白い道が、砂の向こうへ伸びていた。
左右に並ぶ建物は、進むほどに数を減らしていく。
窓を板で塞いだ店。
文字の薄れた看板。
砂に半ば埋もれた停留所。
その間を、大きなバイクが走り抜ける。
ハンドルのそばに固定した端末には、簡素な地図が表示されていた。
目的地を示す印と、その隣に小さく書かれた店の名前。
柴関ラーメン。
以前、旅先で同じ卓になった客から聞いた店だった。
あれを食べるためだけにアビドスへ行くこともあるんだぜ。
そう言っていた顔を思い出し、ヤヒロは前方へ目を戻した。
風が、白い袖と長い黒髪を靡かせる。
道の端に積もった砂が、タイヤの起こした風に低く舞った。
自治区へ入ってから、すれ違った車はまだ二台ほど。
歩く人の姿も、ほとんどない。
それでも、道は続いていく。
砂の向こうには、まだ色の残る看板が見えた。
建物の間には、干された洗濯物が揺れている。
一度、道脇に止まり、端末の地図を確かめてから再び進む。
次の大きな通りを右へ。
そこから、しばらく道なり。
ふと風切り音の中に別の響きを捉え、顔を上げる。
乾いた音が、遠くで弾けた。
一度。
もう一度。
間を置いて、さらにもう一度。
銃声だった。
ヤヒロはミラーへ目をやり、後続がいないことを確かめる。
速度を緩め、道の脇へバイクを寄せた。
耳を澄ませる。
再び、銃声が鳴り響く。
今度は、少し長く続いた。
音は目的地と同じ方角から聞こえてくる。
端末の案内を閉じ、バイクを発進させた。
*
「しつこいのよ!」
割れた窓の奥へ向けて、セリカは引き金を絞った。
短い連射。
建物の中から覗いていた頭が引っ込み、壁の角が欠けた。
すぐに身を伏せる。
頭上を銃弾が通り過ぎた。
背にしているコンクリートの残骸へ当たり、細かな破片が肩へ降りかかる。
「この人数を相手に、まだやる気?」
通りの向こうから声が飛んできた。
倒れた標識の陰。
窓のない商店。
道を塞ぐように停められた、二台の古い車。
それぞれの陰に、制服を着崩したスケバンたちが隠れている。
「そっちこそ、いつまで居座るつもりよ!」
弾倉を抜く。
残弾を確かめ、予備の弾倉へ替えた。
「ここはアビドスの自治区なんだから。勝手に縄張りにしないで!」
「誰もいないじゃない。ちょっと借りるだけだって」
「バリケードまで作っておいて、何がちょっとよ!」
銃口だけを残骸の脇から出し、二発。
車の後ろにいた一人が、慌てて身を縮めた。
その隙に、近くの建物へ目を向ける。
入口までは十歩ほど。
けれど、間には遮るものがない。
右手の路地から、靴音がした。
回り込んでくる。
セリカは立ち上がり、残骸の反対側へ銃口を向けた。
路地から飛び出した一人が、目を見開く。
引き金を引く。
胸元に数発を受け、スケバンが後ろへ倒れた。
続いて出てきたもう一人が、慌てて倒れた仲間を引きずり戻る。
さらに足音は続く。
正面からも銃口が覗いた。
「今!」
左右から、一斉に銃声が上がる。
セリカは下がり、残骸の陰へ飛び込んだ。
丸めた背のすぐ上を、何発もの弾が過ぎていく。
ポーチの弾倉へ手を伸ばす。
指先がポーチの底を掻いた。
「こんな時に弾切れ!?」
もう片方のポーチを探る。
手に触れたのは弾倉が一つ、擲弾が一つ。
足りない。
銃声が止む。
代わりに、砂を踏む足音が近づいてきた。
「そろそろ諦めたら?」
返事の代わりに弾倉を入れ替え、装填。
覚悟を決めて顔を上げた視線の先。
陽炎の向こうで、白い影が揺れた。
*
道を塞ぐ二台の車。
その手前には、銃を構えた生徒が五人。
建物の陰や路地にも、まだ動く影がある。
少し離れたコンクリートの残骸から、猫耳が覗いた。
銃口が一斉に向けられ、引き金に指がかかる。
そのとき、通りの奥から低い排気音が響いた。
音は急速に近づき、陽炎の向こうから大きな車体が現れる。
砂を巻き上げ、バイクが通りへ滑り込んだ。
突然のエンジン音に、スケバンたちが振り返った。
「なに、あれ……」
スケバンたちの間を抜け、コンクリートの残骸の前へ車体を横向きに滑らせる。
ヤヒロは長い脚を地面へ下ろした。
一発が白い袖を掠め、小さな火花を散らす。
それを気に留めることなく、左側の留め具を外す。
車体に沿って重ねられていた黒鉄色の装甲板。その一枚を引き起こし、バイクの前へ下ろす。
下端の杭が、砂の下の舗装へ食い込んだ。
銃声。
弾丸が盾を叩き、黒鉄色の表面で火花を散らす。
「大丈夫ですか」
黒鉄色の盾の影から声をかける。
猫耳が動いた。
「……誰?」
「通りすがりの者です」
「見れば分かるわよ!」
ヤヒロはバイクを降り、盾の陰から残骸の内側へ入る。
そこにいた少女は、背を低くしたまま、鋭い目をこちらへ向けていた。
制服のあちこちに砂がつき、頬には浅い擦り傷がある。
それでも、抱えた銃口は下がっていない。
「ちょっと、あんた……怪我は?」
「いいえ、特には」
「今、腕に当たってたでしょ」
「ええ。少し驚きました」
少女の目が、白い袖に残った弾痕へ落ちる。
破れた様子がないのを確かめると、今度はヤヒロの顔を見上げた。
さらに、上へ。
「……大きい」
小さく漏れた声を、向こうからの怒鳴り声が遮った。
「あんた! そいつの仲間か?」
ヤヒロは残骸の端から、通りを見渡した。
「お知り合いですか」
「まさか! 勝手に入り込んで、この辺りを自分たちの縄張りにするって言い出したのよ」
少女は銃を抱え直した。
「見回りで見つけて、出ていくように言ったらこの有様」
「なるほど」
「分かったならあんたは下がってて。これはアビドスの問題だから」
残骸の縁から銃口を出し、短く撃つ。
向こうから弾が返ってくる。
少女の耳が伏せられた。
「でも、少し人数が多いようですね」
「それくらい、分かってるわよ」
返事は鋭い。
けれど、銃を握る指には力が入っていた。
「では、お手伝いします」
「ちょっと、話を聞いて――」
肩から革のスリングを外す。
長い黒髪の外側に吊っていた小銃を、両手に収めた。
濃い赤褐色の木部。
陽を受けた黒い銃身が、細く光る。
八重桜。
漢陽八八式歩槍を基にした、古い設計のボルトアクション小銃だった。
「左の建物に二人。正面の車の後ろに三人。右の路地には……」
言いながら、少女が顔を覗かせる。
すぐに引っ込めた。
「三人。さっき一人倒したから、今動けるのは合計八人のはず」
「承知しました」
槓桿を起こし、遊底を引く。
金属の擦れる音。
遊底を押し戻すと、薬室へ一発が送り込まれた。
「右側をお願いしてもよろしいですか」
「……あんた、残りを一人で相手にする気?」
「はい」
少女は一瞬、言葉に詰まった。
正面から、靴音が近づいてくる。
「……一分だけ、右を抑える。それ以上はもたないから」
「十分です」
二人は残骸の両端へ分かれた。
目が合う。
少女が頷いた。
「行くわよ!」
右手から、銃声が弾けた。
*
セリカの銃が、路地の入口を薙ぐ。
隠れていた三人が、奥へ押し戻された。
同時に、白い姿が残骸の左から出る。
「出てきた!」
正面の銃口が向いた。
乾いた一発。
車の陰で銃を構えていたスケバンが、肩を押さえて倒れ込む。
槓桿を起こし、遊底を引く。
薬莢が陽の中を回り、砂の上へ落ちた。
遊底を押し戻し、次弾を送り込む。
二発目。
別の一人が取り落とした銃を追いかけ、車の陰へ身を隠す。
残る一人が撃ち返した。
白い衣の胸元と肩で、小さな火花が散った。
それでも、歩みは止まらない。
「な、なんで……!」
スケバンが後ずさる。
その隙を逃さず小銃を下げ、前へ出る。
相手が引き金を引くより早く、銃床がその手元を打ち上げた。
銃が宙へ浮く。
返した銃床を、胴へ。
短い悲鳴。
身体が車の扉へぶつかり、そのままずるずると座り込んだ。
車の反対側から、先ほど隠れた一人が飛び出す。
振り上げた銃。
白い袖が、その銃身を掴んだ。
「え」
引いても、動かない。
ヤヒロが手首を返す。
銃を握っていた両手ごと身体が浮き、足が砂から離れた。
開いたままの車の扉へ向き直り、そのまま空いていた座席へ押し込み、足で扉を閉める。
窓の向こうで、スケバンがぐったりと座席へ沈み込む。
左の建物から二人が飛び出してきた。
一人がヤヒロへ銃を向ける。
その足元で砂が跳ねた。
続けて、手の中の銃が弾かれる。
通りの反対側。
セリカが片膝をつき、銃口をこちらへ向けていた。
「よそ見しない!」
二射目。
もう一人の肩口で火花が散る。
スケバンがよろめき、身を引いた。
その隙に一歩踏み込み、一気に間を詰める。
スケバンは銃口を向けようとして――間に合わない。
「来るな!」
引きつった声を上げ、銃を横薙ぎに振り回した。
小銃の木部で受ける。
鈍い衝突音。
押し返す。
相手の足が砂の上を滑り、身体が後ろへ流れる。
空いた胸元へ、掌を当てた。
軽く、押す。
スケバンの両足が地面を離れた。
背中から店先へ吹き飛び、庇の下に積もっていた砂をまともに被る。
咳き込む声が上がった。
「押しただけで……?」
遠くで、セリカが呟く。
右の路地から、一人が飛び出した。
セリカが振り返る。
互いの銃口が向き合った。
引き金を引く。
二つの銃声。
セリカの肩が跳ねる。
同時に、相手も仰向けに倒れた。
「大丈夫ですか」
「平気! こっちは慣れてるの!」
すぐに立て直し、残った二人へ銃口を向ける。
「それより、奥からなにか来る!」
低い駆動音が、建物の間へ響いた。
道の先で、砂煙が膨らんでいく。
セリカの表情が変わった。
「戦車!? どこから盗んできたのよ、あんなもの!」
砂煙の中から、角張った車体が現れる。
厚い装甲板。
砂を噛みながら進む履帯。
車体の上では、短い砲身を備えた砲塔がこちらを向いていた。
車体の左右を、残っていたスケバンたちが走ってくる。
「さっきまで、あんなのいなかったのに」
「近くへ隠していたのでしょうか」
「感心してる場合?」
セリカが残骸へ向けて走る。
ヤヒロもその後を追った。
追いつきざま、セリカの肩を引き、二人で身を沈める。
直後、砲声が通りを揺らした。
コンクリートの上端が吹き飛ぶ。
白い粉塵。
飛び散る破片。
会話を交わす隙もなく、頭を下げる。
崩れ落ちる破片の音が止んだ。
残骸の端からセリカが撃ち返す。
銃弾が装甲板へ当たり、小さな火花を散らした。
「やっぱり効かない……!」
粉塵の向こうで砲身が動く。
次弾の狙いをつけ直している。
ヤヒロは背後を見た。
少し離れたところに、停めたバイクがある。
側面に沿う、長い砲身。
その間には、何も遮るものがない。
「あの車両は、私が止めます」
「どうやって?」
「バイクに、使えそうなものがありますので」
セリカが停められたバイクを見る。
側面の長い影に気づき、目を細めた。
「……あれ、飾りじゃないの?」
「はい」
砲塔の奥から、重い金属音が続けて響いた。
セリカは砲塔の動きを見据えた。
「私があいつらの注意を右に向かせる。その間に行って」
「ですが」
「ここは私の街よ。最後まで任せきりにするつもりはないから」
セリカは弾倉を抜き、残弾を確かめる。
「……十二発」
顔を上げた。
「足りるわ」
ヤヒロはその横顔を見てから、小さく頷いた。
「お願いいたします」
セリカが残骸の右から飛び出した。
走りながら、三発。
車体の脇を走るスケバンたちの足元で、砂が続けて跳ねた。
「こっちよ!」
近くの店へ滑り込む。
砲塔がそちらを追った。
残骸から離れ、ヤヒロは反対側へ走る。
白い裾が砂の上を翻る。
背後で、砲声が轟いた。
店の柱が砕ける。
装填の合間に、セリカの銃が二度、短く答えた。
バイクまで、あと十歩。
戦車の陰から、一人が現れる。
ヤヒロへ銃を向け、撃つ。
短い連射。
白い背と肩で、弾丸が次々に火花を散らす。
それでも歩幅も姿勢も、わずかにも変わらない。
振り返ることさえなく、そのままバイクへ向かう。
撃っていたスケバンの銃口が小さく震え、やがて下がった。
「……なんなのよ、あいつ」
ヤヒロはバイクへ手をかける。
小銃を吊り直し、側面の留め具を外した。
がちり。
一つ。
続いて、もう一つ。
車体に沿っていた長い砲身が、ゆっくりと外側へ傾いた。
両手で支え、持ち上げる。
二メートルを超えるヤヒロが持ってなお、その丈の倍はあろうかという長大な影。
刻まれた銘は八咫烏。
8.8 cm FlaK 36高射砲、通称「アハト・アハト」をベースに、ヤヒロのために仕立てられた重兵装。
それは、生徒が持つ武器というにはあまりにも大きかった。
*
セリカは、崩れかけた店の柱へ背を預けていた。
残り、七発。
窓から一発撃つ。
車体のそばにいた一人が、戦車の陰へ隠れた。
向こうから撃ち返される前に、床を這って隣の窓へ移る。
残り、六発。
車体のそばを走っていた一人の足元へ撃つ。
驚いて転んだところへ、もう一発。
残り、四発。
砲身が、こちらを向いた。
身を伏せる。
壁の上半分が、轟音とともに崩れた。
破片が背中へ降り注ぐ。
耳の奥で、高い音が鳴る。
それでも、銃を離さなかった。
粉塵の向こうへ目を凝らす。
白い姿は、まだ見えない。
戦車がゆっくりと向きを変える。
もう一度、こちらを撃つつもりだ。
セリカは窓枠へ銃身を載せた。
狙う。
砲塔正面の、小さな観測窓。
一発。
厚い硝子の表面で、火花が散る。
もう一発。
ひびの入った硝子の向こうから、慌てて人影が引っ込んだ。
砲塔の動きが鈍る。
残り、二発。
「今よ!」
セリカは窓枠から身を引き、壁の陰へ身体を収めた。
返事の代わりに、通りの向こうで金属の擦れる音がした。
窓の端から、わずかに顔を出す。
粉塵が風に流された。
そこに、白い姿が立っていた。
遅いじゃないの。
そう思いながら目を凝らす。
その両手には、長大な砲。
足を開く。
白い裾が砂の上へ広がった。
砲口が持ち上がる。
「ちょ、あれを持ち上げるの……!?」
驚きに、セリカの耳がぴんと立つ。
ヤヒロの唇が動く。
「少し、音がしますよ」
セリカは慌てて耳を伏せ、両手で塞いだ。
刹那。
街が、白く染まった。
轟音。
空気が叩かれ、窓枠に残っていた砂が一斉に舞い上がる。
砲弾は、主砲の付け根を捉えた。
砲身が跳ね上がり、砲塔が大きく歪む。
衝撃で片側の履帯が外れた。
戦車は大きく傾き、砂を巻き上げながら停止した。
それきりだった。
しばらくして、車体上部のハッチが持ち上がる。
煤に汚れたスケバンが一人、咳き込みながら這い出した。
続いて、もう一人。
セリカは耳から手を離す。
動かなくなった車体。
歪んだ砲塔。
外れた履帯。
砲身の付け根から上がる、細い煙。
セリカは、その順に目を移した。
「……いや、個人で使うものじゃないでしょ、あれ」
返事は聞こえなかった。
戦車の周りにいたスケバンたちは、銃を下ろして立ち尽くしている。
一人の手から、銃が滑り落ちた。
それを合図にしたように、残っていた者たちが背を向ける。
「撤退! 撤退するわよ!」
「戦車は!?」
「もう動かないでしょ!」
倒れていた仲間を引き起こし、来た道へ逃げていく。
一人が振り返る。
白い姿が砲を持ち直すのを見て、すぐに前へ向き直った。
足音が遠ざかっていく。
通りへ、静けさが戻った。
風に押された砂が、倒れた標識の根元を流れていく。
*
砲の後端を、砂の下の舗装へ突き立てた。
鈍い音。
長大な砲が、ヤヒロの隣に立つ。
セリカは銃を下ろし、崩れた店から出てきた。
「あんた、いったい何者なのよ」
砂を払いながら近づいてくる。
猫耳はまだ少し伏せられていた。
「申し遅れました。八十八夜ヤヒロと申します」
「そういうことを聞いてるんじゃ……」
言いかけて、息を吐く。
動かなくなった戦車へ目をやった。
「まあ、いいわ。助かったのは本当だし」
銃を肩へ掛ける。
ヤヒロは微笑み、頭を下げる。
「お役に立てたのでしたら、何よりです」
「でも、勘違いしないでよね。あんたが来なくても、あれくらい何とかしてたんだから」
セリカの視線が、歪んだ砲塔へ向いた。
少し止まる。
「……たぶん」
ヤヒロは何も言わず、砲を持ち上げた。
バイクの側面へ戻し、留め具を一つずつ固定する。
続いて、残骸の前へ立てた盾を引き抜く。
表面の砂を払い、バイクの反対側へ戻した。
その間に、セリカは道の左右を見回った。
「ここ、しばらくは使えないわね。あとでみんなにも知らせないと」
端末を取り出し、動かなくなった戦車を撮る。
続いて、逃げていった方角も一枚撮る。
「あんた、どうしてアビドスに?」
今度は、いくらか落ち着いた声だった。
留め具を引き、緩みがないことを確かめる。
「柴関ラーメンというお店へ行ってみたくて」
端末を持つ手が止まった。
セリカが振り返る。
「……柴関?」
「はい。ラーメンが好きなら一度は食べた方がよいと伺いまして」
セリカはヤヒロを見る。
次に、バイクを見る。
最後に、壊れた戦車を見た。
「ラーメンを食べるために、これで来たの?」
「ええ」
間。
猫耳が、わずかに立った。
「……変な人」
そう言ってから、セリカは銃を背負い直した。
「案内するわ」
「よろしいのですか」
「あそこ、私のバイト先なの。どうせ私も戻るところだったし」
歩き出しかけて、振り返る。
「それと、私は黒見セリカ。アビドス高等学校の一年生よ」
「セリカさんですね。改めまして、よろしくお願いいたします」
「別に、改まらなくていいから」
ヤヒロはバイクを押し、セリカの隣へ並んだ。
二人の足跡と、太いタイヤの跡が砂の上に続いていく。
*
通りを二つ曲がると、開いている店が少しずつ増えてきた。
古い雑貨屋。
小さな整備工場。
入口に鉢植えを並べた家。
戦っていた街区よりも、人の気配がある。
「さっきの辺りは、前から誰も住んでいないのですか」
「少し前までは、まだ店もあったわ。でも、砂が増えて、お客も減って……」
セリカはそこで言葉を切った。
道の先へ目を向ける。
「だからって、好きにしていい場所じゃないけど」
「ええ」
その横顔を見て、ヤヒロも前へ向き直った。
しばらく歩く。
やがて、赤い暖簾が見えてきた。
古びてはいるが、綺麗に手入れされた店構え。
暖簾の上には、柴関ラーメンの文字。
換気口から、煮込んだスープの香りが流れてくる。
思わず足が止まり、空腹を思い出した。
「こちらですね」
「そうよ。バイクは、その脇に停めればいいから」
店の横へ車体を収め、スタンドを下ろす。
店の中から、鍋と食器の音が聞こえてきた。
セリカが戸を開ける。
「ただいま、柴大将」
カウンターの奥から、柴犬の獣人が顔を出した。
「おかえり、セリカちゃん。ずいぶん遅かったね。さっき大きな音がしてたけど、何かあったのかい?」
「ちょっと、見回りで面倒があって」
セリカの後ろ、開いた戸の向こうに立つヤヒロを見て、柴大将の眉が上がる。
「おや、見ない顔だね。どこから来たんだい?」
「百鬼夜行から。こちらのラーメンをいただきたくて、参りました」
「百鬼夜行だって!? そりゃまたえらい遠いとこから来たねぇ。嬉しいよ!」
柴大将は笑い、カウンターの席を手で示した。
「さ、好きなところへ座ってくれ!」
ヤヒロは身を屈めて戸をくぐる。
一番端の席へ向かい、椅子を少し後ろへ引いた。
長い脚を斜めにして腰を下ろす。
セリカはカウンターの内側へ回りかけた。
「セリカちゃん」
柴大将に呼ばれ、足を止める。
「その肩、大丈夫かい?」
「これ? 何でもないわよ。ちょっと撃たれただけ」
「何でもなくはないだろう」
「本当に平気だってば」
汚れのついた制服を手で払う。
その動きで、頬の擦り傷も見えた。
柴大将は困ったように眉を下げる。
「無茶はしないでおくれよ」
「してないわよ。ちゃんと追い払ったし」
セリカの目が、ヤヒロへ向いた。
少しだけ迷う。
「……この人にも、ちょっと手伝ってもらったけど」
「ちょっと、ですか」
「そこは黙ってて!」
声が店の中へ響いた。
柴大将が笑う。
「なるほどね。セリカちゃんを助けてくれたのか」
「ご一緒しただけです」
「どちらにしても、ありがとうよ。お礼に好きなラーメンを一杯、ご馳走させてくれ!」
「そんな、悪いです」
「いいんだ。遠慮しないでおくれ」
柴大将は鍋へ向き直った。
「注文は柴関ラーメンでいいかい?」
「はい。お願いします」
鍋から、湯気が上がる。
湯切りの音。
包丁がまな板を叩く音。
湯気とともに届いた香りに、ヤヒロの目元がわずかに緩んだ。
その間に、セリカは奥へ引っ込み、バイトの制服に着替えて戻ってきた。
腰には、店の名前が入った前掛けをつけている。
「お水」
「ありがとうございます」
卓へ置く。
そのまま離れようとして、セリカは足を止めた。
「さっきは……その」
カウンターの上で、指先が動く。
「本当に、助かったから、その……」
ヤヒロが顔を上げる。
「……ありがと」
「どういたしまして」
微笑むと、セリカは目を逸らした。
「柴関ラーメンお待ちどう!」
二人の間へ、大きな器が置かれた。
麺が見えないほどに山盛りのヤサイ。
分厚い叉焼、半熟の味玉。
湯気が香りを伴い、ゆっくりと立ち上る。
ヤヒロは両手を合わせた。
「いただきます」
ヤサイをかき分け麺を持ち上げる。
湯気の向こうで、麺が揺れた。
息を吹きかけ、口へ運ぶ。
温かなスープの味が、麺と一緒に広がる。
続いて、れんげを取る。
ひと口。
ゆっくりと飲み込み、目元を緩めた。
「……おいしいです」
柴大将の顔がほころぶ。
「そう言ってもらえると嬉しいねえ」
セリカは少し離れたところで腕を組んでいた。
「当然でしょ。柴関のラーメンなんだから」
なぜか、本人よりも得意げだった。
箸を進める。
麺が減り、叉焼がなくなり、最後に残ったスープを飲む。
器を置いた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さま!」
柴大将が空の器へ手を伸ばす。
ヤヒロは品書きを見た。
「すみません」
「はいよ」
「同じものを、もう一杯いただけますか? それと、チャーハンと餃子も」
器を持つ手が止まった。
セリカが振り返る。
「……もう一杯?」
「ええ。とてもおいしかったので」
柴大将は一瞬、目を丸くし、それから声を上げて笑った。
「今度はきっちり、お代をいただくぜい?」
「もちろんです」
再び、鍋から湯気が上がる。
セリカはヤヒロと空の器を見比べていた。
「あれだけ動いたあとだから、お腹は空くでしょうけど……」
二杯目のラーメンが置かれる。
続いて、チャーハンと餃子も並んだ。
ヤヒロはもう一度、手を合わせた。
「いただきます」
赤い暖簾が、入口から入る風に揺れた。
外では、砂が道の端を流れている。
その向こうに、先ほどまで銃声の響いていた街が続いていた。
けれど、店の中には鍋の音がある。
器から立つ湯気。
柴大将の声。
呆れたようにこちらを見る、セリカの顔。
ヤヒロは、二杯目の麺を口へ運んだ。
*
店を出る頃には、陽が少し傾いていた。
バイクの留め具を確かめていると、赤い暖簾の下からセリカが顔を出した。
「もう行くの?」
「はい。暗くなる前に、今日は休む場所を探そうかと」
「そう」
セリカは店の前まで出てきた。
「この先も、砂が深いところがあるから。南の道は使わない方がいいわよ」
「ありがとうございます」
バイクへ跨がる。
キーを回すと、低い振動が足元から伝わった。
「それでは、また伺います」
「また?」
「ええ。まだ、ほかの品も気になりますので」
セリカは何か言いかけた。
やがて、肩の力を抜く。
「……好きにすれば」
そう言いながら、猫耳はまっすぐ立っていた。
店の奥から、柴大将の声がする。
「またおいで!」
「はい。ごちそうさまでした」
頭を下げる。
ゆっくりとバイクを走らせた。
ミラーの中で、赤い暖簾が小さくなる。
その前には、前掛け姿のセリカがまだ立っていた。
やがてバイクが角を曲がり、その姿も見えなくなる。
前方には、砂に覆われた道が続いていた。
白い裾が風に揺れ、大きなバイクがその先へ進んでいく。
戦闘描写って、どんどん文字を増やしたくなってしまいますね。
これまでの中で最長クラスでしょうか。
前の話から少しずつ原作の生徒と交流を始めています。
今後も少しずつ交流の輪を広げていけたらなと思ってます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
追記
ここまでに判明したヤヒロの生徒紹介ページを作成しました。
どんな生徒だったかな?ってなったときに見に行ってもらえたらなと。
生徒紹介『八十八夜ヤヒロ(ちゃつみ・ヤヒロ)』(第肆話時点)
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=345746&uid=525145