また、ここに来た   作:フォートナー

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人との距離は、いつの間にか近くなる

 毎朝の挨拶が当たり前になって、くだらない話をするようになって、一緒に帰ることも増えていく

 そうして気づいた時には、もう「知り合い」ではなくなっている

 けれど

 本当に近くにいるからこそ、見えてしまうものもある

 笑っている顔の奥にある疲れ

 「大丈夫」という言葉の裏側

 そして

 放っておけないと思ってしまう、小さな違和感

 これは、そんな二人の距離が少しだけ近づいた夏の話


第2話 隣の部屋

第2話 隣の部屋

 

 酒寄彩葉と同じ学校だった

 

 それが分かってから、湊の日常は少しだけ変わった

 

「おはよう、彩葉」

 

「おはよう、湊」

 

 朝の挨拶を交わし、休み時間には他愛のない話をする

 

「昨日のカフェ、忙しかった?」

 

「昨日はそこそこだったよ。湊は?」

 

「俺? 帰って寝た」

 

「また寝てたんだ」

 

「高校生なんだから、寝るのが仕事でしょ」

 

「そんな仕事、聞いたことないけど」

 

 昼休みに一緒に飯を食べたり、放課後に駅まで歩いたりすることも増えた

 

 いつの間にか、二人は普通に友達になっていた

 

     *

 

「彩葉ってさ、学校終わったあといつも何してんの?」

 

「アルバイト」

 

「毎日?」

 

「だいたいね」

 

「大変じゃね?」

 

「もう慣れたよ」

 

 彩葉は笑った

 

 その笑顔はいつも通りだったけれど、湊はその言葉に少しだけ引っかかった

 

 ――慣れた

 

 そう言う人間は、慣れなければならないほど何かを我慢していることが多い

 

 そんな気がした

 

「無理すんなよ」

 

「……え?」

 

「いや、なんとなく」

 

「湊って、たまに変なこと言うよね」

 

「そう?」

 

「うん」

 

「じゃあ忘れて」

 

「嫌だよ」

 

「なんでだよ」

 

 彩葉が笑い、湊もつられて笑った

 

 けれど、その日から湊は彩葉のことを少し気にするようになった

 

     *

 

 それからというもの、彩葉の様子を見ていると気になることがいくつかあった

 

 朝はいつも早く登校してくるのに、教室へ入ると眠そうに目をこすっていることがある

 

 授業中に居眠りをすることはないけれど、休み時間になると机に伏せていることが増えた

 

 昼休みも、友達と話しながらゆっくり食事をするというより、パンや小さなおにぎりを急いで口に入れていることが多い

 

「彩葉、それだけで足りるの?」

 

「うん。朝、少し食べてきたから」

 

「そう?」

 

「うん」

 

 そう言って笑うものの、朝食を食べている彩葉を湊は一度も見たことがなかった

 

 放課後になれば、そのままアルバイトへ向かい、帰りが遅くなった翌朝も何事もなかったように教室へ来る

 

 疲れているように見える

 

 眠そうにも見える

 

 それでも彩葉は、いつも「大丈夫」と言って笑った

 

 だから湊も、それ以上は聞けなかった

 

     *

 

 夏休み前のある日

 

「湊、夏休みって何か予定ある?」

 

「特にないかな。彩葉は?」

 

「アルバイト」

 

「……だと思った」

 

「何、その顔」

 

「いや、予想通りだなって」

 

「失礼」

 

「ごめんごめん」

 

 彩葉は頬を膨らませる

 

「湊は暇なんだ」

 

「まあね」

 

「じゃあ、宿題ちゃんとやりなよ」

 

「彩葉に言われると、なんか先生みたいだな」

 

「誰が先生」

 

「彩葉」

 

「やだ」

 

「即答かよ」

 

「先生になるつもりないし」

 

「そっか」

 

「うん」

 

 少し間を置いて、彩葉が言った

 

「……でも、湊もちゃんと休みなよ」

 

「彩葉がそれ言う?」

 

「私も休むよ」

 

「ほんと?」

 

「……できるだけ」

 

「怪しいな」

 

「何で?」

 

「その顔」

 

「どんな顔?」

 

「働く気満々の顔」

 

「そんな顔してないよ」

 

「してるって」

 

「してない」

 

 二人で笑った

 

 けれど湊は何となく思っていた

 

 彩葉の「夏休み」という言葉の中には、休む時間より働く時間のほうが多いのではないか

 

 そんな気がしていた

 

     *

 

 夏休みに入ってからも、二人は学校の夏期講習で顔を合わせた

 

 講習が終わる頃には、外はすっかり夕方になっていた

 

「暑……」

 

 校門を出たところで、湊が空を見上げる

 

「今日は特に暑いね」

 

「アイス食いたい」

 

「買えばいいじゃん」

 

「彩葉も食う?」

 

「……いいの?」

 

「別に一本くらい」

 

「じゃあ……」

 

 二人は学校を出ると、近くのスーパーへ向かった

 

「コンビニじゃなくていいの?」

 

「スーパーのほうが安いし、せっかくだから夕飯の材料も買おうかなって」

 

「夕飯の材料?」

 

「うん。家にあまり食材がないんだよ」

 

「湊って、自炊するんだね」

 

「一人暮らしだからな。毎日じゃないけど、できるだけ作るようにはしてる」

 

「偉いね」

 

「彩葉も少しは見習ったほうがいいんじゃない?」

 

「私?」

 

「いや、なんでもない」

 

「今、何か言いかけたよね?」

 

「気のせいだろ」

 

「絶対言いかけた」

 

 スーパーに入ると、冷房の効いた空気が二人を包んだ

 

「涼しい……」

 

「外が暑すぎるんだよ」

 

 湊は買い物かごを手に取り、野菜売り場へ向かう

 

「何作るの?」

 

「まだ決めてないけど、野菜炒めとか簡単なものかな」

 

「ちゃんと考えてるんだ」

 

「一人分なら適当でもいいけど、今日は二人分作るからな」

 

「二人分?」

 

「俺と俺の分」

 

「それ、二人分じゃなくない?」

 

「細かいな」

 

 彩葉が笑う

 

 湊は玉ねぎやキャベツ、豚肉をかごに入れ、卵や豆腐も選んだ

 

「結構買うんだね」

 

「どうせなら、何日か分まとめて買いたいから」

 

「私、買い物ってあまりしないかも」

 

「あー、そういえば」

 

「何?」

 

「いや、なんでもない」

 

 湊はそれ以上言わなかった

 

 学校で見ている限り、彩葉が自分で食材を買って料理している姿はあまり想像できなかった

 

「アイス、どれにする?」

 

「えっと……」

 

 彩葉は冷凍ケースを覗き込み、いくつかの商品に目を向けては値段を確認して手を引っ込める

 

「これにしようかな」

 

 選んだのは、一番安いアイスだった

 

「それでいいの?」

 

「うん」

 

「じゃあ、俺も同じのにする」

 

「真似するの?」

 

「選ぶの面倒だから」

 

「湊らしいね」

 

 二人は同じアイスをかごに入れた

 

 会計を済ませ、買い物袋を持ってスーパーを出る

 

 外へ出た瞬間、熱気が身体にまとわりついた

 

「やっぱり暑い……」

 

「だからアイス買ったんだろ」

 

 二人は袋からアイスを取り出し、歩きながら食べた

 

「冷たくておいしい」

 

「だな」

 

「夕飯、楽しみかも」

 

「自分で作るんだけど」

 

「それでも楽しみでしょ?」

 

「まあな」

 

 そんな会話をしながら歩いていると、彩葉がふいに足を止めた

 

「……あれ?」

 

「どうした?」

 

 彩葉が指差した先には、湊の住んでいる古い二階建てのアパートがあった

 

「ここだけど」

 

「……え?」

 

「私も、ここ」

 

「マジ?」

 

「マジ」

 

 二人で古いアパートを見上げる

 

「何階?」

 

「二階」

 

「部屋番号は?」

 

「二〇一」

 

「……」

 

「……」

 

 湊が隣を見る

 

 彩葉もこちらを見ていた

 

「俺、二〇二」

 

「隣じゃん」

 

「隣だね」

 

 二人はしばらく黙り込んだ

 

「いや、そんなことある?」

 

「私もそう思う」

 

「今まで気づかなかったの?」

 

「気づく理由がないじゃん」

 

「確かに」

 

 湊は笑った

 

「じゃあ、これから学校でも家でも会うじゃん」

 

「……そうだね」

 

「なんか面白いな」

 

「……ふふ」

 

 彩葉も笑った

 

 二人はそのまま古いアパートへ入る

 

 二階へ上がると、二〇一号室と二〇二号室の古びたドアが並んでいた

 

「じゃあ、また明日」

 

「うん。また明日」

 

 彩葉が二〇一号室のドアを開ける

 

 湊も二〇二号室へ入ろうとした

 

 その時、開いたドアの隙間から彩葉の部屋が見えた

 

 必要最低限の家具しかない

 

 物も少ない

 

 引っ越してきたばかりの自分の部屋よりも、ずっと生活感が薄かった

 

 テーブルの上には、読みかけの教科書とアルバイト先の制服が置かれている

 

 制服はきちんと畳まれていたけれど、何度も洗濯したのか袖口は少しだけ色が薄くなっていた

 

 部屋の隅には、小さな洗濯物の山がある

 

 学校の制服とアルバイト用のシャツが、まとめて置かれていた

 

 彩葉は靴を脱ぐと、そのままキッチンへ向かった

 

「……彩葉?」

 

「ん?」

 

「飯、ちゃんと食ってる?」

 

「……?」

 

「食べてるよ?」

 

「ならいいんだけど」

 

「どうしたの、急に?」

 

「いや……」

 

 湊は部屋の奥へ視線を向けた

 

 キッチンにも物は少ない

 

 調理器具は最低限しかなく、コンロの脇には開封された食パンの袋と飲みかけの水が置かれていた

 

 食パンは残り数枚

 

 その隣には、レシートが何枚か重なっている

 

 日付の近いものを見れば、パンや飲み物、割引シールの貼られた惣菜ばかりだった

 

 そして、キッチン脇のゴミ箱には栄養ドリンクの空き瓶が何本も入っている

 

「……」

 

 湊は少しだけ眉を寄せた

 

 ただ疲れているだけ

 

 そう思おうとする

 

 バイトもしている

 

 夏期講習もある

 

 勉強だってしている

 

 それなら、疲れて栄養ドリンクを飲むことくらいある

 

 でも。

 

 一、二本じゃない

 

 何本もある

 

 しかも、昼飯はいつも少ない

 

「……ちゃんと飯、食ってるのか?」

 

 思わず口に出た

 

「……彩葉?」

 

「ん?」

 

 彩葉が振り返る

 

「最近、ちゃんと飯食ってる?」

 

「え?」

 

「昼、結構少ないだろ」

 

「そうかな?」

 

「そうだよ」

 

「ちゃんと食べてるよ」

 

「……そっか」

 

 彩葉はいつものように笑った

 

 けれど、湊は納得できなかった

 

「ほんと?」

 

「ほんと」

 

「栄養ドリンクだけで済ませたりしてない?」

 

「……しないよ」

 

 ほんの一瞬、彩葉の目が泳いだ

 

 湊はそれを見逃さなかった

 

「……」

 

「何?」

 

「いや」

 

 湊はそれ以上追及しなかった

 

 ただ、視線だけがもう一度ゴミ箱へ向く

 

 空き瓶が何本も重なっている

 

 今まで見えていたものが、少しずつ一本の線に繋がっていく

 

 毎日のバイト

 

 少ない昼飯

 

 帰宅してからの勉強

 

 睡眠不足

 

 そして、栄養ドリンク

 

「……結構、無理してんじゃねぇか?」

 

 小さく呟く

 

「え?」

 

「何でもない」

 

 彩葉は不思議そうな顔をしたけれど、すぐにいつもの笑顔に戻った

 

「じゃあ、また明日」

 

「……うん」

 

 ドアを閉めようとする彩葉を見て、湊は一度黙った

 

 このまま「また明日」で終わらせることもできる

 

 本人が大丈夫と言っている

 

 余計なことをする必要なんてない

 

 そう思った

 

 でも。

 

「彩葉」

 

「ん?」

 

「今日、俺が飯作るから」

 

「……え?」

 

「二人分作るだけだし」

 

「でも、これからバイト……」

 

「ああ」

 

 湊は時計を見る

 

 まだ夕方だ

 

「じゃあ、バイト終わってからでもいい」

 

「でも、悪いよ」

 

「別に」

 

「湊が食べたいだけ?」

 

「そう。俺が食いたいだけ」

 

「……ほんと?」

 

「ほんと」

 

 彩葉は少し困ったように笑った

 

「でも……」

 

「友達だろ?」

 

「……」

 

 彩葉が黙る

 

 しばらくして、ようやく小さく頷いた

 

「……じゃあ、お願いしようかな」

 

「よし」

 

 湊は頷いた

 

「ちゃんと食べさせるから」

 

「……なんか子供みたい」

 

「今の彩葉見てたら、そう言いたくなる」

 

「ひどい」

 

「ごめんごめん」

 

 彩葉が笑う

 

 湊も笑った

 

 けれど、湊の視線はもう一度だけゴミ箱へ向いた

 

 栄養ドリンクの空き瓶が何本も入っている

 

 それだけで、少しだけ分かった気がした

 

 彩葉は、自分が大変だということを誰にも見せないようにしている

 

 「大丈夫」と言って、笑って、自分で何とかしている

 

 だから湊も今は余計なことを聞かない

 

 代わりに、飯を作る

 

 それくらいなら。

 

 お節介でもいい

 

 湊は自分の部屋へ戻ると、冷蔵庫を開けた

 

 何を作るか考える

 

「……肉はある」

 

 野菜もある

 

 米もある

 

「これなら、ちゃんと作れるな」

 

 そう呟いて、湊は腕まくりをした

 

 その時はまだ。

 

 隣の部屋に住む少女が、どうしてここまで無理をしているのか

 

 その本当の理由までは、湊は知らなかった

 

 ただ。

 

 困っているように見えたから

 

 少しだけ。

 

 手を貸したかった

 

 それだけだった




こちらの話も投稿後読み返して、内容が薄いなーと思い再投稿しています。

読みずらいと思った方は申し訳ありません。
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