ソルート川の水面に、昼前の陽が反射している。
川沿いの道には、菓子店や喫茶店が軒を連ねていた。
白い壁。
整えられた植え込み。
通りの向こうには、尖塔を持つ校舎が幾つも見える。
平日のこの時間には、制服姿の生徒はほとんど見ない。
数少ない二輪車用駐車区画へバイクを停め、八重桜を背へ吊り、川沿いを歩く。
少し先に、淡い色の販売トラックが見える。
車体の脇には、小さな立て看板が置かれていた。
『大人気! ミラクル5000!』
看板の前にいる客は、二人だけだった。
休日には、開店前から長い列ができる。
平日でも、放課後にはその日の分がほとんど残っていない。
そう聞いていた。
平日の早い時間になら、並ぶことも少ないだろう。
その読みは当たったようだった。
最後尾へ並ぶ。
前の客が商品を受け取り、列が一つ進んだ。
もう一度。
ほどなくして、販売トラックの窓口が目の前まで来る。
「いらっしゃいませ。申し訳ありません。カットは先ほど売り切れてしまいまして、ホールのみのご用意になりますが……」
「問題ありません。もともとホールで購入するつもりでしたので。一つ、お願いします」
「ありがとうございます。ご用意しますので、少々お待ちください」
代金を支払い、窓口の奥へそっと目を向けた。
販売員が車内の冷蔵庫から、平たく大きな箱を取り出す。
その箱を目で追ううちに、口元がわずかに緩んだ。
販売員は箱を丁寧に紙袋へ収める。
「カトラリーと保冷剤はお付けしますか?」
「お願いします」
紙袋へカトラリーの包みと保冷剤を収め、窓口から差し出した。
「お気をつけてお持ちください」
「ありがとうございます」
差し出された紙袋を、両手でそっと受け取る。
「ホールも、放課後には売り切れてしまうことが多いんですよ」
「やはり、そうでしたか。早く来てよかったです」
傾けないよう抱え直す。
川沿いには、幾つかベンチと卓が置かれている。
空いている場所を探しながら、来た道をゆっくりと戻った。
*
「あ、あのっ!」
背後から声が上がった。
足を止める。
振り返ると、小柄な生徒がこちらへ駆けてくるところだった。
黒を基調とした制服に、帽子。
ピンクの挿し色が入ったスリムな黒いライフルバッグ。
腰のあたりから伸びた小さな黒い翼は、走るたびに揺れている。
数歩手前で足を止めると、こちらの顔を確かめるように視線を上げた。
まだ上がる。
もう一段、顎が持ち上がった。
「……お、大きい」
「どうされましたか?」
「な、何でもありません!」
声が裏返った。
生徒は咳払いを一つして、胸を張り直す。
「正義実現委員会です。シスターフッドの方ですよね。少し、確認したいことが――」
「いいえ」
「……え?」
「シスターフッドには、所属しておりません」
「…………え?」
大きな目が、猫のように見開かれた。
視線が、白い頭巾から袖へ、袖から裾へと移っていく。
最後に背の八重桜で止まり、もう一度顔まで戻ってきた。
「えっ。じゃあ……あ、あなた誰なのよ!」
「百鬼夜行連合学院三年、八十八夜ヤヒロと申します」
「ひゃ、百鬼夜行!? 百鬼夜行の生徒がどうしてトリニティにいるのよ!?」
「ミラクル5000を、」
手にしていた紙袋を、少し持ち上げる。
「買いに来ました」
側面には、商品名が大きく印刷されていた。
「……ケーキ?」
「はい」
「コハルちゃん、ちょっと待ってー」
もう一人の生徒が、こちらへ駆けてくる。
先に来た生徒と揃いの黒い制服と帽子。
帽子の下から垂れた黒紅の前髪が、両目をすっぽりと覆っている。
顔の両脇に長い毛束が垂れ、背へ流した髪が走るたびに揺れていた。
肩からは、小銃を下げている。
「コハルちゃん。一年生は単独で動いちゃだめって、いつも言われて……」
言葉が途切れた。
先ほどの生徒より少し高い位置にある顔が、ゆっくりと上を向く。
白い頭巾。
そこから流れる長い濡羽色の髪。
そして、青灰色の瞳。
小さく、息を呑む音がした。
「……わあ。綺麗……」
「ヤチヨ?」
呼ばれた生徒が、小さく肩を跳ねさせる。
「あっ」
頬へわずかに赤みが差した。
肩の小銃を直し、慌てたように姿勢を正す。
「あ、あの。正義実現委員会です。少しだけ、お話を聞いてもいいですか?」
「はい」
「私は米倉ヤチヨです。こちらは、今日のバディの――」
「下江コハルよ! それくらい自分で名乗れるわ!」
「八十八夜ヤヒロです。少し、驚かせてしまったようですね」
「お、驚いてないわよ!」
「さっき、声が裏返ってたけど……」
「少しだけよ!」
ヤチヨが、もう一度こちらを見上げる。
「八十八夜、ヤヒロさん……」
確かめるように、その名前を繰り返した。
「あの。もしかして、噂の『キヴォトスの八尺様』ですか?」
「ええ。そう呼ばれることは、あるようですね」
「やっぱり、そうだったんですね!」
「八尺様!?」
コハルが一歩下がった。
ヤチヨは記憶をたどるように続ける。
「白い服を着た、とても背の高い生徒が、大きなバイクで各地を巡っているって。少し前に、そんな話を聞いたことがあって」
「二人とも」
落ち着いた声がした。
通りの向こうから、背の高い生徒がこちらへ歩いてくる。
黒い翼。
細部まで整えられた制服。
腰まで届くほどの、漆黒の髪。
人と並べば長身に見えるはずのその生徒も、目の前で足を止めると、わずかに顎を上げた。
「こちらから見える範囲を離れないように、と伝えたはずです」
「は、はい。ハスミ先輩」
コハルの返事が小さくなる。
「ヤチヨも、追いついた時点で知らせてください」
「ごめんなさい……」
二人の返事を確かめてから、黒い翼の生徒がこちらへ向き直った。
「二人の指導を担当しています、正義実現委員会の羽川ハスミです。後輩たちが失礼しました。巡回中に、見慣れない方を見つけたものですから」
「百鬼夜行連合学院三年、八十八夜ヤヒロと申します」
「百鬼夜行、ですか?」
ハスミの視線が白い頭巾へ向かい、すぐに顔へ戻った。
「遠いところからいらしたようですが、トリニティへはどのようなご用件で?」
もう一度、紙袋を掲げる。
「こちらを、買いに」
ハスミの視線が、紙袋の印字で止まった。
止まったまま、動かない。
「……それは」
一歩、近づく。
「ミラクル5000ですか?」
「はい。先ほど購入しました」
「この時間に、まだ残っていたのですか」
声から、職務中の硬さが少しだけ抜けた。
「はい。カットは売り切れていましたが、ホールはまだ残っていました」
「そう、ですか」
紙袋へ向けられた視線が、なかなか戻らない。
コハルが、その横顔を見上げた。
「ハスミ先輩、よく知ってるんですね」
「巡回区域の情報を把握しておくことも、正義実現委員会の務めです」
「ケーキ屋さんの情報もですか?」
「必要な情報です」
ヤチヨが、口元を少し緩める。
ハスミは小さく咳払いをした。
「……来訪の目的は確認できました。お引き止めして、申し訳ありません」
「いえ。お仕事でしたら、お気になさらないでください」
ハスミが一礼する。
その隣で、ヤチヨが頭を下げた。
コハルも少し遅れて続く。
「ご協力、ありがとうございました。それでは、私たちは巡回へ戻ります」
「お疲れさまです」
三人が歩き出す。
コハルとヤチヨが並び、その少し後ろにハスミが続いた。
ヤチヨが、隣のコハルへ顔を寄せる。
「ハスミ先輩、さっきからケーキのこと、気にしてたよね?」
「……たしかに、ずっと見てたわね」
コハルが小走りで引き返し、ハスミの隣へ並んだ。
「ハスミ先輩、もしかしてミラクル5000が気になるんですか?」
「直接聞くの!?」
「気になっていません」
「皆さん」
呼びかけると、三人が足を止め、こちらへ向き直った。
「もし、このあとにお時間があるようでしたら」
紙袋を少し持ち上げる。
「一緒に、召し上がりませんか」
「いいんですか!」
ヤチヨの声が、わずかに明るくなる。
その直後、ハスミを見て姿勢を正した。
「あ……でも、私たちは任務中なので……」
ハスミの黒い翼が、わずかに動いた。
「はい。お気持ちはありがたいのですが、私たちは巡回中ですので」
「あ、あの。このあとは、休憩の予定でしたよね」
コハルが口を挟む。
ハスミの視線が下がった。
「コハル」
「だ、だって、さっきハスミ先輩がそう言ってたから」
「休憩のお時間でしたら、ご一緒にいかがでしょう」
ハスミの視線が、再び紙袋へ向く。
しばらくして、小さく息を吐いた。
「……休憩時間の範囲であれば、問題ありません」
コハルが目を瞬いた。
「いいんですか?」
「せっかくのお申し出です。無下にするのも失礼でしょう」
ハスミが川沿いの東屋へ目を向ける。
「すぐそこに、私たちが休憩に使っている場所があります。そちらでよろしければ」
「はい。お邪魔いたします」
ハスミは東屋へ歩き始めた。
その足取りは、先ほどより少しだけ速かった。
*
東屋には、大きな卓を挟んで長いベンチが向かい合わせに据えられていた。
長いベンチの端へコハル。
その隣へヤチヨ、さらにハスミが腰を下ろす。
ヤヒロは向かい側へ腰を下ろし、卓の下で膝を少し横へずらした。
紙袋から箱を取り出し、卓の中央へ置いた。
抱えていた時にはさほど大きく見えなかった箱が、卓の上ではずいぶん場所を取っている。
帯を外し、蓋を開ける。
中から、甘い香りが広がった。
艶のある濃い色の表面。
幾つもの層を重ねた、丸く大きなケーキ。
「これが、ミラクル5000……」
コハルが、箱の中を覗き込む。
ヤチヨも身を寄せた。
その隣では、ハスミが黙ったままケーキを見つめている。
添えられていた包みを開く。
紙皿とフォーク、ナプキンを取り出し、卓の上へ重ねていく。
数を確かめ、手が止まった。
「……八人分も入っているのですね」
包みの底には、切り分け用のナイフも収められていた。
コハルが、カトラリーの山とケーキを見比べる。
「……もしかして、それ、一人で全部食べるつもりだったの?」
「はい。そのつもりでした。思っていたより大きく、少し驚きましたが、このくらいでしたら問題ありません」
三人が揃って、箱からこちらへ顔を上げる。
「何か?」
「……いいえ」
ハスミが最初に目を逸らした。
ケーキへナイフを入れる。
まず半分。
向きを変えて四つにし、それぞれをもう一度分ける。
八つの切れ目が、表面から中心へ伸びた。
一切れずつ紙皿へ移し、三人の前へ置く。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ハスミが、丁寧に頭を下げる。
「ありがとうございます」
ヤチヨも続いてフォークを取った。
「い、いただきます」
コハルもフォークを取る。
自分の分を皿へ移し、四人で最初のひと口を味わった。
表面の濃い甘さ。
柔らかな生地の間から、わずかな酸味が広がる。
噛むうちに重なった味がほどけ、優しい甘さが長く残った。
向かいでは、ハスミが目を閉じている。
黒い翼の先が、小さく持ち上がった。
その隣で、ヤチヨが断面を確かめるようにケーキを見つめ、もうひと口を切り分ける。
コハルもケーキを口へ運び、小さく呟いた。
「……おいしい」
言ってから、はっと顔を上げる。
「な、何よ!」
「何も言っていませんよ」
ハスミはふた口目を切り分けながら答えた。
先ほどより、口元が柔らかい。
「とてもおいしいですね」
「はい。遠くまで来た甲斐がありました」
一切れ目を食べ終え、二切れ目を自分の皿へ移す。
ヤチヨが、その手元へ顔を向けた。
「そういえば、今日は平日ですけど、授業は……?」
「卒業までに必要な試験は、一年次に済ませております」
ヤチヨが、そっと隣のコハルを見た。
コハルの手が止まる。
フォークに刺したケーキが、皿の上で揺れた。
「一年で?」
「はい」
「卒業までの試験を、全部?」
「はい」
その向こうでは、ハスミもコハルを見ていた。
「……何よ、二人とも」
「何も言っていませんよ」
「私も、何も言ってないよ」
「その目は絶対、何か言いたそうじゃない!」
川沿いに、コハルの声が響いた。
飛び立った小鳥が、水面の上を横切っていく。
「八十八夜さんは、よく旅行されるんですか?」
少しソワソワしながら、ヤチヨが尋ねる。
「はい。ツーリングも兼ねて、各地のおいしいものを食べに出かけております」
「そうなんですね! 最近はどんなところに行ったんですか?」
「先日は、山海経へ行ってきました」
コハルが顔を上げる。
「山海経!? めちゃくちゃ遠いじゃない!」
「そうですね。半日くらいは、かかったかと」
「移動で半日……」
「山海経ってどんなところだったんですか?」
ヤチヨが、少し身を乗り出した。
尋ねられるまま、道中の景色や立ち寄った店の話をする。
ケーキを口へ運ぶ合間にも、次の問いが返ってきた。
二切れ目を食べ終える頃には、ヤチヨとコハルの皿も空になっていた。
箱の中には、まだ三切れ残っている。
「皆さんは、もうよろしいですか?」
「私は、これで……」
ヤチヨがフォークを置く。
コハルも小さく頷いた。
ハスミは答えず、箱の中へ目を向けている。
「羽川さん。もう一切れ、いかがですか」
黒い翼の先が動いた。
「……では、お言葉に甘えて」
返事は、先ほどより少しだけ早かった。
ハスミの皿へ一切れを移す。
残った二切れは、自分の皿へ取った。
食べ進める間も、旅の話は続いた。
*
卓の上には、空になった箱と四人分の皿が残っていた。
ハスミがフォークを置き、こちらへ向き直る。
「ごちそうさまでした。ありがとうございました、八十八夜さん」
「こちらこそ。皆さんとご一緒できて、楽しかったです」
コハルが、こちらの頭巾へ目を向ける。
「そういえば、どうしてシスターフッドみたいな格好をしてるの?」
「シスターの服が好きなので、それに似せた着物を作っていただきました」
「……好きだから?」
「はい」
コハルが、白い頭巾から裾までをもう一度見た。
ハスミが端末で時刻を確かめる。
「休憩はここまでです。コハル、ヤチヨ。巡回へ戻りましょう」
「はい」
二人分の返事が重なった。
三人が立ち上がる。
「それでは、八十八夜さん。トリニティで何かお困りの際は、近くの正義実現委員へ声をかけてください」
「ありがとうございます、羽川さん。下江さん、米倉さんも」
「ごちそうさまでした」
ヤチヨが、もう一度頭を下げた。
「ご、ごちそうさまでした。……おいしかったです」
コハルも、少し遅れて頭を下げた。
「どういたしまして」
三人は川沿いの道へ戻りかけた。
小柄なコハルと、その隣に並ぶヤチヨ。
少し離れた後ろを、ハスミが歩いている。
二、三歩進んだところで、ヤチヨの足が止まった。
「あの、八十八夜さん」
呼ばれて顔を上げる。
ヤチヨがこちらへ小走りで戻ってくる。
目の前で足を止め、端末を両手で持ったまま、こちらを見上げた。
「どうかなさいましたか」
「その……もしご迷惑でなければ、モモトークを交換していただけませんか」
「私と?」
「はい。旅のお話を、もう少し聞いてみたくて」
少し先で、コハルが目を瞬かせていた。
ヤチヨは言い終えてから、端末の縁を握り直す。
「ええ。私でよろしければ」
ヤチヨの表情が、ぱっとほどけた。
「はい。ありがとうございます」
端末を取り出す。
二つの画面を近づけると、短い通知音が重なった。
ヤチヨは新しく加わった名前を確かめ、端末を持つ手を止めた。
「『ちゃつみ』って、こういう字だったんですね」
「はい」
画面に並ぶ「八十八」の文字を、指先でそっとなぞる。
ヤチヨはもう一度名字を見てから、端末を胸元へ引き寄せた。
「それでは、また」
「はい。また」
三人は、改めて川沿いの道へ戻っていく。
先ほどと同じ並びになった三人の姿が、店の並ぶ通りへ紛れていった。
角へ差しかかる直前、ヤチヨが一度だけ振り返る。
こちらへ小さく頭を下げると、前を行く二人のあとを追っていった。
端末を卓へ置く。
使った四人分のカトラリーと切り分け用のナイフをまとめ、空になった箱へ収めた。
残った四組は包みへ戻し、箱の蓋を閉じる。
甘い香りが残る卓の上で、端末には新しい名前が一つ増えていた。
お待たせしました。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
今回は二人目のオリジナル生徒が出てきました。
「米倉ヤチヨ」ちゃんは、いわゆる正実モブちゃんです。
この物語のスタンスとして、モブちゃんも一人の生徒として書いています。
なので当然名前もありますし、旅先の出会いとして縁もつながることもあるでしょう。
今後もたまに登場します。
皆さんの好きなモブちゃんはどなたでしょうか?
それと、多くの方からお気に入り追加や栞を挟んでいただけていて嬉しいです。
ありがとうございます。
追伸2
この作品に関する手元のメモをAIで整理したものを活動報告に出しました。
名前に由来などが書かれていますので、興味がありましたらこちらもぜひ。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=346619&uid=525145
追伸3
来週IPAの試験なので1週間以上空きます。
10日以内には投稿しますのでしばしお待ちいただけたら嬉しいです。
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生徒紹介はこちら
生徒紹介『八十八夜ヤヒロ(ちゃつみ・ヤヒロ)』(第捌話時点)
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=346620&uid=525145
この作品のスタンスはこちら
ざっくりいうと原作には関わらない、といった感じです。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=345750&uid=525145
この作品でのAIの使用方法についての説明はこちら
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=346096&uid=525145