天空城の旅人   作:壊緑茶

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夜の素振り

11日目の夜、村外れの家から戻ったあとで、ダイチが酒場のテーブルを指で叩いた。

 

「明日と明後日は、狩りは休みだ」

 

「ほんとですか!?」

 

コタが入口の石から戻ってきたばかりで、テーブルの上には、まだ誰も手をつけていないパンが並んでいた。

 

「ほんとだ。休むっつっても、宿でごろごろしてろって意味じゃねえぞ。好きにしていい。自由行動だ。ただし村の外に出るなら、2人以上で装備も持ってけ。休みの日に死んだら、洒落にならねえからな」

 

「村の中なら、1人で何してもいいんですか?」

 

コタが聞くと、ダイチは少し考えてから、「圏内ならな」と言った。

 

「走り回って井戸に落ちたら知らねえけど」

 

「落ちませんし、走り回りません」

 

ソラさんが、そこで口を開いた。

 

「……じゃあ俺は明日の朝、始まりの街へ行ってくる。盾を、向こうの鍛冶屋で見てもらいたい。こっちの親方は、大盾は得意じゃないって言ってた」

 

「私も行く」

 

ナナが、ほとんど間を置かずに言った。

 

「ちょっと、街を見たいの」

 

「泊まりになるよ。修理、1日じゃ終わらないかもしれないし」

 

「いいよ。泊まる」

 

ダイチが、頭を掻いた。

 

「そうか、分かった。ただ宿に泊まっていけ。教会に転がり込むのはなしだ。あそこはもう、子どもでいっぱいだって聞いた」

 

翌朝、目が覚めたとき、宿の窓から入ってくる光がいつもより高かった。

 

寝過ごした、と思って体を起こしかけてから、今日は森へ行かなくていい日だったことを思い出した。起こしかけた上半身をどこへ持っていけばいいのかわからず、しばらく寝台の端に座ったままでいた。

 

ソラさんとナナの寝台は、もう空だった。毛布が、片方はきちんと四角く畳まれていて、もう片方は、畳んだあとで一度崩れたような形をしている。どっちがどっちのものかは、見ればわかった。

 

コタは布団を蹴飛ばして、まだ大の字で寝ていた。ダイチは窓際の椅子で腕を組んだまま、首を前に落としている。ケンの寝台は空で、いつもの冊子もなかった。

 

この11日間、目が覚めると、まず今日どこで何を狩るかを考えていた。考えようとしなくても、頭のほうが勝手にそれを始めていた。どの区画が空いているか。ポーションは何本残っているか。日が外周の柱にかかるのは何時ごろか。今朝は、その1つ目が、どこにもなかった。いつも同じ場所に手を伸ばして、何もない空中を掴んだ感じがした。

 

宿を出ると、村は思っていたより静かだった。

 

いつもなら、朝のうちに森へ向かう人の流れがある。今日はそれが細い。トガの順番制が始まってから、夜明け前に場所取りに走る人がいなくなったのだと、少し遅れて気づいた。

 

井戸端で、NPCの女の人が洗濯をしていた。桶から顔を上げて、「おはよう」と言った。

 

この村に来て1週間近く、毎朝この井戸の前を通っていた。それなのに、この人に声をかけられた覚えがなかった。声をかけられていなかったのか、俺が聞いていなかったのか、どちらなのかわからなかった。たぶん後者だ。俺にとってこの村は、宿と森のあいだにある通り道で、この井戸は、その途中にある石の囲いでしかなかった。

 

「……おはようございます」

 

返事をしてから、少し歩いて、振り返った。女の人はもう桶のほうを向いていた。

 

鍛冶屋の前で、足が止まった。

 

腰のスモールソードに手をやる。抜いて、刃を朝の光にかざしてみた。刃の3分の1ほどが、白く濁っている。濁りの境目は、思っていたよりはっきりしていた。

 

こうやってまじまじと刃を見たのは、たぶん初めてだった。この剣を見るのは、いつもソードスキルで光っているときか、敵に向けているときだけだった。

 

店に入ると、親方のNPCが炉の前で槌を振っていた。俺が剣を差し出すと、刃をかざして、ふん、と鼻を鳴らした。

 

「修理するかい。150コルだ」

 

「お願いします」

 

所持金の表示から、150が引かれた。昨日の夜、酒場の隅で、ナナの剣をすぐには売らずに16日目にもう一度みんなで決め直すことにしたとき、頭の中でした計算を、思い出した。

 

修理の終わった剣を受け取ってから、少し迷って、もう一度口を開いた。

 

「手入れのやり方、教えてもらえますか。…長持ちするように」

 

親方は手を止めて、俺を見た。

 

棚から、小さな灰色の石を取って、カウンターに置く。

 

「砥石だ。30コル」

 

払うと、親方は店の隅の台を顎で示した。

 

「刃を寝かせて、根元から先へ。力は要らん。音を聞け」

 

言われたとおりに、修理したばかりの刃に砥石を当ててみる。しゃっ、という乾いた音がした。2回、3回。途中で角度がずれて、ぎっ、と嫌な音が混じる。親方は炉のほうを向いたまま、「寝かせろ」とだけ言った。

 

もう一度、寝かせる。しゃっ。今度は、音がまっすぐ抜けた。

 

「毎晩、寝る前に10回。それで長持ちする」

 

「10回だけですか」

 

「毎晩だ」

 

店を出て、手の中の砥石を見た。小さくて、軽くて、どこにでも転がっていそうな石だった。毎晩、と親方は言った。つまりこの石は、今夜と、明日の夜と、その次の夜のための道具だった。そういう買い物をしたのは、この世界に来て初めてな気がした。

 

酒場に入ると、隅のテーブルでケンが紙を何枚も並べていた。

 

「休みなのに、何書いてるんですか」

 

「休みだから書いてんだよ。溜まってた分」

 

ケンは、掲示板から写してきたらしい紙を1枚、指で押さえた。

 

「これ、一昨日の夕方に貼られてたやつ。書いたのは、北から戻ってきた2人組だ。俺は直接話してない。貼ってあるのを写しただけ」

 

ケンは、そう前置きしてから読み上げた。

 

「ネペントの森の北の端に、洞窟がある。抜けると、崖の上に出て、その先に《トールバーナ》って町がある。迷宮区に一番近い町だってさ。洞窟の中で2回道を間違えて戻った、出てくるのはネペントじゃなくて虫系、って書いてある」

 

「……抜けられるんですね。洞窟」

 

「その2人組は、抜けたって言ってる。もっと前線のやつらだ。装備も、レベルも、たぶん俺らよりだいぶ上だと思う」

 

ケンは紙を裏返して、端のほうに自分の字で書き足した一行を見せた。

 

《Day10貼り出し/伝聞/書いた本人未確認》

 

「今の俺らじゃ、洞窟の入口で引き返すのが関の山だなぁ」

 

「……ですね」

 

「そういえば洞窟、レベルはどんぐらい必要なんですかね?」

 

「レベルまでは知らねえが、8ぐらいは必要なんじゃないか」

 

そう返しながら、俺はその紙から目が離せなかった。

 

ケンが、ちらっと俺を見た。

 

「お前、今日はよく聞くな」

 

「そうですか」

 

「いつもは、どこに何が出るかしか聞かねえだろ」

 

言われて、そうかもしれないと思った。

 

酒場の反対側の隅には、見慣れないNPCが座り込んでいた。旅装で、膝の上に帳面を広げたまま、ため息ばかりついている。

 

「東へ抜ける道が、どうにも通れなくてねえ」

 

誰に言うでもない声だった。

 

「あの人、昨日からあそこにいる」

 

ケンが、声を落とした。

 

「東の街道がおかしいって話は、ほかにも2件聞いた。どっちも、人から聞いた話の又聞き。俺は見てない」

 

外へ出ると、酒場の脇に荷馬車が1台止まっていた。車輪に乾いた泥がこびりついたまま、馬は繋がれて、首を垂れて草を食んでいる。

 

しばらく、それを見ていた。

 

午後は、コタに引っぱり回されて終わった。

 

「お兄さん、村の裏、行ったことありますか」

 

「ないけど」

 

「行きましょう。村の中だから、1人でもいいけど、2人のほうが楽しいです」

 

コタは村じゅうの細い道を、全部歩きたがった。牛小屋を覗いて、NPCのおじいさんに干し芋をもらって、それを半分に割って俺にくれた。干し芋は、少し土の味がした。

 

井戸の前に来ると、コタは縁から身を乗り出した。

 

「おーい」

 

井戸の底から、おーい、と返ってくる。

 

「すげえ。お兄さん、聞きました?」

 

「聞いた」

 

「ダイチのバーカ」

 

バーカ、と返ってくる。

 

2階の窓が、勢いよく開いた。

 

「聞こえてんぞ!」

 

コタは叫び声を上げて逃げ出した。俺も、なぜか一緒に走っていた。宿の角を曲がったところで、コタが息を切らして振り返り、俺の顔を見て噴き出した。

 

「お兄さん、なんで一緒に逃げてるんですか」

 

言われるまで、自分が笑いながら走っていたことに気づかなかった。疲れていたのかもしれない。

 

その夜、寝る前に、俺は砥石を取り出して刃に当てた。

 

しゃっ、しゃっ。

 

隣の寝台で、コタが寝返りを打つ。

 

「……お兄さん、それ何の音ですか」

 

「剣の手入れ。鍛冶屋の親方に教わった」

 

「毎晩やるんですか」

 

「毎晩だって、10回」

 

「10回だけ?」

 

「毎晩」

 

コタは、その答えで満足したように、すぐにまた寝息を立てはじめた。

 

10回当て終えて、剣を鞘に戻した。

 

横になって、天井を見た。

 

今日、俺は、この剣が1週間後もちゃんと切れるように、石を1つ買った。ケンの紙に書いてあった、洞窟の先の町のことを、何度も聞き返した。酒場の脇で止まったままの荷馬車を、しばらく見ていた。

 

枕元の砥石に、手を伸ばして触った。明日の夜も、その次の夜も、これを使う。

 

その次の夜のことを考えながら目を閉じるのは、この世界に来て初めてだった。

 

翌朝、俺はダイチに声をかけた。

 

「北の丘まで、付き合ってもらえませんか」

 

「丘?」

 

「村の北の柵を出て、ちょっと登ったとこです。見たいものがあって」

 

ダイチは露骨に面倒くさそうな顔をしてから、壁に立てかけてあった丸盾を背負った。

 

「装備持ってけって言ったの、俺だしな」

 

丘は、北の柵を出て5分ほど登ったところにあった。フレンジーボアが1頭、遠くで草を食んでいるくらいで、ほかに気配はない。

 

頂上に着いて、北を見た。

 

ネペントの森の暗い緑が、足元から遠くまで広がっている。その向こうに、崖のような段差が横一文字に走っていて、さらにその奥に、霞んだ白い影が立っていた。雲に紛れて、上のほうは見えない。

 

迷宮区の塔だった。

 

「……ああ、あれか」

 

ダイチが、目の上に手をかざした。

 

「2日目に、西の草原から初めて見たんです。そのときは、何かわかんなかったけど」

 

「そんで、休みの日にわざわざ見に来たのか」

 

「はい」

 

ダイチは、しばらく黙って塔を見ていた。

 

「俺が昔いた会社な、駅から見えるとこに、でかいビルが建ってたんだよ。50階とか、そんくらいの。あれを見ている気分で最悪だ」

 

ダイチは、目の上の手を下ろした。

 

「毎朝、あれ見上げながら改札出てさ。あの上のほうで、俺より稼いでるやつらが働いてんだろうなって思うわけ。思うだけで、別に行きてえとは思わなかったけどな。エレベーター乗ったら、耳がキーンてなるらしいし」

 

「……それ、関係あるんですか」

 

「ねえよ。思い出しただけだ」

 

ダイチは、自分で言って、少しだけ笑った。

 

「あれも、そういう感じだな。上のほうに誰かいて、俺はここから見てる。……で、お前は?」

 

少し迷ってから、答えた。

 

「行ってみたいです。中がどうなってるのか。その先の町とか。上の層に上がったら、何が見えるのか」

 

ダイチは、俺の顔を見た。何か言うかと思ったが、何も言わなかった。

 

かわりに、俺の腰の剣を、顎でしゃくった。

 

「行くなら、まずそれだな。さすがにスモールソードで塔は登れねえだろ」

 

「……はい」

 

「俺は、見てるだけでいいわ。腰が痛くなる」

 

 

ソラさんとナナが帰ってきたのは、13日目の日が沈むころだった。

 

ソラさんの大盾は、表面のひびがきれいに消えていた。

 

「どうだった、街」

 

ダイチが聞くと、ソラさんは盾を壁に立てかけてから、少し考えた。

 

「……修理に500。宿が、2人で100。あとは、パンくらいだ」

 

「金の話は聞いてねえよ」

 

「聞かれると思った」

 

ダイチは所持金の欄を開いて、何かを確かめるように数字を眺めてから、閉じた。

 

「休みってのも、タダじゃねえな」

 

夕飯のあいだ、ナナはいつもより口数が少なかった。スープの皿を、スプーンでゆっくり混ぜ続けている。

 

コタが、パンを片手に身を乗り出した。

 

「ナナさん、街で何してたんですか」

 

「えっと……いろいろ。お店見たりとか」

 

「教会、行きました? 初日に泊まったとこ」

 

「行ったよ。子どもがいっぱいいた。私くらいの子も」

 

「ナナさんはなんか話したんですか?」

 

「ちょっとだけ」

 

ナナは、スプーンを置いた。

 

「みんな、街から出てないんだって。外、怖いからって。……私が剣持ってるの見て、びっくりしてた」

 

そこでナナは笑う。けれど、その笑い方は、スープの皿のほうを向いたままだった。

 

ソラさんが、一瞬だけ妹の横顔を見た。それから、パンをちぎった。

 

その夜、俺はなかなか眠れなかった。

 

怖くて眠れないのとは、違った。目を閉じると、昼間丘の上から見た白い影が浮かんだ。ケンの紙に書いてあった、洞窟の先の町の名前。酒場の脇で首を垂れていた、荷馬車の馬。この二日で見聞きしたものが、頭の中で勝手に並び替わって、どこか1つの方向を向こうとしていた。

 

天井を見ていても、どうにもならなかった。音を立てないように、寝台を降りた。

 

外は思ったよりも明るく、月が高い。ホルンカの十数軒の屋根が、青白く光っている。酒場の明かりはとっくに消えていて、聞こえるのは、井戸の水が滴る音と、遠くの森の葉擦れくらいだった。

 

その中に、別の音が混ざっていた。

 

ひゅっ、と空気を裂く音。少し間があって、また、ひゅっ。

 

宿の裏手からだった。

 

角を曲がると、畑と宿のあいだの狭い空き地に、ナナが立っていた。

 

両手でアニールブレードを握っている。構えて、振り下ろして、また構える。刀身がときどき淡い水色に光りかけて、光りきる前にふっと消えた。

 

ソードスキルが、途中で止まっているのだ。

 

ナナは小さく息を吐いて、構え直した。肩が上がっている。剣先が、わずかに下がっている。

 

ひゅっ。光りかけて、消える。

 

「……っ、もう」

 

剣を下ろしたナナが、額に手を当てて顔を上げた。

 

目が合った。

 

ナナの動きが、完全に止まった。

 

「……見てた?」

 

「3回前くらいから」

 

「最悪」

 

ナナは剣を背中に隠そうとして、アニールブレードの長さに気づいて、やめた。耳が赤くなっている。

 

「寝てると思ってた。みんな」

 

「寝れんかった」

 

ナナは少しだけ表情をゆるめて、井戸の縁に剣を立てかけ、その横に腰を下ろした。俺も、少し離れたところに座った。

 

立てかけられた剣の刃が、月の光を受けていた。根元のほうが、うっすらと曇っている。

 

「街でも、振ってた?」

 

ナナが、ぱっとこっちを見た。

 

「……なんでわかるの」

 

「刃、曇ってる。もらって2日で、それは振ってないとならないでしょ」

 

ナナは剣のほうを見て、それから、観念したように膝を抱えた。

 

「教会の裏で。朝、お兄ちゃんが起きる前に、ちょっとだけ」

 

「ちょっとだけ?」

 

「……ちょっとじゃないかも」

 

「すごいな」

 

俺は腰のポーチから、灰色の石を取り出した。

 

「それ、何?」

 

「砥石。昨日、鍛冶屋の親方に教わった。ちょっとだけ、見てて」

 

ナナの剣を膝に乗せて、刃を寝かせる。根元から先へ。しゃっ、と乾いた音が、夜の空き地に抜けた。

 

2回目で角度がずれて、ぎっ、と嫌な音が混じった。

 

「今の、大丈夫な音?」

 

「……たぶん、大丈夫じゃない音」

 

「人の剣で、それやめてよ」

 

「だから、ちょっとだけって言った」

 

俺は刃から砥石を離して、ナナに差し出した。

 

「刃を寝かせて、根元から先へ。力は要らないって。音を聞けって言われた。……俺も、昨日教わったばっかりだから、それ以上はわかんない」

 

「なのに、さっきまで親方みたいな顔してたよね」

 

「してない」

 

「してた」

 

ナナは砥石を受け取って、剣を膝に乗せた。最初の1回は、刃を立てすぎていた。ぎっ、と、さっきの俺と同じ音がした。

 

ナナが顔をしかめる。何も言わずに、刃をほんの少しだけ寝かせ直した。

 

しゃっ。

 

今度は、音がまっすぐ抜けた。ナナが、ちらっと俺を見た。

 

「今の、いい音?」

 

「いい音」

 

ナナは、口の中で数を数えながら、残りを研いだ。途中で1回だけ、また嫌な音がして、そのたびに刃の角度を直していた。

 

10回目を終えて、ナナは刃を月にかざした。根元のあたりを、じっと見る。

 

「……ちょっと、明るくなった気がする」

 

「気のせいかもしれない」

 

「気のせいでもいい。自分でやったから」

 

ナナは砥石を、少しのあいだ手の中で転がしてから、俺に返した。

 

「私も、明日買う。自分の。教えてくれてありがとう」

 

ナナは剣を膝に乗せたまま、しばらく黙って、その柄の革巻きを指でなぞっていた。何か言いかけては、やめる。それを2回繰り返してから、ようやく口を開いた。

 

「今日、…教会でなんかあったの」

 

「分かっちゃった?笑」

 

「教会にね、私と同い年くらいの子が2人いたの。女の子。ずっと街にいて、小さい子たちの面倒見てるんだって。外に出たことは、初日から一回もないって」

 

「うん」

 

「すごい、ちゃんとしてたの。ご飯の配り方とか、寝る場所の決め方とか。私より、ずっと」

 

ナナは、剣の柄を握り直した。

 

「それでね、話してたら、その子たちに言われたの。ここにいなよって。外、危ないでしょって。1人くらい増えても、なんとかなるよって」

 

「それで」

 

月明かりの中で、ナナの横顔が少しだけ硬くなった。

 

「私、ちょっとだけ、いいなって思ったの。本当に。ここにいたら、もう森に行かなくていいんだって。……それで、次の日の朝、教会の裏で、これ振ってたの」

 

ナナは、膝の上の剣を見下ろした。

 

「誰にも言われてないのに。お兄ちゃんも寝てたし、16日のためって思おうとしたけど、たぶん違う。振りたかったの。休みの日なのに、あの子たちに、ここにいなよって言われた次の日なのに」

 

「つらいんだ」

 

「それもあるけど、一昨日、この剣もらったとき、嬉しいのと気持ち悪いのと両方って言ったでしょ。あれから2日経ったのに、まだ振りたいの。気持ち悪いのが消えたわけじゃないのに。……自分で選んで、振ってるの。それが、よくわかんない」

 

俺は、すぐには答えなかった。

 

昼間の丘で、ダイチと並んで塔を見たことを思い出していた。

 

「……今日、北の丘に行ったんだ。ダイチさんと」

 

ナナが、こっちを見た。

 

「迷宮区の塔が見えた。ダイチさんには、中がどうなってるのか見に行きたいって言ったんだ」

 

「ダイチさん、何て?」

 

「まず、その剣だなって。俺のスモールソードを見て」

 

「言いそう」

 

ナナは少し笑ったが、俺が続きを話すのを待っていた。

 

「モッチさんが死んで、夜狩りの人たちも死んだだろ。コタは入口の石で、あの3つの名前を見てた。それでも俺は、塔の中を見たいと思った。昼間はダイチさんにも、そこまでは言わなかったけど」

 

ナナは膝の上の剣の柄を、親指でゆっくりなぞっていた。

 

「……ねえ。カイくんが塔へ行くとき、コタはどうするの?」

 

問いの意味を考えるのに、少し時間がかかった。

 

「コタ、カイくんが行くって聞いたら、きっと『俺も行きます』って言うよ。ダイチさんは?」

 

「俺は見てるだけでいいって言ってた」

 

「そっか。でも、カイくんが一人で行くって聞いたら、放っておけるかな。私も、そのときどこにいるかわかんないけど、塔を見てみたいとは思う」

 

俺は昼間、自分の剣を見下ろしていた。ダイチに言われたとおり、塔へ行くにはまず装備を整えなきゃならない。道だって知らない。そのことは考えた。

 

一緒に行く人がいるかもしれないことは、考えていなかった。

 

「……コタのこと、考えてなかった」

 

「私も、今思いついたんだけどね」

 

ナナは剣の柄から指を離した。

 

「行きたいって言うのを、やめてほしいわけじゃないよ。ただ、行くって決めるときは聞いてほしい。コタにも。私にも」

 

「うん」

 

今すぐ行くと決めたわけではない。けれど、ナナに聞かれるまで、俺は塔までの道を一人で眺めていたのだと思った。

 

膝の上の剣に、ナナが自分で砥石を当てた跡があった。

 

「……16日さ」

 

「うん?」

 

「稼ぎがどうだったかだけじゃなくて、ナナがこの剣をどうしたいかも聞く」

 

ナナが顔を上げた。

 

「今聞かれたら、振りたいって言うに決まってるよ」

 

「今じゃなくて、16日に。あと3日、使ってみてから」

 

「……3日で、気が変わると思う?」

 

「わからない。だから、そのとき聞くわ」

 

ナナは剣を見下ろし、柄を両手で握り直す。

 

「じゃあ、16日にちゃんと答えるね」

 

ナナは立ち上がり、空き地の真ん中へ歩いていった。

 

「もうちょっとだけ、やってく」

 

「まだやるの」

 

「あと10回。そしたら寝る。手入れも、自分でしたしね」

 

ナナは空き地の真ん中に立って、剣を構えた。

 

肩が、さっきより少しだけ下がっていた。剣先は、まだ少し揺れている。

 

ひゅっ。

 

刀身に水色が走って、今度は、途中で消えなかった。斜めに振り抜かれた光が、月明かりの中に一本の線を引いた。

 

ナナは、振り抜いた格好のまま、しばらく動かなかった。

 

「……できた」

 

「できたな」

 

ナナは振り返って、ものすごく嬉しそうな顔をした。それから、慌ててその顔を引っ込めて、真面目な顔を作った。

 

「今の、めっちゃ楽しかったのは、内緒ね」

 

「言わないよ」

 

「絶対だよ。お兄ちゃんにも、コタにも」

 

「絶対」

 

ナナは、また剣を構えた。残り9回。

 

ひゅっ。今度は、光りかけて、途中で消えた。

 

「……あれ」

 

ナナが、剣先を見下ろす。

 

「さっきのは、たまたまか」

 

「たぶん、半分はたまたま」

 

「ひど」

 

ナナは少しだけ笑って、また構えた。肩を下げて、剣先を上げて、息を吐いて。

 

残り8回。

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