戸の閉まる音に、通りのざわめきが重なった。
ヤヒロは店先で鞄を持ち直すと、駐車場へ足を向ける。
停めていたバイクに手を伸ばし、日の温もりに驚いて手を引いた。
荷物を載せ、ベルトを締める。
車体に跨がってキーを回すと、低い振動が手のひらへ伝わった。
通りを渡る人が途切れるのを待ち、ゆっくりと走り出す。
ミラーの中で、藍色の暖簾が揺れた。
*
久々に走る故郷の道。
以前と変わらぬ街並みに、安堵を覚えた。
店の並ぶ通りを抜け、見慣れた角を曲がる。
軒を連ねていた看板が減り、代わりに、塀の向こうから庭木が顔を覗かせるようになった。
自宅の前に至り、速度を落とす。
いつもの場所へバイクを収め、エンジンを切った。
振動が止まると、少し離れたところで誰かが掃き掃除をしている音が聞こえた。
荷台のベルトを外し、鞄を下ろす。
鍵を取り出し、扉を開けた。
「……ただいま」
小さな声が、静かな家の中へ落ちる。
靴を脱ぎ、荷物を置く。
部屋には、出かけたときのままの空気が残っていた。
窓を開ける。
入り込んだ風が、頬を撫で、黒髪を持ち上げた。
遠くで何かを呼ぶ声と、車の走る音が混じって届く。
しばらく窓辺に立ち、見慣れた光景を眺めた。
やがて部屋の中へ心を返すと、旅の荷物から端末と財布を取り出し、ポーチへ。
飲み物をひと口。長く息をついてから、窓を閉めた。
玄関で靴を履き直す。
今度は、重い鞄を持たなかった。
扉に鍵をかけ、バイクの脇を通り過ぎる。
白い裾を揺らし、通りへ歩みを進めた。
*
歩く速さで街並みを眺めると、目に留まるものもまた変わる。
先ほどは気づかなかった新しい品書きが、店先に出ていた。
隣の軒先では、籠に盛られた菓子が、道の方へ少し張り出している。
足を緩め、その一つひとつを眺めた。
馴染みの店を覗くと、奥から声がかかった。
「あら、ヤヒロちゃん久しぶりね。帰ってたのかい?」
「ええ。今日、戻ったところです」
「また寄っていってね」
「はい。ぜひ」
手を振る店主へ会釈し、通りへ戻る。
先の角を曲がれば、また違う並び。
以前、閉まっていて寄れなかった店もあった。
軒先に吊られた風鈴が、ひとつ鳴った。
足を止め、風に揺れる短冊を眺める。
余韻が遠のいた頃、白い衣の傍らに、小さな影があることに気づいた。
一人の少女が、じっとこちらを見上げていた。
視線を交わしても、目は逸れない。
何か言いたげに、小さな口が開いたり、閉じたりしている。
風に靡く長い髪を片側へ寄せ、ゆっくりとその場にしゃがみ込む。
目の高さを合わせて微笑むと、少女は首を傾げた。
「おねえちゃん、しすたーさん?」
「いいえ。シスターさんではありませんよ」
「でも、しすたーさんの服だよ?」
少女の指が、白い袖を差した。
「実は、シスターさんの服が好きなので、それに似せた着物を作ってもらっちゃいました」
そう言って、袖を少し広げてみせる。
少女はその先まで目で追い、今度は襟元を見た。
しばらく眺めてから、大きく頷く。
「じゃあ、しすたーさんみたいなおねえちゃん?」
「ふふっ。はい、シスターみたいなお姉ちゃんですよ」
どうやら納得したらしい。
少女は一歩近づくと、顔を覗き込んできた。
「おねえちゃん、これからひま?」
「そうですね。特に、急ぐ用事はありませんが」
「じゃあ、こっち!」
小さな手が、白い袖を掴んだ。
「みんなでおにごっこやるのー! おねえちゃん、おっきいから、きっとつよいよ」
「鬼ごっこですか。そういえば最後にやったのはいつだったでしょう……」
少女はもう、行く先へ顔を向けていた。
袖が引かれる。
その手に合わせて腰を上げ、背筋を伸ばしかけたところで止めた。
小さな指は、袖の端をしっかりと握っている。
上体をかがめたまま、ひと足。
先を行く靴に歩幅を合わせると、すれ違う人が、微笑みながら道を空けてくれた。
少し困ったように微笑み返し、少女の後についていく。
路地を抜けた先に、小さな公園があった。
滑り台の脇で、何人かの子どもたちが集まっている。
誰が鬼になるかで揉めているらしく、指を差し合う声が入口まで聞こえてきた。
少女が大きく息を吸う。
「みんなー! しすたーさんみたいなおねえちゃんが、一緒にあそんでくれるってー!」
一斉に、こちらへ顔が向けられた。
まだ、返事はしていなかったのだが。
袖を握る手は、ますます得意げに前へ進んでいく。
滑り台のそばまで連れていかれたところで、ようやく解放された。
子どもたちが集まってくる。
その輪の前で、もう一度、膝を折った。
「ほんとに、しすたーさんじゃないの?」
「はい。シスターではありませんよ」
「そう! しすたーさんみたいなおねえちゃん!」
先ほどの少女が、隣から訂正する。
「いっしょにあそんでくれる?」
いくつもの目が、返事を待っていた。
「それでは、少しだけ」
「じゃあ、おねえちゃんがおにね!」
「私が、鬼ですか」
「うん!」
迷いのない返事だった。
「分かりました」
ゆっくりと立ち上がる。
見上げる子どもたちの顔が、揃って上へ動いた。
一人の子が、口を開けたまま、白い衣を見ている。
「白い服……おっきいおねえちゃん……」
隣にいた子も、顔を上げた。
「髪も、ながい」
二人が顔を見合わせる。
「もしかして……」
「……八尺様だ!」
「八尺様がおにだー!」
「にげろー!」
歓声を上げて、一斉に散っていく。
「ぽ、ぽぽぽ……」
白い袖に包まれた両腕を広げ、わざと歩幅を狭めて、その後を追った。
滑り台の向こうから、小さな顔が覗く。
そちらへ顔を向けると、すぐに引っ込んだ。
滑り台に近づき、裏を覗き込む。
続いて、誰かを探すように、ゆっくりと首を巡らせた。
足音を忍ばせ、背後へ回り込む気配がする。
それでも、まだ振り返らない。
背後で、砂を蹴る音。
その瞬間、勢いよく振り返り、手を伸ばした。
「つかまえました」
「あー! つかまったー!」
肩に触れられた子が、笑いながら足を止める。
「たすけてー!」
「いまいくー!」
別の子が駆け寄ってきたかと思うと、捕まった子の手を叩いた。
二人はそのまま、声を弾ませて逃げていく。
伸ばした手が、宙に残る。
どうやら、自分の知っている鬼ごっことは少し違っていたようだった。
目元を緩め、また、小さく足を運んだ。
*
公園の端で、葉が鳴った。
追いかけられていた子の一人が、大きな木の裏へ逃げ込む。
「わっ」
「ひゃっ……」
驚いた声が、二つ重なった。
子どもが一歩、後ずさる。
幹の向こうから、長い脚と、胸元へ引き寄せられた手が見えた。
そこに、少女が立っていた。
幹に身を寄せたまま、目の前の子どもを見下ろしている。
「おねえちゃん、なにしてるの?」
「あ、その……身を潜める、練習を……」
「かくれんぼ?」
少女は少し迷い、小さく頷いた。
すると、子どもは公園の中央へ振り向いた。
「みんなー! こっちにも、おっきいおねえちゃんいたー!」
少女の肩が跳ねる。
逃げ回っていた子どもたちが足を止め、今度は木の下へ集まっていく。
追う相手を失い、広げていた袖を下ろした。
「どこ?」
「ここ!」
「ほんとだ!」
木陰へ歩み寄ると、子どもたちの間から、困り果てた顔がこちらを向いた。
目が合う。
少女の視線が、少し上がった。
丸めていた背が、わずかに伸びる。
それでも、こちらを見る顎は上を向いていた。
唇がかすかに開いた。
「……あ」
その声を、足元の歓声が追い越した。
「おねえちゃんも、おにやって!」
「えっ……」
「おに、ふたりにしようよ!」
少女は子どもたちへ視線を戻した。
胸元で重ねた指が、落ち着かなげに動く。
「わ、私は……」
返事を待つ顔を見回し、それから、もう一度こちらを見上げた。
少しかがんで、声をかける。
「よろしければ、ご一緒に。私一人では、なかなか捕まえられなくて」
少女の目が、白い袖から、その周りに集まる子どもたちへ移った。
「……私も、あまり、上手には……」
「私も、今しがた逃げられたところです」
先ほど捕まえた子が、得意げに笑った。
「たすけてもらったんだよ!」
「わたしがたすけたの!」
並んだ二人が、繋いだ手を持ち上げる。
それを見て、少女の口元が少し緩んだ。
胸元の手が、ゆっくりと下りる。
「わ、私でよければ……」
言い終えるより早く、子どもたちが身を翻した。
「おにがふえたぞー!」
「にげろー!」
小さな足音が、四方へ散っていく。
木の下には、二人だけが残された。
顔を見合わせる。
少女はまだ戸惑っていたが、もう、幹の陰へ戻ろうとはしなかった。
「では、あちらをお願いできますか」
滑り台の方へ目を向けると、小さく頷く。
「は、はい……!」
木陰から、一歩。
長い影が二つ、公園の砂の上へ伸びた。
*
滑り台の向こうで、笑い声が上がった。
白い袖から逃げてきた子が、振り向いたまま遊具の角を曲がる。
そこへ、木陰を回ってきた少女が、そっと手を伸ばした。
「つ、捕まえました……」
「えー! いつきたの!」
肩に触れられた子が、目を丸くする。
少女は慌てて手を引いた。
「ご、ごめんなさい……」
「いまのうち!」
「セーフ! こんどはつかまらないから!」
近くにいた子に助けられ、子どもは走っていく。
少女はその背中を見送り、離れたところにいる白い姿へ目を向けた。
目が合うと、白い姿が小さく頷く。
少女もはにかみながら頷き返し、また遊具の陰へ回った。
走る足音と、砂を蹴る音。
捕まった声に、逃げ切った声。
鬼が増えたり、減ったりした。
途中から加わった子に新しい決まりを教えられ、先ほどまで逃げていた子が、今度は両腕を広げて追いかけてくる。
小さな手が、白い背に触れた。
「つかまえた!」
「あら。捕まってしまいました」
立ち止まって振り返ると、少女が息を弾ませて笑っていた。
袖を引いてここまで連れてきた、あの子だった。
*
初めは日向にあったベンチが、半分ほど木陰に入っていた。
座面には、水筒を抱えた子どもたちが並んでいる。
足をぶらつかせながら、誰が一番多く捕まえたかを話し合っていた。
端末を確かめると、公園へ来てから小一時間が経っていた。
入口から、子どもを呼ぶ声がした。
「あ、おむかえ!」
一人がベンチから飛び下りる。
残っていた子も立ち上がり、水筒を肩へ掛けた。
「わたし、かえるねー!」
「じゃあ、またね!」
公園の入口まで見送りに出ると、小さな手が、また袖を掴んだ。
しゃがみ込む。
「おねえちゃん、またあそぼうね」
「ええ。また遊びましょう」
少女は隣に立つ、もう一人へも顔を向けた。
「おねえちゃんも!」
「は、はい……また」
二つの返事を聞いて、ようやく袖から手が離れた。
走り出しかけて、迎えの声に歩く速さへ戻る。
それでも、振り返って振る手だけは、いつまでも大きかった。
角を曲がり、小さな姿が見えなくなる。
ゆっくりと腰を上げた。
隣では、少女がまだ片手を上げていた。
静かになった公園で、葉の擦れる音がする。
「……元気な子たちでしたね」
「はい……」
少女は手を下ろし、誰もいなくなった滑り台を見た。
頬には、まだ少し赤みが残っている。
「そういえば、自己紹介もまだでしたね」
「あ……そうでしたね」
「私は八十八夜ヤヒロと申します。百鬼夜行の三年生です」
「お、大野ツクヨ、です。同じく百鬼夜行の、忍術研究部の……一年生です」
ツクヨが向き直り、頭を下げる。
その拍子に、髪へ引っかかっていた葉が一枚、足元へ落ちた。
二人の目が、それを追う。
「先ほどの木のところで、ついたのかもしれませんね」
ツクヨは髪に手をやり、指先でそっと確かめた。
「あ、ありがとうございます……」
「こちらこそ。急に遊びへお誘いしてしまって。訓練の途中でしたのに」
「いえ……楽しかった、です」
髪から手が下りる。
今度は、こちらを見て言った。
「それなら、よかったです」
公園の外から、人の話す声が流れてきた。
傾いた陽が、通りの片側を照らしている。
「少し、喉が渇きましたね」
そう言って、通りの先へ目を向ける。
「この先に、馴染みのお店があるのですが。お時間がよければ、ご一緒にいかがですか」
「私も……ですか?」
「ええ。お茶と、お団子でも」
ツクヨは一度、手元の端末を確かめた。
それをしまってから、小さく頷く。
「……はい。ご一緒、したいです」
*
二人で歩くと、先ほどとは歩幅が違った。
隣の足音を聞きながら、馴染みの通りを進む。
ひとつ角を曲がったところで、茶葉を焙じる香りが漂ってきた。
「こちらです」
店の前で足を止めると、ツクヨが看板を見上げた。
暖簾を持ち上げ、身を屈めて入る。
続いて戸をくぐったツクヨも、入口で少し頭を下げた。
「いらっしゃい。おや、今日はお連れさんもいるんだね」
「ええ」
品書きから顔を上げ、隣へ目を向ける。
「大野さんは、どのお団子になさいますか」
ツクヨの視線が、品書きの上を行き来した。
「その……どれも、おいしそうで……」
「でしたら、この『お団子食べくらべ』にしましょうか。私も、いろいろいただきたいので」
「あ……はい」
品書きを閉じ、店主へ顔を向ける。
「冷たいお茶を二つと、お団子食べくらべをお願いします」
注文を済ませ、窓に近い卓へ向かった。
向かい合って座る。
ツクヨは膝の上に手を置き、窓の外へちらりと目をやった。
ほどなく、冷たいお茶が二つ置かれた。
続いて、「お団子食べくらべ」の皿。
みたらし、つぶあん、磯辺、ねぎ味噌。
四本の串が、それぞれ色を違えて並んでいる。
「私は、みたらしをいただきますね。大野さんも、お好きなものを」
「あ……では、つぶあんを」
照りのあるみたらしに手を伸ばす。
串を持ち上げると、皿との間に琥珀色のたれが細い糸を引き、ゆっくりと切れた。
「いただきます」
「いただきます……」
みたらしを、ひと口。
表面の香ばしさのあとに、やわらかな餅の感触。
甘いたれに残る醤油の塩気を、お茶で流す。
湯呑みを置くと、向かいでも、つぶあんの串が少し下がった。
「……おいしいです」
ツクヨが、団子を見つめていた。
「ええ。ここのお団子、好きなんです」
その目が上がり、こちらと合う。
今度はすぐに逸れず、少し笑った。
「八十八夜先輩は、よく、いらっしゃるんですか?」
「ヤヒロで構いませんよ。こちらにいる間は、よく。今日は久しぶりですが」
「あの……でしたら、私のことも、ツクヨと呼んでください」
「ええ、ツクヨさん」
ツクヨは、少しだけ表情を緩めた。
「しばらく、お出かけされていたんですか?」
「ええ。ミレニアムまで。つい先ほど、帰ってきたところです」
つぶあんの串を持つ手が止まる。
「ミレニアム……から?」
「ええ。お蕎麦が食べたくなりまして」
ツクヨはしばらくこちらを見て、それから、手元の団子へ目を落とした。
「……今は、お団子なんですね」
言ってから、はっと口元を押さえる。
思わず、笑みがこぼれた。
「ええ。遊んだら、また食べたくなってしまいました」
口元の手が、ゆっくりと下りる。
その下に、小さな笑みが残っていた。
通りを歩く人影が、窓の向こうを横切った。
みたらしを、もうひと口。
向かいでも、つぶあんの串が持ち上がった。
お待たせしました。
お気に入りに入れてくださった方が14名もいてくださり嬉しいです。
大体週1くらいのペースになるかと思いますが、私の中の光景を皆さんにお届けできたらなと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。