11日目の昼、俺のスモールソードは、刃の3分の1が白く曇っていた。
蔓を受けるたびに、耐久が削れていく。昨日の夜、村の鍛冶屋のNPCに見せたら、「修理はできるけど、手入れしないで使い倒してたから、だいぶ傷んでるね」と言われた。砥石を当てる、ということを、俺はこの11日間、一度もしてこなかった。
「お前、それであと何日やる気だ」
ダイチが、自分の剣と俺の剣を見比べて顔をしかめた。ダイチのほうも、似たようなものだった。
「ブロンズソードなら、村で売ってますよ。700コルだって」
とナナが言った。
「あれ、やめたほうがいい」
答えたのは、ハルさんだった。
「攻撃力は上がるけど、耐久がスモールソードよりすごく低いの。3日で駄目になる。私、あれを2日目に買って、本気で後悔したよ。700コルあったら、宿に3日泊まれたのに」
その日、リトルネペント狩りはよく回った。
ソラさんが大盾で受ける。蔓が伸びきった瞬間に「スイッチ!」と叫び、ダイチが入れ替わりに前へ出る。俺が《スラント》を入れ、コタの槍が盾の隙間から伸びる。逆側からハルさんが斬り込み、ナナが後ろで全体を見て声を飛ばす。ケンは、ソラさんの陰から、蔓の切れ目を狙って短剣を刺した。
7人の動きが、ようやく一つの形になり始めている気がした。
夕方、最後のリトルネペントが砕けたとき、視界の中央に表示が浮かんだ。
《Level Up》
「あ」
「え、俺もです!」
コタが槍を放り出して飛び上がった。
「レベル6です! 俺、6になりました!」
「……全員だな」
ソラさんが自分の画面を見ながら、少しだけ口の端を上げる。
「おい、ちょっと見ろ」
ダイチが、自分のメニューを指でつついた。
「スキルの枠が、3つに増えてる」
言われて、自分のスキル欄を開いた。2つだった枠が、たしかに3つになっている。空いた枠が、何かを入れろと言うように光っていた。
「レベル6で3つ目が開くって、前に聞いた気がします」
とケンが言った。
「で、何を入れるかだな。一回入れたら、外すと熟練度が消えるぞ」
その夜、酒場のテーブルで、全員が自分の画面とにらめっこになった。
「俺、疾走にします」
真っ先に決めたのはコタだった。
「昨日、ハルさんに止めてもらって思ったんです。俺、実を斬りかけたとき、下がるのが遅かった。槍って、離れて突くものなのに、近づきすぎてたんです。だから、下がるのを速くしたいです」
「お前、よく考えてんな」
ダイチが、本気で感心した声を出した。
「ダイチは、何にするんですか」
「挑発だな」
ダイチは即答した。
「ここ何日か、ソラばっかり狙われてんだよ。盾は耐久が尽きかけてるし、腕も震えてる。俺が半分くらい引き受けりゃ、あいつも少しは楽になるだろ」
当のソラさんは、何も言わずに重装備をセットしていた。
「盾を持つ以上、装備の重さで動けなくなったら意味がないからな」
それだけ言って、ソラさんは画面を閉じた。
「私は……」
ナナがしばらく迷ってから、口を開いた。
「戦闘時回復にします。戦ってる最中に、ちょっとずつHPが戻るやつ。……前に出ない私が持ってても、もったいないかな」
「いや、もったいなくない」
俺は即答した。
「削られたときに一番困るのは前の人ですけど、逃げるときに一番遅れるのは後ろの人です。ナナが倒れなきゃ、ソラさんは前だけ見ていられます」
ケンは、隠蔽を外すかどうかで、ずいぶん長く迷っていた。
「外したら、熟練度が消えるんだよな」
「そうですね。また付けることもできるけど、ゼロからになります」
ハルさんが答える。
「……じゃあ、残す。ネペントには効かなくても、人間には効くからな」
ケンは、3つ目に聞き耳を入れた。
「戻ってきたやつの話を聞くだけの情報屋は、もうやめだ。森の中で、自分の耳で拾うわ」
俺は、索敵を選んだ。
「一番後ろを走るなら、先に見えたほうがいいので」
一昨日、北の斜面の下で、群れが声のほうへ向きを変えるのに気づいたのは、俺じゃなかった。もっと早く見えていれば、もう少しだけ先へ行けたかもしれない。そう思ったのかどうか、自分でもよくわからなかった。
ステータスポイントは、筋力に振った。前に出ると決めたなら、そっちだと思った。
レベル6。初日は1だった。11日で、5つ。
それでも、初日にフレンジーボア1頭に7回吹き飛ばされた自分とは、もう違う。あのとき3割減ったHPは、今ならほんのかすり傷だ。
嬉しい、というのとは少し違った。
まだ、こっち側にいる。そう確かめたような感覚だった。
その夜の分配で、俺たちの番号が呼ばれた。
トガが、淡く光る小さな玉を差し出す。横でケンが、冊子に俺たちのパーティ名と日付を書き込んでいた。
「君たちの番だ」
両手で受け取る。思っていたより、ずっと軽かった。
酒場の隅のテーブルに、その玉を置いた。7人の視線が、そこに集まる。
「じゃあ、はっきりさせようぜ」
ダイチが指を3本立てた。
「1パーティ1本だ。次はない。アニールブレードは片手直剣で、使えるのは、俺と、ナナと、カイ。以上」
「俺、いらないですからね」
コタが即答して、槍を抱え直した。
「槍のクエスト、どこかにないんですかね」
「まだ誰も見つけてねえよ」
とケンが答える。
「ひどい世界です」
ナナが、両手を膝に置いたまま口を開いた。
「私は、ダイチさんが持つのがいいと思う」
その言い方が、妙にきっぱりしていた。
「なんでだよ」
「だって、お兄ちゃんの次に前に出てる時間、長いでしょ。削られる人が、一番いい武器を持ってたほうがいいじゃん」
ダイチは腕を組んで、しばらく天井をにらんでいた。
それから、俺を指さした。
「俺はいい。お前が持て」
「え。俺ですか」
「お前、いつも最後尾を走ってんだろ。それってな、逃げるときに誰かが遅れたら、最後に残るのはお前ってことだよな」
言葉に詰まった。
俺がそこに立っているのは、勇気があるからじゃない。誰かが遅れていくのを見るのが嫌なだけだ。それを、ダイチにはっきり言い当てられた気がした。
「……装備が一番弱いやつが最後に残るのは、おかしいだろ」
ダイチの声が、少し低くなった。
そこで、ケンが冊子から顔を上げた。
「一応、言っとく。掲示板に、アニールブレードを4,000コルで買い取るって貼り紙が出てる。強化してない、今のままのやつでだ。前線のやつらが、後衛用に集めてるらしい」
テーブルが、しんとした。
「……4,000コル」
ナナが、小さく繰り返した。
俺たちの手持ちは2,900コル。ソラさんの盾の修理が500コル。1日で、だいたい700コル。
計算は、一瞬で終わった。
「……盾を直しても、5日分以上、残りますね」
思わず、そう口に出していた。
言ってから、気づいた。それは、ちっとも悪い計算じゃなかった。
「悪くない話だろ、それ」
ダイチが、ゆっくり言った。
「盾を直して、全員のポーションを買い直して、それでも5日食える。剣1本で、だぞ」
ソラさんが、静かに口を開いた。
「……俺は、売るのに賛成だ」
全員が、ソラさんを見た。この人が、自分から意見を言うのは珍しかった。
「盾は、いつか壊れる。修理しても、また削れる。割れたら、前で受けられるのはダイチさんだけになる。そうなったら、剣が1本いいものになっても、後ろまで蔓が届く」
ソラさんは、自分の大盾に目を落とした。
「それに、5日食えるってことは、5日間、焦らなくていいってことだ。焦ってるときが、一番危ない。……この何日かで、それはわかった」
誰も、すぐには言い返せなかった。
ソラさんの言い分は正しい。北の斜面の下で、あと少しだけ、と思いかけた自分を、俺は覚えていた。
沈黙を破ったのは、コタだった。テーブルの下で足をぶらぶらさせながら、遠慮がちに手を挙げる。
「あの。俺、ひとつ思ったんですけど」
「おう」
「剣を売ったお金で盾を直しても、その盾、また壊れますよね。そのたびに直してたら、お金、また減りますよね」
ダイチが、ぴたりと止まった。
「……そりゃ、そうだ」
「でも、いい剣があったら、ネペントを倒すのが速くなりますよね。速くなったら、1日に稼げる分も増えて、盾を直すお金も早く貯まるかもしれないですよね」
コタは指を折りながら喋っていた。自分の計算が合っているか、一つずつ確かめる顔だった。
「だから、売らないほうが得かもしれないです。……たぶん」
「たぶん、だな」
とケンが言った。
「速くなるのは確かだろうけど、どれだけ稼ぎが増えるかは、やってみないとわかんねえ。コタの計算は、増えたらの話だ」
「……はい」
コタは、少しだけしゅんとした。
「でも、それ言ったら、ソラの話も、壊れたらの話だ」
ケンは冊子を閉じた。
「どっちも、確かめてない。確かめられないまま、決めるしかねえ」
俺は、テーブルの上の胚珠を、もう一度見た。
売れば、5日分の余裕ができる。焦らずに済む。ソラさんの言うとおりだ。
売らなければ、剣が1本強くなる。狩りが少し速くなるかもしれない。でも、それがどれだけのものかは、誰にもわからない。
どちらを選んでも、何かを捨てることになる。
一昨日、北の斜面の下で「戻ります」と言ったときと、同じだった。
あのとき、俺は残りの3人を探すことを捨てて、ここにいる全員が生きて戻ることを選んだ。それが正しかったのか、今でもわからない。ただ、その選択を決めたのは俺で、それを引き受けるのも俺だった。
「……決めます」
自分の声が、思ったより落ち着いていた。
「売りません。この1本は、ナナに持ってもらいたいです」
ナナが、目を丸くしたまま固まった。
「……え。わ、私!?」
「うん」
「え、そんなことないですよ! 私、まだ前に出られないし!」
「出なくていいんです」
俺は、言葉を選びながら続けた。
「一昨日の斜面で、群れがコタの声のほうに向きを変えたとき、最初に気づいたのはナナでした。昨日、ハルさんが2匹に挟まれかけたときも、一番先に声を出したのはナナでした。後ろから全体が見えてる人が、一撃で決められる剣を持ってれば、前の人が削られる時間が短くなる。……俺はそう思いました」
そこで、ハルさんが初めて口を挟んだ。
「私も、そう思う」
ナナが、ぱっとそっちを見た。
「昨日のあれ、私より先に見えてたよ。本当に」
それから、俺はソラさんのほうを向いた。
「ソラさんの言ってることも、正しいと思います。だから、盾は今ある金で直しましょう。500コル使っても、しばらくはもちます」
ソラさんが、黙って俺を見た。
「5日後の16日目に、もう一回みんなで話させてください。それまでナナに使ってもらって、稼ぎが変わらなかったら、そのときは、俺も売るほうに手を挙げます」
長い沈黙があった。
やがて、ソラさんが小さくうなずいた。
「……16日目な」
ダイチは腕を組んだまま、長く唸った。
「……わかったよ。むかつくけど、わかった」
「なんでむかつくんですか」
「筋が通ってるからだよ。年上としては、複雑なんだよ、そういうのは」
ナナは、まだ耳まで赤くしたまま、胚珠を見つめていた。何か言い返そうとして、結局、何も言わなかった。
その足で、村外れの家へ行った。
夜の村は静かだった。窓から漏れる明かりの中で、母親のNPCが薬を煎じている。鍋から立ちのぼる湯気が、青白く光っていた。
母親が、奥の部屋へ薬を運んでいく。
しばらくして、あの湿った咳が、止まった。
6日目の昼、俺たちがこの家を初めて訪ねたときから、ずっと聞こえていた咳だった。
母親が戻ってきて、壁から長剣を外した。深く頭を下げて、それをナナの前に差し出す。
ナナは、両手でそれを受け取った。
「わ。……重い」
「持てるか」
ソラさんが聞く。
「持てる。持てるけど、なんか、ずっしりしてる」
ナナは剣を胸に抱えたまま、しばらく動かなかった。
村の外で一度だけ振ってみると、風を切る音が、スモールソードとは明らかに違った。
「うわ、いい音!」
コタが跳ねる。
「ナナさん、それ、強い人の音です」
「ちょっと、こわ……いや、こわいっていうか」
ナナは剣を持ち直して、首をかしげた。
「なんか、責任が増えた感じ」
その言い方が妙に大人びていて、俺は少しだけ笑ってしまった。
村へ戻ると、入口のところに人が集まっていた。
はじまりの街から来たプレイヤーが、黒鉄宮の石碑の話を配って回っている。あの宮殿には全プレイヤーの名前が刻まれていて、死んだ者の名前には横線が引かれる。
新しく線が引かれた名前を、書き写してきたのだという。
コタが、人垣をかき分けて走っていった。
紙を受け取ると、ポケットから自分のメモを取り出した。9日目の朝、井戸のところで書き写した、3つの名前のメモだ。
紙とメモを、交互に見る。
1つ目の名前。
2つ目の名前。
3つ目の名前。
コタの指が、紙の上で止まった。
そのまま、動かなかった。
「……ありました」
声が、ひどく平らだった。
「3人とも。線、引かれてます」
俺は、何も言えなかった。
3人のうち1人の名前が消えたのを、俺は一昨日、北の斜面の下で知っていた。戻ると決めたのは、俺だった。
コタは紙を持ち主に返して、頭を下げた。それから、いつも座っている入口の石のところへ戻り、そこに腰を下ろした。膝の上にメモを置いて、しばらく、その3つの名前を見ていた。
泣いてはいなかった。顔を見たこともない人たちだ。泣くほどのことだと、コタ自身が思っていないようだった。
ただ、じっと、名前を見ていた。
ダイチが、何も言わずに隣へ腰を下ろした。ナナが新しい剣を抱えたまま、反対側に座った。ソラさんは少し離れたところに立ち、ケンは冊子を閉じて、脇に抱えたまま動かなかった。ハルさんは、そのさらに後ろで、足を止めていた。
しばらくして、コタが顔を上げた。
「あの人たち、たぶん、頑張ったと思うんです」
「うん」
「3日ですよ。3日も、どこかで逃げ回ってたってことですよね。夜の森で。すごいですよね」
「すごいな」
「すごいのに、なんで」
コタは、メモの上の名前を、指でなぞった。
「なんで、死ぬんですか」
その声は、泣き声じゃなかった。わからないことを、わからないまま聞いている声だった。
答えられなかった。
答えられないまま、俺はコタの背中に手を置いた。それくらいしか、思いつかなかった。
コタの膝の上のメモが、夜風で一度だけめくれた。3つの名前が、月明かりに白く浮かんで、また伏せられた。
その夜、ナナは新しい剣を抱えたまま、宿の椅子に座っていた。
「ねえ、カイくん」
「うん」
「私、今日これをもらって、ちょっと嬉しかったんだよ」
「うん」
「でも、コタが石のとこに座ってたときも、私、これ持ってた。ずっと、手に」
ナナは、膝の上の剣を見下ろした。
「なんか、それが、ずっと気持ち悪い」
俺は、しばらく考えてから答えた。
「たぶん、それでいいんだと思う」
「え」
「嬉しかったのも、気持ち悪いのも、どっちも本当だから。どっちかだけにしたら、たぶん嘘になる」
ナナは何も言わずに、剣の柄を両手で握り直した。
外では、ケンが掲示板に新しい紙を貼っていた。
《Day8日暮れ 森の東の縁で、昼より明らかに多く湧いていたのを確認(ハル・自分で見た・約20分)。森の奥・正確な数は未確認》
《Day9昼 北の斜面、昼でも湧き多数。登り口未発見(捜索に同行した者の話・記録:Ken)》
《Day8夜の夜狩り 6名のうち3名の死亡を石碑の写しで確認(記録:Ken・Day11)》
名前と、日付と、自分で見たのかどうかが入っていた。
貼り終えたケンは、しばらくその紙の前から動かなかった。それから、冊子の別のページを開いて、何かを書き足した。
俺には、その中身は見えなかった。