足跡が消えたんじゃない」
ケンも石の壁を見る。
「この下へ入ったのか」
雨の日に水が流れ込む辺りにだけ、トゲのある枝がびっしり絡みつき、石の壁の下半分を隠していた。川跡が街道で途切れているなら、水を向こう側へ通す穴があるはずだった。
その奥から、冷たい空気が流れ出していた。
「ここ、ケンさん、《聞き耳》で、地面の下の音って拾えますか」
ケンは少しだけ眉を上げて、それから河原に膝をついた。
「試したことねえけど、やってみる」
ケンは小石の上に耳を押し当てた。
……
……
「……聞こえる」
「何がですか」
「下で何か歩いてる。ドッ、ドッって」
ケンは耳を当てたまま、少しずつ石の壁へ近づいた。
「こっちだ。街道に近づくほど、音がでかくなる」
「街道の下を、歩いてるってことですか」
コタが目を丸くした。
「間違いない。下に道がある」
俺は、道を塞ぐ石の壁を見上げた。小川の水が流れ込むあたりにだけ、トゲのある枝がびっしり絡みつき、その壁の下半分を隠していた。
水が流れる沢なら、道の下を水がくぐる口があるはずだった。
「ダイチさん、あのトゲついてる枝、刈ってもいいですか」
「刈っていいかって、誰の許可取るんだよ」
「一応」
「いいに決まってんだろ。トゲ、気をつけろよ」
俺とダイチとソラさんで、その茨を剣で切り払った。枝は硬く、刃が食い込むたびに引っかかる。三度、四度と切るうちに、茨の奥からアーチらしきものが覗いた。
茨の奥から、石を半円形に積んだ入口が現れた。
「入口だ!」
俺の声に、離れていたコタたちも集まってきた。
高さは、大人が少し屈めば通れるくらい。その向こうは暗く、ひんやりした空気が、茨の隙間から漏れ出してくる。
入口の上にも、植物のつると花の模様が彫られていた。さっき壁で見つけたものと同じだった。
ユレナは模様を見上げ、それから暗い入口へ視線を移した。
「中、入る前に、もう一回耳で確かめてもらったほうがいいかも。いきなりモンスターに鉢合わせは嫌だし」
ケンが入口脇の石壁に耳を当てた。
「……来てる。近い」
その言葉のすぐあと、俺の足元にも震えが届いた。
ドッ、ドッ、ドッ。
暗がりの奥から、重い足音が迫ってくる。
「ソラ、入口を塞げ!」
ダイチの声に、ソラさんがアーチの正面で大盾を構えた。
白いイノシシが暗がりから飛び出し、そのまま大盾へぶつかる。ソラさんの靴が小石を削ったが、狭い入口に巨体がつかえ、そこで勢いが止まった。
「コタ、盾の横から!」
「はい!」
《ピアス・ライン》が首元へ深く入り、HPバーがオレンジまで落ちる。俺が盾の反対側からソードスキルを重ねると、白いイノシシは入口を抜ける前に光の粒となって散った。
ソラさんは大盾を構えたまま、暗がりの奥を見ていた。
「……ここ、いいな。一頭ずつしか出てこられない」
それから、少しだけ盾を下げる。
「マイクラの経験値トラップみたいだ」
「何十頭も来たら、盾ごとはじき返されそうだけどな」
ダイチはそう返しながらも、さっきより力を抜いて丸盾を下ろした。
「……俺、ちょっと中、見てきていいですか」
俺が言うと、ダイチは少し考えてうなずいた。
「ソラと俺は入口を見張る。コタも残れ。カイ、ケン、ナナは、最初の曲がり角までだ。何か見えたら、そこで戻ってこい」
「私も行っていいですか?」
ユレナが手を挙げた。仲間の背の高い男子が、ちらっとユレナを見る。
「俺らもここで待つ。何かあったら叫べよ」
「わかった。ヒナタ、出入口のほう手伝ってあげて」
結び髪の女の子が、手帳をしまって剣を抜いた。
石の入口をくぐると、通路は思っていたより長かった。
最初の数歩は屈まなければならなかったが、すぐに天井が高くなった。四角い石を積んだ壁と、石を敷いた床。床の上には、赤茶色の泥が溜まっていた。湿っていて、踏むとくるぶしまで沈む。
「うわ、冷た」
ユレナが足を引き抜いて、顔をしかめた。
「ここを歩いたら、そりゃ脚が赤くなるよね」
ケンが泥を指で押した。
「しかも、ここなら乾かねえ。あの三頭、出てきたばっかりだったんだ」
天井にはところどころ細いひびがあり、そこから外の光が差し込んでいた。暗さに目が慣れるにつれて、奥まで続く石の通路が見えてくる。
十歩ほど進んだところで、通路が広くなった。
俺たちが歩いてきた細い水路が、そこで大きな地下道につながっていた。天井は高く、壁も床も四角い石で組まれている。人が歩くために造られた道らしい。
地下道は左右へ延びていた。俺たちから見て左が北、右が東――メダイのある方角だ。
そして、赤茶色の足跡は、すべて東の通路から来ていた。
「東……メダイのほうだ」
ユレナが呟いた。
「遺跡のほうから、ここまで道が通ってたんだ。地面の下に」
「見て、壁」
ナナが声を上げた。
右へ延びる通路の壁に、また模様が彫ってあった。一定の間隔で、同じつると花が並んでいる。天井の割れ目から落ちる光を受けて、彫りの影が浮かんで見えた。
ユレナは壁に近づいて、模様の一つにそっと手を置いた。
「……すごい。これ、メダイの遺跡の柱にあるのと同じ。私、あっちで何回も見た」
「塔と、遺跡と、この通路。全部同じ人が作ったんですかね」
「わかんない。でも、少なくとも同じやつなんだと思う。……ねえ、すごくない? 地上だと全然つながって見えないのに、下ではこうなってたんだよ」
ユレナの声が弾んでいた。
ケンが冊子を開いて、壁の模様を写しはじめた。その手が、途中で止まった。
「……おい、カイ」
ケンは、東の通路の床を見ていた。
赤い泥の上に、
さっきまで見ていた白いイノシシの蹄跡が、その横にいくつも並んでいる。比べるまでもなかった。二倍はある。泥の中に、拳がまるごと入りそうなほど深く沈んでいた。
「……同じイノシシ、ですか。これ」
ナナが、自分の足をその足跡の横に置いた。足跡のほうが、ナナの靴よりずっと大きい。
「わかんねえ。でも、白ボアの足じゃねえ」
ケンが、壁のほうへ顔を向けた。
胸の高さに、深い溝が三本並んで走っていた。その溝の端に、白いものが引っかかっていた。
拾い上げると、毛だ。白い剛毛。さっき戦った白いボアの毛より倍以上も太く、長さは俺の腕ほどある。指で曲げても、強く押し返されて元の形に戻った。
ユレナが、俺の手元を覗き込む。
「……それ、さっきのボアの毛じゃないよね」
「これを落としたやつ、まだ奥にいるのかな」
ユレナは東の暗がりを見た。
「いるなら見てみたいけど……今会うのは、ちょっと違うね」
そのとき、東の通路の奥から、低い音が響いた。
ゴウン、と、鐘にも似た鈍い響き。だが鐘ではない。何か重いものが、石の壁にぶつかったような響きだ。足の裏に、細かな震えが伝わってくる。
一度。
少し間を置いて、もう一度。
天井のひびから、細かな砂がぱらぱらと落ちてきた。
「……戻りましょう。みんなにも知らせないと」
俺が言うと、ナナが真っ先にうなずいた。
「賛成。すごい賛成」
俺たちは、来た水路のほうへ向き直った。泥から足を引き抜いて、分かれ目の空間を横切る。
水路へ戻ろうとしたとき、ユレナが東の通路の入口を見上げた。
「ちょっと待って。あれ」
見上げると、天井に細長い隙間があった。その中に、黒い鉄格子が収まっている。格子の先だけが、天井から少し突き出していた。
「落とし格子だ」
ケンが言った。
「落とし格子?」
「上に引き上げてあるんだ。下ろせば、たぶんこの入口を塞げる」
格子から伸びた鎖は、天井を通って壁際まで続いていた。その端は壁の金具に留められ、抜けないよう赤錆びた杭が差し込まれている。
「あの杭を抜けば、鎖が外れて、格子が落ちると思う」
俺は杭に手をかけた。赤錆びで固まっているが、力を入れると少しだけ動いた。
つられて鎖が鳴る。
東の通路から、硬い足音が返ってきた。少し近づいたあと、また奥へ遠ざかっていく。
俺は足元を見た。赤い泥の足跡は、東から格子の下を抜け、水路へ続いている。
そこで、ようやく気づいた。
「……あ、これだ」
「何が?」
ナナが隣から覗き込む。
「東から来るやつを、ここで止めるためにあるんじゃないか。白いボアが街道に出てたのも、こいつが上がったままだからだ」
ナナが格子を見上げる。
「じゃあ、下ろしたら来なくなる?」
「たぶん。少なくとも、街道までの道は塞げる」
ケンが足跡を追い、格子の下でしゃがんだ。
「なるほど。街道まで来る道を、ここで塞げるってことか」
「うわ、それっぽい!」
ユレナが嬉しそうに格子を見上げる。
「これ絶対そうじゃん。早く下ろしてみようよ。あの白いの、本当に来なくなるか見たい」
俺はもう一度、錆びた杭を握った。
「よし、下ろしてみよう」
両手で引いたが、杭はわずかに動いただけだった。
「ちょっと、私もやる」
ユレナが隣に並び、二人で杭を引く。それでも抜けない。赤錆びで、金具とくっついているらしい。
「これ、錆で固まってる」
「叩いて外すしかないか……」
俺はスモールソードの柄頭を杭に叩きつけた。カン、と甲高い音がして、腕に痺れが走る。杭は動かない。二度、三度。杭の表面の錆が少し剥がれただけだった。
東の通路の奥から、また音がした。今度は、はっきり近づいてくる足音だった。一頭ではない。
「敵!来るぞ!早くしろ!」
ケンが短剣を抜いた。
暗がりの奥から、白い背中が二つ現れた。狭い通路を並んで、こちらへ向かってくる。
「ナナ、杭をお願いしていい?」
俺は剣を構え直しながら言った。
「え、私?」
「アニールブレード、俺の剣よりかなり重いだろ。刃じゃなくて、柄のほうで叩けば」
ナナは一瞬だけ杭と自分の剣を見比べた。それからうなずいて、剣を逆手に持ち替えた。
「やってみる。……うまく当たんなかったら、変わって」
「頼む。こっちは三人で止める」
一頭目が突っ込んできた。
ソラさんの大盾はここにない。俺は横に跳んで、すれ違いざまに脇腹へ《スラント》を入れた。浅い。白いイノシシは勢いのまま、分かれ目の空間へ飛び込んでくる。
「ケンさん、スイッチ!」
「おう!」
ケンが低い姿勢で潜り込み、《ロウ・ニック》で後ろ脚を浅く斬った。白いイノシシの体勢が崩れる。そこへユレナが横から入った。
ユレナの剣の軌跡は、俺の《スラント》とよく似ていた。同じ片手直剣の基本技だ。ただ、踏み込みが俺より半歩深い。
白いイノシシがポリゴンとなって散った。
ガン、と背後で鈍い音がした。ナナが杭を叩いている。
「動いた! ちょっとだけ!」
二頭目が、東の通路の入口に差しかかっていた。ちょうど、落とし格子の真下だ。
「カイくん、あいつ格子の真下! そのままじゃ、最後まで閉まらない!」
ユレナが叫んだ。
「押し戻します!」
腰を限界まで落とす。剣先を腰まで引き、狙いを前脚の付け根へ合わせる。刀身にオレンジ色の光が走った。
《レイジスパイク》が前脚の付け根へ刺さり、白いボアの突進が壁側へそれた。格子の真下から、巨体が半歩外れる。
「ナナ!」
ガン!!
二度目の音が、通路じゅうに響いた。
ナナは両手で逆手に握ったアニールブレードの柄頭を、杭の頭に叩きつけていた。錆の欠片が飛び散る。杭が、指一本分だけ横へずれた。
「もう一回!」
ナナが剣を振りかぶる。
ガン!!
杭が抜けると、鎖が壁の金具から外れた。ジャラジャラと天井を鎖が走り、その音が頭上の溝へ吸い込まれていく。
そして、格子が落ちた。
黒い鉄の柵が、天井の溝から一気に滑り降りて、石の床に叩きつけられた。耳が痛くなるほどの音がして、足元の泥が跳ねた。
東の通路の入口が、鉄の格子で塞がれていた。
格子の向こうで、二頭目の白いイノシシが突っ込んでくる。鉄の柵にぶつかって、甲高い悲鳴を上げた。二度、三度と体当たりしても、格子は揺れるだけで持ち上がらない。奥からも、さらに数頭の白いボアが迫ってきていた。
「……塞がった」
ユレナが、泥だらけの床にへたり込んだ。
「うわ、本当に閉まった」
「感動するの、今なんですか」
「今だからでしょ」
ナナは、逆手に持ったままの剣を下ろして、自分の手のひらを見ていた。
「ナナ、ナイス」
俺が言うと、ナナは顔を上げて、少しだけ笑った。
格子の向こうで、白いイノシシたちはまだ柵に体をぶつけていた。
そのさらに奥の暗がりから、また、あの音がした。
ゴウン。
さっきより近かった。足の裏の震えが、はっきり強くなっている。格子全体が、かすかに鳴った。天井の割れ目から、砂がさっきより多く落ちてくる。
「……絶対、クソでかいやつじゃん」
ユレナが格子から一歩離れた。
格子の手前にいた白いイノシシたちが、びくりと体を震わせた。それから、格子への体当たりをやめて、暗がりのほうを振り返り、そのまま奥へ引き返した。
「行った?」
ユレナが呟いた。
暗がりの奥で、何かが動いていた。姿は見えない。ただ、天井近くの高さで、白いものが一瞬だけピカりと光を反射した。
ゴウン、ともう一度鳴って、音は少しずつ遠ざかっていった。
石の入口から外へ出ると、と、日が傾きかけていた。ソラさんとダイチとコタ、それにユレナの仲間の二人が、アーチの前に立っていた。足元の小石には、白いイノシシが散った跡が二頭分、泥と一緒に残っている。
「地下道は東の遺跡のほうへ続いてました。白いのは、そこから街道の下を通ってきてたみたいです。入口の格子は下ろしました。ただ――奥に、あれよりずっとでかいのがいます」
俺がストレージから白い剛毛を取り出して見せると、ダイチが指でつまみ、曲げようとして顔をしかめた。
「なんだこれ。針金か」
ユレナが仲間の二人と短く話してから、こちらを振り返った。
「私たちも、今日はホルンカに泊まります。明日の朝、メダイへ戻って、遺跡側の入口を見てくる。あっちがどうなってるか確かめたいので」
ユレナたち三人も加わり、俺たちはホルンカへ戻り始めた。
視界の端に、クエストウィンドウが開いた。
《地下通路を封鎖する 達成》
その下に、新しい一行が増える。
《街道の主を討伐する》