ソードアート・オンライン 百層の彼方~天空城の旅人~ 作:壊緑茶
朝の教会前の石段で、ダイチが所持金を三回数え直した。
「……二日だ。何回数えても、二日」
「俺、一日半です」
「串焼きか」
「串焼きです」
通りの向こう、時計塔の下には、昨日より多くの人が座り込んでいた。
「今日には救助が来る」
誰かがまだ言っている。
外ではもう警察が動いているはずだとか、運営がこのままにするわけがないとか。聞いていると、その中に混ざって座りたくなる。
本当に今日で終わるなら、それが一番いい。
けれど、ダイチの所持金は二日分しかなかった。
外に出るしかない。
ケンは膝の上で組んだ自分の手を見ていた。
「……俺は、外には行けない」
誰も責めなかった。
「その代わり、門にいる。街に戻ってきたやつらに話を聞いて、何かあったら送る」
「門って、西門ですか」
俺が聞くと、ケンは少しだけ顔を上げた。
「ほかにどこがあんだよ」
「いや、でも……昨日の今日で」
「座ってると、あの夜のことばっか思い出すんだよ」
それ以上は、聞けなかった。
ソラも一緒に来ることになった。
ダイチがパーティ招待を飛ばす。
ソラは《OK》を押す前に、ケンを見た。
ケンが小さくうなずく。
《Sora》。
左上に六本目のHPバーが増えた。
昨日までそこにはモッチの名前があったが、そのことについては誰も触れなかった。
⸻
武器屋で盾を三つと槍を一本買うと、財布は更に軽くなった。
ダイチは丸盾、ナナは小盾。ソラは大盾に合わせて、剣を短い戦棍へ替えた。
コタには槍を持たせることになった。
剣と盾を持たせたら、盾の向こうにほとんど体が隠れてしまったからだ。
「剣のほうがかっこいいのに……」
「前に出なくていいやつにしろ。俺らが止めるから、後ろから刺せ」
コタは最後まで口を尖らせていたが、値札を見て「あ、安い」と、少しだけ機嫌を直していた。
⸻
西門の石畳に、圏内の境目を示す線が光っている。
昨日の昼は、何も考えずに何十回も跨いだ線だった。
今は、その一歩が出ない。
線の向こうは、昨日と同じ草原だった。
青い空。風に揺れる草。遠くではイノシシが一頭、のんびり地面を掘っている。
何も変わっていない。
変わったのは、こっちだった。
門の脇に立ったケンが、こっちを見ていた。何か言いかけて、やめる。
「……行ってきます」
線を跨ぐと、視界の端に《圏外》の文字が浮かんで、消えた。草原は昨日と何も変わらない。風の匂いまで同じだった。
最初のイノシシとの戦いは、ひどいものだった。
ザッ、ザッ、ザッ。
前足で三回、地面を掻く。
昨日は、それを見て笑っていた。
全員が必要以上に大きく避け、俺は草に顔から突っ込み、ナナは盾を構えたまま足が固まった。そこへ突っ込んできた巨体を、ソラが大盾ごと受け止める。
「止めた! 今!」
ダイチが斬りつける。浅い。
コタは槍を構えたが、穂先は光らなかった。
「ソードスキルが……出せません!」
「力むな!」
「力んでないです!」
「力んでんだよ!」
俺は剣を右肩へ引いた。
片手直剣の基本ソードスキル、《スラント》。
昨日、一度だけ成功したときの構え。
一瞬、止める。
スッ、と何かが噛み合ったような感覚がして、刀身に水色の光が走った。
次の瞬間、腕が剣に引かれる。
斜めに走った一撃がイノシシの脇腹へ入り、巨体が光の粒になって散った。
歓声は上がらなかった。昨日は一頭ごとに叫んでいたのが、嘘みたいだ。
「……これを、あと何頭やりゃいいんだよ」
ダイチが仰向けのまま空に言った
一度西門の近くまで下がって、ソードスキルの練習をした。
「構えて、一瞬止める。肩のあたりで……なんか、ガチャってなるから」
「ガチャ?」
「俺も言っててよくわかんないです。ただとにかく予備モーションが重要なんです」
ソラは何度か戦棍を振り、横薙ぎの《スイング・ブロウ》を出した。ナナは兄から教わって、5回目で《スラント》を成功させる。
ダイチとコタは、いつまでたっても武器が光らない。
「……俺と一緒なのがダイチなの、嫌です」
「俺だって嫌だよ」
「コタ、息止めてる。吐きながらやってみるといいと思うよ」
ふーっと息を吐いたコタの穂先に、一瞬だけ光が灯った。
昼を過ぎるころには、動きに形ができてきた。
ソラが止め、ダイチが横から押さえる。俺とナナが斬り、そして、盾の隙間から——
「コタ、今!」
青い光が走り、槍がイノシシを貫いた。
パリンッ。
光の粒が弾ける。
コタは突いた格好のまま、ぺたんと尻もちをついた。
「……使え、ました」
それから跳ね起きて、俺の袖を掴んだ。
「見ました!? 今の、見ました!?」
「見た」
「ダイチも!?」
「見てた見てた」
「絶対見てなかった」
ときどき、チャットの通知音が鳴った。
《南の丘の赤い花のとこ、蜂の巣。刺されると毒》
ナナが、ちょうどそっちに歩きかけていた足を止める。
《北の森の手前で、今日も一組戻ってきてない》
その一通のあとは、しばらく誰も喋らなかった。
日が傾いてきた。
草の中に、剣が一本落ちていた。
俺たちが最初に持っていたのと同じ、支給の剣だった。
刃を上にして、草に半分埋もれている。
誰も拾わなかった。
「……戻るか」
ダイチは少しだけ北を見てから、そう言った。
⸻
日が外周の柱にかかり始めた。
朝、自分たちで決めていた。
柱に日がかかったら帰る。
少し先には、HPが半分まで減ったイノシシが一頭残っていた。
あと数発だった。
「……あと一頭だけ、行きませんか」
口に出してから、全員の視線に気づいた。
ダイチが、ゆっくりこっちを見る。
「お前が言うのか、それ」
朝じゃ遅いんだって。
モッチの声が、自分の声と重なった。
あと少し。もう一回だけ。
昨日も、そうだったのかもしれない。
言い返そうとして、やめて、俺は剣を下ろした。
「……そうですね、戻りましょう」
そのときだった。
チャットが鳴った。
《狼、もう森の縁に出てきてくるらしい。北、見えるか》
全員が、北を振り返った。
森の縁の、影が濃くなり始めたあたり。灰色のものが、いくつも頭を上げてこちらを見ていた。
遠吠えが、一つ。
「——走れ!」
叫んだのは、俺だった。
ダイチがコタを抱えるように引っぱり、ナナが前を走る。俺は最後尾についた。背中で、草を蹴る音がどんどん増えていく。
振り返ると、灰色の影が一匹、群れから抜けて迫っていた。
「一人で後ろやるな!」
ソラが速度を落として、大盾を構えたまま俺の横に並ぶ。
「ソラさん、前!」
「俺が盾で防ぐ!速く行け!!」
飛びかかってきた狼を、盾が弾き返す。衝撃でソラがよろけ、俺はその腕を掴んで、また走った。
西門が見えてくる。
線のすぐ内側に、ケンが立っていた。
右手に、短剣を抜いている。
「こっちだ! 早く!」
ナナが越え、ダイチとコタが転がり込む。俺とソラが最後に線へ飛び込むと、背後で、狼の足音がぴたりと止まった。
振り返る。
線の向こうで、狼たちがうろうろと歩き回っていた。一匹が、じっと俺の目を見て、それから森のほうへ戻っていく。
全員、石畳の上で動けなかった。
「……今の」
コタが座り込んだまま言った。
「叫んでも、いいですか」
「……小さい声ならな」
「こわかったぁ……!」
小さくはなかった。
⸻
ケンの手は、まだ短剣を握ったまま震えていた。
しばらくして、ようやく鞘に戻す。
「……日没の三十分前から出るんだと。何組か、同じこと言ってた」
「昨日、俺を担いで帰ってきた人にも会った。モッチを一番後ろにしたのは自分だって、謝られた」
ケンは少し黙った。
「だから今日は、一番後ろのやつを見てた」
俺を見る。
「お前、今日ずっと1番後ろだったろ」
「……ソラさんが来てくれました」
ソラは何も言わず、大盾についた傷を指でなぞっていた。
俺は、ケンの隣に腰を下ろした。
「ケンさん……無理しないでください」
ケンは、呆れたように鼻で笑った。
「お前が言うな。あと一頭とか言ってたんだろ」
「……それは、ほんとにすみません」
少しだけ間があった。
「明日も、西門にはいるよ」
線の向こうで、草原が夕日に染まっていた。狼の姿は、もうどこにもなかった。