人の流れの間を抜け、前を行く背中との距離を詰める。
「狐坂先輩」
その足が止まった。
振り返るより先に、片手が銃床へ掛かる。
そのまま、鋭くこちらへ向き直った。
腰まで流れる黒髪と、大きな狐耳。
赤と黒を重ねた和服の肩に、長銃が掛けられている。
切り揃えられた前髪の下で、赤い瞳が細くなった。
視線が胸元に当たり、上がる。
白い頭巾まで届いたところで、銃床を握る指の力が、わずかに緩んだ。
「……ヤヒロ?」
目が、わずかに開く。
「はい。お久しぶりです、狐坂先輩」
数度瞬いてから、ワカモは長銃から手を離した。
張り詰めていた口元が、ゆっくりとほどける。
「まあ。私に声をかける方がいるとは思いませんでした。ヤヒロだったのですね」
二人の間を避け、通行人が行き交っていく。
途切れない話し声と足音が、二人の脇を流れていた。
「それにしても、ヤヒロをここで見かけるのは珍しいですね。何か用事でも?」
「学校で健康診断がありまして」
「そうでしたか。相変わらずお元気そうで」
ワカモの視線が、こちらの姿を上から下へとたどる。
話している間にも、軒先の明かりがひとつ、またひとつと灯っていく。通りの空気には、夕餉の匂いが混じり始めていた。
明かりの灯った通りに視線を巡らせ、それからワカモへ向き直る。
「狐坂先輩は、もう夕食をお済ませですか?」
「いいえ、まだですが……」
返事のあとに、短い間が空いた。
「でしたら、ご一緒にいかがですか。これから家で作るところです」
「私と、ですか?」
「はい」
ワカモが目を細める。
「……自分で言うのもあれですけれど、私と一緒にいれば、面倒に巻き込まれるかもしれませんよ?」
「夕食をご一緒するだけですから」
こちらを見たまま、ワカモの肩が小さく揺れた。
「ふふ」
口元に笑みを残したまま、一歩近づく。
「それでは……お言葉に甘えましょうか」
店の明かりが連なる通りを、二人で並んで歩き出す。
すれ違う生徒が、頭上の白い頭巾を見上げる。
そのまま二人の脇を通り過ぎていった。
隣を歩いていたワカモが、こちらを見る。
「ヤヒロ。また背が伸びましたか?」
「はい。今日、測ったところ、以前より二センチほど伸びていました」
ワカモは白い頭巾まで視線を上げ、わずかに息をついた。
「まあ。まだ伸びるのですね」
並んだ足音が、しばらく暮れゆく通りを進む。
「今も、あちこちを旅しているのですか?」
「はい。気の向くままに」
「そうですか。変わっていませんね」
*
店の並ぶ通りを抜けると、塀と庭木の続く一角へ出た。
通りに面した自宅の前で足を止め、玄関の鍵を開ける。
「……ただいま」
灯りのない家へ小さく告げ、廊下の明かりを点けた。
「どうぞ」
「お邪魔します」
ワカモが玄関を上がる。
先に立って居間まで進み、部屋の明かりを点け、食卓の椅子を一つ示す。
ワカモは、室内を静かに見回す。
壁際の棚。食卓と、その向こうの台所。
それらをひと通り確かめてから、案内した椅子のそばまで歩いてくる。
肩から負い革を外し、長銃をすぐ脇の壁へ立てかけた。
「それでは、しばしお待ちください」
「私も、何かお手伝いしましょうか?」
「ありがとうございます。ですが、今日はお客さんですから」
ワカモが椅子の背に手を添えたまま、こちらを見る。
「そうですか? では、待たせていただきますね」
椅子を引き、腰を下ろす。
そこは、手を伸ばせば壁際の銃床へ届く位置だった。
台所へ入り、エプロンを掛け、紐を後ろで結ぶ。
手を洗い、冷凍庫を開けた。
小分けにされた袋をいくつか取り出し、調理台へ並べる。
鍋を火に掛け、豚肉を軽く炒めた。
色が変わったところで、凍ったままの根菜とだしを加える。
鍋底から細かな泡が上がり始めたところで火を弱めた。
煮えるのを待つ間に、皮付きのふかし芋を器へ移す。
電子レンジに入れると、背後で椅子の引かれる音がした。
振り返る。
ワカモは食卓を離れ、台所の手前まで来ていた。
「何を作っているのですか?」
「親子丼と、ピリ辛の豆乳豚汁。それから、ポテト春巻きを作ろうかと」
「ポテト春巻き……?」
「はい。美味しいですよ」
電子レンジが短い音を鳴らした。
温めた芋をボウルへ移し、木べらで粗く潰す。
湯気とともに、芋の匂いが立ち上った。
チーズとミックスベジタブルを加え、混ぜる。
タネを手に取って細長くまとめ、大葉とベーコンで巻いた。
「相変わらず、変わったものを作りますね」
横から伸びた視線が、手元を追っている。
「そうでしょうか」
「ええ。ですが、ヤヒロの料理でしたら、味の心配はしていませんよ」
ベーコンの上から、春巻きの皮を巻く。
左右を折り込み、さらにひと巻き。
水で留めた端は下へ向けて、皿へ並べた。
油へ入れると、鍋の中で細かな音が弾ける。
熱した油の匂いが台所へ広がり、薄い皮が少しずつきつね色へ変わっていった。
泡の音が落ち着いたところで、油から引き上げる。
隣の鍋へ味噌と辛味を溶き、豆乳を注ぐ。
白く濁った汁が揺れ、縁が沸き立つ前に火を止めた。
炊飯器を開け、炊き上がったご飯を二つの器へよそう。
最後に、だしで煮た鶏肉と玉ねぎへ溶き卵を回しかける。
鍋の外側から黄色が固まり、中心に柔らかな艶が残った。
仕上がった具を、器のご飯へ滑らせた。
*
ワカモの前へ親子丼を置く。
向かいには、ひと回り大きな器。
親子丼の傍らに、豚汁の椀を一つずつ添える。
中央には春巻きの皿。
小さな取り皿と、茶を注いだ湯呑みも、それぞれの手元に並べた。
鶏肉を卵でとじた親子丼。
薄茶色の豚汁。
皿に並んだ、きつね色の春巻き。
見事に、茶色い食卓であった。
二人は席へ着き、向かい合って手を合わせる。
「いただきます」
二人の声が重なった。
ワカモの箸は、中央の皿へ伸びた。
春巻きを一つ、自分の取り皿へ移す。
改めて箸で持ち上げ、口元へ運んだ。
薄い皮が、軽い音を立てた。
かじった切り口から、溶けたチーズと芋、ミックスベジタブル、大葉の色が覗く。
狐耳が、ぴくりと動いた。
もうひと口。
残りを飲み込み、目元が、はっきりと緩んだ。
「……やはり、味の心配は要りませんでしたね」
続いて豚汁へ口をつけ、親子丼へ箸を移す。
向かいで箸が進むのを見て、こちらも大きな器を持ち上げる。
卵と鶏肉を口へ運び、春巻きを一つ取った。
「以前より、腕を上げましたか?」
「腕の方は分かりませんが、料理の引き出しは増えました。旅先で、いろいろ食べましたので」
「なるほど」
取り皿へ、二つ目の春巻きを取る。
箸で持ち上げ、ひと口かじった。
薄い皮を噛む間も、口元の笑みは消えない。
「狐坂先輩。何か、よいことでもありましたか?」
ワカモは一度、目を瞬かせると、残りを取り皿へ戻し、口の中のものを飲み込む。
「……そう見えますか?」
「はい。以前お会いした時より、楽しそうでしたので」
少しの間、こちらの顔を見上げる。
「実は先日、とても素敵な方にお会いしたのです」
声の調子は、先ほどまでと変わらない。
「シャーレの先生、という方でして」
「先生、ですか」
「ええ」
「ほんのひと目、お顔を拝見しただけなのですけれど……不思議ですね。それまで何をしていたのかも、どうでもよくなってしまって」
言葉の終わりに、頬がわずかに緩む。
「あまりに突然のことでしたから、何も考えられず、その時はろくにお話もできないまま、その場を離れてしまいました」
親子丼へ伸びかけた箸が、途中で止まった。
「ですが、あの方の眼差しだけは、今でもはっきり覚えています。とても穏やかで、優しくて……」
ふと、顔を上げた。
「私には、眩しく見えたのです」
揃っていた箸先が、少しずつ下がる。
上体が、食卓越しにこちらへ近づいた。
「まだ、何も知らないのですよ。どのようなお考えをお持ちなのかも、何がお好きなのかも。けれど、お会いした瞬間に分かりました」
その笑みが、深くなる。
「ああ、この方が、私の運命の方なのだと」
その笑みのまま、赤い瞳がこちらを射貫く。
「……ヤヒロも、先生に興味がおありですか?」
「はい。狐坂先輩が、これほど楽しそうに話すのは珍しいですから。どのような方なのか、少し気になります」
一瞬だけ、目を細める。
「……少し、ですか?」
「はい」
細められていた赤い瞳が、わずかに瞬いた。
「……そうですか」
箸を置き、湯呑みを持ち上げる。
お茶をひと口飲み、静かに食卓へ戻した。
「次にお会いできたなら、今度こそきちんとお話ししたいのです。先生のことを、もっと知りたい。私のことも、知っていただきたい。まずは何からお話しすればよいでしょう。先日のことをお詫びして、それから――」
ワカモの前で、親子丼はほとんど減っていなかった。
豚汁の椀から立つ湯気も、細くなっている。
「狐坂先輩」
「はい?」
「冷めてしまいますよ」
目を瞬かせる。
手元へ視線を落とし、椀を持ち上げる。
ひと口飲むと、短く息が漏れた。
椀を置き、箸を取り直す。
「それで、次にお会いした時なのですが」
卵へ箸が触れるより先に、顔が上がった。
こちらも食事を続けながら、その話に耳を傾けた。
時折、思い出したように箸を動かす。
親子丼をひと口。豚汁をひと口。
その合間を縫って、先生へ伝えたい言葉が増えていった。
やがて、声が途切れる。
自分の器へ目を落とし、それから、こちらを見る。
もう一度、食卓を見回した。
口元に片手を添えると、狐耳がわずかに伏せられた。
「……すみません。私ばかり話してしまいましたね」
「いいえ」
椀を置き、向かいへ目を向ける。
「とても楽しそうでしたから」
ワカモの手が、口元で止まる。
「狐坂先輩にとって、大切な方なのですね」
ゆっくりと、目を細めた。
「……ええ」
添えていた手を下ろし、静かに笑う。
「とても」
*
食卓から、最後の春巻きがなくなった。
ワカモは箸を置き、手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
空になった器を見てから、こちらへ顔を上げた。
「悪くない時間でした。お料理も、お話も」
「それは、よかったです」
壁際の長銃へ目を向け、椅子を引き、立ち上がる。
「次にお会いした時にも、何かお作りします」
ワカモは長銃を取り、負い革を肩へ掛けながら振り返った。
「ええ。その時を楽しみにしていますね」
玄関まで送る。
扉の前で、ワカモが足を止めた。
狐耳が、外へ向いた。
扉を細く開け、隙間から夜道を確かめて表情を引き締める。
「それでは」
冷えた空気の中へ出ていく。
そのあとを追い、玄関先へ出た。
通りを数歩進む。
「狐坂先輩」
その足が止まった。
長銃へ手を伸ばすことなく、静かに振り返る。
「お気をつけて」
引き締まっていた口元が、わずかに緩む。
「ええ。またお会いしましょう、ヤヒロ」
黒髪と赤い装いが、夜の通りへ遠ざかっていった。
家へ戻り、扉の鍵を掛ける。
炊飯器に残ったご飯を、一食分ずつに分けて包む。
湯気のこもる包みを、調理台の端へ並べた。
最後の椀を洗い、水切り籠へ伏せる。
二人分の器から、水滴が落ちている。
向かいの席は、もう空いていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回はワカモが登場しました。
ワカモ、原作では割と過去とかの謎が多いですよね。
今回は、仮に過去が明かされても影響がなさそうな範囲で想像を膨らませてみました。
楽しんでいただけていたら嬉しいです。
ちなみに、今回出た3品の料理は私が好きでちょくちょく作る料理だったりします。
ピリ辛豆乳豚汁とポテト春巻き、雰囲気で雑に作れる割にしっかり美味しいのでぜひ作ってみてください。
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生徒紹介はこちら
生徒紹介『八十八夜ヤヒロ(ちゃつみ・ヤヒロ)』(第捌話時点)
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=346620&uid=525145
ほかにも活動報告で、作品に関する作者メモやAIの利用方針などを掲載しています。興味がありましたら、そちらも読んでみてください。
追伸
IPAの応用情報、A試験受かりました!
次はB試験、頑張ります!