キヴォトスの八尺様   作:瑠璃色ゲンソウ

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第肆話 ラーメンを食べに

白い道が、砂の向こうへ伸びていた。

 

左右に並ぶ建物は、進むほどに数を減らしていく。

窓を板で塞いだ店。

文字の薄れた看板。

砂に半ば埋もれた停留所。

 

その間を、大きなバイクが走り抜ける。

 

ハンドルのそばに固定した端末には、簡素な地図が表示されていた。

目的地を示す印と、その隣に小さく書かれた店の名前。

 

柴関ラーメン。

 

以前、旅先で同じ卓になった客から聞いた店だった。

あれを食べるためだけにアビドスへ行くこともあるんだぜ。

そう言っていた顔を思い出し、ヤヒロは前方へ目を戻した。

 

風が、白い袖と長い黒髪を靡かせる。

道の端に積もった砂が、タイヤの起こした風に低く舞った。

 

自治区へ入ってから、すれ違った車はまだ二台ほど。

歩く人の姿も、ほとんどない。

 

それでも、道は続いていく。

 

砂の向こうには、まだ色の残る看板が見えた。

建物の間には、干された洗濯物が揺れている。

 

一度、道脇に止まり、端末の地図を確かめてから再び進む。

 

次の大きな通りを右へ。

そこから、しばらく道なり。

 

ふと風切り音の中に別の響きを捉え、顔を上げる。

 

乾いた音が、遠くで弾けた。

 

一度。

もう一度。

間を置いて、さらにもう一度。

 

銃声だった。

 

ヤヒロはミラーへ目をやり、後続がいないことを確かめる。

速度を緩め、道の脇へバイクを寄せた。

 

耳を澄ませる。

再び、銃声が鳴り響く。

今度は、少し長く続いた。

 

音は目的地と同じ方角から聞こえてくる。

 

端末の案内を閉じ、バイクを発進させた。

 

   *

 

「しつこいのよ!」

 

割れた窓の奥へ向けて、セリカは引き金を絞った。

短い連射。

建物の中から覗いていた頭が引っ込み、壁の角が欠けた。

 

すぐに身を伏せる。

頭上を銃弾が通り過ぎた。

背にしているコンクリートの残骸へ当たり、細かな破片が肩へ降りかかる。

 

「この人数を相手に、まだやる気?」

 

通りの向こうから声が飛んできた。

 

倒れた標識の陰。

窓のない商店。

道を塞ぐように停められた、二台の古い車。

 

それぞれの陰に、制服を着崩したスケバンたちが隠れている。

 

「そっちこそ、いつまで居座るつもりよ!」

 

弾倉を抜く。

残弾を確かめ、予備の弾倉へ替えた。

 

「ここはアビドスの自治区なんだから。勝手に縄張りにしないで!」

「誰もいないじゃない。ちょっと借りるだけだって」

「バリケードまで作っておいて、何がちょっとよ!」

 

銃口だけを残骸の脇から出し、二発。

車の後ろにいた一人が、慌てて身を縮めた。

その隙に、近くの建物へ目を向ける。

 

入口までは十歩ほど。

けれど、間には遮るものがない。

 

右手の路地から、靴音がした。

回り込んでくる。

 

セリカは立ち上がり、残骸の反対側へ銃口を向けた。

 

路地から飛び出した一人が、目を見開く。

引き金を引く。

 

胸元に数発を受け、スケバンが後ろへ倒れた。

続いて出てきたもう一人が、慌てて倒れた仲間を引きずり戻る。

 

さらに足音は続く。

正面からも銃口が覗いた。

 

「今!」

 

左右から、一斉に銃声が上がる。

 

セリカは下がり、残骸の陰へ飛び込んだ。

丸めた背のすぐ上を、何発もの弾が過ぎていく。

 

ポーチの弾倉へ手を伸ばす。

指先がポーチの底を掻いた。

 

「こんな時に弾切れ!?」

 

もう片方のポーチを探る。

手に触れたのは弾倉が一つ、擲弾が一つ。

足りない。

 

銃声が止む。

代わりに、砂を踏む足音が近づいてきた。

 

「そろそろ諦めたら?」

 

返事の代わりに弾倉を入れ替え、装填。

覚悟を決めて顔を上げた視線の先。

陽炎の向こうで、白い影が揺れた。

 

   *

 

道を塞ぐ二台の車。

その手前には、銃を構えた生徒が五人。

建物の陰や路地にも、まだ動く影がある。

 

少し離れたコンクリートの残骸から、猫耳が覗いた。

銃口が一斉に向けられ、引き金に指がかかる。

 

そのとき、通りの奥から低い排気音が響いた。

音は急速に近づき、陽炎の向こうから大きな車体が現れる。

砂を巻き上げ、バイクが通りへ滑り込んだ。

 

突然のエンジン音に、スケバンたちが振り返った。

 

「なに、あれ……」

 

スケバンたちの間を抜け、コンクリートの残骸の前へ車体を横向きに滑らせる。

 

ヤヒロは長い脚を地面へ下ろした。

一発が白い袖を掠め、小さな火花を散らす。

それを気に留めることなく、左側の留め具を外す。

 

車体に沿って重ねられていた黒鉄色の装甲板。その一枚を引き起こし、バイクの前へ下ろす。

 

下端の杭が、砂の下の舗装へ食い込んだ。

銃声。

弾丸が盾を叩き、黒鉄色の表面で火花を散らす。

 

「大丈夫ですか」

 

黒鉄色の盾の影から声をかける。

猫耳が動いた。

 

「……誰?」

「通りすがりの者です」

「見れば分かるわよ!」

 

ヤヒロはバイクを降り、盾の陰から残骸の内側へ入る。

そこにいた少女は、背を低くしたまま、鋭い目をこちらへ向けていた。

制服のあちこちに砂がつき、頬には浅い擦り傷がある。

 

それでも、抱えた銃口は下がっていない。

 

「ちょっと、あんた……怪我は?」

「いいえ、特には」

「今、腕に当たってたでしょ」

「ええ。少し驚きました」

 

少女の目が、白い袖に残った弾痕へ落ちる。

破れた様子がないのを確かめると、今度はヤヒロの顔を見上げた。

さらに、上へ。

 

「……大きい」

 

小さく漏れた声を、向こうからの怒鳴り声が遮った。

 

「あんた! そいつの仲間か?」

 

ヤヒロは残骸の端から、通りを見渡した。

 

「お知り合いですか」

「まさか! 勝手に入り込んで、この辺りを自分たちの縄張りにするって言い出したのよ」

 

少女は銃を抱え直した。

 

「見回りで見つけて、出ていくように言ったらこの有様」

「なるほど」

「分かったならあんたは下がってて。これはアビドスの問題だから」

 

残骸の縁から銃口を出し、短く撃つ。

向こうから弾が返ってくる。

少女の耳が伏せられた。

 

「でも、少し人数が多いようですね」

「それくらい、分かってるわよ」

 

返事は鋭い。

けれど、銃を握る指には力が入っていた。

 

「では、お手伝いします」

「ちょっと、話を聞いて――」

 

肩から革のスリングを外す。

 

長い黒髪の外側に吊っていた小銃を、両手に収めた。

濃い赤褐色の木部。

陽を受けた黒い銃身が、細く光る。

 

八重桜。

 

漢陽八八式歩槍を基にした、古い設計のボルトアクション小銃だった。

 

「左の建物に二人。正面の車の後ろに三人。右の路地には……」

 

言いながら、少女が顔を覗かせる。

 

すぐに引っ込めた。

 

「三人。さっき一人倒したから、今動けるのは合計八人のはず」

「承知しました」

 

槓桿を起こし、遊底を引く。

金属の擦れる音。

遊底を押し戻すと、薬室へ一発が送り込まれた。

 

「右側をお願いしてもよろしいですか」

「……あんた、残りを一人で相手にする気?」

「はい」

 

少女は一瞬、言葉に詰まった。

 

正面から、靴音が近づいてくる。

 

「……一分だけ、右を抑える。それ以上はもたないから」

「十分です」

 

二人は残骸の両端へ分かれた。

目が合う。

少女が頷いた。

 

「行くわよ!」

 

右手から、銃声が弾けた。

 

   *

 

セリカの銃が、路地の入口を薙ぐ。

隠れていた三人が、奥へ押し戻された。

同時に、白い姿が残骸の左から出る。

 

「出てきた!」

 

正面の銃口が向いた。

乾いた一発。

車の陰で銃を構えていたスケバンが、肩を押さえて倒れ込む。

 

槓桿を起こし、遊底を引く。

薬莢が陽の中を回り、砂の上へ落ちた。

 

遊底を押し戻し、次弾を送り込む。

二発目。

別の一人が取り落とした銃を追いかけ、車の陰へ身を隠す。

 

残る一人が撃ち返した。

白い衣の胸元と肩で、小さな火花が散った。

それでも、歩みは止まらない。

 

「な、なんで……!」

 

スケバンが後ずさる。

その隙を逃さず小銃を下げ、前へ出る。

 

相手が引き金を引くより早く、銃床がその手元を打ち上げた。

銃が宙へ浮く。

返した銃床を、胴へ。

短い悲鳴。

身体が車の扉へぶつかり、そのままずるずると座り込んだ。

 

車の反対側から、先ほど隠れた一人が飛び出す。

振り上げた銃。

白い袖が、その銃身を掴んだ。

 

「え」

 

引いても、動かない。

ヤヒロが手首を返す。

銃を握っていた両手ごと身体が浮き、足が砂から離れた。

 

開いたままの車の扉へ向き直り、そのまま空いていた座席へ押し込み、足で扉を閉める。

窓の向こうで、スケバンがぐったりと座席へ沈み込む。

 

左の建物から二人が飛び出してきた。

一人がヤヒロへ銃を向ける。

その足元で砂が跳ねた。

続けて、手の中の銃が弾かれる。

 

通りの反対側。

セリカが片膝をつき、銃口をこちらへ向けていた。

 

「よそ見しない!」

 

二射目。

もう一人の肩口で火花が散る。

スケバンがよろめき、身を引いた。

 

その隙に一歩踏み込み、一気に間を詰める。

スケバンは銃口を向けようとして――間に合わない。

 

「来るな!」

 

引きつった声を上げ、銃を横薙ぎに振り回した。

小銃の木部で受ける。

鈍い衝突音。

押し返す。

相手の足が砂の上を滑り、身体が後ろへ流れる。

 

空いた胸元へ、掌を当てた。

軽く、押す。

スケバンの両足が地面を離れた。

背中から店先へ吹き飛び、庇の下に積もっていた砂をまともに被る。

咳き込む声が上がった。

 

「押しただけで……?」

 

遠くで、セリカが呟く。

 

右の路地から、一人が飛び出した。

セリカが振り返る。

互いの銃口が向き合った。

引き金を引く。

二つの銃声。

セリカの肩が跳ねる。

同時に、相手も仰向けに倒れた。

 

「大丈夫ですか」

「平気! こっちは慣れてるの!」

 

すぐに立て直し、残った二人へ銃口を向ける。

 

「それより、奥からなにか来る!」

 

低い駆動音が、建物の間へ響いた。

道の先で、砂煙が膨らんでいく。

セリカの表情が変わった。

 

「戦車!? どこから盗んできたのよ、あんなもの!」

 

砂煙の中から、角張った車体が現れる。

厚い装甲板。

砂を噛みながら進む履帯。

車体の上では、短い砲身を備えた砲塔がこちらを向いていた。

 

車体の左右を、残っていたスケバンたちが走ってくる。

 

「さっきまで、あんなのいなかったのに」

「近くへ隠していたのでしょうか」

「感心してる場合?」

 

セリカが残骸へ向けて走る。

ヤヒロもその後を追った。

追いつきざま、セリカの肩を引き、二人で身を沈める。

直後、砲声が通りを揺らした。

 

コンクリートの上端が吹き飛ぶ。

白い粉塵。

飛び散る破片。

 

会話を交わす隙もなく、頭を下げる。

崩れ落ちる破片の音が止んだ。

残骸の端からセリカが撃ち返す。

 

銃弾が装甲板へ当たり、小さな火花を散らした。

 

「やっぱり効かない……!」

 

粉塵の向こうで砲身が動く。

次弾の狙いをつけ直している。

 

ヤヒロは背後を見た。

少し離れたところに、停めたバイクがある。

側面に沿う、長い砲身。

その間には、何も遮るものがない。

 

「あの車両は、私が止めます」

「どうやって?」

「バイクに、使えそうなものがありますので」

 

セリカが停められたバイクを見る。

 

側面の長い影に気づき、目を細めた。

 

「……あれ、飾りじゃないの?」

「はい」

 

砲塔の奥から、重い金属音が続けて響いた。

セリカは砲塔の動きを見据えた。

 

「私があいつらの注意を右に向かせる。その間に行って」

「ですが」

「ここは私の街よ。最後まで任せきりにするつもりはないから」

 

セリカは弾倉を抜き、残弾を確かめる。

「……十二発」

顔を上げた。

「足りるわ」

 

ヤヒロはその横顔を見てから、小さく頷いた。

 

「お願いいたします」

 

セリカが残骸の右から飛び出した。

走りながら、三発。

車体の脇を走るスケバンたちの足元で、砂が続けて跳ねた。

 

「こっちよ!」

 

近くの店へ滑り込む。

砲塔がそちらを追った。

 

残骸から離れ、ヤヒロは反対側へ走る。

白い裾が砂の上を翻る。

背後で、砲声が轟いた。

店の柱が砕ける。

装填の合間に、セリカの銃が二度、短く答えた。

 

バイクまで、あと十歩。

戦車の陰から、一人が現れる。

ヤヒロへ銃を向け、撃つ。

短い連射。

白い背と肩で、弾丸が次々に火花を散らす。

 

それでも歩幅も姿勢も、わずかにも変わらない。

振り返ることさえなく、そのままバイクへ向かう。

 

撃っていたスケバンの銃口が小さく震え、やがて下がった。

 

「……なんなのよ、あいつ」

 

ヤヒロはバイクへ手をかける。

小銃を吊り直し、側面の留め具を外した。

 

がちり。

一つ。

続いて、もう一つ。

 

車体に沿っていた長い砲身が、ゆっくりと外側へ傾いた。

両手で支え、持ち上げる。

 

二メートルを超えるヤヒロが持ってなお、その丈の倍はあろうかという長大な影。

 

刻まれた銘は八咫烏。

 

8.8 cm FlaK 36高射砲、通称「アハト・アハト」をベースに、ヤヒロのために仕立てられた重兵装。

 

それは、生徒が持つ武器というにはあまりにも大きかった。

 

   *

 

セリカは、崩れかけた店の柱へ背を預けていた。

残り、七発。

 

窓から一発撃つ。

車体のそばにいた一人が、戦車の陰へ隠れた。

向こうから撃ち返される前に、床を這って隣の窓へ移る。

残り、六発。

 

車体のそばを走っていた一人の足元へ撃つ。

驚いて転んだところへ、もう一発。

残り、四発。

 

砲身が、こちらを向いた。

身を伏せる。

壁の上半分が、轟音とともに崩れた。

破片が背中へ降り注ぐ。

耳の奥で、高い音が鳴る。

 

それでも、銃を離さなかった。

粉塵の向こうへ目を凝らす。

白い姿は、まだ見えない。

 

戦車がゆっくりと向きを変える。

もう一度、こちらを撃つつもりだ。

 

セリカは窓枠へ銃身を載せた。

狙う。

砲塔正面の、小さな観測窓。

 

一発。

厚い硝子の表面で、火花が散る。

もう一発。

ひびの入った硝子の向こうから、慌てて人影が引っ込んだ。

 

砲塔の動きが鈍る。

残り、二発。

 

「今よ!」

 

セリカは窓枠から身を引き、壁の陰へ身体を収めた。

返事の代わりに、通りの向こうで金属の擦れる音がした。

 

窓の端から、わずかに顔を出す。

粉塵が風に流された。

そこに、白い姿が立っていた。

 

遅いじゃないの。

そう思いながら目を凝らす。

 

その両手には、長大な砲。

足を開く。

白い裾が砂の上へ広がった。

砲口が持ち上がる。

 

「ちょ、あれを持ち上げるの……!?」

 

驚きに、セリカの耳がぴんと立つ。

ヤヒロの唇が動く。

 

「少し、音がしますよ」

 

セリカは慌てて耳を伏せ、両手で塞いだ。

刹那。

街が、白く染まった。

轟音。

 

空気が叩かれ、窓枠に残っていた砂が一斉に舞い上がる。

砲弾は、主砲の付け根を捉えた。

砲身が跳ね上がり、砲塔が大きく歪む。

衝撃で片側の履帯が外れた。

戦車は大きく傾き、砂を巻き上げながら停止した。

それきりだった。

 

しばらくして、車体上部のハッチが持ち上がる。

煤に汚れたスケバンが一人、咳き込みながら這い出した。

続いて、もう一人。

 

セリカは耳から手を離す。

 

動かなくなった車体。

歪んだ砲塔。

外れた履帯。

砲身の付け根から上がる、細い煙。

 

セリカは、その順に目を移した。

 

「……いや、個人で使うものじゃないでしょ、あれ」

 

返事は聞こえなかった。

 

戦車の周りにいたスケバンたちは、銃を下ろして立ち尽くしている。

一人の手から、銃が滑り落ちた。

それを合図にしたように、残っていた者たちが背を向ける。

 

「撤退! 撤退するわよ!」

「戦車は!?」

「もう動かないでしょ!」

 

倒れていた仲間を引き起こし、来た道へ逃げていく。

一人が振り返る。

白い姿が砲を持ち直すのを見て、すぐに前へ向き直った。

足音が遠ざかっていく。

 

通りへ、静けさが戻った。

風に押された砂が、倒れた標識の根元を流れていく。

 

   *

 

砲の後端を、砂の下の舗装へ突き立てた。

鈍い音。

長大な砲が、ヤヒロの隣に立つ。

 

セリカは銃を下ろし、崩れた店から出てきた。

 

「あんた、いったい何者なのよ」

 

砂を払いながら近づいてくる。

猫耳はまだ少し伏せられていた。

 

「申し遅れました。八十八夜ヤヒロと申します」

「そういうことを聞いてるんじゃ……」

 

言いかけて、息を吐く。

動かなくなった戦車へ目をやった。

 

「まあ、いいわ。助かったのは本当だし」

 

銃を肩へ掛ける。

ヤヒロは微笑み、頭を下げる。

 

「お役に立てたのでしたら、何よりです」

「でも、勘違いしないでよね。あんたが来なくても、あれくらい何とかしてたんだから」

 

セリカの視線が、歪んだ砲塔へ向いた。

少し止まる。

 

「……たぶん」

 

ヤヒロは何も言わず、砲を持ち上げた。

バイクの側面へ戻し、留め具を一つずつ固定する。

 

続いて、残骸の前へ立てた盾を引き抜く。

表面の砂を払い、バイクの反対側へ戻した。

 

その間に、セリカは道の左右を見回った。

 

「ここ、しばらくは使えないわね。あとでみんなにも知らせないと」

 

端末を取り出し、動かなくなった戦車を撮る。

続いて、逃げていった方角も一枚撮る。

 

「あんた、どうしてアビドスに?」

 

今度は、いくらか落ち着いた声だった。

留め具を引き、緩みがないことを確かめる。

 

「柴関ラーメンというお店へ行ってみたくて」

 

端末を持つ手が止まった。

セリカが振り返る。

 

「……柴関?」

「はい。ラーメンが好きなら一度は食べた方がよいと伺いまして」

 

セリカはヤヒロを見る。

次に、バイクを見る。

最後に、壊れた戦車を見た。

 

「ラーメンを食べるために、これで来たの?」

「ええ」

 

間。

猫耳が、わずかに立った。

 

「……変な人」

 

そう言ってから、セリカは銃を背負い直した。

 

「案内するわ」

「よろしいのですか」

「あそこ、私のバイト先なの。どうせ私も戻るところだったし」

 

歩き出しかけて、振り返る。

 

「それと、私は黒見セリカ。アビドス高等学校の一年生よ」

「セリカさんですね。改めまして、よろしくお願いいたします」

「別に、改まらなくていいから」

 

ヤヒロはバイクを押し、セリカの隣へ並んだ。

二人の足跡と、太いタイヤの跡が砂の上に続いていく。

 

   *

 

通りを二つ曲がると、開いている店が少しずつ増えてきた。

 

古い雑貨屋。

小さな整備工場。

入口に鉢植えを並べた家。

 

戦っていた街区よりも、人の気配がある。

 

「さっきの辺りは、前から誰も住んでいないのですか」

「少し前までは、まだ店もあったわ。でも、砂が増えて、お客も減って……」

 

セリカはそこで言葉を切った。

道の先へ目を向ける。

 

「だからって、好きにしていい場所じゃないけど」

「ええ」

 

その横顔を見て、ヤヒロも前へ向き直った。

しばらく歩く。

やがて、赤い暖簾が見えてきた。

 

古びてはいるが、綺麗に手入れされた店構え。

暖簾の上には、柴関ラーメンの文字。

 

換気口から、煮込んだスープの香りが流れてくる。

思わず足が止まり、空腹を思い出した。

 

「こちらですね」

「そうよ。バイクは、その脇に停めればいいから」

 

店の横へ車体を収め、スタンドを下ろす。

店の中から、鍋と食器の音が聞こえてきた。

セリカが戸を開ける。

 

「ただいま、柴大将」

 

カウンターの奥から、柴犬の獣人が顔を出した。

 

「おかえり、セリカちゃん。ずいぶん遅かったね。さっき大きな音がしてたけど、何かあったのかい?」

「ちょっと、見回りで面倒があって」

 

セリカの後ろ、開いた戸の向こうに立つヤヒロを見て、柴大将の眉が上がる。

 

「おや、見ない顔だね。どこから来たんだい?」

「百鬼夜行から。こちらのラーメンをいただきたくて、参りました」

「百鬼夜行だって!? そりゃまたえらい遠いとこから来たねぇ。嬉しいよ!」

 

柴大将は笑い、カウンターの席を手で示した。

 

「さ、好きなところへ座ってくれ!」

 

ヤヒロは身を屈めて戸をくぐる。

一番端の席へ向かい、椅子を少し後ろへ引いた。

長い脚を斜めにして腰を下ろす。

 

セリカはカウンターの内側へ回りかけた。

 

「セリカちゃん」

 

柴大将に呼ばれ、足を止める。

 

「その肩、大丈夫かい?」

「これ? 何でもないわよ。ちょっと撃たれただけ」

「何でもなくはないだろう」

「本当に平気だってば」

 

汚れのついた制服を手で払う。

その動きで、頬の擦り傷も見えた。

柴大将は困ったように眉を下げる。

 

「無茶はしないでおくれよ」

「してないわよ。ちゃんと追い払ったし」

 

セリカの目が、ヤヒロへ向いた。

少しだけ迷う。

 

「……この人にも、ちょっと手伝ってもらったけど」

「ちょっと、ですか」

「そこは黙ってて!」

 

声が店の中へ響いた。

柴大将が笑う。

 

「なるほどね。セリカちゃんを助けてくれたのか」

「ご一緒しただけです」

「どちらにしても、ありがとうよ。お礼に好きなラーメンを一杯、ご馳走させてくれ!」

「そんな、悪いです」

「いいんだ。遠慮しないでおくれ」

 

柴大将は鍋へ向き直った。

 

「注文は柴関ラーメンでいいかい?」

「はい。お願いします」

 

鍋から、湯気が上がる。

湯切りの音。

包丁がまな板を叩く音。

湯気とともに届いた香りに、ヤヒロの目元がわずかに緩んだ。

 

その間に、セリカは奥へ引っ込み、バイトの制服に着替えて戻ってきた。

腰には、店の名前が入った前掛けをつけている。

 

「お水」

「ありがとうございます」

 

卓へ置く。

そのまま離れようとして、セリカは足を止めた。

 

「さっきは……その」

 

カウンターの上で、指先が動く。

 

「本当に、助かったから、その……」

 

ヤヒロが顔を上げる。

 

「……ありがと」

 

「どういたしまして」

 

微笑むと、セリカは目を逸らした。

 

「柴関ラーメンお待ちどう!」

 

二人の間へ、大きな器が置かれた。

 

麺が見えないほどに山盛りのヤサイ。

分厚い叉焼、半熟の味玉。

湯気が香りを伴い、ゆっくりと立ち上る。

 

ヤヒロは両手を合わせた。

 

「いただきます」

 

ヤサイをかき分け麺を持ち上げる。

湯気の向こうで、麺が揺れた。

息を吹きかけ、口へ運ぶ。

温かなスープの味が、麺と一緒に広がる。

 

続いて、れんげを取る。

ひと口。

ゆっくりと飲み込み、目元を緩めた。

 

「……おいしいです」

 

柴大将の顔がほころぶ。

 

「そう言ってもらえると嬉しいねえ」

 

セリカは少し離れたところで腕を組んでいた。

 

「当然でしょ。柴関のラーメンなんだから」

 

なぜか、本人よりも得意げだった。

 

箸を進める。

麺が減り、叉焼がなくなり、最後に残ったスープを飲む。

器を置いた。

 

「ごちそうさまでした」

「お粗末さま!」

 

柴大将が空の器へ手を伸ばす。

ヤヒロは品書きを見た。

 

「すみません」

「はいよ」

「同じものを、もう一杯いただけますか? それと、チャーハンと餃子も」

 

器を持つ手が止まった。

セリカが振り返る。

 

「……もう一杯?」

「ええ。とてもおいしかったので」

 

柴大将は一瞬、目を丸くし、それから声を上げて笑った。

 

「今度はきっちり、お代をいただくぜい?」

「もちろんです」

 

再び、鍋から湯気が上がる。

セリカはヤヒロと空の器を見比べていた。

 

「あれだけ動いたあとだから、お腹は空くでしょうけど……」

 

二杯目のラーメンが置かれる。

続いて、チャーハンと餃子も並んだ。

ヤヒロはもう一度、手を合わせた。

 

「いただきます」

 

赤い暖簾が、入口から入る風に揺れた。

外では、砂が道の端を流れている。

その向こうに、先ほどまで銃声の響いていた街が続いていた。

 

けれど、店の中には鍋の音がある。

器から立つ湯気。

柴大将の声。

呆れたようにこちらを見る、セリカの顔。

 

ヤヒロは、二杯目の麺を口へ運んだ。

 

   *

 

店を出る頃には、陽が少し傾いていた。

バイクの留め具を確かめていると、赤い暖簾の下からセリカが顔を出した。

 

「もう行くの?」

「はい。暗くなる前に、今日は休む場所を探そうかと」

「そう」

 

セリカは店の前まで出てきた。

 

「この先も、砂が深いところがあるから。南の道は使わない方がいいわよ」

「ありがとうございます」

 

バイクへ跨がる。

キーを回すと、低い振動が足元から伝わった。

 

「それでは、また伺います」

「また?」

「ええ。まだ、ほかの品も気になりますので」

 

セリカは何か言いかけた。

やがて、肩の力を抜く。

 

「……好きにすれば」

 

そう言いながら、猫耳はまっすぐ立っていた。

店の奥から、柴大将の声がする。

 

「またおいで!」

「はい。ごちそうさまでした」

 

頭を下げる。

ゆっくりとバイクを走らせた。

 

ミラーの中で、赤い暖簾が小さくなる。

その前には、前掛け姿のセリカがまだ立っていた。

やがてバイクが角を曲がり、その姿も見えなくなる。

 

前方には、砂に覆われた道が続いていた。

白い裾が風に揺れ、大きなバイクがその先へ進んでいく。

 




戦闘描写って、どんどん文字を増やしたくなってしまいますね。
これまでの中で最長クラスでしょうか。

前の話から少しずつ原作の生徒と交流を始めています。
今後も少しずつ交流の輪を広げていけたらなと思ってます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


追記
ここまでに判明したヤヒロの生徒紹介ページを作成しました。
どんな生徒だったかな?ってなったときに見に行ってもらえたらなと。

生徒紹介『八十八夜ヤヒロ(ちゃつみ・ヤヒロ)』(第肆話時点)
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=345746&uid=525145
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