白い建物の間を、細い高架が走っている。
頭上を音もなく通り過ぎた車両の影が、広い道路を横切った。
大きなバイクの上から、その影を見送る。
陽はもう、頭上を少し過ぎている。
ここを走るのは、蕎麦を食べに百鬼夜行へ帰った、あの朝以来だった。
信号に従って角を曲がる。
研究棟が並ぶ一角を抜けると、奥に大きな搬入口が見えてきた。
開いた扉の向こうには、様々な機械が並んでいる。
速度を落とし、その前へバイクを停めた。
エンジンを切る。
低い振動が収まり、代わりに金属を打つ音と、機械の短い作動音が耳へ届いた。
車体を降りて搬入口から中を覗くと、作業台へ向かっていた少女が顔を上げた。
「やあ、ヤヒロ。時間通りだね」
手にしていた工具を置き、ウタハがこちらへ歩いてくる。
「お久しぶりです、ウタハさん。本日はお願いいたします」
「ああ、任せてくれ」
ウタハの視線が、搬入口の外へ向いた。
午後の光を受けた大きな車体が、そこに堂々と佇んでいる。
「八岐大蛇の調子はどうだい?」
「絶好調、ですよ。今回も、よく走ってくれました」
「それは何よりだ。いつもの場所へ入れてくれるかい」
「分かりました」
搬入口を出て、八岐大蛇のもとへ戻る。
ハンドルを握って車体を起こし、サイドスタンドを払った。
そのまま押して、作業室へ入れる。
床に引かれた線へ前輪を合わせると、ウタハが脇へ回り、車体を固定する器具を取り付けた。
「荷物は、どちらへ置けばよろしいでしょうか」
「あそこの棚とテーブルを使ってくれ。誰でも使えるフリースペースだ」
視線の先には、壁際の棚と、小さなテーブル、いくつかの椅子があり、休憩用の一角になっていた。
車体から荷物を下ろし、壁際のテーブルへ運ぶ。
鞄の中から、布に包まれた箱を二つ取り出した。
「山海経のお土産です。皆さんで召し上がってください」
「おお、玄武商会の月餅じゃないか。前から気にはなってたんだ。ありがとう」
受け取ろうとした手を止め、ウタハは油の染みた作業用手袋へ目を落とした。
「あー、そこの棚へ置いておいてもらえるかい」
そう言うと、ウタハは一足先に車体の方へ戻っていった。
言われたとおり、箱を二つ重ねて棚へ置き、そのあとを追う。
「さて、走っていて気になったところはあったかい?」
「特には。加速も安定していましたし、砂地でもハンドルを取られることはありませんでした」
「異音や操作の遅れは?」
「ありません」
「そうか。では、記録と実際の状態を一通り見てみるとしよう」
ウタハは車体の前へ屈み込み、吸気口を覆うカバーの継ぎ目をライトで照らした。
指先でなぞる。
隙間に入り込んでいた細かな砂が、手袋の上へこぼれた。
「動作に響くほどではないが、細かな砂がずいぶん奥まで入り込んでいるね。あとでカバーを外して、フィルターも確認しておこう」
「お願いします」
車体の側面へ回る。
長い砲を留めている固定架へ触れ、一つずつ金具を押していく。
接触部へライトを当て、擦れた跡と留め具の根元を確かめた。
「こちらも歪みはない。これだけの重量を積んで砂地を走った割には、緩みもほとんど出ていないね」
続いて、反対側へ回った。
車体に沿って重ねられた、黒鉄色の装甲板。
その表面には、細かな傷と、弾丸を受けた丸い痕がいくつも残っている。
指先で一つをなぞる。
「八重垣もきちんと役目を果たしたようだね」
「ええ。しっかりと、弾を防いでくれましたよ」
「一枚ずつ、いつもの点検台へ載せてもらえるかい」
「分かりました」
留め具を外し、装甲板の一枚を引き起こした。
そのまま持ち上げ、作業台の脇へ運び、点検台の受け具へ下端を収める。
すかさずウタハが固定具を締める。
それを見届けたヤヒロは、手を離して一歩下がった。
ウタハは点検台を傾けて表面へ光を当て、裏側と下端の杭を順に確かめていく。
「掠ったような弾痕は多いが、凹みも歪みもない。杭にも曲がりはなし」
確認を終えたウタハが、固定具を緩める。
ヤヒロは一枚目を車体へ戻し、入れ替わりにもう一枚を点検台へ載せた。
今度は、ウタハがライトで二枚の噛み合わせ部分を照らす。
「結合部にも摩耗はない。新素材開発部の試作素材はカタログスペックに偽りなしだったようだ。今回の運用データを渡せば向こうも喜ぶだろうね」
確認を終え、ウタハが固定具を外す。
ヤヒロは二枚目も車体の元の位置へ戻した。
「使い心地はどうだった?」
「軽くて取り回しやすかったです。地面へ立てた際も、安定感がありました」
ウタハが、盾とヤヒロを順に見る。
「その感想を、一般的な使用者のものとして記録するのは難しそうだ」
「そうでしょうか」
「少なくとも注釈は必要だろう。私はこんなのを振り回せる気がしないしね」
端末へ何かを書き加える。
続いて、ハンドル脇の接続口へ細い端子を差し込んだ。
画面の表示が切り替わる。
走行速度。
車体の傾き。
前後の車輪と、左右の固定架へ掛かった荷重。
幾つもの線が、時間に沿って並んでいる。
ウタハの指が、そのうちの一点で止まった。
「ここから路面抵抗が大きく変わっている。姿勢制御の補正も増えているね。アビドスへ入ったのは、この辺りかい?」
「はい」
「やはりそうか。どれどれ……車体の傾きは許容範囲内。駆動部の温度も……問題なし」
ウタハの指が、画面を横へ送っていく。
「しばらくして停車」
一本の線が、一段だけ下がった。
「左側の荷重が、一枚分減っている。八重垣を降ろしたのかい?」
「はい」
少し先で、反対側の線も大きく下がっている。
「その後で、こちらも軽くなった。八咫烏も外しているね」
「ええ。戦車を止めるために、一度だけ使いました」
画面を送っていた指が止まった。
「戦車を?」
「はい。砲塔を破損させ、動きを止めることができました」
短い沈黙。
ウタハの視線が、画面から車体の固定架へ移る。
「……うん、なるほど。確かに戦車相手なら八咫烏の出番だね」
再び、記録を先へ送る。
下がっていた二本の線が、時間を置いて元の高さへ戻っていく。
「八重垣が戻った。続いて八咫烏。左右の荷重を補う試作バランサーも正常に作動している。固定し直したあとの走行にも異常はなし、と」
一つずつ確かめながら、点検項目へ印を付ける。
画面の記録が、次の区間へ切り替わった。
「おや、自動追従機能を起動しているね。使うのは初めてじゃないか?」
「はい。今回が初めてです」
速度と車間距離を示す線が、ほぼ一定に揃う。
「追従制御は正常。車線の補正にも乱れはない」
その先で、荷重を示す線が揺れた。
「乗員の重心が大きく動いて、その直後に荷重が消えた……? 一体何が……?」
「跳びました」
ウタハが画面から顔を上げた。
「飛んだ……?」
「はい、前を走る車の荷台へ跳び移っていました」
「走行中に?」
「緊急事態でしたので」
ウタハはしばらく動かなかった。
やがて、視線を画面へ戻す。
「……君は時々、技術者の想定より先へ行くね」
呆れたように息をつきながら、荷重の線が途切れた箇所を拡大し、速度と車間距離の記録を重ねる。
「乗員が突然いなくなっても、追従制御に乱れはない。前方の車両に合わせた減速と停車も正常……想定していた使い方とは違うが、貴重な走行記録にはなったよ」
端末を持ち直し、残っていた点検項目へ印を付ける。
「フィルターの交換と、固定架の増し締め。あとは駆動部へ油を差せば済みそうだ。もう少し時間をもらうよ」
「分かりました」
「いつもどおり、黄色い線で区切られた通路から出なければ自由に見て回って構わないよ」
「承知しました」
作業の邪魔にならないよう、車体から一歩離れる。
ウタハは交換用のフィルターを取り出し、車体の側面へ屈み込んだ。
工具が留め具を回す。
外された蓋。
その内側へ積もった細かな砂。
部品を傷つけないよう、工具を持ち替える手。
しばらく、その作業を眺める。
やがて、床に引かれた黄色い線に沿って歩き出した。
ここを訪れるたび、作業室の景色は少しずつ変わっている。
作業台には前回なかった小型の機構が並び、壁際にあった大型の試作機は、いくつもの部品に分けられていた。
機械の仕組みに詳しいわけではない。
ただ、組み上げられた機械や、それが動く様子を眺めるのは、なんとなく好きだった。
通路を進みながら、一つずつ目を向けていく。
その中の一つ、作業室の奥に置かれた一台が、ひときわ目を引いた。
車輪の付いた架台に、機械が載せられている。
線の手前まで近づくと、それは巨大な銃のように見えた。
銃と呼ぶにはあまりにも大きく、砲と呼ぶ方がふさわしい。
白い外装は一部しか取り付けられておらず、角張った機関部の隙間から、内部を走る配線と金属の骨組みが覗いている。
その後方には、複数の端子が並んでいた。
八咫烏とは、形も造りもまるで違う。
それでも、架台に支えられた輪郭に、親しみを覚えた。
じっくりと、その姿を眺める。
背後では、工具の音が続いていた。
やがて蓋の閉じる音と、留め具を締める音が響く。
少し遅れて、足音が近づいてきた。
「待たせたね。点検は終わったよ。フィルターも交換しておいた。駆動部にも問題はない」
「ありがとうございます」
ウタハはヤヒロの隣で足を止め、その視線の先を見た。
「ウタハさん。あちらの砲のような機械は何でしょうか?」
「ああ、あれかい? レールガンだよ」
「レールガン?」
「火薬の爆発ではなく、電磁力で弾体を加速して撃ち出す砲さ。あれは、大きな弾体を高速で撃ち出せるように造ってある」
ウタハは架台の脇へ歩いていった。
「宇宙戦艦の主砲として開発していてね。本体はほとんど完成している。残っているのは外装と照準器、安全装置、それから細かな調整くらいだ」
「その宇宙戦艦は、どちらに? それらしきものは、見える範囲にはないようですが」
ウタハが黙った。
作業室の奥で、小さな機械が一度だけ音を立てる。
「……実は、レールガン一つのために予算をほぼ使い切ってしまってね」
「そうでしたか」
「まぁ、何事も最初の一歩が重要だからね」
レールガンへ視線を戻す。
「載せる船はない。かといって、人が持ち運べる重さでもない。というわけで、今のところは場所を取る置物のようなものだよ」
ウタハは架台の上のレールガンを見てから、ヤヒロへ目を向けた。
「もっとも、八咫烏を手持ちで扱う君なら、持ち上げるくらいはできるかもしれないね」
黄色い線の手前から、レールガンを見つめる。
「では、試してみてもよろしいでしょうか」
ウタハは目を瞬いた。
ヤヒロを見たまま、一拍、動きを止める。
「待ってくれ。倍近い、というほどではないが、それでも八咫烏より相当重い。今のは軽い冗談だったんだが……本気かい?」
ヤヒロは、もう一度架台の上のレールガンを見た。
「……それでも、持てないとは限りません」
ウタハはレールガンとヤヒロを見比べた。
「……そう言われると、技術者としては確かめたくなるじゃないか」
小さく息をつき、こちらへ手招きする。
「分かった。入っていいよ。ただし、持ち上げるだけだ。配線と端子には触れないでくれ。手を掛けるなら、銃身の下と、この取っ手がいい」
「承知しました」
線を越え、架台へ近づく。
長い髪を肩の後ろへ払い、両手を差し入れた。
片方を銃身の下へ。
もう片方を、示された機関部の取っ手へ掛ける。
ウタハが、両手の位置を確かめる。
「その位置でいい。少しでも支えきれないと思ったら、無理をせず架台へ戻してくれ」
小さく頷き、腰を落とす。
両足で床を踏みしめ、腕に力を込める。
重みを受けた肩が、わずかに沈んだ。
それでも、姿勢は崩れない。
ゆっくりと身体を起こす。
レールガンが架台を離れ、重みの抜けた架台がわずかに揺れた。
そのまま、レールガンを胸の前まで持ち上げる。
ウタハが、持ち上がった兵器と空になった架台を見比べる。
「……本当に上がったね」
両足の位置をわずかに変え、重さの掛かり方を確かめる。
露出した配線が、その動きに合わせてかすかに揺れた。
「確かに、八咫烏より重いですね」
「それを持ち上げたまま言う台詞ではないと思うが」
「ですが、全長はこちらの方が短く、重心も身体に近いようです。保持するだけなら、こちらの方が安定します」
ウタハは顎へ手を添え、レールガンの傾きを眺めていた。
「発射時の反動まで含めれば、また話は変わるだろうけれどね」
「撃ってみますか?」
顎に添えられていた手が、止まった。
ウタハの視線がレールガンへ落ちる。
「……データは欲しいところだが、照準器も安全装置も調整前だ。今はまだ、試射できる状態ではない」
砲口の先にある作業室の壁へ、目を向ける。
「何より、場所が悪い。ここで撃てば壁がなくなる」
「それはいけませんね」
ゆっくりと膝を曲げる。
架台の上へレールガンを戻すと、車輪が低く軋んだ。
両手を離す。
ウタハは端末を取り、先ほどとは別の項目へ何かを入力した。
「参考になりましたか」
「もちろん。少なくとも、これを持ち上げられる者がいることは分かった」
入力する指が止まる。
「もっとも、それを設計条件へ加えるつもりはないけれどね」
入力を終え、端末を手に八岐大蛇の脇へ戻っていった。
ヤヒロも、その後に続く。
車体の周囲を見回したウタハが、ヤヒロへ目を向けた。
ヤヒロはハンドルを握り、車体を支える。
それを確かめてから、ウタハが固定器具を外した。
サイドスタンドを下ろし、車体をゆっくりと預ける。
安定したのを確かめ、キーを回す。
低い排気音が作業室へ響いた。
ウタハは端末へ目を落とし、しばらく表示された数値を確かめる。
「うん、良い音だね。数値も良好だ。もうエンジンを切っていいよ」
エンジンを止める。
壁際の棚には、持ってきた箱が二つ重ねられたままになっていた。
「さて、作業も終わったことだ、一息入れるとしよう」
ウタハは手袋を外し、作業台脇の流しで手を洗った。
それから休憩用の一角へ向かい、棚から箱を一つ取ってテーブルへ置く。
椅子へ腰を下ろすと、ヤヒロもその向かいへ座った。
「せっかくのお土産だ。一緒につまむとしよう」
紐を解き、蓋を開ける。
十六個の月餅が、四つずつ整然と並んでいた。
表面には花や文字の模様が刻まれ、焼き色の違うものが交互に収まっている。
「おお、これは見事だね。食べるのが惜しくなるよ」
ウタハが一つを手に取り、開いた箱をこちらへ寄せる。
差し出された箱から、一つを取る。
「いただきます」
二人の声が重なった。
ひと口かじる。
断面から黒胡麻の餡が覗き、香ばしい皮の後から濃い甘みが広がった。
もうひと口で、手の中は空になった。
無意識に箱へ目が向く。
それを見たウタハは何も言わず、箱をこちらへ少し押し出した。
「……では、もう一つだけ」
作業室には、冷め始めた金属と油の匂いが残っている。
その中へ、焼き菓子の甘い香りが混じった。
向かいでは、ウタハも月餅を口へ運びながら、点検記録を見返していた。
画面には、乗員一人分の重さだけがぽっかりと消えた線が、まだ映っている。
記録に沿って、旅の途中で起きたことをぽつぽつと話す。
ウタハは時折相槌を打ち、気になった箇所では画面を指した。
話の合間に、どちらからともなく箱へ手が伸びる。
気がつくと、蓋の開いた箱は半分ほど空いていた。
お待たせしました。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
多くに方に読んでいただけていること、お気に入りが少しずつ伸びていること、8や9の評価をいただけたこと、とても嬉しく思っております。
これからも、プロットはできてる本編完結まではしっかり走りきろうと思います。
よろしければこれからも読んでいただけたら嬉しいです。
生徒紹介はこちら
生徒紹介『八十八夜ヤヒロ(ちゃつみ・ヤヒロ)』(第肆話時点)
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=345746&uid=525145
この作品のスタンスはこちら
ざっくりいうと原作には関わらない、といった感じです。
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この作品でのAIの使用方法についての説明はこちら
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=346096&uid=525145
追伸
インフルにかかりまして、次の投稿は結構遅れるかもしれないです。
ほぼ完成してたこの話の投稿はなんとかできましたが、結構まだつらいので、ゆっくり休もうと思います。